さあ、子育て、ここが最前線 by はやし浩司!

●みんなで子育てを考えよう!   

沼津→焼津、講演旅行(焼津グランドホテルに、一泊)

***********2012年5月16日より****************

●沼津・家庭教育学級(2012年5月15日)(主催:沼津市教育委員会)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

沼津市の家庭教育学級で、講話をさせていただきました。
こじんまりとした会場でしたが、2時間という長い時間、みなさん真剣に聞いてくださいました。
ありがとうございました。

なおその帰り道、焼津市にあるグランドホテルに一泊させてもらいました。
そのときの様子をつづけて送ります。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【家庭学級】(やる気のある子どもにするには!)

(1)



(2)



【焼津・グランドホテルにて】(すばらしい朝焼けでした)




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/16(水) 19:50:11|
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焼津グランドホテルにてbyはやし浩司

【焼津・グランドホテル】 はやし浩司 2012−05−15

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は沼津市で講演。
そのあと、帰りの途中で、焼津のグランドホテルに一泊。
今は、その沼津市に向かう途中。
新幹線の中。

午前7時31分発。
三島で乗り換え、沼津へは、午前8時ごろ着く予定。
が、旅行記を書くのは、あと。

今は、講演の原稿に目を通す。

その中のひとつ。

 引きこもりも含めて、うつ病(Melancholia)の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者がいる。

たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と

 うつ病の原因が、すべて、これで説明できるというわけではない。
そうでない人も多いだろう。
が、それくらい人にとって、乳幼児期というのは重要。
この時期に子どもの心は形成される。

そういう意味では、吉田敬子氏の意見には、納得できる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●午後

 現在、時刻は、午後1時58分。
焼津へ向かう電車の中。
地理的には、つぎのようになっている。

 (浜松)=(焼津)=(静岡)=(沼津)=(三島)

 つまり沼津からの帰り道に、焼津に寄る。
前回、焼津では、焼津アンビア松風閣に泊まった。
星は5つの、★★★★★。
あのホテルで、文句をつける人はいない。

 が、今回は、その隣にある焼津グランドホテル。
そこに一泊。
料金はほとんど同じか、やや割安といった感じ。
さて、どうなることやら。
このところ私たちの目は、旅行評論家程度に、肥えている。

あまりひどいようなら、実名は伏せる。
が、それはあとでの作業。
今は、こうして実名を出しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ボッタクリ・レストラン

 沼津で、昼食をとった。
駅前近くにある、Xというレストラン。
味は、最低。
最悪。
料理という料理ではない。
素人が、見よう見まねで作った我流料理。
食材をそれらしく並べただけの、駄作料理。

が、値段だけは、一人前。
ワイフのが、1300円。
私のが、900円。
ともに材料費は、200円もかかっていないのでは?
家庭で作れば、150円程度。
まさにボッタクリ・レストラン。

●睡魔
 
 電車に乗ってから、睡魔が襲ってきた。
今が、そう。
眠い。

 その目をこすりながら、パソコンのキーボードを叩く。
うっすらと意識が遠ざかる。
ぼんやりと窓の外をながめる。

 小雨。
肌寒い風。
低く、近くの山々を包む、霧。

 車掌が「興津(おきつ)、興津、つぎは興津です」と案内した。
静岡までは10分と少し。
眠るには、時間が足りない。
(ワイフは、眠ったら……と言っているが。)

●電車の中

 目の前の女性が、笑っている。
携帯端末を見ながら、笑っている。
……というか、うれしそう。
純朴そうな女性。
飾り気もなく、都会ズレもしていない。
足で、雨傘をしっかりとはさんでいる。

 ……今日の講演の中で、映画『タイタニック』を酷評してやった。
ハハハ。
若い母親たちが多かったから、そうした。
いわく、「ジャックにしても、ローズにしても、少しは親のことを考えたことがあるのか!」と。

 みなさんは、あのあとの話を知っているか?
タイタニック号が沈没したあとの話。

 そのあとジャックの両親は、ジャックを気が狂ったように探したという。
アイルランド中を探した。
「船でアメリカへ行くかもしれない」とジャックが話していたのを聞いた仲間がいた。
そこでそのあとジャックの両親は、船という船の乗船名簿を、すべて調べたという。
が、どこにも、「ジャック・ドーソン」という名前はなかった。
ジャックの両親は、一時は、どこかの国に拉致されたかもしれないとか、そんなことまで考えたらしい。

 一方、ローズの母親は、タイタニックが沈没したあと、現場へ数回も足を運んだ。
そのたびに、花を海にたむけ、涙を流したという。

 ……というのは、私の作り話だが、逆に考えてみればよい。
あなたの息子や娘が、あのジャックやローズのような運命を選んだとしたら、あなたはどうするだろうか。
「ああ、どこかで死んだかもね」と、笑ってすますだろうか。
それとも行方を捜しつづけるだろうか。
つまりあの映画には、親の視点が欠けている。
親の苦しみや悲しみが、抜け落ちている。

 若い人たちは、あの映画の中に、愛の理想形を見るかもしれない。
しかしそんなものは、愛でも、何でもない。
ただの欲望。

 ……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっている。
しかしあの映画を、私のような目で批判する人は少ない。
30代、40代までの人には、すばらしい映画かもしれない。
(たしかにすばらしい映画だが……。)
しかし60代、70代の人には、そうではない。
ただの恋愛至上主義映画。
アメリカ文化に毒された、ただの恋愛至上主義映画。
それをあえてみなさんに、伝えたかった。

●グランドホテル

 グランドホテルには、午後3時ごろ着いた。
部屋は6階のxx号室。
最上階。
仲居さんが、先ほど、こう言った。
「明日の朝は、天気もいいそうです」と。

 天気がよければ、駿河湾をはさんで、手前左側に、富士山が見えるはず。
部屋も広く、18畳。
和風の禁煙室。
先ほどB1の大浴場から戻ったところ。
眠気は取れたが、頭のほうは、ぼんやりしている。
雑誌をパラパラとめくる。

グランドホテル……前回、隣の松風閣に泊まったこともあるので、よけいにそう思うのかもしれないが、玄関は狭い。
全体に古い。
バスタブなどは、ところどころ割れ、補修がしてあった。
が、それをのぞけば、部屋も広く、眺望もよい。

●脳神経の周波数

 以前、こう書いた。
脳の中心部からは、パソコンように、電気信号が発せられているのではないか、と。
それがあらゆる生命の原動力になっている。
で、その電気信号には、周波数がある。
脳の神経細胞は、数Hzから数10Hzほどの電気信号を発しているというから、その程度ではないか。

もちろんコンピューターのようには、速くない。
最近のコンピューターでは、クロック数が、3・2GHzとか、3・4GHzとかいうのまである。
単純に計算すれば、コンピューターのもつ能力は、人間のそれの、10の9乗、つまり10億倍ということになる。
人間が1問、計算する間に、10億問、解くことができる。

 が、だからといって、コンピューターのほうがすぐれているとは思わない。
反対に、人間のほうが劣っているとも思わない。
それよりも重要なのは、電気信号の伝達速度。
人間のばあいは、電気信号と化学反応を併用した方法で、信号を伝達している。
が、これには、限界がある。
つまりどうしても遅くなる。

 だから一般論してよく言われるのは、脳が大きくなればなるほど、その分だけ、頭の回転も鈍くなるということ。
当然、動作も鈍くなる。
人間と象の動きを比べてみれば、わかる。
あるいは、ハエと人間でもよい。

(注※……脳内の電気信号と活動電位(電気パルス))

 脳内の電気信号をミクロな視点で見ると、具体的には一つ一つの細胞による活動電位などと呼ばれる電気パルスである。
(極小の時間だけ電圧波形が生じるパルス波形の信号。)(以上、ウィキペディア百科事典)

(注※……脳波)
『この一つ一つの細胞の電気パルスを個別にいくら調べても具体的に価値のある情報(音声情報、視界情報など)が含まれていることはない。
実際に、脳波を測定することにより思考に応じて何かを動かすという装置はあっても細胞の電気パルス信号を測定することにより、思考に応じて何かをするという装置はない。

 ここで、脳波とは、脳波 = 各種細胞で生じる電気パルス信号の総和で、数Hz〜数十Hz程度の電気信号をいう。(電気パルスではない)
各細胞で生じた電気パルス信号を足し合わせた総和である脳波が、思考に応じて変化することがわかっている』(以上:思考盗聴の技術サイト)と。

 しかしつぎのようなことは、すでにわかっている。
たとえば外界の刺激に応じて、脳内の反応部分がちがうということ。
たとえば母親が赤ん坊の泣き声を聞いたりすると、ちょうど麻薬を服用したときと同じ分野が反応するという。
つまり麻薬を服用したときと同じように、甘い陶酔感に襲われるという。

 同じように、美しい音楽を聞いたり、すばらしい絵画を見たときも、それぞれ、ある特定の分野が反応するという。

(注※……母親の反応)
2008年7月13日は、つぎのように伝える。
『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似たような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した』(以上、時事通信)と。

 だんだん面白くなってきた。
が、こんな話をつづけて書くと、読者の方の負担になる。
少し話題をそらす。

●橋下市長と入れ墨

 橋下市長が、こう宣言した。
入れ墨のある職員に対して、「分限(免職)もあり得る」※と。

 だったら……というわけでもないが、茶髪もだめ、ついでにプチ整形もだめということになるのか。
拡大解釈をすれば、そうなる。
というか、いくらでも、拡大解釈できる。

 なぜ入れ墨がだめか……ということになれば、イメージが悪い。
この日本では、入れ墨イコール、暴力団関係者というイメージが焼き付いている。
しかし入れ墨のある人イコール、暴力団関係者ということではない。
反対に、暴力団関係者がみな、入れ墨をしているわけでもない。

 たとえば私の知人は、元NTTの職員。
退職後の現在は、高利貸し金融の取り立て業をしている。
人相が悪いのが、幸い(?)した。
「調査に来ました」とか言って、不良債務者を脅している。

 なおこれに対して、橋下市長は、「私を批判したら、100倍にして返してやる」と息巻いている(報道)。

橋下市長が、少しずつだが、本性を現し始めた。
私は以前、「橋下市長は、ヒットラーか、ジャンヌダルクか」という原稿を書いた。
(私が「ヒットラー」という言葉を最初に使った。
そのあと自民党の幹部が、その言葉を使い始めた。)
で、現在は、さらに警戒心を強くもつようになった。
ものの言い方が、どこか独裁者的?

●合理性

 外国では、入れ墨は、ファッション。
飛行機のパイロットはもちろん、スチュワーデスでもしている。
だからといって、入れ墨を奨励しているわけではない。
が、私には、入れ墨と、プチ整形の境目が、よくわからない。
あるいはどこがどう違うというのか。

 入れ墨は、視覚的に、色として認識できる。
プチ整形は、視覚的に、形として認識できる。
では、アザはどうなのか。
人相の悪い人はどうなのか。
橋下市長の主張には、合理性がない。
ないばかりか、こう思う。

「市長なら、もっとほかに、やるべきことがあるだろう!」と。
入れ墨にしても、入れ墨がどうのこうのというくらいなら、暴力団と、裏でつながっている人を調べたらどうか。
もっとも、そんなことを調べたら、ほとんどの公共事業はストップしてしまうだろうが……。

 ……私は、それ以上に、橋下市長の政治姿勢を心配する。
ひとつのことにこだわり始めると、とことんこだわる。
そのこだわりかたが、ふつうではない。
どこか偏執的。

それに今回の発言は、入れ墨を象徴とする暴力団の逆鱗に触れるのでは?
入れ墨問題に介入するということは、暴力団を敵に回すことになる。
(けっして、暴力団を擁護しているのではない。誤解のないように!)
暴力を仕事とするから、暴力団という。

 というか、橋下市長は、じゅうぶん、注意したほうがよい。
勇気ある発言というよりは、無鉄砲(?)。
この日本に、言論の自由があるというのは、幻想にすぎない。
どうでもよい、くだらないことについては、書いたり言ったりする自由はある。
が、一線を越えると、とたんに命すらあぶなくなる。

 実は、私にも経験がある。
ある本を書いたとき、私は3人の男たちに、付け回された。
そういう意味でも、橋下市長は、発言に、もう少し慎重になったほうがよい。
(けっして、暴力団を擁護しているのではない。誤解のないように。)
 
(注※……入れ墨)
『大阪市の橋下徹市長(42)が14日、入れ墨をしている市職員に対し、「分限(免職)もあり得る」と発言したことで、橋下氏と入れ墨職員のバトルはいよいよ“実戦”の段階に入った。
14日に回答期限を迎えた市の全庁調査では、入れ墨をしている職員が次々に見つかっており、「入れ墨職員は100人を超すかも」と市幹部は頭を抱えている。
ただ、橋下氏が免職という最終手段を行使できるかどうかについては疑問の声もある』(Yahoo・News・2012・05・15より)と。

●脳下垂体

 脳下垂体から、パルス信号のようなものが発せられている。
それはすでに脳科学の世界では、証明された事実と考えてよい。
で、そのパルス信号には、強弱もあり、周期性もある。
興味のある人は、以下の記述をゆっくりと読んでみたらよい。
漢字と横文字を見ただけで、拒絶反応を起こす人は、つぎの部分を、とばしたらよい。

(注+参考資料……脳下垂体の働き)
『GnRHの姿は1977年ノーベル賞受賞者のロジェ・ギルマンとアンドリュー・ウィクター・シャリーにより次の様に明らかにされた。

●神経ホルモンとしてのGnRH

GnRHは特定の神経細胞で産生され、その神経末端から放出される神経ホルモンと考えられている。
視床下部のGnRHの産生の主要エリアは視索前野で、そこに殆どのGnRH分泌ニューロンが含まれている。
GnRHは正中隆起の高さで門脈血流へ分泌され、性腺刺激ホルモン産生細胞の膜上にある受容体を活性化させる。
GnRHはタンパク質分解によって数分の内に分解される。

●FSHとLHのコントロール

下垂体ではGnRHはFSHとLHの合成と分泌を刺激し、その過程はGnRHパルスの頻度と強さ、それからアンドロゲンとエストロゲンのフィードバックである。
GnRH分泌には性差が存在し、男性ではGnRHは一定の頻度で分泌されるのに対し、女性では月経周期によってその頻度が異なり、排卵前にGnRHが急激に高まる。
GnRHの拍動性は全ての脊椎動物において見られ、正しい生殖機能を確実にするのに不可欠である。
従って雌ではホルモンであるGnRHが単独で卵胞成長、排卵、黄体の保持という複合した過程、そして雄では精子形成をコントロールする』。
(以上:ウィキペディア百科事典より)と。

●「性的エネルギー」(Ribido)

その点、心理学のほうの説明は、わかりやすい。
以前書いた原稿の一部を、ここに転載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
「性的エネルギー」という言葉を考えたフロイトは、すばらしい。
後にフロイトの弟子のユングは、それを「生的エネルギー」という言葉に置き換える。
どちらであるにせよ、それが生きる原点になっている。

 で、最近の脳科学によれば、そうした原点的な信号が、脳下垂体の下部あたりから発せられていることがわかってきた。
コンピューターのパルス信号のようなものではないかと、私は勝手に想像している。
その信号が、たとえばドーパミン(欲望と快楽を司るホルモン)の分泌を促したりする。
それが生きる原動力となって働く。

さらに今では、私たちが「感情」と称しているものにしても、ホルモン説、つまり脳内ホルモンによって引き起こされるという説は、常識である。
つまり脳内ホルモンを軽く考えてはいけない。

 この脳内ホルモンこそが、人間を裏から操る。

●「私」

 少し前、小学生が私にこう聞いた。
「先生は、エロ本を見たことがあるか」と。

私は鼻先で、「フン」と笑って、その場を去った。
が、それが青春。
この時期の子どもに、「君は性欲の奴隷になっているよ」と諭しても意味はない。
理解することさえ、不可能。
ぜったいに不可能。
その子どもは子どもなりに、それが「私」と思い込んでいる。
思い込みながら、つぎつぎと行動を発展させていく。

 恋愛もあるだろう。
結婚もあるだろう。
育児もあるだろう。
その過程で名誉を求めたり、肩書きを求めたりする。
欲望には際限がない。
富や権力を求め、それなりに苦労もするだろう。
そして最後に、こう思う。
「どうだい、私はすばらしいだろう!」と。

●メタ認知能力

 だからといって、「性的エネルギー」にせよ、「生的エネルギー」を否定してはいけない。
それがあるからこそ、人生も、これまた楽しい。
男が女を求め、女が男を求める。
そこから無数のドラマが生まれる。
そのドラマが、楽しい。

 あえて言うなら、できればその間に一線を引く。
(タマネギの皮の私)と、(タマネギの芯の私)の間に、一線を引く。
一線を引き、自分を客観的に見る。
これを「メタ認知能力」と言ってよいかどうかは知らない。
しかしこれこそが、まさに「高次(メタ)な認知能力」ということになる。

 大切なことは、性欲の奴隷であるにせよ、その奴隷のまま性欲に溺れてはいけないということ。
常に自分を客観的に、醒(さ)めた目で見る。
そういう自分を見失ってはいけない。

 私は鼻で「フン」と笑ったとき、そう考えた。

●「精神のメルトダウン」

 また少し前、「精神のメルトダウン」という言葉を知った。
外国の社会学者が、何かの評論の中で使っていた。
「日本人は、精神的にもメルトダウンしている」と。

 ナルホド!

 私に欠けるのは、こうした自由な発想。
造語能力。
実にうまい。
的確。
精神的メルトダウン!

 たしかに日本人は、精神的にメルトダウンしてしまっている。
日本語的に表現すれば、「もの言わぬ従順な民」に、なりさがってしまっている。

 自分で考えない。
自分で行動しない。
自分で責任を取らない。

 その前に、そこにある不正、腐敗、矛盾、不公平、不平等に対しても、声をあげようともしない。
「だれかが何とかしてくれるだろう」
「何とかなるだろう」と。

 そしてその返す刀で、「自分だけ、そこそこによければ、それでいい」と、そこにある問題から逃げてしまう。
まさに精神のメルトダウン。
実にうまい表現。
昨日、その言葉に感心した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●グランドホテルの夕食

 
 話を戻す。

 今夜の料理は、和懐石。
「懐石」というのは、もともとは、「簡素な料理」を意味する。
しかし今では、超豪華。
つぎつぎと料理が並んだ。
おいしかった。
大満足に近い、満足。

 で、結論。
経済的に余裕があるなら、新館のほうで。
(あとで聞いたら、「新館というのは、とくにない」とのこと。
そのつど改装工事はしているとのこと。)

私たちは旧館のほうに、宿泊。
追加料理は、いろいろできる。

●弱音(よわね)

 少し弱音(よわね)を吐く……。

今日も講演をした。
が、終わったとき、ふとこう感じた。
「ぼくの時代も、終わったな」と。
「いろいろやってみたが、ここまで」とも。
このところ(繰り返し感)が強くなった。
自分のしていることが積み重なっていかない。
話を聞きに来てくれた人にしても、数か月もすれば、私のことなど、すっかり忘れるだろう。
名前さえ、記憶に残らない。
そのころ私はまた別のところで話をする。
あとは、その繰り返し。

 が、その私も、もうすぐ65歳。
この年齢まで、無事、こうして生きてこられたことを感謝する。
同時に、「もうそろそろ潮時かな?」とも。

 とは言っても、昨日、高校時代の友人のMY君と、こう約束しあった。
「75歳まで、現役でがんばろう」と。

 その気になれば、不可能ではない。
体力を維持し、気力をみがく。
日々に精進あるのみ。
75歳までがんばれるかどうかは、あくまでもその結果。

 しかしあの田丸謙二先生は、76歳まで、東京理科大学(山口)の理学部長を勤めた。
それを思えば、75歳といっても、けっして不可能な年齢ではない。
私だって、がんばれるはず。

 しかしときどき、自信をなくす。
疲れているせいもある。
こういうときは、気力も、弱くなる。

 もう少ししたら、もう一度、温泉につかってくる。
そのあとは、そのまま就寝。
自分で自分に、「ご苦労さま」。

●5月16日

 まばゆいばかりの朝日。
窓から飛び込んできた、その朝日で、目が覚めた。

 眼下は駿河湾。
左端に崖が見え、その向こうに、富士山が見えた。
日の出直前。
さっそくビデオカメラを回す。

 が、こういうときというのは、ワイフは、無頓着。
朝日を背に、向こう側を向いて眠っている。
私は、こうしてパソコンを立ち上げ、ニュースに目を通す。
真っ先に読んだのが、ギリシャ関連のニュース。

今朝のニュースによれば、ギリシャのEU離脱は、どうやら不可避の状況になってきた。
が、「?」。
明日になると、それがひっくり返る可能性もある。
ちょっとしたきかっけで、黒石が、ゾロゾロと白石に変わる。
まさにオセロゲーム。

 どうであるにせよ、ギリシャの人たちには、きびしい時代が待っている。
EUに残るも地獄。
EUから離脱するのも地獄。

 で、昨日の日本の株価は、73円安の8900円。
EUの株価は、23ユーロ安の、2178ユーロ。
つづくアメリカは、63ドル安の、12632ドル(午前5:51現在)。
経済ニュースのどこかに、「泥沼化」(Bloomberg)という文字が見えた。

●ぼたんインコ

 昨日もそうだった。
今朝もそう。
早く家に帰って、ぼたんインコの、ピッピに会いたい。
今は、息子がめんどうをみてくれているが、息子も忙しい。
おとなしく巣の中で、眠っていてくれればよいのだが……。

 本当に人間によく慣れた鳥で、手の中では、安心しきって眠っている。
ときおり、顔を近づけると、私の顔を、愛くるしそうになめてくれる。
あんな小さな鳥だが、懸命に愛情表現を繰り返す。
そのいじらしさ。
それが、心を癒す。

●証券会社

 世界のことは知らないが、この日本では、証券会社は、ブラック企業に含めてよいのではないか(失礼!)。
今回も、株価が暴落する直前は、こう言っていた。
「日本の株価は出遅れ感が強い。夏にかけて1万3000円から1万5000円をねらう展開になる」(N証券アナリスト)と。

 が、その直後からの大暴落。
「直後」というのは、その「数日後」という意味。
証券会社の言葉を信じ、大損をした人も多いはず。
最後は一般庶民(素人投資家)にババをつかませ、自分たちは逃げる。
そんな構図が、この日本では、定着してしまった。

 証券会社に責任があるというよりは、制度、さらには意識そのものに原因がある。
アメリカでは、どんな企業でも、投資家の所有物。
投資家の利益を第一に考える。
それを忘れたら、証券会社は、成り立たない。

が、この日本では、企業は銀行の所有物。
「投資家の利益保護」を第一に考えている企業など、どこにもない。
言うなれば、バクチ。
そのバクチの大元締めが、証券会社。

 が、こうした現状は、日本の経済にとっても、たいへん不幸なことである。
こんなことを繰り返していたら、日本人は、ますます証券会社から離れていく。
経済活動は、停滞する。
その結果が今。
いくら日銀が札をばらまいても、最終的にはみな、タンス預金へと化けていく。

 ……たとえばアメリカでは、証券会社が顧客に大きな損失を与えたばあいは、即、捜査の対象になる。
今朝も、Bloombergは、つぎのように伝える。

『…… 5月15日(ブルームバーグ): 米司法省と米連邦捜査局(FBI)は、JPモルガン・チェースで発生した20億ドルのトレーディング損失について刑事捜査に着手した。事情に詳しい関係者が明らかにした』と。

 が、この日本では、そういう理由で、関係者が投獄されたという話は、聞いたことがない。
あの日債銀事件でも、トップの責任者は、一応逮捕されたが、結局は無罪。
無罪放免。
2兆円という国税をドブに捨てさせながら、無罪放免。
隣の家から、1000円盗んでも、窃盗罪。
4兆円盗んでも、無罪※。
罪名すらつかない。
4兆円という額がどういう額か、ここに数字で書いておく。

 4兆円=4000000000000円。
100万円の札束を1センチの厚さにすると、4兆円は、40キロの高さになる。
(40キロだぞ!)
そんな金を、税金から盗んでも、窃盗罪にもならない。

 私の知人は、その日債銀にいた。
そのあと、子会社のSリースに天下り。
現在の今も、満額の退職金と企業年金を手にし、悠々自適の老後生活を楽しんでいる。

(注※)ウィキペディア百科事典より

『……この売却にあたり、金融再生委員会と預金保険機構は、日本債券信用銀行の債務超過を穴埋めするため、3兆2,428億円の公的資金投入を行った。
この結果、1998年に投入した600億円を含め、実質的国民負担額は、金融機関の負担する預金保険料1,714億円を差し引いた3兆1,314億円に上った(公的資金投入額のうち、一時国有化月時点の不良債権処理費用は3兆1,497億円。
国有化後に発生した損失は931億円とされる)。但し、この数字には瑕疵担保条項によって、国による不良債権買い上げによって生じる損失は、考慮されていない』

『ちなみに、“日債銀破綻のA級戦犯”と名指しされるも、時効により刑事立件を逃れた頴川史郎の役員退任時の退職金は約6億円といわれる。
日債銀は損害賠償とは別に、頴川史郎元会長ら旧経営陣16人に対して総額19億円の退職金の自主的返還も要請した。
全員が返還に合意したものの、これまでの返還額は計約2億5000万円にとどまっている。こうしたなか、2007年3月7日、頴川は死去、享年84』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 アメリカだったら、無期懲役。
都市銀行も含め、日本の金融界はそういう世界と知った上で、つきあえばよい。
あとは、自己責任!

 ……そう言えば、この日本では、「株で損をした」という話を聞いても、だれも同情しない。
「馬鹿だ」と笑われて、おしまい。
だから損をした人は、黙る。
が、証券会社にとっては、これほど都合のよい話はない。
一説によると、(経済誌などによると)、一般投資家(素人)の95%が損をしているという(2010年現在)。
FX取り引きともなると、今ではロボットが、数百分の1秒単位で取り引きを繰り返している。
(数千分の1秒単位という説もある。)
一般投資家(素人)に勝ち目はない。

●帰宅

さて、今日も始まった。
ワイフも、床から起きてきた。
なお、今週は、オーストラリアの友人がやってくる。
10月には、別の友人がやってくる。

 「7時には帰り支度をしよう」と声をかけると、「うん」と。

 窓からの日差しがますます強くなってきた。
窓は海に向かって、全面に開いている。

 ……たった今、ワイフは、レースのカーテンを閉めながら、こう言った。
「あまり変わらないね」と。
朝日のまぶしさが、あまり変わらないという意味で、そう言った。

●電車の中で

 浜松まで45分。
今回の講演旅行の総括。

 講演のできは、ふつう。
2時間近く、話しつづけた。
みな、最後まで真剣に聞いてくれた。
それを思えば、まずまずといったところか。

 ホテルは、焼津のグランドホテルに泊まった。
料金を勘案するなら、星は4つの★★★★。
団体客が多かったように思う。
火曜日(平日)だったが、かなりの混みよう。
仲居さんたちも、やる気度100%。
キビキビと働いていた。

 朝食はバイキングだったが、ほぼ満足。
メンタイコなど、中級以上の食材が、数多く並んでいた。
意見を求められたので、「満足」に丸をつけておいた。

次回は御殿場。
ホテルは、決めてある。
楽しみ。

 なお反対側の通路に、3人の女性が座っている。
年齢は、40歳前後。
その中の1人が、甲高い声で、しゃべりつづけている。
先ほど軽く注意したが、効果なし。
キャッ、キャッ、ペチャクチャ、ペチャクチャ……。

席はほぼ満席だが、その3人組の声だけが、車内で響き渡っている。
のどかな、それでいて、きわめて日常的な光景。
こうして今日も始まり、やがて終わる。

●心の実験

 心の実験をしてみることにした。
こんな実験。

 先ほど、私はこう思った。
帰りに、ぼたんインコの栄養剤を買って帰ろう、と。
駅から自宅までの間に、一軒、ペットショップがある。
そこで栄養剤を買う。

 が、多分、そのことはやがて忘れてしまうだろう。
意識の奥、つまり無意識の世界にそのまま入ってしまうはず。
雑誌を読んだり、ワイフと話したりしている間に、忘れてしまうはず。
メモ帳か何かにメモでもすれば、覚えているかもしれない。
が、忘れてしまうはず。
またそうでないと、ほかのことが考えられなくなる。

 果たして私は、あのペットショップの近くを通り過ぎるとき、それを思い出すだろうか。
それとも本当に忘れ、そのまま通り過ぎてしまうだろうか。
つまりこれがここでいう「心の実験」である。

●無意識の世界に操られる脳

 人間の心は、常に無意識の世界に操られている。
意識している部分は、脳の中でも、ほんの一部にすぎない。
もし私がペットショップの近くを通り過ぎたとき、栄養剤のことを思い出せば、思い出したというより、無意識の世界からの命令に従ったということになる。
そうでなければ、そうでない。

 さて、どうなるか?

 ということで……眠い。
少し眠ることにした。

●自宅で……

 電車の中では夢を見た。
バスか何かに乗っていた。
ワイフが、「浜松よ」よ、私を揺り起こした。
私はフラフラと立ち上がった。
電車を出た。
駅を出た。
事務所の前まで歩き、そこで自分の車に乗った。

 で、帰り道、あのペットショップの近くにやってきた。
「ピッピの栄養剤を買って帰るよ」と言うと、ワイフは、車をその店の前に回してくれた。
私は、ショップで、栄養剤を買った……。

 さてそのときのこと。
私は自分の意思で、栄養剤を買ったことになるのか。
それとも無意識の世界からの命令に応じて、買ったことになるのか。

 最近の脳科学では、後者のほうが正しいということになる。
私たちが自分の意思でしていると思っている行動のほとんどは、実はそれ以前に、無意識の世界で決められている。
私たちはその無意識の世界からあがってくる命令に従い、それを意識としてとらえ、行動する。

 電車を降りたとき、車に乗ったとき、私は、栄養剤のことは、まったく忘れていた。
意識の中に、なかった。
が、ペットショップの近くへやってきたとき、無意識の世界からの命令に従い、「ピッピの栄養剤を買って帰るよ」と言った。

 ……ということで、実験、終了。
最近の脳科学の進歩は、すごい。
本当に、すごい。
ここまで人間の心がわかるようになった。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 心の実験 無意識の世界 意識とは はやし浩司 意識論 意識の中身 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 焼津グランドホテル はやし浩司 2012−05−16)2012/05/16記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/16(水) 11:49:47|
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ホテル・泉山閣にて

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日本は、まだまだ元気です!



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●菅直人前首相の英断(菅直人前首相、あなたは日本を救った大恩人だ!)

●2011年5月6日

今朝(2012年4月11日)の中日新聞は、
1面トップで、菅直人前首相の英断を報道している。
要約してみる。

 時は2011年の5月6日。
時の経産省は、「浜岡原発を停止する見返りとし、他の原発の再稼働を画策していた」(大見出し)。

 その趣旨に沿い、経産省は、

(1)午後4時から「大臣会見」を行う。
(2)経産省側の意見に沿い、「浜岡を止め、他の原発を立ち上げるシナリオ」を発表する。
(3)「法律で何とかならないか」と迫る経産省側。
(4)それに難色を示した菅直人前首相。
(5)その結果、午後4時の「大臣会見」は見送られた。
(6)その後、総理執務室で、経産省の幹部と、官邸の主要メンバーが集まり、再び会議が開かれた。

 ここからが重要だから、とくに注意してほしい。
そのとき菅直人前首相は、(7)「経産省の発表では、他の原発を再稼働するのを容認しかねないと警戒」(同記事)。
(8)菅直人前首相は、午後7時10分に、「おれが会見する」と発言し、「主導権を握った」(同記事)と。

●日本を救った英雄

 さらに要点だけを簡単に言えば、こうだ。

 原発の再稼働を画策する、経産省(官僚側)。
それに危機感を抱いた菅直人前首相は、経産省主導の大臣会見を拒否。
自ら会見を買って出た。
そういうことになる。

 常識で考えても、あの時点で、(原発事故から2か月もたっていない時点で)、原発の再稼働を画策するほうが、おかしい。
爆発事故もつづき、被害の全容すら、よくわからなかった。
一方、経産省と電力会社は、一心同体。
経産省は電力会社の代弁者としての立場にあった。
もしそうでないというのなら、なぜ経産省という、ただの役人集団が、原発の再稼働を画策していたのか。

 だいたいこの図式がおかしい。

 オーストラリアでも、アメリカでも、役人が政治家にたてついたら、その場でクビ。
実際には、政治家、とくに内閣行政府にたてつく役人は、いない。
そんなことが野放しになっている国は、この日本だけ。
日本が「官僚主義国家」と言われている所以(ゆえん)は、こんなところにもある。

 それはさておき、このあと、猛烈な菅直人叩きと、菅直人降ろしが始まる。
結果は、みなさん、ご存知の通り。

 「原発事故当日に、原発を視察した」とか、「取り乱して叫んだ」とか、理由にもならない理由をこじつけた。
そして「海水注入」については、あたかも菅直人前首相が反対したかのような報道がつづいた。
(実際には、そういった事実はまったくなく、海水注入はそのままつづけられていた。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

去る2012年1月3日に書いた原稿を、再掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【菅直人前首相、吉田昌郎所長、ありがとう!】

●励まし

 昨日(01月01日)、何通かのメールが届いた。
うち1通を、ここで、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【KO氏より、はやし浩司へ】

貴兄のブログで菅前首相、吉田前工場長を絶賛されているので驚き、嬉しく思いました。
特に菅前首相は史上最悪の首相と様々な分野で評価されていますので。

私は東工大機械工学卒で菅さんの後輩、吉田さんの先輩に当たります。
菅さんも自分の行為は歴史が評価するというようなことを言っていますが、まさにそういうことになるのだと思います。
私は早期退職、セミリタイア状況で、技術アドバイザーとして週に2日程度活動しております。
また高校OB会の地元の会長をやって(やらされて)おります。
原発関係ではあの清水前社長や天野IAEA事務局長が、高校先輩になります。

宇宙飛行士の古川さんは後輩ですが、彼のことだけは嬉しいことでした。
環境・エネルギー関係そしてハワイについてのブログをUPしていますので、お時間のある時に見ていただけたら幸甚です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●励まし

 私は毎日、こういう読者の方たちに支えられている。
またそれがあるからこそ、こうしてものを書くことができる。

KOさん、ありがとうございました!
今年も、がんばります。
よろしくお願いします。

●菅直人前首相

 たいへん恥ずべきことだが、私は「菅直人前首相」を、「管直人前首相」を書いていた。
正しくは、「管」ではなく、「菅」。
KO氏は、以下の私の書いた原稿に、先に転載したコメントを寄せてくれた。
もう一度、そのとき私が書いた原稿を、掲載する。
日付は、2011年09月12日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011−9−12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル※(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人の英断 瀬尾試算)

以上、2011年09月12日の原稿より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●なぜ、菅直人前首相ではだめだったのか?

 菅直人前総理大臣が、首相の座を降り、ちょうど4か月になる。
(菅直人氏は、2011年09月02日に、内閣総理大臣を辞職。)
が、この4か月、日本は、よくなったのか。
何か、変わったのか。

 現在は、野田佳彦首相が、総理大臣職を引き継いでいる。
が、私はいまだに野田佳彦首相が、どんな人物なのか、よくわからない。
顔が見えてこない。
見えてこないから、批評のしようがない。

ただここで言えることは、野田佳彦首相が、菅直人氏をやめさせてまで、首相になる価値のある人物だったかどうかというになると、私はそうは思わない。

談合政治?
八方美人?
無色透明で、言葉はうまいが、中身がない?
当たり障りのない、無難政治家?
長期政権をねらっている?
こうした(?)マークを、野田佳彦首相には、10個ほど並べたい。

 これはあくまでも仮定の話だが、あの3・11震災時に、もし野田首相が事故を取り仕切っていたとしたら、この日本はどうなっていたか。
それを想像するだけでも、ぞっとする。
東京電力と保安院の言い分に押され、福島第一原発は、放棄。
そのあと発電所はつぎつぎと爆発、メルトダウン。

 最近になって、事故直後、菅直人前首相が、あたりかまわず怒鳴り散らしていたという報道が伝わっている。
「感情をむき出しにするような人物は、首相として失格」と。

 バカヤロー!

 あの時点において、感情をむき出しにしない首相はいない。
むき出しになってくれたからこそ、東京電力側は、菅直人前首相の言うことを聞いた。
菅直人前首相の命令に従った。

 こう書くと、福島県の人たちには申し訳ない。
が、今、福島県以外の人たちが、(私たち静岡県人も含めてだが)、事故以前とほとんど変わりない生活ができているのは、菅直人前首相、ならびに吉田昌郎所長のおかげである。
そのことを思えば、ささいなミスや失敗など、腸から出るガスのようなもの。

 菅直人前首相は、「いつか、私の正しさは歴史が証明してくれる」というようなことを言っている。
それはその通りで、その歴史は、すでに今、始まりつつある。
読売新聞(11−09−12)の記事は、それを証明する、貴重な証拠のひとつということになる。
私たちはこの事実を、後世の人たちに伝えていかねばならない。

 菅直人前首相、吉田昌郎所長、あなたがたは日本を救った、大英雄である。
大恩人である。
ありがとう!

(付記)
こんなことは、この場では、どうでもよい話かもしれない。
しかし一言。

 ここに出てくる「東工大」、つまり東京工業大学を設立したのは、恩師の田丸謙二先生の父親の、田丸節郎である。
田丸節郎は、ベルリン大学に対して、ベルリン工科大学があるのを学び、東京大学に対して、東京工業大学の設立をもくろんだ。
それに対して、当時の政府は、「東京大学にも、工学部があるだろ」と反対。
しかしその反対を押し切り、田丸節郎は、東工大の設立にこぎつけた。

 もしあのとき、東京工業大学の設立がなかったら……。
というより、田丸節郎のそうした先見の明があったからこそ、現在の日本がある。
先日(2012年4月はじめ)、田丸謙二先生(東大元副学長)が、直接、私にそう話してくれた。
詳しくは、
http://ktamaru.ninja-web.net/
をご覧になっていただきたい。

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(注※瀬尾試算)
「電気出力100万キロワットの原発を数年運転すると、瀬尾試算では、1万3600京ベクレル。
その放射能の量は、俗に広島原発数千発分に相当すると言われている」(「原発事故」宝島社、P44)と。

なお福島第一原発のばあい、原子炉1機ぶんだけで、100万キロワット。
それが4機だから、この試算の4倍もの、放射能の量があることになる。
その恐ろしさは、簡単な掛け算をしてみれば、わかるはず。
そんな原子炉が、40年近くも稼働していた!
それが爆発した!

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本は……!】



●湯谷温泉・泉山閣にて(はやし浩司 2012−04−08)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

春休み最後の1日は、湯谷温泉、泉山閣で過ごすことにした。
浜松市内から、車で、1時間ほど。
静岡県と愛知県との県境。
ひなびた山あいにある温泉郷。
昔からある由緒ある温泉郷。

この泉山閣には、こんな思い出がある。
「思い出」というよりは、私はこの温泉で、はじめて温泉のよさを知った。
以来、病みつきになってしまった。
つまり温泉巡りが好きになった。
それまでの私は、「温泉というのは、ジジババ様の行くところ」と考えていた。
が、気がついてみたら、私がそのジジ様になっていた。
その洗礼を受けたのが、この泉山閣。
私にとっては、大切な旅館である。

何もかもどこか古くて元気はないが、仲居さんたちのやる気度は満々。
テカテカの大理石も悪くはない。
しかし田舎らしい(失礼)、素朴なサービスを楽しむことができる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●山育ち

 私はもともと山育ち。
そのせいか、海も好きだが、落ち着くといえば、こうした山あいにある温泉。
木々の香りをかぎ、川のせせらぎを聞いただけで、そのまま心が溶けてしまう。
……脳みそが思考を停止し、眠くなってしまう。

が、同時に、こうしていつまでもパソコンのキーボードを叩いていたい。
ほかにしたいことはない。
することもない。
できることもない。

 今の私は、こうして思いつくまま、キーボードを叩いているのが、何よりも楽しい。

●バブル世代

 とは言え、最近、世相を考えるたびに、さみしくなる。
おかしなニヒリズムが、時折、私を襲う。
「どうでもなれ」とか、「どうにもならない」とか。

 つい先日には、BLOGにこんなコメントがついた。
「貴殿のような老人がいる自体が、老害なんだ」と。
もちろん相手は、若い人である。
「あんたがた、バブル世代が、日本の繁栄を食いつぶした。それを率直に認めろ」とも。

 が、私たちの意識は180度、逆を向いている。
私たちバブル世代(=団塊の世代)こそが、現在の日本の繁栄を築きあげた。
そういうつもりでがんばってきたわけではないが、結果として、この日本は、そうなった。
そういう自負心は、どこかにある。
その私たちの世代をさして、「バブル世代」という。
この悲しさ。
この無念さ。
プラス、さみしさ。

 この先、老人虐待は、ますますふえるだろう。
「老人難民」という言葉も、生まれつつある。
孤独死、無縁死、そのあとの無縁仏は、常識化する。

 それをワイフに告げると、ワイフはこう言った。

 「そうでないことを、あなたはもっと若い人たちに伝える必要があるわ」と。
ワイフは、「今の若い人たちは、私たちの世代を誤解しているのよ」と。

●誤解

 誤解といっても、これは意識の問題。
私1人くらいが説明したところで、どうにもならない。
たとえて言うなら、意識というのは、日本という川を流れる大河。
その大河に、竹竿の1本や2本をさして、どうなる?
私の息子たちでさえ、私がもっている意識とは、180度、ちがう。
いつもこう言っている。

 「パパは、仕事ばかりしていて、家庭を顧みなかった」と。

 たしかにそうだった。
その通りだった。
それは認める。
仕事第一人間だった。
しかしそれしか、私には(=私たち団塊の世代には)、やりようがなかった。
あのどん底から、這いあがるには、それしかなかった。

息子たちにだけは、ひもじい思いや、貧困の悲しみを、味あわせたくない。
大学だけは出してやらねば、と。
そんな負担感は、いつもあった。
加えて、私には、実家のめんどうをみるという、重い荷物を背負っていた。
結婚前から、収入の約半分を、実家へ送っていた。

 病気になることもできない。
仕事を休むこともできない。
1か月に、休みが1日しかないという日々が、何年もつづいた。
そういう苦労を、息子たちは、別の目でとらえていた。

(だからといって、息子たちを批判しているのではない。
それが現代の、おおかたの若い人たちの標準的な考え方ということになる。
もちろんそうでない若い人たちも多いが……。)

●温泉

 先ほど、露天風呂に入ってきた。
つづいてたった今、大浴場から戻ってきた。
泉山閣には、失礼かと思ったが、このところどこへ泊まっても、ガンマ線を測定している。
温泉によっては、放射線量の高さを売り物にしているところもある。
それに対して、WHOは、日本政府に対して、「危険」という警告を何度もしている。
アメリカなどでは、放射線の高い地域では、建築許可がおりないという。
が、この日本では、野放し(?)。

 で、いつも放射線測定器をもって、私はあちこちを旅行している。
で、先ほど、大浴場で測定してみた。
湯面から、20センチほどの高さに置いて、測定してみた。
結果は、0・06〜0・07μシーベルト。
通常、1メートルの高さで測定する(注意書き)。
それによれば、0・05〜0・06μシーベルト。
浜松市内でも、0・05〜0・06μシーベルトだから、まったく問題なし。
地下1000メートルからの源泉というから、この程度の値は、当然といえば当然。
誤差の範囲。
(測定器は、エステー株式会社の、Air Counter−S。
主にガンマ線を測定する。)

 それを知り、2回目の入浴のときは、のんびりと、ゆっくりと湯につかった。

●温泉客

 大浴場で、3人の男たちと知り合いになった。
愛知県の西尾市から来ているということだった。
年齢が、67歳、73歳、もう1人は不明……。

 話題はもっぱら体重について。
みな、70キロ前後もあるという。
私もその程度の体重だから、偉そうなことは言えない。
しかし私のばあい、運動をしているせいか、ブヨブヨ感はない。
割と引き締まっている。
(自分で、そう思っているだけだが……。)
が、大切なのは、大腿筋(太もも)。

 大腿筋(太もも)が、鳥のガラのようになったら、よくない。(……そうだ。)
骨と皮だけ。
3人の中の1人がそうだった。
歩くのも、難儀そうだった。
あとはこの悪循環の中で、ますます足腰が弱くなっていく。
が、それだけではない。

 大きな筋肉は、(その第一が、脚の大腿筋ということになるが)、それ自体がホルモンを分泌するという。
とくに大腿筋(太もも)は、若返りのホルモンを分泌するという。
少し前、何かの本で、そう読んだことがある。
つまり足腰を鍛えると、若返るということ。

 もう一度、その真偽のほどを確かめてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

検索してみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マイオカイン

 あちこちのサイトを読んでみる。
その結果、大きく2つの説があることがわかった。

(1) 運動が刺激となり、脳内の成長ホルモンの分泌を促す。
(2) 新しい筋肉ができると、若返りのホルモンが分泌される。

某整体道場のサイトには、こうあった。

『……下半身の筋肉を鍛えて、新しい筋肉ができると「マイオカイン」といって若返りのホルモンが分泌されます。
マイオカインは、脂肪の分解、糖代謝の改善、動脈硬化の予防、また認知症の予防などに効果的に働くと云われています』(某整体道場HP)と。

 そこでさらに「マイオカイン」について調べる。
「マイオカイン」で検索をかけたら、すぐ見つかった。

 「おもいっきりTV」というテレビ番組がある。
そのサイトに、こんな記述が見つかった。

『筋肉から健康によい新物質が分泌されることがわかった。
 その名は「マイオカイン」。

★筋肉から出る新物質マイオカインの健康効果としては、つぎのものがある。

★脂肪組織に働いて脂肪分解
★肝臓に働いて糖代謝改善
★血管壁に働いて動脈硬化予防
★脳に働いて認知症予防

★筋肉の種類とマイオカイン

 白筋・・・激しい運動で出る
 赤筋・・・日常動作で出る

つまり赤筋を増やすことで特別な運動なしで常に健康物質マイオカインを出すことが可能である』(「おもいっきりTV」)と。

 筋肉がホルモンを分泌しているなどということは、20年、30年前には、考えられなかった。
さらに最近では、こんなこともわかった。
何と胃壁からも、ある種のホルモンが分泌されているという。
ある研究者が、あるホルモンを調べていた。
が、脳のどこをさがしても、その分泌先がわからなかった。
で、枠を広げ、体中を調べてみたら、何と胃壁から分泌されていることがわかった、と。
そんな話も、何かの本で読んだことがある。

 これについても、一度、自分で調べてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

胃壁からホルモン。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ガストリン

 Meddic Jpサイトには、つぎのようにある。

『……ガストリン(gastrin)は、主に胃の幽門前庭部に存在するG細胞から分泌されるホルモン。
胃主細胞からのペプシノゲン分泌促進作用、胃壁細胞からの胃酸分泌促進作用、胃壁細胞増殖作用、インスリン分泌促進作用などが認められている。ガストリン分泌は……』と。

 今度は、「ガストリン」?

 要するに、体中が、ホルモンの分泌器官であるということ。
が、それ以上に驚くことが、こうした山あいの旅館にいて、直接調べられるということ。
15年前なら、一日中、図書館にこもり調べてもわからなかった。
そんなことが、瞬時に、わかる。
(驚き!)

 このあたりで追跡調査はやめにしておく。
キリがない。

●要するに……

 「マイオカイン」にしても「ガストリン」にしても、名前だけ。
実物を見ても、ただの何かの水溶液にしか見えないはず。
便宜上、学者たちが、そういう名前をつけ、区別しているだけ。
だから名前を覚えても、意味はない。

 要するに、大切なことは、運動をつづけること。
その運動が、肉体の健康を保つと同時に、心身を若返らせるということ。
素人の私たちは、その程度のことを知っていれば、じゅうぶん。

●夕食

 夕食は、部屋食。
ここ泉山閣の料理には、定評がある。
風呂で会った人たちも、みな、こう言った。
「ここの料理は、いいね」と。

 この言葉に、異論はない。

●仰げば尊し

 『♪仰げば尊し』という歌がある。
今でも、私はその歌を聴いたり、歌ったりすると、涙が流れる。
(ただしワイフは、平気。)
今日、ここへ来る途中、その歌を聴きながらやってきた。
たまたまネットでその歌を、拾った。

 その『♪仰げば尊し』が、台湾では、今でも歌い継がれているという。
「和(倭)性のものは、袈裟まで憎し」という韓国、北朝鮮とは大違い。
が、それだけではない。
その台湾で歌われている、『仰げば尊し』の歌詞がすばらしい。

 YOUTUBEの中で歌われている、『♪仰げば尊し』を、紹介する。



『♪校庭の草木が青々と生い茂る。
 恵みの雨のごとく喜ばしい。
 筆とすずりのように、親しく朝晩笑っていた。
 なぜ今日が別れの朝なのか。
 人生の道は多く、人の道は遥かに広い。
 帆を上げて夜明けを待つ。
 真心で教えてくださった、進路は心に抱いています。
 先生の高い志を尊敬します』(歌詞は、YOUTUBE上の翻訳による)と。

 台湾のみなさん、ありがとう。
あなたがたは、日本の第一の友人であり、仲間です。

 なお原曲の作詞者も作曲者も、アメリカ人だそうだ。
最近の研究で、それがわかった(2011年)。
また台湾で、戦後もこの歌が歌い継がれていることについて、ウィキペディア百科事典は、つぎのように説明している。

『……この曲は台湾では現在も卒業式での「定番」として広く使用されており、映画「冬冬の夏休み」では、冒頭からこの曲が流れ、社会での定着度を示している。

台湾へは日本による植民地統治時代に使用されていたものが、1945年以降も引き続き中国語の歌詞によって使用されているものだが、歌詞は「中華文化高揚」というような民族的、政治的な色彩を加えているものの、日本語の歌詞の影響下で作られたものであり、その関連性が認められる』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 たしかに2番は、政治的な色彩の濃い歌詞になっている。
それは別として、この歌が、アメリカ人による作詞、作曲であることがわかったのは、ごく最近のこと。
が、台湾の人たちは、戦後、そのまま歌いつづけていてくれた。
わかるか?
日本人よ、わかるか?
日本よ、日本人よ、台湾を大切にしよう。
日本にとっては、この極東アジアでは、ただ1人の友人だぞ!

●ニヒリズム

 ともあれ、今夜のテーマは、ニヒリズム。
虚無主義。
というのも、このところ、「どうでもなれ」とか、「どうにもならない」とか、そんなふうに思うことが多くなった。
「日本が……」と考えること自体、馬鹿らしく思うことが多くなった。
それをワイフに話すと、ワイフは、あっさりと、こう認めた。

 「あなただけよ、そんなこと言っているのは! ほかのだれも、そんなことを言っていないわよ」と。
つまり今では、「天下国家を論じている人はいない」と。
「とくに定年退職者たちは、そのまま黙ってしまう」とも。

 が、どっこい!
1人いる。
90歳近くになっても、まだがんばっている人がいる。
田丸謙二先生である。
先週、鎌倉で会ったときも、その話ばかりになった。
本来なら、現役から退き、自分のことだけを考えればよい。
が、そんな立場の先生でありながら、口にするのは、「日本は……」。

 そういう意味では、先生は、いつも、この私に生きる勇気と希望を与えてくれる。
ワイフが言うように、もしこの私さえも、「日本は……」と言わなくなってしまったら、だれが私の代わりをするのか。

 金を稼ぎながら、評論している人は別である。
名声を求めながら、評論している人は別である。
政府やどこかの団体の御用学者は、別である。
そういう人たちが、「日本は……」と論ずるのは、当然のこと。

 大切なのは、私たち1人ひとりが、庶民の立場で、「日本は……」を論ずること。
それを忘れたら、この日本に、明日はない。
今、私がこうして書いている文章にしても、そのまま「絶滅」する。
そうでなくても、もし日本語そのものが、マイナーな言語になってしまったら……?
それを考えると、さみしい。
しかしそれこそ、私たち日本人の魂の死を意味する。
何としても、それだけは、阻止しなければならない。
100年後、200年後の日本。
私たちが目指すのは、そういう日本!

 田丸謙二先生は、いつも私を励まし、支えてくれた。
今も、励まし、支えてくれる。
田丸謙二先生、ありがとう!

●2度目の入浴

 これから3度目の入浴に行ってくる。
ここの温泉は、すばらしい。
本当に、すばらしい。

 たぶん、そのあとは、バタン……と眠ってしまうだろう。
だからここで、今日の日記はおしまい。

 明日からいよいよ仕事。
充実した春休みだった。
やりたいことは、すべて、した。
義兄も、こう言っている。

「来年のことは、わからないよ。年齢というのは、そういうものだよ」と。

私にも、それがよくわかっている。
わかっているから、今、がんばるしかない。

がんばろう。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 泉山閣 湯谷温泉 大腿筋のホルモン はやし浩司 太もものホルモン 胃壁 ホルモン ニヒリズム)

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【意識論byはやし浩司】2012年4月11日(水曜日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『知らぬが仏』という諺がある。
まさに、それ。
たまたま昨年の夏、書斎(2階部にある)の天井裏をのぞいた。
そのときのこと。
巨大なハチの巣があるのがわかった。
縦1・5メートル、横50センチほど。
屋根裏から壁に沿って、大きなつららのようにぶらさがっていた。

通常見かけるスズメバチの巣とは違い、外側の殻はなかった。
内部がそのままむき出しになっていた。
が、幸い、もぬけの殻。
ハチはいなかった。

「?」と思いながら、理由を考えた。
で、ひとつ思い当たるのは、数年前のこと。
家の内外で、ゴキブリがたくさん出没するようになった。
そこで発煙式のゴキブリ退治薬を家中でたいた。
全部で、7〜8個は使っただろうか。
一度に、一斉にしなければ意味がないだろうということで、天井から床下まで、一気にした。
もちろんこの書斎の上の天井でも、たいた。
たぶんそのとき、巣の中のハチは全滅したのだろう。
それにしても、あぶなかった。
知らないでいたら、ハチの大群の襲われていたかもしれない。
今にして思うと、そういうことになる。

で、今朝、その巣をワイフに見せてやった。
が、またまた不思議なことが起きていた。
昨年の夏に見たときには、巨大な巣だったはず。
それが、8割ほど、消えていた。
屋根裏に少し張りついて、その残がいが残っているだけ。
下へ落下した形跡もない。
「?」と思ったが、理由がわからない。

「ハチというのは、巣をリサイクルするのよ」とワイフ。
そうかもしれない。
もしそうなら、ハチはその巣をどこかへ移したのかもしれない。
それにしても、『知らぬが仏』。
私たちの生活は、いつも、そうした危険にさらされている。
改めて、それを確認した。

今朝は、常識→意識→哲学について考えてみた。

***************************

以下、思いついたまま書いたので、内容がバラバラです。
つまり支離滅裂。
その点をどうかご留意の上、お読み下さい。

***************************

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【常識→意識→哲学】

●国によってちがう意識

 その人がもっている意識ほど、アテにならないものはない。
人だけではない。
国がもっている意識にしても、そうだ。
言い換えると、私の意識ですらも、アテにならない。
この日本がもっている意識にしても、そうだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●とっかかり

 ニュースは、北朝鮮のミサイル発射実験一色。
ロイター伝によれば、「11日中(今日)に発射準備は完了する」という。
詳細はよくわからないが、燃料注入が今日中にすむということか。
もしそうなら、ミサイルの発射は、明日もしくは、この数日中ということになる。
(日本のマスコミは、12日説、ロシアのマスコミは、14日説を唱えている。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●管制室

 昨日の中日新聞は、ミサイルの発射を管制する管制室の写真を掲載していた。
中央の通路をはさんで、左右に2列、前後に2列。
計4個の机。
その上に3台ずつのモニターとキーボード。
計12台。
(台湾のACER製のモニターということが、わかっている。)

まことにもって、「?」な写真で、あえて分析するまでもない。
全面の壁には、5つのモニターが映し出されていたが、よく見ると、その映像も、プロジャクターによるもの(?)。
プロジェクターらしきものは、天井に2台、机の前列に2台、それに部屋の中央後方部に1台、設置してある。

 奇妙なのは、パソコン。
机の上には、12台のモニターとキーボードがあるのみ。
パソコン本体は、どこにも見当たらない。
しかもコードというコード類が、どこにもない?
あるとすれば、モニターとキーボードをつなぐコードと、先に書いた、中央広報部にあるプロジェクターのコードのみ。
そのコードも、コンセントが見えるほど、お粗末なもの。

 コンピューター本体は、どこにあるのだろう?
机は木製ということだから、机の中にあることになるのか。
もしそうなら、コンピューターにとって、これほどまでに劣悪な環境はない。
コンピューターを木箱で包むなどというのは、常識で考えてもありえない。

 ……という分析は、しても意味がない。
写真で紹介された管制室は、ニセモノ。

●狂う

 一事が万事。
思考回路というのは一度狂うと、あらゆる場面で、狂う。
北朝鮮のやることは、何から何まで、おかしい。
へん。
人工衛星なるものにしてもそうだ。
「宇宙から、音楽くらいは流せるだろう」(某専門家談)という程度。
カメラは小型。
ブースターだけが、異常に大きい。
そんな程度のもので、「人工衛星」という。
しかしそれがニセモノであることは、私のような素人でもわかる。

こうして考えてみると、「国」という巨大な組織体も、狂うときには狂う。
……ということがわかる。
北朝鮮を通して、私たちは今、それをまさに実体験として、経験している。
が、ここで注意しなければならない。
では、この日本という国が、「狂っていないか」というと、それはどうか?
私自身は、「狂っていない」と断言する勇気はない。

●茶髪の日本人

 つまり意識というのは、そういうもの。
北朝鮮から見れば、私たち日本のほうが、狂っているということになる。
どこがどう……という話になったら、話が大きく広がってしまう。
ここには書ききれない。
たとえば少し前だが、ある北朝鮮の女子学生は、こう言った。
茶髪姿の日本人の写真を見せたときのこと。
「どうして黒い髪の毛を、わざわざ茶髪にするのか?」(テレビ報道番組)と。

 彼らにしてみれば、日本人の生活の、ありとあらゆる部分が狂って見えるにちがいない。
もちろん日本人の中にも、頭のおかしい人は、いくらでもいる。
北朝鮮の祭典に招待され、北京の空港で、こう答えた女性がいる。

 「あの国の人たちは、一生懸命がんばっています」「あれは人工衛星ですよ。日本人は大騒ぎしすぎですわ」(報道番組の記憶)と。

 こういう女性には、日本が今、どういう危機的状況の上に立たされているか。
それがまったく理解できないらしい。
あるいは北朝鮮の一般の庶民が今、飢餓の中でどれほど苦しんでいるか。
それがまったく理解できないらしい。
さらに言えば、国際連合という機関は何のためにあるのか。
それがまったく理解できないらしい。

 要するに、ノーブレイン(=脳みそがない)!
が、それも彼女がもつ意識。
そういうふうに理解すれば、彼女の言動にも、一理ある。……ということになる。

●自分の常識を疑う

 意識というのは、その個人がもつ常識を基盤とする。
その意識を理論化もしくは、体系化したのが、哲学ということになる。
(哲学にまで完成させる人は、少ないが……。)

わかりやすく言えば、その人がもつ意識というのは、その人がもつ常識から生まれる。
北朝鮮の人たちがもつ常識は、北朝鮮の人たちがもつ常識。
私たち日本人がもつ常識は、私たち日本人がもつ常識。
「私は正しい」「あなたはまちがっている」と議論しても、意味はない。
議論をいくら重ねても、平行線になるだけ。

 では、方法はないのか?

 大切なことは、相手がもつ常識を否定したり、変えてやろうなどとは、思わないこと。
大切なことは、自分がもつ常識を疑うこと。
相手の目を通して、自分の常識を見つめなおしてみること。

 「私たちの常識は、本当に正しいのか?」と。
こちらが疑えば、相手も、疑う。
それが会話の突破口になる。

●常識

 実のところ、冒頭に書いたように、私たちが常識と思っている常識ほど、あてにならないものはない。

 たまたまMSNニュースに、こんな記事が載っていた。

『2012年4月9日、日本の華字紙『中文導報』は、財団法人日本青少年研究所が日米中韓の高校生を対象に行った生活と留学への意識調査を報じた。
海外留学を希望する比率が中国では6割に達しているのに対し、日本では4割にとどまった。
日本の高校生の留学目的は「語学の習得」が最多で、「学位取得」「専門技術・資格取得」を希望する比率が低く、短期間指向で、「よりよい教育環境を求めたい」も4カ国中最低だった。
米中韓では「学位取得」が最多で、「2年以上」を希望する比率が高かった。
日本の高校生が留学をしたくない理由は「自分の国が暮らしやすい」「言葉の壁」「自信がない」という回答が多く、「面倒だから」が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い。
希望の留学先は日中韓ともアメリカがダントツの1位で、2位はイギリス、米中韓の高校生はいずれも留学希望先として日本を6位に挙げた。
また、「大事にしていること」については、中国の高校生が「親に自分をわかってもらう」「先生に理解される」ことを大切にし、「希望の大学に入学」も韓国に並ぶ高率だった。
米国の高校生は「友人関係」「異性関係」「競技で活躍する」が際だって高い。
日本の高校生は全項目で比率が低く、「家族が仲良くする」「先生に理解される」「親に自分をわかってもらう」の比率は米中韓に比して著しく低い。
日本青少年研究所は今回の調査について、日本の高校生は学習の成績と自分の将来の関係性が低いと考えているため、「大衆文化」「クラブ活動」「流行」への関心が高いのではないかと分析している。
授業以外に勉強をしない割合も34.3%と4カ国中最も高く、日本の高校生の学習に対する消極性が反映されたものとなった』(以上、MSNニュース、2012年4月10日)と。

 資料として、数字を整理してみる。

●整理

海外留学を希望する比率が中国……6割
日本……4割

日本の高校生が留学をしたくない理由は、
「自分の国が暮らしやすい」
「言葉の壁」
「自信がない」「面倒だから」
が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い。

希望の留学先は日中韓ともアメリカがダントツの1位。
2位はイギリス、
米中韓の高校生はいずれも留学希望先として日本を6位に挙げた。

日本青少年研究所は今回の調査について、日本の高校生は学習の成績と自分の将来の関係性が低いと考えているため、「大衆文化」「クラブ活動」「流行」への関心が高いのではないかと分析している。

日本……授業以外に勉強をしない割合も34.3%と4カ国中最も高い。

●消極性

 この記事の中で、個人的には、つぎの部分が、気になった。

『日本の高校生が留学をしたくない理由は「自分の国が暮らしやすい」「言葉の壁」「自信がない」という回答が多く、「面倒だから」が4カ国中最多で、米中韓の高校生に比べて内向き志向が強い』という部分。

 驚くと同時に、「時代も変わった」と、実感した。

●17万5000円

 私が学生時代もっていた意識とは、180度ちがう。
私たちは、まだ見ぬ外国に、強いあこがれをもった。
夢も抱いた。
(そう思っていたのは、私だけだったかもしれないが……。)

 当時の料金をよく覚えている。

 ニューヨーク→羽田の、航空運賃が、片道、17万5000円。
アメリカ人の大卒の初任給が、ほぼ同額。
それを知ったとき、私はこう思った。

「アメリカ人というのは、初任給だけで、日本へ来られるのか!」と。
アメリカの豊かさに、まずもって、驚いた。
なお当時の大卒の初任給は、4〜5万円。
5万円というところは、外資系か化粧品メーカーくらいなものだった。

 もちろん手取り額は、それからさらに5000〜8000円、引かれる。
だから日本人がニューヨークへ行こうとすれば、約5か月間、飲まず食わずで、働かねばならない。

 ……私は、いつも、そんな計算ばかりしていた。
が、今はちがう。
高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。

 つまり時代によっても、意識は変化する。

●バランス感覚

 もう少しわかりやすく言えば、「常識とは、バランス感覚」と言い換えてもよい。
私の意識、他人の意識。
その間にあって、うまく、バランスを保つ。
その感覚が、常識ということになる。

 たとえば最近、たいへん気になった事件にこんなのがある。

 ある男性(77歳)が、信号を無視して横断歩道を渡ってきた、40代の男性を注意した。
それに対して、40代の男性が、逆ギレ。
注意した男性(77歳)を殴り倒した。
結果的に、その男性(77歳)は、死んでしまった。

 が、これに対して、2チャンネルへの書き込みには、目を覆うものがあった。
6〜7割の若い人たちは、「注意した男性(77歳)のほうが悪い」という意見を書いていた。
「みなの前で恥をかかせたのだから、悪い」とか、「俺だって、殴り倒してやるだろう」とか、など。

 が、(注意する)という行為と、(殴り倒す)という行為の間には、大きな差がある。
もし逆ギレした男性に、バランス感覚があれば、殴るという行為に走る前に、逆に、言葉で言い返すという方法もあったはず。
つまりそれがここでいう「バランス感覚」。

 また2チャンネルに意見を寄せた若い人たちにしてもそうだ。
たとえば「みなの前で恥をかかせた男性(77歳)が悪い」という意見にしても、ものの考え方が、極端化している。
つまりバランス感覚が欠落している。

 私には私の意識がある。
人には人の意識がある。
その中で、じょうずにバランスをとりながら、ものを考え、行動する。
それができる人のことを、「常識のある人」という。
そうでない人は、そうでない。

●組織

 話を戻す。

 意識を変えるためには、常識を疑う。
が、その一方で、こういうこともある。

 たとえば同窓会。
ときどき会っている同窓生は別として、そうでない同窓生のばあい、会って話しても、たがいの間に、大きな壁を感ずることが多い。
もっとも私の方が異端児だから、私のほうが、奇異な目で見られる。
それを逆に、私自身が感ずることがある。
中には、露骨に、「お前は、変わっているなあ」という仲間もいる。

 そういうとき、居心地は、あまりよくない。
つまりこの日本では、どこかの組織に属していないと、相手にされない。
またその組織における肩書や地位で、相手を判断する。

友「お前は何をしている」
私「うん、いろいろな仕事をしている」
友「いろいろって……?」
私「ものを書いたり、教えたり……」
友「だから、どんな仕事だ?」
私「だから、……一口では言えないよ」と。

 友は友で、最終的には、私が所属している会社名や組織名を聞きたがる。
またそれを話さないと、相手は安心しない。 

 が、欧米では、そういうことはない。
たとえば「どんな仕事をしていますか」などと聞くと、「印刷工」などと答えたりする。
日本のように、「毎日新聞社です」とか、そういうふうには、答えない。
会社名を口にすることは、めったにない。

 今でこそ欧米心もまねをするようになったが、1970年当時は、そうではなかった。
オーストラリア人にしても、日本人がもっている名刺を、理解できなかった。
日本人は、会社名と肩書を並べ、その横に、自分の名前を書いていた。

 私はそのころから、日本の常識とは別の世界に住んでいた。

●身分制度(上下意識)

 北朝鮮の人には、北朝鮮の人なりの常識がある。
伝え聞くところによると、身分(成分)制度(=上下意識)が、きわめて厳格という。
その様子は、今回のミサイル発射実験の様子を見ていても、よくわかる。

 担当者の、あの尊大ぶった様子と態度。
ズル賢そうな目つきと、ものの言い方。
謙虚さというか、人間が本来もっているはずの(まじめさ)が、どこにも感じられない。
ああいう担当者にかぎって、目上の人には、異常なまでにペコペコする。

 階級社会に長く住んでいると、人間は、みな、そうなるらしい。
そこはまさに動物の世界。
徹底した上下意識だけが、その社会を支配する。
私も、この日本で、それを経験している。
以前、こんな原稿を書いたことがあった。

 日付は明白ではないが、2001年ごろに書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人間は裸で生きる

(自分の人生を生きるための大鉄則)

 S氏は、死ぬまで肩書きをぶらさげて歩いているような人だった。
退職するときには、県の機関の「長」をしていたが、退職後はもっぱら庭いじりと旅行が趣味。

葬式から帰ってきた母は、一言、「あんなさみしい葬式はなかった」ともらした。

 日本で「偉い人」というときは、地位や肩書きのある人をいう。
地位や肩書きのない人は、あまり偉い人とは言わない。
一方、英語国では、「偉い人」と言うようなときには、「尊敬される人」と言う。
地位や肩書きは、ほとんど関係ない。
よく似た言葉だが、偉い人と尊敬される人の間には、越えがたいほど、大きな谷がある。

 S氏は、人と会うと、必ずこう言った。
「君は何をしているかね」と。
退職した人に向かっては、「何をしていたかね」と。
そして自分より地位が高い人には、必要以上にペコペコし、そうでない人には、いばってみせた。

私にもこう言ったことがある。「君はどうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事につけなかったんだろ」と。
私が「幼稚園で働いています」と言ったときのことである。

 「出世主義が、日本をここまで発展させた」と言う人がいる。
それなりの地位についた人が、好んで使う言葉だ。
しかし本音は、そういう言い方でもしないと、自分を正当化できないからだ。
出世主義を否定するということは、そのまま自分を否定することになる。
しかし悲劇は、さらに続く。

 一度その地位や肩書きを手に入れた人は、その地位や肩書きにしがみつく。
そしてそれを失うことを、何よりも恐れる。
それはもう、あわれとしか言いようがない。

私と議論したことのある評論家は、メールでこう言ってきた。
「君は偉そうなことを言うが、文部科学省あたりから地位が回ってくれば、シッポを振るタイプではないのかね」と。
こういう言い方をすること自体、自分の生きザマを否定しているようなものだ。

 人間は裸で生まれる。
が、裸では生きられない。
それはわかるが、しかしいくら服を着ても、それは服。
決して自分自身ではない。
こんなわかりきったことが、長い間服を着ているとわからなくなる。
服の姿が自分の本当の姿だと思い込むようになる。
そして結局は自分の本当の姿を見失ってしまう。
人生をムダにする。 

 人間は裸で生きる。いくら服を着ても、裸で生きる。
これは自分の人生を生きるための、大原則ではないのか。S氏の話を母から聞きながら、私はそう思った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 話が広がってしまったが、意識というのは、そういうもの。
それぞれがそれぞれの意識をもっている。
その意識の上で、ものを考え、意見を述べる。

 そこでまず、自分の常識を疑う。
けっして自分の常識を、相手に押しつけてはいけない。
そういう謙虚さが、繰り返しになるが、たがいの心に風穴をあける。

●それにしても……?

 が、それにしてもわからないのが、北朝鮮?
北朝鮮のそれは、どうにもこうにも、私には理解できない。
できるだけ私の常識を疑い、謙虚な気持ちで考えてみるのだが、それでも私には理解できない。

国民は飢え、日々の食物にさえ困っている。

 そんなときに、一部の独裁者が、自らの保身のために、ミサイルの発射実験をする。
核実験をする。
それでもって、「我が国はすばらしい国」と国民に向かって、宣伝する。
外国に向かっては、脅し、それでもって、援助を得ようとする。
「ほかにやるべきことがあるだろう」と言っても、それを聞く耳さえない。

 また彼らが称する人工衛星しても、世界レベルからしても、半世紀は遅れている。
そんなヒマがあったら、ブラウン管方式のテレビ受像機でも作ればよい。
まず、そこからスタートすればよい。
……と私は考えるが、そういう(常識)は、通じない。

 その常識が、あまりにも、私たちのそれとかけ離れている。
理解の範囲を超えている。
だから私たちは、みな、こう言う。
「狂っている」と。

●実験

 ともあれ、ミサイル発射実験は、失敗する。
少なくとも、人工衛星発射実験は失敗する。
もともと人工衛星なるものは、積んでいない(?)。
(どの程度を成功といい、どの程度を失敗というかについては、判断が分かれるところだが……。)

 今回、アメリカがその方法を使うとは思われないが、アメリカは、衛星からレザー攻撃を加えたり、ロケットの制御装置をかく乱する技術を、すでにもっている。
「あえて使うほどもない」と考えていれば、曲がりなりにも、ミサイルは飛ぶ。
が、飛んでおしまい。

 まさに一事が万事。
が、最後に一言。

 北朝鮮の人たちよ、一度、世界へ出て、世界が今、どうなっているか、見物でもしてきたらよい。
たとえば今日(4月11日)、アメリカの軍港から、超高性能のレーダーを積んだ船が出港したという。
記事によれば、4000キロ離れたところにある、野球のボールさえ、見分けることができるという。
直球かカーブかさえ、見分けることができるという。
世界の技術は、そこまで進んでいる。
そんなとき、ミサイル1発打ち上げたくらいで、「大成果」とはしゃいでいるほうが、おかしい。
明らかに、北朝鮮の為政者たちのもっている常識は狂っている。

 ……以上、どこかバラバラなエッセーになってしまった。
北朝鮮のミサイル発射実験をテーマに、常識、それから生まれる意識について、考えてみた。

 私たちがもっている常識は、果たして正常なのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 バランス感覚 常識 意識 哲学)


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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ぼたんインコのピッピ

【鳥】(ぼたんインコの”Pippi”、我が家に来る。2012年5月12日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

高校1年の、秋の日のこと。
私は母に文鳥を買ってもらった。
岐阜市へ行ったついでに、小鳥屋に寄り、そこで買ってもらった。

すでに成鳥だった。
籠の中で、じっと私を見つめていた。
賢そうな目つきをしていた。
それでその鳥にした。

それまでにも、スズメの子どもなどは飼ったことはある。
ときどき屋根などから、落ちてきた。
が、スズメは、目が見えるようになったあとだと、人には慣れない。
自分で飛べるようになると、そのまま空へ逃げていった。

……以来、2年間、私とその文鳥は、まさに生活を共にした。
名前を「フレンド」と言った。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ぼたんインコ

 2日前(5月12日)、和合町(浜松市の北部)へ行ったとき、ペットショップに寄った。
右側半分が、犬や猫、左側半分が、小鳥などの店になっている。
その小鳥の店の前に立ったとたん、猛烈に小鳥が飼いたくなった。

 見ると、文鳥、インコに混ざって、ぼたんインコや、おかめインコなどの雛が、ひとつの籠に入っていた。
劣悪な環境である。
が、その中でも、1羽、ひときわ、やせ細った雛がいた。
私を見つけると、ピーピーと鳴きながら、羽(両腕)を上に伸し、手前のほうにやってきた。
それがちょうど、人間の子どものように見えた。
小さな小さな人間の子ども。
背丈は7〜8センチほど。
羽(両腕)を広げ、そこに立っていた。

 名前を聞くと、「ぼたんインコ」とわかった。
とっても、ぼたんインコにも、いろいろな種類がある。
私が選んだのは、体全体が黄色で、クチバシの近くが、明るいオレンジ色のインコ。
ワイフに目で合図を送ると、「しかたないわね」という表情をしてみせた。
私は迷わず、それを買った。
餌と栄養補助剤も、あわせて買った。
小さな籠は、おまけで、つけてくれた。
とたん、目の前が、パーッと華やかになった。

●フレンド

 文鳥のフレンドは、やがて私に慣れた。
いつもいっしょだった。
食事をするときも、勉強するときも、そして寝るときも。
私は毎晩、フレンドを手に抱いて寝た。
今でも、その感触が手に残っている。

それもあって、最初の夜は、そのインコを手に抱いて寝た。
ワイフは、つぶしてしまわないかと、何度も心配した。
が、私には、自信があった。

 小鳥というのは、手に抱いているときは、手と一体化する。
小鳥の肌の温もりを直接感ずることができる。
動けば、すぐわかる。
もちろん熟睡はできない。
……というか、朝起きても、熟睡感はない。

●恐竜の子孫

 鳥の魅力は、第一に、恐竜の子孫であること。
歴史がある。
1億5000万年!
そのころ人間の祖先は、ネズミのような小さな生き物だったという。
一方、人間そのものの歴史は、たかだか20万年。
比較にならない。

 ……というような大げさな話は別にして、哺乳動物を別にすれば、鳥は人間にいちばん近い。
感情も豊か。
喜怒哀楽の情は、すべてもっている。
もちろん嫉妬もする。
忠誠心も強い。
高校時代に飼ったフレンドにしても、私以外の者には、羽はもちろん体すら触らせなかった。

●名前

 で、今は、……すでに今日で3日目になるが、名前で困っている。
ワイフは、「レモン」がいいという。
私は、「ピッピ」がいいという。
息子に聞くと、そのつど何やら、ゴージャスな名前を口にする。
そこで結論。
それぞれがそれぞれの呼び方で、呼べばいい、と。
そのうち、ひとつになる。

●ピッピ

 今、そのピッピは、私の懐(ふところ)の中にいる。
眠っている。
ぶさいくな顔をしているが、横顔が、どこかあのティラノザウルスに似ている。
ときどき夢でも見るのか、小刻みに、チチ、ピョ、ピピピと鳴く。
上からのぞくと、安心しきった様子。
その様子が、そのまま私にとっては、癒しになる。

 ネットで調べると、寿命は3年から10年とある。
この先、長いつきあいになりそう。
小さな体だが、命の大きさに、大小はない。
長短もない。

●余談

 ところで、小鳥の話とは、まったく関係のないこと。
先の「ピッピ」のところまで書いたところで、筆が止まってしまった。
頭の働きが鈍く、思うように文章が出てこない。
おかめインコなどの鳥の名前さえ、出てこない。
そんな症状がつづいた。

 そこで居間へおりていき、30分のウォーキング+ランニングの運動をした。
そのあと、10分間ほど、庭の木を切った。
かなりの汗をかいた。
で、今、書斎にもどってきて、先に書いた原稿のつづきを書いている。
が、運動をする前と、あと(現在)とでは、キーボードを叩く指の動きそのものがちがう。
文章も、スラスラと出てくる。
……というか、書きたいことが、前に前にと出てくる。

 「やはり脳みその健康のためには、運動は欠かせない」と。
世間の常識を改めて、確認する。

●私と鳥

 私はそういうわけで、鳥が大好き。
鳥を見ているだけで、ほっとするような安堵感を覚える。
で、この入野町(自宅の住所)に住むようになってからも、いろいろな鳥を飼った。

 文鳥、ニワトリ、烏骨鶏(うこっけい)、白鳩などなど。
文鳥は、一時は、20〜30羽近くになった。
白鳩も、15羽近くになった。
が、ヘビや猫に襲われ、どれも全滅。

 それからは部屋の中で飼うようになった。
文鳥も飼った。
インコも飼った。

 高校1年生のときから、そんなわけで、私の周囲にはいつも鳥がいた。
鳥がいなかった期間のほうが、はるかに短い。
だからというわけでもないが、(しかし多分にそうだが)、私は鶏肉が食べられない。
最近は、ときどき食べることもあるが、若いころは、いっさい、食べられなかった。
人間が人肉を食べるようなものではなかったか……というのは、少しおおげさ。
しかしかなり強い抵抗感を覚えた。

●5月14日

 というわけで、この2日間は、ピッピのことで忙しかった。
寝床を作ってやった。
電気あんかを入れてやった。
下に毛布を敷き、それにカイロを張りつけてやった。
が、どうも具合がよくない。
熱くなりすぎたり、反対に暖かくならなかったり……。

 箱だけでも、3箱、作りなおした。
で、結局、最初の日は、寒かったこともあり、エアコンを一晩中つけてやった。
その下に寝床を置いた。

が、昨晩は、やや暖かくなった。
寝床の下にカイロを張りつけ、その上にタオルを3〜4枚、重ねて置いた。
これは結構、うまくいった。
寝る前と、目を覚ましてから、手の中で、30分〜1時間ほど、抱いてやった。
この2日間で、かなり元気になった。
いろいろな鳴き声で鳴く。

 ピッピ、チチ、ピーなど。
今朝からはときどき、ゲーと大きな声を出すようになった。
文鳥は、そういうふうには鳴かない。
鳴き方は、いつも同じ。
その点、インコはおもしろい。
まるで言葉を話しているかのよう。
中には、本当に言葉を覚えるのもいるとか。
楽しみ。

 私の家に、久々に、華やかな花が咲いた。
息子も、昨日は、1日中、ピッピを手の中に抱いていた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ぼたんインコ ぼたんいんこ ピッピ はやし浩司 2012−05−12)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●2003〜04年に書いた原稿

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「鳥」について、どんな原稿を書いたか知りたくなった。
そこで「はやし浩司 鳥」で検索をかけてみた。
1作、見つかった。
そのまま再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.         ⌒ ⌒        
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!(″ ▽ ゛  ○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年3月X日・マガジン見本
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子どもは、人の父

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

(イギリスの詩人・ワーズワース)

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。
原文では、「TheChild is Father of the Man. 」となっている。

この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。

ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。
詩の流れからすると、「その人の人格」ということか。
つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。

一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。
もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決して、幼稚ではない。
子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。
しかも美しい。

人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。
知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。
私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。
一人の子ども(年中男児)が、とてもていねいに絵をかいてくれた。
そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」と書き添えた。

が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。
そこで「どうして泣くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。
「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
もし人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。
そしてその同じ虹を見て、子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。
そこでこう言った。

「子どもは人の父」と。

私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。



(1)子育てポイント**************************

●子どもとの笑い

 いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。

☆ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。
そこで私が「先生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、腕組みをして私をにらみつけた。

「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「どうして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きだもん」と。
マレにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。

☆ 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。
全部で何匹ですか?」と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。
そこで私が電卓を取り出して、「ええと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。
「あんた、それでも本当に先生?」と。

☆指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。
そこで私が、「どうせ指をしゃぶるなら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。
おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を教えてやった。
するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。

☆私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。
あるとき私に「ジジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。
「もっと悪い言葉を教えてやろうか。
しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いいな」と。
子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。
それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダンシ」と呼ぶようになった。


☆算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四男児)が、「三角関係!」と。
ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二人で、女が一人の関係だよ」と。
すると別の子どもが、「違うよオ〜、女が二人で、男が一人だよオ〜」と。
とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始めた。
「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。
「何だ、その歌は」と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ〜、遅れてるウ〜」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●心を開く

 何でも言いたいことを言い、したいことをする。
悲しいときは悲しいと言う、うれしいときはうれしいと言う。
泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。
自分の心をそのままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。

 昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳くらい)がいきなり私にこう聞いた。「林君、君のワイフは、君の前で『へ(おなら)』を出すかね?」と。
驚いて私が、「うちの女房はそういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。

 子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使えないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。

一応はたしなめながらも、一方で、「うちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す余裕が必要である。
子どもの側からみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」という絶対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。
 
そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。
子どもが心を開いたら、同じように親のほうも心を開く。
それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。
R氏(四五歳)はこう言う。

「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。
親のメンツにこだわって、あれこれ世間体をとりつくろいます。
私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。
私もさみしいですが、母もかわいそうな人です」と。

 そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めているかということ。

もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠したり、ウソを
ついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではなく、あなた
自身のことを反省する。
相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心を開いて、相手の心をそのまま受け入れなければならない。
またそれでこそ、親子であり、家族ということになる。

 さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。
「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。
が、数日後、女房はそれに答えてこう言った。
「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だと思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。



(2)今日の特集  **************************

【虐待】

●虐待にもいろいろ

 一般論として、子どもに虐待を繰りかえす親は、自分自身も、虐待を受けた経験があるといわれている。
約50%が、そうであるといわれている。

 その虐待は、暴力だけにかぎらない。

 大きく、この(1)暴力的虐待のほか、(2)栄養的虐待、(3)性的虐待、(4)感情的虐待に、分けられる。
暴力的虐待は、肉体的虐待、言葉の虐待、精神的虐待に分けられる。

 順に考えてみよう。

(1)肉体的虐待……私の調査でも、約50%の親が、何らかの形で、子どもに肉体的な暴力をバツ(体罰)として与えていることがわかっている。
そしてそのうち、70%の親(全体では35%の親)が、虐待に近い暴力を加えているのがわかっている。

 日本人は、昔から、子どもへの体罰に甘い国民と言われている。

 「日本人の親で、『(子どもへの)体罰は必要である』と答えている親は、70%。
一方アメリカ人の親で、『体罰は必要である』と答えている親は、10%にすぎない」(村山貞夫)という調査結果もある。

 体罰はしかたないとしても、たとえば『体罰は尻』ときめておくとよい。
いかなるばあいも、頭に対して、体罰を加えてはいけない。
 
(1−2)言葉の虐待……「あなたはダメな子」式の、人格の「核」に触れるような言葉を、日常的に子どもにあびせかけることをいう。

 「あなたはバカだ」
 「あなたなんか、何をしてもダメだ」
 「あんたなんか、死んでしまえばいい」など。

 子どもの心は、親がつくる。そして子どもは、長い時間をかけて、親の口グセどおりの子どもになる。親が「うちの子はグズで……」と思っていると、その子どもは、やがてその通りの子どもになる。

 しかし言葉の暴力がこわいのは、その子どもの人格の中枢部まで破壊すること。
ある男性(60歳)は、いまだに「お母さんが怒るから」「お母さんが怒るから」と、母親の影におびえている。そうなる。

(1−3)精神的虐待……異常な恐怖体験、過酷な試練などを、子どもに与えることをいう。

 ふつうは、無意識のうちに、子どもに与えることが多い。
たとえば子どもの前で、はげしい夫婦喧嘩をして見せるなど。

 子どもの側からみて、恐怖感、心配、焦燥感、絶望感を与えるものが、ここでいう精神
的虐待ということになる。

 子どもの心というのは、絶対的安心感があって、その上で、はじめてはぐくまれる。
その基盤そのものが、ゆらぐことをいう。

(2)栄養的虐待……食事を与えないなどの虐待をいう。
私自身、このタイプの虐待児について接した経験がほとんどないので、ここでのコメントは、割愛する。

(3)性的虐待……今まで、具体的な事例を見聞きしたことがないので、ここでは割愛する。

(4)感情的虐待……親の不安定な情緒が与える影響が、虐待といえるほどまでに、高じた状態をいう。
かんしゃくに任せて、子どもを怒鳴りつけるなど。

 『親の情緒不安、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。
少し前だが、こんな事例があった。

 その母親は、交通事故をきっかけに、精神状態がきわめて不安定になってしまった。
しかし悪いときには、悪いことが重なる。
その直後に、実父の他界、実兄の経営する会社の倒産と、不幸なできごとが、たてつづけに、つづいてしまった。

 その母親は、「交通事故の後遺症だ」とは言ったが、ありとあらゆる体の不調を訴えるようになった。
そしてほとんど毎日のように病院通いをするようになった。

 その母親のばあいは、とくに息子(小2)を虐待したということはなかった。
しかしやがて子どもは、その不安からか、学校でも、オドオドするようになってしまった。
先生にちょっと注意されただけで、腹痛を訴えたり、ときには、みなの見ているところで、バタンと倒れてみせたりした。

 このように精神に重大な影響を与える行為を、虐待という。
暴力的虐待も、暴力を通して、子どもの精神に重大な影響を与えるから、虐待という。

 この虐待がつづくと、子どもの精神は、発露する場所を失い、内閉したり、ゆがんだりする。そしてそれが心のキズ(トラウマ)となって、生涯にわたって、その子どもを苦しめることもある。
(040220)

++++++++++++++++++++

以前、つぎのような原稿を書きましたので
送ります。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++

●虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。
富士市で幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。
泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。
虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。
その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。
 
カナーという学者は、虐待を次のように定義している。

(1)過度の敵意と冷淡、
(2)完ぺき主義、
(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。

その結果子どもは、
(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、
(2)強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、
(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。
「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。
もう一人は女の子でした。
母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、

(1)親自身が障害をもっている。
(2)子どもが親の重荷になっている。
(3)子どもが親にとって、失望の種になっている。
(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。
わかりやすく言えば、殺す寸前までのことをする。
そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。
学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。
夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。

父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。
あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識を、社会がもつべきである。
そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。
いつか私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。

子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。
「警察……」
という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。
そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。

+++++++++++++++++++
【付録】

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。

その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、
「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。

虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

(3)************************************

Touch your Heart byはやし浩司(1)

●子どもの巣立ち

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないた
め、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。
いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。

が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。

レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの
息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な
子育てというのも、ない。

それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わっ
てみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子
育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽く
なるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(2)

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は
自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそ
れは可能なのか……? その方法はあるのか……?

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなけれ
ば、死をこわがる理由などない。

一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれが
できれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地
に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(3)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」
と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結
果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを
見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。

『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そ
のあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、
子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命
に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そう
いうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生
からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Touch your Heart byはやし浩司(4)

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。
「自分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、
そう感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見て
いると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。

先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこ
に死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や
感じ方もそうだ。

私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。
しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れ
のようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育て
をしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流
れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。

そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにい
て、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私に
はそれができない。

しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どもので
きの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛
することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に
施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子ど
もに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、
子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きる
ことにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。

それを知るか知らないかは、その人の問題意識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、
自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわかる。子どもというのは、ただの
子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生きる喜びを教え
てくれる。

いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわたって、伝えてくれる。
つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、ま
さに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身
も神や仏からの使者だと知る。

そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしい
ことはない。


(4)今を考える  **************************

●疑問

 都会に住む子どものばあい、その学年になると、三つや四つの受験は、当たり前。高校
生ではない。中学生でもない。小学生である。

 まだ社会のしくみもよくわからない小学生が、三つも四つも、中学入試を経験する。中
には、五つとか六つとか……そういう子どももいる。

 それでどこかの学校に合格できればよいが、できなかったら、どうする? 親はそれで、
「うちの子は、勉強に向いていない」と、あきらめるだろうか。

 しかし実際には、そうして子どもを受験勉強にかりたてた親ほど、あきらめない。「まだ
何とかなる」「つぎがある」、無理に無理を重ねる。

 しかし少しは、子どもの立場で考えてみたらよい。

 その時点で子どもの心は、ボロボロ。そういった状態になりながらも、なおかつ、親か
ら、「勉強をつづけなさい」と、言われたら、いったい、子どもは、どうすればよいのだ。

 身近でも、中学入試に失敗した子どもがいる。二つの入試で失敗したあと、戦意喪失。
やる気をなくしたのは当然だとしても、このところ、心が荒れ始めた。家の中だけならと
もかくも、そうした「荒れ」が、外の世界でも出てくるようになると、心配。子どもの心
は、一挙に荒廃する。非行に走るようになるのは、もう時間の問題。

 子どもを受験させるのは、親の勝手だが、しかし、失敗したあとのことも、少しは考え
てほしい。

 以前、こんな中学生がいた。ここ一番、というときになると、決まって、それを避けて
しまうのである。自信がないというか、逃げ腰というか。

 そこで私がある日、こう聞いた。「どうしてがんばらないのか?」と。するとその女の子
は、こう言った。「どうせ私、S小学校の入試で落ちたもん」と。

 その女の子は、その六、七年前に小学入試で失敗したことを、そのときもまだ、気にし
ていた。そういう後遺症も残る。

 子どもの勉強をみるとき、親は、子どもの成績しかみないが、もっと大切なことは、子
どものもつ限界を知ることである。あなたがごくふつうの人(失礼!)であるように、子
どもも、またごくふつうの子どもである。

 あなたに限界があるように、子どもにも、限界がある。

 ふつうであることが悪いのではない。ふつうであることは、すばらしいことである。そ
ういう視点で、もう一度、あなたの子どもを、ながめてみる。

 ずいぶん前の話だが、こんなこともあった。

 その子どもは、四歳から五歳にかけて、かなり深刻な心の問題をかかえた。で、それが
何とか収まり、幼稚園へもふつうどおりに通うようになった。ふつうなら(……こういう
いい方は適切ではないのかもしれないが……)、小学入試どころではなかったはずだった。

 しかしその子どもが回復したとたん、(本当は完全に回復したのではなかったが……)、
親は今度は、小学入試に狂奔し始めた。私はそのときほど、「親」が、わからなくなったと
きはない。

 「親って、そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてそういう心理になれるのか
なあ」と思ってみたりした。あるいは、「子どもが病気になったことで、この親は、いった
い、何を学んだのか」と。日本の受験制度は、それ以上に、親の心を狂わせるということ
か。

 もともとその「力」のない子どもに、はじめから不合格がわかっている試験を受けさせ
ることほど、酷なことはない。

 そういう意味でも、子どもの勉強をみるときは、どう伸ばすかということに合わせて、
子どもの限界を知る。あとは、それを受け入れ、謙虚に、それに従う。それは子どもの受
験戦争をみるときの、鉄則でもある。

【付記】

 私は、だからといって、受験勉強を否定しているのではない。大切なことは、子ども自
らが、前向きに勉強するようにもっていくこと。そしてその結果として、子どもが「がん
ばる」と言ったら、それはそれとして、つまり親として、応援する。それは当然のことで
はないか。

 私も、三男が、今のY大学を中退して、M航空大学を受験すると言いだしたとき、こう
言った。「受験するならするで、きちんと予備校へ通え」と。

 三男は、学費も高いこともあって、最初は、それをこばんだ。「自分で勉強するからいい」
と。学費は、半年で、40万円ほどだった。私にも、決して楽な額ではなかった。

 しかし心のどこかで、それは親の義務のように感じた。子どもが前に進むと言ったら、
その前の雑草は、取り除いてやる。しかし子どもが望みもしないのに、雑草を取り除いて
やり、そちらへ進めと、子どもに命令するのは、まちがっている。

 小学受験はもちろんのこと、中学受験くらいのことで、子どもたちがワイワイと話題に
しているのを見たりすると、私は、「これでいいのかなあ?」と思う。まるでゲームの世界
のよう。異常な世界なのだが、その異常さがわからないほど、今の日本の子育ては狂って
いる。

 いつか、その狂いに、日本人が気がつくときが、やってくればよいのだが……。
(040221)

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                        = | QQ ∩ ∩ QQ
!   m\ ▽ /m
   〜=〜
                            ○ 〜〜〜○
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  どうか、みなさん、お元気で!
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【おまけ】

(注意)万が一、横に広がって読みにくいときは、
一度、ワードなどにコピーしてから、お読みください。
当方の不手際を、お許しください。

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●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のよう
にもなっている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうち
に、疲れてしまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外
で、「そういう生き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている
人がいる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。
高校は大学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方
は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたち
は、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、
そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今とい
う時を、偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二
つのはざまで、一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反
対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれな
い。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。

あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、
どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、
自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子どもたちとて同じ。子どもた
ちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども時
代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を
生きる」ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力
すると言っても、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方
が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうで
はないか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などとい
ったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、
親たちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんば
らなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧
米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息
を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++++++

 ある母親は、息子(中三)が高校受験に失敗した日のこと、私にこう言った。

 「先生、すべてがムダでした。あの子を小さいときから、英語教室や、算数教室に
通わせましたが、結局はムダでした……」と。

 結果だけをみて、人生を判断する人は、そういう考え方をする。日本の仏教そのもの
が、結果を重視する。だから、日本人は、多かれ少なかれ、何かにつけて結果をみて、
ものごとを判断する。そういう傾向が強い。

 しかし結果などというものは、放っておいても、あとから必ずついてくる。その結
果がどうであれ、大切なことは、今を懸命に生きること。あとのことは、あとに任せ
ばよい。あのアインスタインも、こう言っている。

「私は未来のことについては、決して何も考えない。未来はやがてきっとやってくるか
ら」(「語録」)と。

旧約聖書の中にも、こうある。『汝、明日のことを語るなかれ。それは一日の生ずる
ところの如何なるを、知らざればなり』(箴言27−1)と。

 最初の話に、もどる。

 私やあなただって、明日、交通事故か何かで、無残な死に方をするかもしれない。
しかしだからといって、今、懸命に生きている私やあなたが、否定されるわけではな
い。

 もっと身近な例では、事業に失敗したとか、あるいは会社をクビになったからとい
って、その人の人生すべてが、否定されるわけではない。その人が、懸命に生きてき
たという事実までは、だれにも消すことはできない。

 大切なのは、「今」なのだ。どこまでいっても、「今」なのだ。繰りかえすが、今、
どう生きているか、なのだ。結果は、放っておいても、必ず、あとからついてくる。
(030131)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++++

●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 
そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)
 
+++++++++++++++++++++++

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知識と思考を区別せよ!

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大
さをなす』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工し
て、外に出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」、B「スパゲティはどう?」、A「いいね。どこの店にする
?」、B「今度できた、角の店はどう?」、A「ああ、あそこか。そう言えば、誰か
もあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、こ
の二人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会
話として外に取り出しているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからとい
って、その園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはな
らない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意
識のうちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、
こんな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはど
うですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を
読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、
『われ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいと
か、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんな
ことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をし
ているの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、
石は土の中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもし
れないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそ
が、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身に
つけさせることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを
犠牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言え
ば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。
頭のよい悪いも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は
こう言っている。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないの
よ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配
する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰
め込み教育」が基本になっている。

さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。つまり日
本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子ど
もをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基
本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わってい
ない。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ
世界の非常識。

ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並び
でない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」
(「コウとうけん」・九八年)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃ
べっているのがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件
に合わせて、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、
本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が
痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。その
ため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、
考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるとい
うこともある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるように
している。また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えない
ようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モン
テーニュ(フランスの哲学者、一五三三〜九二)も、「『考える』という言葉を聞く
が、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。
ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++++

 今、人間は、たいへんな危機的な状況にあると考えてよい。まさに地球そのものが、
亡びるかもしれないという状況である。言うなれば、人間の知的能力が、まさにため
されているときということになる。

 そこでどうだろう、こう考えてみたら。

 つまり人間は、知的生物ではないという前提で、人間を自らながめてみる、と。も
っとはっきり言えば、私たち人間は、自分たちを知的生物と思いこんでいるだけ、と。
そういう前提で、もう一度、私たち自身を、見なおしてみる。

 火星はともかくも、この宇宙には、無数の知的生物がいるとされる。この地球上で、
人間だけが決してゆいいつの生物でないのと同じように、宇宙では、この人間だけが
決して、ゆいいつの知的生物ではない。

 しかも人間というのは、ひょっとしたら、宇宙に住む知的生物たちから見たら、き
わめて原始的な生物かもしれない。そういう視点をもって、もう一度、人間自身をみ
てみる。わかりやすく言えば、私たちのもつ知的レベルに対して、謙虚になるというこ
と。すべては、そこから始まる。

 はからずも、私は昨日、市の動物園へ行ってみた。そしていつも、あのサルの集団
を見ると、考えさせられる。実は、昨日も、そうだった。

 あのサルたちは、絶対に、自分たちは、バカだと思っていない。自分がバカだとわ
かるのは、自分自身がそのつど、はるかに高い視点をもったときである。しかしその
高い視点をもつことができないサルには、それがわからない。

 同じように、ほとんどの人間は、自分がバカだとは思っていない。それがわかるだ
けの高い視点すらもっていない。

 では、どうするか? ……結局は、先のエッセーの中に書いたように、「考える」
こと。すべては、ここへ行き着く。考えて、考え抜く。そうすることで、人間は、ほ
んの数センチかもしれない。数ミリかもしれない。しかしそれでも、ほんの少しだけ、
高い視点から自分を見ることができる。それまでの自分が、バカだったと気づくことが
できる。

 何ともこみいったエッセーになってしまったが、要するに、私たち人間は、実に中
途半端な知的生物であるということ。私は、それが言いたかった。
(040201)



【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●自己紹介

【はやし浩司のわけ】

 改めて、自己紹介します。

 本名は、「林 浩司」といいます。「はやし・ヒロシ」と読みます。

 大学時代、みなは、私のことを、「はやし・コージ」と、呼びました。いつの間に
か、そうなりました。しかし正しくは、「はやし・ヒロシ」です。

 で、ペンネームは、「はやし浩司」です。

 「林」を、「はやし」にしたのには、二つの理由があります。

 幼稚園で働いているころ、いつも私は、自分の名前を、「はやし」とひらがなで書
いていました。それで、「林」より、「はやし」のほうに、なじみができてしまった
こと。

 もう一つは、同じ町内に、同姓同名、同じ読み方をする人が、住んでいたこと。こ
の方は一〇年ほど前になくなりましたが、私の名前ほど、ありふれた名前もありません。

 現在でも浜松市内には、電話帳で調べただけでも、「林・ヒロシ」「林・コージ」
という人は、七、八人もいます。約200倍すれば日本の人口になりますから、この
日本には、「林・ヒロシ」「林・コージ」という人は、1500人くらいはいるとい
う計算になります。

 それで「はやし浩司」にしました。

 私は、このペンネームが、とても気にいっています。「林」という文字は、どこか
トゲトゲしいので、あまり好きではありません。

【住んでいるところ】

 住所は、浜松市のI町というところです。(インターネットでは、あまり個人情報
を漏らさないというのが、原則になっていますから、この程度でごめんなさい。私自身
は、住所を明かしても構わないと思っていますが、中には、悪い人もいますので……。)


 I町だけでも、一万世帯近くも住んでします。昔からの、大きな町です。私は、こ
のI町に住んで、今年(04)でちょうど二七年目になります。浜松へ来てからは、
三三年目になります。

 私の家は、浜松市の中心部と、浜名湖のちょうど中間あたりのところにあります。
やや丘の上、新興住宅地の一角です。新幹線で、そのあたりを通ったら、北の方を見
てください。線路からは、二キロくらい離れたところです。

 いつもさんさんと、太陽の陽光がさしているところが私の家……というのは、ウソ
ですが、私の家は、日当たりのよいところにあります。

【私のこと】

 ときどき私は、どんな人間なのだろうと考えます。

 しかし本当のところ、自分のことは、よくわからないでいます。まじめな人間なの
か、そうでないのかさえわかりません。だいたいにおいて、まじめな人間というのは、
どういう人間をいうのか、その基準は何なのか、と。そんなことまで考えていくと、
ますますわからなくなってしまいます。

 まあ、あえていうなら、ふつうの人間ではないのかなと思いますが、「ふつう」と
いう意味も、これまたよくわかりません。

 それにいろいろな面が、あります。混在しているというか、めちゃめちゃ。気が小
さいくせに、意外と、大きなこともしてしまう……。趣味にしても、そのつど、コロ
コロ変る。正義感は結構強いくせに、どこか小ずるいところがある、などなど。

 だから自分のことを、どう書いたらよいのでしょうか。別のところで、自己紹介の
記事を書いておきましたので、興味のある方は、またそちらを読んでください。(私
のHPのトップページから、左上、「思想」)

 外見は、数字で表すことができます。

 身長は166センチ。このところ体を丸めて歩くことが多くなったので、見た目に
は、それよりも低く見えるはずです。

 体重は、今は67キロ(04・2)。顔は、写真のとおりですが、みなは、「年齢
にしては、若く見える」と言ってくれます。

 メガネをかけた、ダサイ感じの男です。自分でも、それがよくわかっています。ラ
ブロマンスなど、私には無縁でした。一、二度、それらしきことは、あったかなあ、
という感じです。三枚目で、ドジ。おっちょこちょい。笑わせ名人で、ひょうきんも
のです。

 今のところこれといった病気もなく、健康です。生涯において、病院のベッドの上
で、寝たことは、一度もありません。

血圧は低く、上が100前後。下が60前後です。脈は遅いです。健康診断では、い
つもひっかかります。

 私の健康法は、ただひたすら毎日、自転車で走ること。あとは食べ物には、何かと
注意しています。

【生活信条】

 「生活信条」と、自分で書いて、ウーンと、今、うなってしまいました。

 「そんなもの、あるのかア?」と思っています。毎日、惰性で生きているだけとい
う感じです。これといった主義や主張も、ほとんど、ありません。精神力はもともと
軟弱だし、情緒も不安定。行動力もこのところ、どんどん鈍ってきています。

 まあ、あえていうなら、今は、もう自分を飾らないで生きていこうと思っているこ
とかな。ありのままの自分を、そのままさらけ出していこうと、です。

 私は、ずっと、自分を偽って生きてきたように思います。「どうすれば優等生に見
られるだろう」「どうすれば、相手にいい人だと思われるだろう」と、そんなことば
かりを考えて、生きてきたように思います。

 だから、そういう自分と、はやく決別したいです。私は私のまま、自分の人生を、
生きたいです。残りの人生も、短くなってきたことだし……。

 愛想よくしたり、相手の機嫌をとったり、へつらったり、そういうことだけは、し
ないようにと、心がけています。

 そんなわけで「信条」と言えるかどうかはわかりませんが、今は、「自分に正直に
生きる」が、ひとつの目標になっています。
(新HP用)
(040201)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●展望性と回顧性(2)

 自分の未来や将来は、どうなのか。どうあるべきなのか。それを頭の中で組み立て
ることを、展望性という。未来や将来に、夢や希望をはせらすことも、それに含まれ
る。

 一方、自分の過去は、どうであったのか。どこにどんな問題があったのかを反省す
ることを、回顧性という。思い出にひたったり、過去をなるかしむのも、それに含ま
れる。

 賢人は、ハバ広い展望性と、回顧性を、いつも同時にもつ。しかし愚人は、そのど
ちらもハバが狭い。その場だけを、享楽的に過ごす。それでよしとする。

 概して言えば、若い人は、よりハバの広い展望性をもち、老人は、よりハバの広い
回顧性をもつと言われている。そこであなた自身の展望性と、回顧性が、どの程度の
ハバをもっているかを知るとよい。それによって、あなたの精神年齢を、推定するこ
とができる。

 もしあなたが今でも、未来に向かって、目標や目的をもち、生き生きとしているな
ら、展望性のハバは広いということになり、あなたは精神的に若いということになる。
しかしいつも過去をなつかしんだり、過去の栄華や、過去の思い出にひたってばかり
いるというのであれば、あなたの精神年齢は、老人のそれということになる。

 その展望性と回顧性は、満60歳前後を境として、入れかわると言われている。つ
まり満60歳を過ぎると、展望性よりも回顧性のほうが、強くなるという(心理学者の
B・ボナーら)。

 実は、私も何かにつけて、このところ回顧性が強くなったように思う。昨夜も、あ
る飲食店で、オーストラリアの旅行案内書を読んでいたときのこと。その一頁に、ジ
ーロン(メルボルンの南にある町)から、ローン(避暑地)を経て、アデレード(南
オーストラリア州の州都)にのびる街道のことが、書いてあった。

 「グレート・オーシャン・ロード」という名前の道路である。第一次大戦の退役軍
人らが建設した道と聞いている。

 その街道の記事が、その本に載っていた。

 その記事を読んでいたときのこと、いつしか私の目は、涙で、うるんできてしまっ
た。私には、思いで深い街道だった。今でも、私の机の上には、その街道の写真が飾
ってある。

 「また行きたいな」という思いと、「もう死ぬまで行けないかもしれない」という
思いが、その記事を読んでいるとき、複雑に交錯した。

 つまりそのとき、自分の心の中で、ここでいう展望性と回顧性が、同時に交錯した
ことになる。もちろん若いときは、そういう感情をもつことは、なかった。「もう死
ぬまで……」などとは、考えもしなかった。未来は、永遠につづくように思っていた。

 だからといって、回顧性をもつことが悪いということではない。若いころの自分を
回顧することで、私の中の心のハバを広くすることができる。ただ、それにひたりす
ぎるのは、よくない。あくまでも、過去は過去。未来を、よりよく生きるために、過去
は、ある。

 あえて言うなら、こうして過去を回顧することによって、生きることにまつわる「い
とおしさ」のようなものを知ることができる。生きることのすばらしさというか、美し
さというか、そういうものである。おかしな感覚だが、懸命に生きてきた、自分が、ど
ういうわけか、かわいい。いとおしい。そして当然のことながら、なつかしい。

 が、そのままここに、立ち止まるわけには、いかない。

 私は、今、こうしてここに生きている。そして、まだまだ生きなければならない。
生きることをあきらめるわけには、いかない。そこで大切なのは、いかにして、展望
性のハバを広くするかということ。

 一〇年後も、二〇年後も、今日と同じように、「今」はある。青い空がそこにあっ
て、冬であれば、冷たい風が吹いている。そのとき、私は、いったいどうなっている
だろうか。今のままなら、多分、一〇年後も、今と同じように元気で、生きていると
思う。しかし二〇年後は、わからない。そのときも、私は今の私のように、まだ心の
荒野の中を、前に向って進んでいるだろうか……。健康や生活は、どうだろうか……。

 展望性と回顧性。この二つには、より心豊かに生きるための、重要なカギが隠され
ているように思う。今は、その程度のことしか、わからないが、この先、機会があれ
ば、またゆっくりと考えてみたい。
(040201)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司







  1. 2012/05/14(月) 12:05:12|
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●やる気のある子供にするために

●やる気のある子どもにする(子どもの遊びとの脳科学)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今では脳内の活動を、リアルタイムで、
かつ映像化して見ることができることが
できるようになった。
すごいことだと思う。



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●講演骨子

(1)教育学、発達心理学、脳科学の融合

 2000年に入ってから、教育学、発達心理学、脳科学の融合が始まった。
とくに脳科学の進歩には、目を見張るものがある。
それまではこれら3つの分野は、それぞれ独自に体系化されていた。
たとえば「子どものやる気」。

     (1)教育学……好子、嫌子
        (オペラント(自発的行動))
     (2)発達心理学……強化の原理、弱化の原理
        (動機付け、達成感)
     (3)脳科学
        辺縁系(扁桃核、帯状回)

(2)脳科学の分野からの説明

 それまでは、観念的に理解されていた、「情緒」についても、脳科学の世界からメスが入るようになった。
たとえば「感情」についても、今では、「感情ホルモン説」が、常識になっている。

     (1)好き・嫌いについて……扁桃核(サルの実験)
     (2)善悪の感覚について……扁桃核(エンドロフィン、エンケファリン)
     (3)オペラント(自発的行動)……操られる脳
     (4)強化の原理……笑いの科学、ほめる科学
     (5)相乗効果……カテコールアミン

(3)子どもの遊び

 遊びにみる、自我の同一性について。
遊びを通し、子どもは、自我の同一性を確立する。
社会性(社会人としての常識、知識、経験)を学ぶ。

 問題点

     (1)「遊び」の質的変化
     (2)半世紀前の子どもと遊び
     (3)現在の子どもの問題点(野生臭の喪失)

(4)やる気のある子どもにする

 やる気のある子どもにするための留意点。

     (1)自我の同一性の確立(自己概念と現実自己の一致)
     (2)自発的行動(オペラント)の育成
     (3)家庭教育の反省(過干渉、溺愛、過保護、価値観の押しつけ)

 あとは、子どもを信ずる。
信じて、子どもを支える。
これからはプロの時代。
旧態依然の職業観を改める。
2012/05/13


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

  1. 2012/05/13(日) 18:30:10|
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子どものやる気を考える

【子どものやる気論】について(2012/05/13改)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今週、N市で、講演をする。
その原稿が、やっとできた。

……といっても、このまま話すのではない。
当日の雰囲気を見て、前後を入れ替えながら話す。
結論についても、同じ。
当時、主催者の方との話しあいの中で、決める。
私にとって、講演というのは、そういうもの。
原稿通りには、話さない。……話せない。

雰囲気を見ながら、笑いを入れたり、エピソードをふやしたりする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「遊びが子どもの仕事」(中日新聞発表済み) 

「人生で必要な知識はすべて砂場で学んだ」を書いたのはフルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。
「当たらず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがある。
オーストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。
日本でいう砂場、つまりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。
また「はずれていない」というのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室の外で身につける。
実はこの私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。
今でいう帰宅拒否の症状もあったのかもしれない。
それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。
けんかのし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。
性教育もそこで学んだ。

 ……もっとも、それがわかるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。
それまでは私の過去はただの過去。
自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。
いわんや、自分という人間が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。
しかしやはり私という人間は、あの寺の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。
縄張りもあったし、いがみあいもあった。
おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離されていたということ。
たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。
石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。
相手をつかまえればリンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。
あいさつをして笑いあうような相手ではないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。
目と目であいさつぐらいはした。
つまり寺の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技場の外で争っても意味がない。
つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのうちに社会で必要なルールを学んでいた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。
子どもどうしの上下関係があった。
けんかの強い子どもや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。
そして私たちはそれに従った。
親分、子分の関係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出さなかった。

仲間意識もあった。
仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。
しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。
だから今、世界で起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれを結びつけて、簡単に理解することができる。

もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまですんなりとは理解できなかっただろう。
だから私の立場で言えば、こういうことになる。
「私は人生で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものいたずら

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。
パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリッパをひもでつないで、電車ごっこなど。
時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども(小3)がいた。

母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、その実験をしているのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。
絵の具を溶かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。
善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをする。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説がある。
アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。
で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかませた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。
で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってしまった。
この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。
作文力だけをみたら、小学校の3、4年生以上の力があったと思う。
で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ちゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。
母親の趣味は、ドライブ。
外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もある。
子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。
その敏しょう性。

一人、ドッジボールの得意な子ども(年長男児)がいた。
その子どもは、とにかくすばしっこかった。
で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。
雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。
子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●笑い(笑いの科学と効能)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。
 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われるようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、
3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわかってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。
前向きな学習態度も、そこから生まれる。
「なおす」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしまう。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもと遊び やる気論 カテコールアミン ほめることの重要性 子どもはほめて伸ばす 子どもは笑わせて伸ばす やる気と遊び 遊びで生まれるやる気 社会性 はやし浩司 子どものやる気)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ほめることの重要性byはやし浩司

+++++++++++++++++

ほめることの重要性については、
繰り返し書いてきた。
『子どもはほめて伸ばせ』が、私の
持論にもなっている。
あちこちの本の中でも、そう書いた。
このほどその効果が、アカデミック
な立場で、証明された。
その記事を、そのままここに、
記録用として、保存させてもらう。

+++++++++++++++++

++++++++以下、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。
父親の育児参加も同様の効果があった。
「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。
東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる09年まで追跡。
親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。
子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野30項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。
また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける−−などが社会適応力を高める傾向があった。

 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の時点で社会適応力が1.8倍高いことも判明した。
母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなった。

 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られていたことを、科学的に明らかにできた。
成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】

++++++++以上、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ほめる ほめる効用 子どもをほめる ほめることの大切さ はやし浩司 子どもはほめて伸ばす 伸ばせ 子供はほめて伸ばせ)

++++++++++++++++++++

●2007年4月の原稿より

【子どもを伸ばす】

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。
一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜっぺき)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、重要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。
が、問題は、何がその帯状回を刺激するか、だ。
そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。
ビジネスマンがビジネスをとおして利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。
科学者にとっては、名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価ということになるのか。
こう決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言えば、そういうことになる。
こうした自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状回(あくまでも伊藤氏の説に従えばということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。
人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。
これを私は「絶壁性」と呼んでいる。
つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、人ははじめてやる気を出す。
たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も変わりなく保障されるというような状態では、やる気は生まれない。
「明日はどうなるかわからない」「来月はどうなるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はがんばる。
が、それがなければ、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二
つに集約される。
「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。
ただ私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。
とくにインターネットに原稿を載せても、利益はほとんど、ない。
ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自我が原動力になっていることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。
私のように、まったく保障のワクの外で生きている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。
明日、病気か事故で倒れれば、それでおしまい。
そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。

毎日、自転車で体を鍛えているのも、そのひとつということになる。
あるいは必要最低限の生活をしながら、余力をいつも未来のためにとっておく。
そういう生活態度も、そういう危機感の中から生まれた。
もしこの絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだろうと思う。

 そこで子どものこと。
子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その我欲の追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。
順に考えてみよう。

(自我の追求)

 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段
階に分けて、子どもを導く。
英語国では、「灯をともして、引き出せ」という。
幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。
この動機づけがうまくいけば、あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種をまいて、引き出す』の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。
そのためには、『子どもは使えば使うほどいい子』と覚えておくとよい。
多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くするコツ」と考えている。
しかしこれは誤解。まったくの誤解。

 3つ目に、達成感。
「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱっていく原動力となる。
もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)

 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子ど
もは伸びない。
子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。
(しかし危機感をもた
せすぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。
しかし残念ながら、ここま
で飽食とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかしい。
仮に生活の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。
子ど
もの心をコントロールするのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。
E君という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。
そのときのE君は、はたから見ても、かわいそうなくらい緊張したという。
数日前から不眠症になり、当日は朝食もとらず、会場へでかけていった。
で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだったらしい。
それ以後、度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)や、生徒会長(中学校)、文化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなっていった。
そのときどきは、親としてつらいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に立たせるというのは、子どもを伸ばすためには大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかということ。
その一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生きがいを決めるのは、帯状回?

 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。
脳のこの部分は、人間が原始動物であったときからあるものらしい。
イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。

その辺縁系の中に、帯状回とか扁桃体と呼ばれるところがある。
最近の研究によれば、どうやら人間の「やる気」に、これらの帯状回や扁桃体が関係していることがわかってきた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。
反対にみなの前でけなされたりすると、不快感を覚える。
その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感や不快感を受けて、大脳連合野の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。

一方、その扁桃体の感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。
やる気があれば、ものごとは前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、何をするのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。
たとえば他人にやさしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。
しかし反対に、他人をいじめたり、意地悪したりすると、後味が悪い。
この感覚は、きわめて原始的なもので、つまりは理屈では説明できないような感覚である。
しかしそういう感覚を、人間がまだ原始動物のときからもっていたと考えるのは、進化論から考えても正しい。
もし人間が、もともと邪悪な感覚をもっていたら、たとえば仲間を殺しても、平気でいられるような感覚をもっていたら、とっくの昔に絶滅していたはずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。
新皮質部というのは、いわゆる知的な活動をする部分である。
たとえば正直に生きたとする。
すると、そのあとすがすがしい気分になる。
このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだが、それを受けて、新皮質部が、「もっと正直に生きよう」「どうすれば正直に生きられるか」とか考える。
そしてそれをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。
帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の判断を受けて、やる気を引き起こす。
「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そういう前向きな姿勢を生み出す。
そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、思考や行動を活発にしたりする。

●私のばあい

 さて私のこと。
こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるということは、ひょっとしたら、それだけ役にたっているということになる。
(中には、「コノヤロー」と怒っている人もいるかもしれないが……。)

さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたりすると、どういうわ
けだか、それがうれしい。
そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳細胞を活発化する。
そしてそれが私のやる気を引き起こす。
そしてそのやる気が、ますますこう
してマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。
が、読者が減ったり、ふえなかったりすると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が低下する。そしてそれが帯状回の機能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子どものやる気を考えることができる。
よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほめて伸ばせ」「子どもは前向きに伸ばせ」というが、なぜそうなのかということは、脳の機能そのものが、そうなっているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。
私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらなければならない」という気持ちが強い。では、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。
ここでいう「やる気論」だけでは説明できない。
どこか絶壁に立たされたかのような緊張感がある。
では、その緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす

 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。
このア
ドレナリンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。
そして脳や筋肉により多くの酸素を送りこみ、危急の行動を可能にする。
こうしたストレス反応が過剰になることは、決して好ましいことではない。
そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低下や低体温などの、さまざまの弊害が現れてくる。
しかし一方で、ほどよいストレスが、全体の機能を高めることも事実で、要は、そのストレスの内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月5万円を返済するのと、家を建てるため、毎月5万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで違う。
子どもの成績でいうなら、いつも100点を取っていた子どもが80点を取るのと、いつも50点しか取れなかった子どもが、80点を取るのとでは、同じ80点でも、子どものよって、感じ方はまったく違う。

私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと100人を超えたときのうれしさを忘れることができない一方、450人から445人に減ったときのさみしさも忘れることができない。
100人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。
しかし445人に減ったときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気

 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程度の緊張感を与える。
しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるような緊張感でなければならない。
私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきているように感ずる。
ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。
あるいは交通事故にあうかもしれない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないかと思う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、前に進むものか。
そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。
ただパンと水だけを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。
今、こうして自分のマガジンを発行しながら、私はそんなことを考えている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないかと。
よく「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」なのか。
手に生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)がない。あるはずもない。

ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。
だから、「私の顔」と言えなくもない。
しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。
あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。
しかしなぜ書くかといえば、それがわからない。
多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。
それはサッカー選手が、サッカーの試合をするのに似ている。
本人は自分の意思で動いていると思っているかもしれないが、実際には、その選手は「私」であって「私」でないものに、動かされているだけ? 

同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされているだけかもしれない。
となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャックとローズを思い浮かべてみよう。
彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。
そして数日のうちに、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心をとらえた。
それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に翻弄(ほんろう)されただけかもしれない。
電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意思というよりは、その意思すらも支配する、本能によって引き起こされたと考えられる。

いや、だいたい男と女の関係は、すべてそうであると考えてよい。
つまりジャックにし
てもローズにしても、「私は私」と思ってそうしたかもしれないが、実はそうではなく、もっと別の力によって、そのように動かされただけということになる。
このことは、子どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。
この時期は、乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。
この時期をすぎると、子どもは急に生意気になる。
人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子はこういう子だ」という、とらえどころができてくる。
そのころから自意識による記憶も残るようになる。
(それ以前の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。
これは脳の中の、辺縁系にある海馬という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆるふつうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。
ここに書いた、貪欲さや闘争心も、それに含まれる。
嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。

子ども、一人ひとりは、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し高い視点から見ると、どの子どもも、それほど変わらない。
ある一定のワクの中で動いている。
もちろん方向性が違うということはある。
ある子どもは、作文で、あるいは別の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲さや闘争心を、昇華させていく。
反対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらには心をゆがめる子どももいる。
しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうしているにすぎない。

 となると、私は、どうなのか。
私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局はそのハバの中で踊らされているだけなのか。
もっと言えば、私は私だと思っているが、本当に私は私なのか。
もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。
ムダにした原稿も、もう一〇枚(1600字x10枚)以上になる。
どうやら、私はたいへんな問題にぶつかってしまったようだ。
手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。
これから先、ゆっくりと時間をかけて、この問題と取り組んでみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 たとえば腹が減る。
すると私は立ちあがり、台所へでかけ、何かの食べ物をさがす。
カップヌードルか、パンか。

 そのとき、私は自分の意思で動いていると思うが、実際には、空腹という本能に命じられて、そうしているだけ。
つまり、それは、「私」ではない。

 さらに台所へ行って、何もなければどうする? 
サイフからいくらかのお金を取り出して、近くのコンビニへ向かう。
そしてそこで何かの食物を買う。
これも、私であって、「私」ではない。
だれでも多少形は違うだろうが、そういう状況に置かれた同じような行動をする。

 が、そのとき、お金がなかったどうする? 
私は何かの仕事をして、そのお金を手に入れる。
となると、働くという行為も、これまた必然であって、やはり「私」でないということになる。

 こうして考えていくと、「私」と思っている大部分のものは、実は、「私」ではないことになる。そ
のことは、野山を飛びかうスズメを見ればわかる。

 北海道のスズメも、九州のスズメも、それほど姿や形は違わない。
そしてどこでどう連絡しあっているのか、行動パターンもよく似ている。
違いを見だすほうが、むずかしい。
しかしどのスズメも、それぞれが別の行動をし、別の生活をしている。
スズメにはそういう意識はないだろうが、恐らくスズメも、もし言葉をもっているなら、こう考えるだろう。
「私は私よ」と。

 ……と考えて、もう一度、人間に戻る。そしてこう考える。
私たちは、何をもって、「私」というのか、と。

 街を歩きながら、若い人たちの会話に耳を傾ける。
たまたま今日は日曜日で、広場には楽器をもった人たちが集まっている。
ふと、「場違いなところへきたな」と思うほど、まわりは若さで華やいでいる。

「Aさん、今、どうしてる?」
「ああ、多分、今日、来てくれるわ」
「ああ、そう……」と。

 楽器とアンプをつなぎながら、そんな会話をしている。
しかしそれは言葉という道具を使って、コミュニケーションしているにすぎない。
もっと言えば、スズメがチッチッと鳴きあうのと、それほど、違わない。
本人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」ではない。

 私が私であるためには、私を動かす、その裏にあるものを超えなければならない。
その裏にあるものを、超えたとき、私は私となる。

 ここまで書いて、私はワイフに相談した。
「その裏になるものというのを、どう表現したらいいのかね」と。
本能ではおかしい。潜在意識では、もっとおかしい。
私たちを、その裏から基本的に操っているもの。
それは何か。ワイフは、「さあねエ……。
何か、新しい言葉をつくらないといけないね」と。

 ひとつのヒントが、コンピュータにあった。コンピュータには、OSと呼ばれる部分がある。
「オペレーティングシステム」のことだが、日本語では、「基本ソフト」という。
いわばコンピュータのハードウエアと、その上で動くソフトウエアを総合的に管理するプログラムと考えるとわかりやすい。
コンピュータというのは、いわば、スイッチのかたまりにすぎない。
そのスイッチを機能的に動かすのが、OSということになる。
人間の脳にある神経細胞からのびる無数のシナプスも、このスイッチにたいへんよく似ている。

 そこで人間の脳にも、そのスイッチを統合するようなシステムがあるとするなら、「脳のOS」と表現できる。
つまり私たちは、意識するとしないにかかわらず、その脳のOSに支配され、その範囲で行動している。
つまりその範囲で行動している間は、「私」ではない。

 では、どうすれば、私は、自分自身の脳のOSを超えることができるか。
その前に、それは可能なのか。可能だとするなら、方法はあるのか。

 たまたま私は、「私」という問題にぶつかってしまったが、この問題は、本当に大きい。
のんびりと山の散歩道を歩いていたら、突然、道をふさぐ、巨大な岩石に行き当たったような感じだ。
とても今日だけでは、考えられそうもない。このつづきは、一度、頭を冷やしてから考える。
(02−10−27)※

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。スパルタの七賢人の一人のターレスも、『汝自身を知れ』と言っている。自分を知ることが、哲学の究極の目的というわけだ。
ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623〜62)も、『パンセ』の中で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。別のところでは、「思考が人間の偉大さをなす」ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。
この言葉は、釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。
精進というのは、「一心に仏道に修行すること。
ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。
釈迦は「死ぬまで精進しろ。
それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。
つまり「私」というのは、その「考える部分」ということになる。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。
そんなある日、一人の事業家がやってきて、あなたの目の前に大金を積んで、こう言ったとする。
今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こう言うにちがいない。
「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。
そこであなたという政治家が、人間であるためには、考えなければならない。
考えて、脳のOSの外に出なくてはいけない。
そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」と言って、そのお金をつき返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こる。
そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はないことになる。
しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」があることになる。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。
考えるといっても、あまりにも漠然(ばくぜん)としている。
つかみどころがない。考えというのは、方法をまちがえると、ループ状態に入ってしまう。
同じことを繰り返し考えたりする。いくら考えても、同じことを繰り返し考えるというのであれば、それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。
そのヒントとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533−92)の『随想録』である。彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたことがない」と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。
そのために「書く」ということか。
私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。
もちろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかしくない。
しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考えることができる。
書くことイコール、考えることと言ってもよい。

 「私」が私であるためには、考えること。
そしてその考えるためには、書くこと。
今のところ、それが私の結論ということになるが、昨年(〇一年)、こんなエッセーを書いた。
中日新聞で掲載してもらった、『子どもの世界』(タイトル)で、最後を飾った記事である。
書いたのは、ちょうど一年前だが、ここに書いた気持ちは、今も、まったく変わっていない。

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〜02年終わりまでだけでも、これだけの
原稿が集まった。

それ以後も、現在に至るまで、たびたび、
私は辺縁系について書いてきた。

最後に、こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

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 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というのである。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
扁桃体 辺縁系 扁桃核 心 心の傷)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものやる気論
【子どものやる気論】自発的行動(オペラント)

●ほめる

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子どもは、ほめて伸ばす。

これは家庭教育の大鉄則!



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●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を意味する(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」という単語に由来する。



 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。
参観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。



 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それが強化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。



●脳内ホルモンが脳を活発化させる



 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。
好きなことをしているときには、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。



 このとき大切なことは、得意分野をほめること。
不得意分野や苦手な分野には、目をつぶる。
たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。
すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、伸び始める。
これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よくみられる現象である。
が、それだけではない。



ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。
こんなことがあった。



●子どもをほめるときは本気で



 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。
腕力もあった。友だちを殴る蹴るは当たり前。
先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出されていた。



 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。
夏休みになる少し前のことだった。
私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにした。



 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。
本心だ。
英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、あなたを思う』というのがある。
あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、そのAさんも、あなたのこといい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。



 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子どもを伸ばす。



●「先生、肩もんでやるよ。」



 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。
私は車の助手席に、K君は、うしろの席にいた。
私は、こう言った。



 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。
おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」と。



 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。
おとなのユーモアもよく理解した。
頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こんなことがあった。



 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。
「どうした?」と聞くと、K君は、少し恥ずかしそうにこう言った。



 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。



 私はだまって、K君の好意を受けた。

(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 子どものやる気 子供の集中力 思考力)
(以上、2006年5月記)

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もう一作、「やる気」について書いた
原稿を添付します。

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【子どもの中の子ども】

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子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

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●乳幼児の記憶

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子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

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「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられていた。
だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達なため記憶は残らないとされてきた。
現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。
しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。
これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわかりやすい。

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わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

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●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわかってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなたは、その命令に従って、行動しているだけ、という。
詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあるが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。
すると、その意思決定がされる前に、すでに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことになる。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてしまう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。
さらに「私」とは、何かということになってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。
私は、あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。
そのとき私は、こう思うだろう。
「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をする」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけということになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。
そこで私は、あえて、その「私」に、さからってみることにする。
私の意思とは、反対の行動をしてみる。
が、その「反対の行動をしてみよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。
「自我」には、自我を超えた自我がある。
わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといってもよい。
すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようになる。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいたとする。
その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲の支配下でそうしているだけということがわかってくる。
女性だけではない。
男性だって、そうだ。
女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動かす原動力になることは多い。
もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロールされている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。
少なくとも、私は、自分の意思で、この原稿を書いていると思っている。
だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだが、参考にしただけ。
大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。
それがわからなくなってしまう。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

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●子どものやる気

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子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。
そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。
それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。
こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。
が、そのサルから扁桃体を切除してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好きなものに変えることができるかということ。
これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。
つまりは、一度、そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。
つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を示すようになる。
そうでなければ、そうでない。
たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつようになる。
しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。
よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子どもは、音楽が好きになるかもしれない。
反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。
反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌される。
そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。
ドーパミンにも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。
本人の意思というよりは、その向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。
何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。
楽しませる。
笑わせる。
そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。
その力が芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えている。
が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせているその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。

(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズムそのものを変えなければならない。
が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追いたてたりする。
子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。
「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。

(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。
内心では「勉強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。
そのほうが、その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。
あとは少しでも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。
ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないということ。

++++++++++++++++++++

では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

++++++++++++++++++++

● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of
the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is
not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲をコントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。

「生きろ!」「生きろ!」と。

これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモンなどが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。
それに、まずそう?
もう1軒は。
値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかもしれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 脳科学からみたやる気論 子どものやる気 やる気を引き出す)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司2012/05/13改

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●高校同窓会

dousoukai
  1. 2012/05/12(土) 18:20:21|
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●世代間の意識

【山荘にて】(はやし浩司 2012−05−12)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

浜松の凧祭りで、真っ黒に日焼けしてきた中学生がいた。
鼻の先は、かさぶたができたように、皮がめくれていた。
目も、真っ赤だった。

「どうして日焼け止めクリームを使わなかったのか!」と叱ると、「使っていた」と。
日焼け止めクリームを使っても、そこまで日焼けする。
自殺行為そのもの。

以前、中日新聞に発表した原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紫外線対策を早急に

 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよい。
中には、皮膚が赤むけになるほど、日焼けする子どももいる。
無頓着といえば、無頓着。無頓着すぎる。
国立がんセンターの山本医師も、『海外旅行に行って、肌を焼いているのは、日本人の若者ぐらいです。
海外の皮膚がん研究者からは、「いったい日本は、どうなっているのだ?」と質問されることさえあります。
専門家にしてみれば、日本の若者がこぞって肌を焼く行為は、自ら命を縮めているに等しい行為なのです』(日経BP)と述べている。

 紫外線で皮膚が傷つくわけだが、オゾンが10%の割合で減りつづけると、皮膚がんは、26%ふえ、紫外線が2%ふえると、皮膚がんは、3%ふえるとういう(UNEP99年)。
実際、オーストラリアでは、1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年10%ずつふえている。
日光性角皮症や白内障も急増している。
しかも深刻なことに、20代、30代の若者たちの皮膚がんが、急増しているということ。
そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけている。
が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策を講じていない? 信じられない」と。
ちなみに北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

●破壊される環境

日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、1980年には、面積がほとんど0だったものが、1985年から90年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさになり、2000年には、それが南極大陸の面積のほぼ2倍にまで拡大しているという。
北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

 さらに2000年に入ってからは、地球温暖化の影響で、成層圏の水分や温度が変化。
極地方には、不気味なピンク色の雲が出現し、02年には、オゾンホールは、とうとうオーストラリアのタスマニアまで拡大。
「上空オゾン層はさらに破壊、急拡大している」(NASA)という。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。
しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰する」。
子どもの世界は、先手、先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。
害が具体的に出るようになってからでは、遅い。
たとえばここに書いた紫外線の問題にしても、警報が出たら、外出をひかえる。
過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子、サングラス、長そでのシャツ、長ズボン着用させる。
サンスクリーンクリームを皮膚に塗るなど、あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
着いたのが、午後11時ごろ。
一息ついたころ、ワイフは、DVDを見始めた。
『幸せの行方』

 が、途中で、ギブアップ。
できすぎというか、テンポがのろかった。
昔の日本映画のよう。

 私はそれよりも、ギリシャの動きのほうが、気になった。
30分ごとに、二転、三転……。
連立政権ができるのか、できないのか……。
そのつどオセロ・ゲームのように、白黒がはげしく反転する。

●ゆるんだゴム

 ギリシャを一言で表現すれば、「ゆるんだゴム」。
ギリシャというより、ギリシャ人。
人心がゆるんでしまった。
漢字では「緩んだ」と書く。

 たいした働きもせず、権利の王国の中で、あぐらをかいてしまった。
が、EU連邦が突きつけた要求は、「財政を切り詰め、もっと働け」。
そうでなくても、景気は最悪。
どん底。
財政を切り詰めるということは、自ら首を絞めるようなもの。

 ……という状態に追い込まれたら、ふつうなら働くしかない。
汗水を流すしかない。
が、そうはいかない。
そうはいかないのが、人心。
平たく言えば、怠(なま)け心。

●退職後

 こうした心は、退職してみると、よくわかる。
(私のばあい、まだ現役で働いているが、それでもよくわかる。)
仕事というのは、一度、離れると、元に戻すのは、たいへん。
むずかしい。
中には、拒絶反応を示す人もいる。
「働くのは、もう、こりごり」と。

 だからこの先、定年退職を迎える人も、こう考えたらよい。
何らかの形で、またどんな形でもよいから、仕事にしがみつく、と。
老後と言っても、平均、20年もある。

「心」だけではない。
「体」もそうなる。
「気力」もそうなる。
「働こう」という気力も、消える。

 で、一度そうなったら、ゴムは、もう元には戻らない。
だからしがみつく。

●つぶし(=転職)

 この日本でも、公務員だった人は、民間企業では、働けない。
……というか、むずかしい。
まれに民間企業で働いている人もいるが、それは例外。
よい例が、教員(学校の先生)。
昔から「教員はつぶし(=転職)がきかない」と言われる。
長い間、公的な機関(=公立学校)で教員をしていると、それ以外の仕事ができなくなる。そういう意味で、そう言った。

 「先生だったから……」という理由で、塾の先生くらいはできるだろうと一般の人は考えるかもしれない。
が、実際には不可能。
私立幼稚園でも、むずかしい。
多くは退職後、園長職で迎えられるが、長続きしない。
このあたり(浜松市)でも、たいてい1〜2年で、再退職していく。

 公務員の天下りがいろいろ問題になっている。
しかし天下り先しか、行くところがないも、これまた事実。

●公務員国家
 
 あまりよいたとえではないかもしれない。
しかし現在のギリシャの状態は、国全体がお役所と考えてよいのでは?
直接には知らないが、あちこちのニュースを総合すると、そんな印象をもつ。
適当に働き、あとは裏通りで、バックギャモンでもしながら遊んで暮らす。
お金は、いくらでも天から降ってくる……。

 ギリシャ人の公務員率は、34%(2008年・ILO)という。
ドイツ、イギリスと、それほどちがわない。
が、なぜ、問題なのかといえば、「高待遇」。
給料が高い。
高い分だけ、負担が大きい。
だから「緊縮せよ」(ドイツ・メルケル首相)と。

 が、そうは簡単にはいかない。
いかないという意味で、日本の例を先に書いてみた。
つまり「ゆるんだゴムは、元には戻らない」。

●ギリシャ危機

 今朝(5月12日)、ギリシャは、さらに混迷の度を増しつつある。
(流れ)からすると、ギリシャは、EUから離脱し、国家破綻するしかない。
いくらカンフル注射を施したとしても、時間の問題。
問題は、そのあと。

 が、ここで大きく意見が、2つに分かれる。

(1) それほど大きな問題にはならず、EUは安定化に向け、収束する。
(2) 連鎖反応が起き、ポルトガル、アイルランド、スペイン、イタリアに飛び火する。

 あのリーマンブラザーズのときも、当初、2つの見方があった。
結果的に、連鎖反応が起き、ドミノ倒しのドミノのように、世界が大混乱に陥った。

では、ギリシャはどうか?
EU全体から見れば、経済規模は、2%。
その2%が、世界をどう動かすか。
楽観論、悲観論が、複雑に交錯している。
が、ここでも「ゆるんだゴム」論が登場する。

 ひとりがんばっているのは、ドイツだけ。
あとはみな、ゆるんだゴムのようになっている。
今は何とか、ユーロの威信を前に、世界中から金(マネー)を集め、食いつないでいる。
が、それもいつまでもつか、わからない。
(日本は、おバカだから、一生懸命、貢いでいるが……。)
どこかで小さな力が加われば、ドミノは一気に倒れる。
それがいつ始まっても、おかしくない。

●戦略的国家視点

 日本の「円」のためには、ユーロの暴落は、日本にとっては、好ましい。
中国の「元」の暴落も、好ましい。
相対的に「円」の地位が高くなる。

 札というのは、絵画と同じ。
大量生産できるリトグラフ(石版画)でもよい。
価値が高まれば高まるほど、高く売れる。

 だから日本が、EUとユーロの防衛に手を貸すのは、一時的には日本の利益になるかもしれない。
が、長期的、つまり戦略的に見れば、損。
現に、今、ドル、ユーロ、元、日本……と、日本の円の地位は、さがりつづけている。
またアメリカは、そういった戦略的な視点から、今回もIMFへの出資を見送った。
(日本はおバカだから、600億ドル、つまり5兆円も出資した。2012年4月。)

 その状態で、あとは円を増刷すればよい。
ズルいといえば、ズルい。
しかしそれくらいのことなら、どこの国でもしている。
日本の現状を一言で表現するなら、お人好しのおバカ。
オホホ、オホホ……と、世界の野人たちとつきあっている。

 だから私は、こう言いたい。

「Japan, be ambitious! (日本よ、野性的に生きろ!)」と。

●17・5%?

 が、ここで問題が終わるわけではない。
「つぎは、日本」と言われている。
日本は最後のババを引かされた上、奈落の底に叩き落とされる。

 日本政府は、日本の公務員数は、17・5%(2008年、ILO)と公表している。
が、こんな数字を信ずる日本人は、いない。
日本には、旧三公社五現業から始まる、準公務員がいる。
天下り先となると、数えるのも不可能なほど、多い。
文科省という1省だけでも、2000団体近くもある。
(2000年ごろ、私が調査したところでは、約1750団体。)
もちろんそうした機関で働くのは、公務員ではない。
一応、民間人?

 先日もJR岐阜駅で、トイレに入った。
清掃している女性がいたので、「あなたは公務員ですか」と聞くと、「そうです」と。
(正確には、「公益財団法人清掃公社職員」という。)
つづいて今度は、名鉄の岐阜駅で清掃している人を見かけたので、同じ質問をぶつけてみた。

 名鉄岐阜駅では、名鉄系列の子会社の職員が、清掃業務を行っているということだった。
で、さらに詳しく聞くと、名鉄岐阜駅と、JR岐阜駅の間にある各施設は、3社が分割して行っているという。
(残りの1社については、不明。)
距離にすれば、歩いて5分もない。

名鉄岐阜駅の職員は、最後にこう言った。
「私たちの給料は、ほかのところの半分程度です」と(以上、伝聞なので、内容は不正確)。

 こうした現実をさておいて、「日本の公務員数は少ない」は、ない。

 ……今なら、まだ間に合う?
日本がギリシャ化してからでは、遅い。
私は心底、日本の将来を、心配する。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●世代間意識

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

対世代間意識について、考えてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●団塊の世代

世代によって、他の世代に対する意識は、大きくちがう。
称して「対世代間意識」。
簡単に言えば、「世代間意識」。

 ……といっても、共通の意識として、確立しているわけではない。
あくまでも大ざっぱな意識。
個人差もあるだろう。
強く意識している人もいるだろうし、まったく意識していない人もいるだろう。
それにこうした意識というのは、「相手」と対峙したとき、輪郭(りんかく)を現す。
それまでは、意識として意識されることは、まず、ない。

たとえば私たち団塊の世代は、「日本の経済を発展させたのは私たち」という意識をもっている。
意識的にそう思いながら、生きてきたわけではない。
ただがむしゃらに、働いた。
一社懸命。
企業戦士。
その結果として、日本の経済は、一時は、世界第二位と呼ばれるほどまでに、発展した。

 そういう私たちに向かって、誰かが、「老害論」を口にしたとする。
とたん、先に書いた、世代間意識が顔を出す。
「ちょっと、待て!」と。
つまりそういう前提として、ここに書く、私の「世代間意識」を読んでほしい。

 で、こうした意識は、世代によってちがう。
順に考えてみる。

●尾崎豊世代

私たち団塊の世代(昭和22年〜、1947年〜生まれ)と、その子ども、つまり団塊ジュニアの間の世代を、私は「尾崎豊世代」と呼んでいる。
尾崎豊が、あの「♪卒業」を歌ったとき、私は大きな衝撃を覚えた。

「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った……」と。

1985年1月21日に、CBSソニーから発売になっている。

 私たちの世代は、「70年安保闘争」(1970年の日米安保反対闘争)を経験している。
中身と言えば、「祭り」。
意味がよくわかっていて、闘争に加わったわけではない。
ただ体をがんじがらめに縛りつけているクサリから、自らを解放したかった。
それが安保闘争に、つながった。

しかしそれでも「反権力」が、大義名分になっていた。
が、尾崎豊は、「反世代」を、「♪卒業」の中に織り込んだ。
「反権力」から、「反世代」へ。

 もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 団塊の世代
(2) 尾崎豊世代
(3) 団塊ジュニア世代

●飽食とぜいたく

 が、これは私には、理解しがたいことであった。
というのも、尾崎豊世代といえば、日本のみならず、世界でも類見ないほどの、飽食とぜいたくを経験した世代である。
彼らが生まれ育った環境は、まさにバブル経済の真っ最中。
生まれるとすぐ、祖父母がやってきた。
もちろん父親も、かけつけた。
それこそ、手をかけられ、時間をかけられ、金をかけられて育てられた。
親というより、社会に対して、感謝して当然の世代。
その世代が、上の世代に対して、反旗を翻(ひるがえ)した。

 ……というふうに、しばらく考えていた。
が、そのうち、尾崎豊世代が、まったく別の考え方をしているのがわかった。
むしろ私たち団塊の世代を、「敵」と考えているのがわかった。
「敵」は、「かたき」と読む。
「バブル経済を食いつぶし、日本を崩壊させた世代」と。

 それがわからなければ、ネットであちこちをサーフィンしてみればよい。
尾崎豊世代が、どのような目で、団塊の世代を見ているか、それを知ればよい。
というのも、こうした意識は、調査しようにも、それ自体が、調査になじまない。
年齢層をしぼり、「あなたは団塊の世代をどう思っていますか?」という調査そのものが、できない。
仮にそういう調査をしても、そこから浮かび上がってくる「回答」そのものに、意味がない。

●窓ガラスを壊す

 あのバブル経済をどうとらえるかによって、意識は、大きく変わる。
ここにも書いたように、180度変わることもある。
が、その前に、幼児期、少年少女期に、どのような環境で生まれ育ったかによっても、大きく変わる。

 私たちの時代は、たとえば、あの戦後の大混乱期から始まっている。
「ひもじい」という言葉が、消えたことがなかった。
毎日、腹をすかせていた。
私はよく「ボットン便所」という言葉を使う。
この言葉ほど、あの時代の、あの生活を象徴する言葉は、ほかにない。

 が、尾崎豊世代は、ちがう。
木造の校舎は姿を消し、今に見る鉄筋の校舎になった。

風が吹くたびに、天井からダニが雨のように降ってくる校舎を知らない。
急いで走れば、廊下がめくれ、木片が足に突き刺さる校舎を知らない。
気温が下がれば、みなで石炭を運び、ストーブを焚くような校舎を知らない。

 だから平気で(?)、「♪窓ガラス、壊して回った」(「卒業」)となる。
が、私たちの時代には、だれかが窓ガラスを割ったりすると、そこには紙が張られた。
もちろん不注意によるものだが……。
夏場はそれでよいとしても、冬場は、たまらない。
体を縮め、ガタガタと震えた。
「窓ガラスを壊す」という発想そのものが、なかった。

●戦中派世代

 そんな話をある男性(80歳)に話すと、こう言った。
が、その返事は、まったく予想外の、内容だった。
驚いた。
その男性は、こう言った。

 「オレたちだって、そう思っているよ」と。
つまり「私たち団塊の世代を、敵(かたき)と思っているよ」と。

 「バブル世代というのはね、オレたちが命がけで敷いたレールの上で、のうのうと生きてきた連中だろ。
オレたちの苦労を知らない」と。

 それには、もう一つ、理由がある。
なぜ、80歳の男性、つまり戦中派の人たちが、バブル世代を「敵」とみるか、それには、もう一つ、理由がある。
「反射的敵意」とでも書くべきか。

つまり私たち団塊の世代は、団塊の世代で、ことあるごとに、戦中派世代を批判してきた。
「バカな戦争をしたから、オレたちは、苦労したのだ」と。
「はじめから、勝てるわけがない。
そんな戦争をあの連中は起こし、日本を最後には、焼け野原にした」と。

 結果的に日本は戦争に負けた。
だからこそ、戦中派世代に対する反感は増大した。
と、同時に、戦中派世代は、口をつぐんだ。

私「どうして、ぼくたちが敵なんですか」
男「だって、お前たちは、戦争を知らないだろ」
私「知らない……」
男「命がけで国を守ったという経験もない連中が、偉そうなこと言うなよ」と。

 で、その男性は、最後にこう言った。

「団塊の世代は、生意気だ」と。

もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 戦中派世代
(2) 団塊の世代
(3) 尾崎豊世代
(4) 団塊ジュニア世代

●団塊ジュニア世代

 では、団塊ジュニアの世代は、どうか。
それにはすでに明確な答が出されつつある。
私たちの世代以上をさして、「老害」と。

少し前は、「粗大ゴミ」とか、「ジジババ有害論」とかいう言葉も、あった。
が、今は、老害。
老害論が、堂々と論じられている。
若者たちのサイトでは、老人は、「1匹、2匹……」と、「匹単位」で呼ばれている。

 それには理由がある。
これは年金族全体を含めてでの話だが、「老人は社会の富を食いつぶしている」と。
で、その一方で、「老後の親のめんどうをみる」と考える若者が、どんどんと減っている。
20%前後(総理府、内閣府)。
世界でも最低水準。

 その理由について、ある男性(元高校教師、長野県在住)は、こう言った。
「年金制度ですよ。年金制度が原因ですよ」と。

私「どうして?」
男「子どもたちの世代からみるとですね、親父(母)には、年金がある。
だから、めんどうをみなくてもいい。
そうなるんですよ」
私「……親のめんどうと、年金がどう結びつくのですか」
男「つまりね、今の若い人たちは、親のめんどうも、金(マネー)という尺度でしかみていないのですよ」
私「ひとりで生活できるなら、それでいいだろ……というわけですか」
男「そうだね。そんなわけで、長野(北信)では、若者はどんどんと去っていきます。
一度去ったら、もう戻ってきませんよ。
私も、娘とは、20年以上も会っていません」と。

 年金?
が、その根底にあるのは、金(マネー)。
金権教に毒された、日本の社会。
日本人。
「親の恩も、遺産しだい」。
それが転じて、「年金」と。

 内閣府(総理府)の調査によれば、若者たちはこう答えている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
が、現実に、経済的に余裕のある若者はいない。
みな、目一杯の生活をしている。

●孤独死、無縁死

 孤独死、無縁死のニュースが、ない日はない。
というか、今では、ニュースにもならない。
そのうちすぐ、約60%の人たちが、孤独死、無縁死を迎えるという。

 ここでいう「老害」という言葉の結果として、そうなる。
私がその子どもなら、つまり自分の親が、孤独死をしたり、無縁死をしたりしたら、罪の意識で、死ぬまで苦しむだろう。
が、団塊ジュニア世代以下には、それもない。
罪の意識すら、覚えない。

 こんな話を聞いた。

 岐阜県の下呂町と言えば、温泉街。
その温泉街で、40年にわたり独り暮らしをしていた男性がいた。
あるホテルで、飯炊きの仕事をしていた。
その男性が、ある朝、ホテルの従業員が訪ねてみると、死んでいた。
孤独死である。

 そこでその隣人があれこれ調べ、やっとのことで、親戚をさがした。
結果、四国に2人の息子が住んでいることがわかった。
で、電話をすると、こう答えたという。
「私たちは父とは縁を切りました」
「もう親子ではありませんから」と。

 親が息子と縁を切ったのではない。
息子の方が、親と縁を切った。
団塊の私たちには、(私には?)、信じられないような話だが、これも現実。

 だから葬儀は、その隣人と、ホテルでいっしょに働いていた人、数人で執り行ったという。
遺骨は、その町のある寺に無縁仏として葬られたという。

●意識

 意識というのは、かくもちがう。
私のもっている意識と、あなたのもっている意識もちがう。
世代がちがえば、なおさら。
国がちがえば、さらに、ちがう。
時代が変われば、さらにさらに、ちがう。

さて、あなたはどんな意識をもっているだろうか。
ここでは、枝葉を切り落とし、幹だけを書いた。
あくまでも「大ざっぱな話」(冒頭)である。

が、そこで重要なことは、それがどんな意識であれ、
(1)まず相手の意識を認めること。
(2)自分の意識を基準に、ものを考えてはいけないということ。
(3)その上で、それぞれの人に合わせて、ものを考え、自分の意見を述べること。

 言い換えると、私たちがもっている意識というのは、人によって、みな、ちがう。
生まれ育った環境、時代、国によっても、ちがう。
そういう前提で、考える。

●見返り

 どうであるにせよ、対世代間意識というのは、常に若い人たちのほうが、有利。
強い。
古今東西、老人組が若者組に勝ったという、そのためしがない。
体力、気力、知力……どれをとっても、勝ち目はない。
老人組は、ただ静かに去るのみ。

 ただ、こうは思う。
私たちが作ろうとした未来は、こんな未来ではなかった、と。
たとえば先に、私は、私たちの世代は、ひもじさとの戦いだったと書いた。
事実、その通りで、私たちは、いつも腹をすかしていた。
だから背も低い。
私のばあい、両ひざに、大きな骨のこぶを作っている。
これは栄養失調が原因である。

 だから子どもたち(息子たち)には、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
またその一方で、結婚前から、収入の半分は実家へ送った。
経済的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
だから子どもたち(息子たち)には、そういう負担感を味あわせたくなかった。

 が、今は、それが180度、逆転した。
へたにそんな話を子どもたち(息子たち)に話そうものなら、逆に攻撃される。
「見返りを求める方が、おかしい」と。

 これも意識のちがいということになる。
そう言われた私たちといえば、ただ黙るしかない。
反論のしようが、ない。

●最後に

 さて、ここでは(4)の団塊ジュニア世代まで書いた。
つづく(5)の世代は、どのような意識をもつのか。
団塊ジュニア世代のもつ意識と、どのようにちがっていくのか。

 ひとつ言えることは、日本の子どもたちから、野生臭が消えたこと。
ナヨナヨしているというか、おとなしい。
言われたことはするが、それ以上はしない。
昔でいう、ガッツ精神が消えた。
リーダーも消えた。
日本の大学生たちが、就職先としてナンバーワンにあげているのが、公務員というのも、たいへん気になる※。

これからのテーマのひとつとして、静かに観察してみたい。

(注※……2012年4月入社 就職活動学生の意識調査よると、人気就職先、公務員が2年連続首位。
知名度・充実した福利厚生など安心できる"堅実"なイメージの企業が上位に。Leggenda)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 意識論 意識とは 団塊の世代 戦中派の意識 団塊ジュニアの意識 はやし浩司 世代間意識闘争 対世代間意識)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 
  1. 2012/05/12(土) 14:42:41|
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●真ん中の子ども

【はやし浩司 2012−05ー11】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【動画・BW教室の様子】

●5月10日収録

 BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。

 今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。

 さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。

【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】




【小1〜2児のクラスです】




【小2〜3児のクラスです】





Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●無断転載

 私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。

 で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかった。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。

 悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。

が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。

「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。

どこかの同業者だった。
だから許した。

 が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。

 つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされた」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。

 ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。

●今朝は、12時間

 昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)

 軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20〜30分で、偏頭痛は、消えた。

【UTさんからの相談】

 昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。

【UTさんから、はやし浩司へ】

初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。

現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。

上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ているこでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っています。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよくかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。

上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。

次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。

内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわかってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。

そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。

その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。

母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じています。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい教育熱心に家で、ワークさせたりしています。

私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的にどうしたらいいのかわからないでいます。

私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。

【はやし浩司より、UTさんへ】

 子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。

 問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわからない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。

 子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。

 ……ということでは、返事になりませんね。

 この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきます。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。

 ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないものです。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待っているのです。

 で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもいます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。

(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)

 おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。

 ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれかにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。

 なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。

 この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。

 あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたのほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。

 ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あまりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。

 今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、

はやし浩司
2012/05/11


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/11(金) 13:49:38|
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サンヒルズ三河湾にて




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司  2012年  6月  1日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【サンヒルズ三河湾にて1泊(2月1日)】

●2月1日(2012年)、愛知県三谷町のサンヒルズ三河湾に一泊しました。
 最高のホテルでした。
 招待してくださった、KUさん、ほかのみなさん、ありがとうございました。
 生涯で、最高のホテルでした。
http://youtu.be/ogBqrcLcVt8

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サンヒルズ三河湾 ホテル 蒲郡 三谷町 サンヒルズ はやし浩司 2012−02−01)
iroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【サンヒルズ三河湾に一泊】(はやし浩司 2012−02−01)

http://youtu.be/ogBqrcLcVt8

+++++++++++++++++++++++++

今日は、サンヒルズ三河湾に一泊。
今まで、数々の旅館やホテルに泊まってきた。
どこかに講演に招かれるたびに、その土地の旅館やホテルに泊まってきた。
私たちの趣味にもなっている。
が、その中でも、最高。
最高級ホテル(旅館)。
特別室。
202号室。
室内に露天風呂があり、三河湾を眼下に、右手には三谷町が一望できる。
沖縄では、ロワジールホテルに泊まった。
そのホテルが、今までに泊まった中では、最高と思っていた。
が、そのホテルを超えた。

(ロワジールホテルは、超近代的なホテル。
ここ、サンヒルズ三河湾は、設備などは、ロワジールホテルよりは、やや古いという感じ。)

ワイフは、何度も、「すごいわね」と、ため息を漏らした。
本当にすごい。
ロビーにしても、全面、大理石で、ピカピカに磨かれていた。
私の言葉を疑う人は、一度、宿泊してみたらよい。
場所は、三谷温泉・サンヒルズ三河湾。
とにかく、本気度、120%。
「ここまでやるか!」と思わせるようなホテル。
トイレのトイレットペーパーを覆う金属板まで、ピカピカに磨かれていた。
今度、オーストラリアの友人の娘さんが、結婚する。
ハネムーンに、日本へ来るという。
宿泊先として、私は、このホテルを推薦する。
とにかく、すばらしい!
お世辞抜きに、すばらしい!

+++++++++++++++++++++++

●本気度

 部屋は入る前から、暖房されていた。
風呂(露天風呂)も、適温に調整されていた。
一事が万事。

 先ほど、地下一階の大浴場をのぞいてみた。
場違いなほど、大きく、すばらしかった。
満足を通り越して、大感激。
こうした接客業は、本気度で決まる。
その本気度を肌で感じたとき、客は満足する。

●雪景色

 先ほどからワイフが、窓ガラスの前に立ち、眼下の三河湾を見下ろしている。
外はすっかり冬景色。
近くの大木が、風で大きく揺れている。
それを見ながら、「あら、雪が降ってきたわ」と。

 声につられ、私も、外を見た。
細かい雪が、風にのって、フワフワと横に流れていた。

●三谷町

 三谷町に入る手前で、ワイフとこんな会話をした。
「いろいろあったね」と、私。
「そうね」と、ワイフ。
私「ぼくはね、とにかくピンコロで逝(い)きたい」
ワ「私も、病気になってから、長生きしたくないわ」
私「そうだな。ぼくは限界の、そのまた限界まで働き、その翌朝、コロリと死にたい。仕事中でもいい」
ワ「私も、そうだわ」と。

 そんな会話をしていると、ふと、目頭が熱くなった。

●模擬死体験

 「臨死体験」という言葉がある。
その臨死体験とは、ちがう。
「死」そのものを、模擬的に体験する。
「ああ、このまま死ぬのか」と。

 私もここ数年で、2回、それを経験した。
そのときのこと。
どのばあいも、私は、いつも穏やかで、安らいだ気分になった。
あれほど死を恐れていたはずなのに、その場になると、そうでない。
恐怖心はまったく、ない。
静かだった。
本当に静かだった。
一度は、こう思った。
「やっと死ねる」と。

 だから今はもう、死ぬことは怖くない。
今すぐ……とは考えていないが、そのときになったら、素直にそれを受け入れる。
その自信は、できた。
私は、ラッキーだった。
この年齢になるまで、無事、仕事ができた。
大きな病気も経験しなかった。
病院のベッドで寝たことは、一度もない。
お金に困ったこともない。
それだけでも、感謝。
感謝、感謝、感謝。

 たいしたことはできなかったが、今は、毎日が楽しい。
朝起きたときから、やりたいことが、どっと襲ってくる。
それができる。
思う存分、できる。
それを「幸福」と言わず、何と言う。
これ以上のぜいたくが、あるだろうか。

●バカ話

 こういうことを書いていると、誤解する人もいるかもしれない。

 基本的には、ワイフは、人前では別人のように静か。
しかし私とは、その別人とは別人のように、よくしゃべる。
うるさいほど、よくしゃべる。
内容は、いつも、バカ話。
いつも深刻な話をしているわけではない。
卑猥(ひわい)な話も多い。
話は前後するが、車の中で、こんな会話もした。

ワ「男は、『沈没』※というでしょ。じゃあ、女性は、何と言えばいいの?」
私「『閉幕』というのは、どうか?」
ワ「そんなもの、とっくの昔にないわよ」
私「……そうだなあ……。『落盤』というのは、どうかな? 
トンネルが、落石か何かで、詰まったとか……」
ワ「詰まることはないわよ」
私「そうだなあ……。じゃあ、やっぱり枯れススキ。枯れススキがいい」
ワ「……枯れススキ……ねえ……」と。

 ワイフの会話の特徴は、突然、いつも横ヤリが入ること。
真剣に(?)その話をしていると、突然、話題を変える。
「あら、あんなところに、ポリタンクがある!」と。

 昔、2人で、山荘を造成しているとき、そのポリタンクを探した。
が、探しているときというのは、どこにあるかわからない。
手に入れるのに、苦労した。
あちこちを探しまくった。
ワイフはそれを思い出したらしい。
私「探しているときは、なかなか見つからないのにね」
ワ「あんなところで売っているなんて……」と。

 豊橋へ入る国道1号線沿いの店で、そのポリタンクが、山のようにして売られていた。

(注※……男として、役に立たなくなることを、「チン没」という。

●三河湾

 鉛色の三河湾。
両側から半島が、左寄りに突き出ている。
薄い紺色。
それが幾重にも重なり、無数の横筋を作っている。
美しい。
気が遠くなるほど、美しい。
詩人なら、もう少しまともな表現ができるだろう。
が、私はただ一言。
 美しい!

●眼下の建物

 ワイフが眼下の建物を見ながら、こう言った。
「魚市場かなア?」と。
私は、ボートレース場ではないかと思っている。
駐車場のような幅の広い建物が見える。
その向こうは、観客席のようにも見える。
この蒲郡(がまごおり)市には、ボートレース場がある※。

 何だろう?
その右手には、先にも書いた三谷町の街並みが見える。
ひとつ、ひとつ、またひとつ。
小さな明かりが灯り始めた。

 ホテルの案内には、こうあった。
「露天風呂からは、三谷町の夜景が一望できます」(記憶)と。
夜を待たなくても、その夜景が目に浮かぶ。

(注※……眼下の明かりは、スーパーとパチンコ店、その向こうは、漁港だそうだ。
フロントの女性が、そう教えてくれた。)

●支えあう

 人はそれぞれ、たがいに支えあって生きている。
それを強く感じたのは、中日ショッパーという、宣伝紙で、だった。
今から、5、6年前のこと。
一度、広告を出したのがきっかけだった。
以後、ときどき無料で、私の教室を紹介してくれるようになった。

 お金の計算にはうるさい私だが、こと原稿に関しては、無私無欲。
損得を考えず、自分の原稿をすべて無料で、公開している。
それを編集部のT氏が応援してくれた。
うれしかった。

 個人の幼児教室は、すべて姿を消した。
(もう1か所、北部のK区にあると、聞いている。
個性的なよい教育をしているという評判を聞いたことがある。
先生も、やる気度120%とか。)

25年前には、10教室程度あった学習塾も、すべて閉鎖に追い込まれた。
そんな中で、おかげで……というか、中で、私の教室だけが、今も生き残っている。
ワイフは、「ふんばったおかげよ」と言うが、それだけにきびしい仕事だった。
中に、無神経な人がいて、こう言う。
「はやしさん(=私)は、自由でいいですね」と。

 そういうとき、私はいつもフンと鼻で笑って、こう思う。
「そう思うなら、自分でやってみれば」と。

 が、この4月からのことはわからない。
わからないが、少しずつ、動き出した。
基本的には、口コミ。
OBや現役の親たちが、案内書を配ってくれる。
生徒を呼んできてくれる。

 事実、今、来ている生徒の、6〜7割が、OBの子どもたち。
9割以上の生徒は、口コミで入ってくる。

●2度目の入浴

 たった今、2度目の入浴をすまし、部屋に戻った。

大浴場。
そこも貸し切り状態だった。
入ったとき、男性が1人いたが、すぐ出て行った。

 部屋に戻ると、そこはすっかり夜景色。
無数のライトが、キラキラと宝石のように輝いていた。

●不吉な想像

 このところ悪い癖ができてしまった。
こうした海岸沿いの町を見るたびに、こう思う。
「だいじょうぶだろうか?」と。

 3・11大震災のときは、沿岸の町々が、大きな被害を受けた。
が、今度は、東南海大地震が予想される。
3・11大震災並みの津波が、襲ってくる可能性もあるという。
もしそうなら、この三谷町の町も、ひとたまりもないはず。
と、同時に、こうも考える。

 こんな町々が、東北地方にもあったのだなあ、と。
そういう町々が、津波に飲み込まれ、あとかたもなく、消えてしまった。
この非現実感。
どう心の中で、処理したらよいのか。

●自転車屋

 どこの町も、市内の商店街は、商売不振に苦しんでいる。
郊外に大型店ができた。
客を奪われた。

 そのため古い町ほど、多くの商店街が、店を閉めてしまった。
地域によっては、「シャッター街」と呼ばれている。
実は、私の実家もそうだった。

小さな自転車屋だったから、ひとたまりも、なかった。
が、その苦しみや悲しみは、そういった商店街に住んだことのある者でないと、わからない。
10年単位、20年単位で、それがつづく。

 そこにあるのは、淡い期待だけ。
「明日は、今日よりよくなるだろう」
「来年は、今年よりよくなるだろう」と。

 その期待に希望をつないで、その日を何とか生きていく。

 家計など、あってないようなもの。
が、客には、背一杯、明るい笑顔をしてみせる。

で、近所の商店は、つぎつぎと店をたたんだ。
私の実家にしても、1日に、1〜2人、客があるかないかという状態になった。

 晩年の実兄は、それを不安に思ったらしい。
数日ごとに電話をかけてきて、こう言った。
「お客さんが、ござらん(来ない)……」と。

 その言い方、声が、今でも、私の耳に焼きついている。
だから……。
つまりその民宿に泊まったとき、私はそのままそこに実兄と母を思い浮かべた。
実兄も、母も、同じような状況で、もがいた。

●実兄

 実兄は、私より9歳、年上だった。
が、私が30歳のころには、上下が逆転していた。
実兄が、私の弟のような存在になった。

 一方、実兄は、何かにつけ、私に甘えてきた。
「冷蔵庫が、故障して困っている(だから、新しいのを買ってほしい)」
「ステレオが壊れた(だから、新しいのを買ってほしい)」と。
私は、そのつど、実兄に、いろいろなものを買い与えた。

 実兄は、子どものころから、体が弱かった。
ちょうど戦時中に生まれた。
そのころの人は、みな、栄養失調だったという。
実兄も、その1人だった。

●口癖

 今日、食事のとき、ワイフとその話になった。
「もっとJちゃん(兄)に、いろいろしてやればよかった」と。

 兄が入院したときは、私は100万円を、届けた。
すべて1000円札にして、届けた。
「お金を見れば、元気になるだろう」と。

 ほかにも、いろいろある。
しかし私は、そうしたくて、したわけではない。
いつも追い込まれて、そうした。
それが私には、苦痛だった。
が、兄は兄。
いつも母は、口癖のように、私にこう言った。
「お前が大学へ行けたのは、Jちゃんのおかげだ」と。

 私はその言葉が、嫌いだった。
恩着せがましかった。
その言い方が、嫌いだった。
そのたびに、母と大喧嘩になったのを、覚えている。

●「何とかしてほしい」

 が、今、……つまり実兄が他界して4年になるが、その実兄が懐かしくてならない。
会いたい。
会って、思いっきり、抱きしめてやりたい。
手元にある小遣いを、すべて渡してやりたい。

 実兄は、死ぬ1、2年前まで、私に会うと、顔を見ただけで涙をポロポロとこぼした。
つらそうな涙だった。
「何とか、してほしい」と。

●兄のちょっかい

 歯がゆかった。
が、私は、卑怯にも、実兄から逃げた。
理由がなかったわけではない。
実兄は、私のワイフに、何かとちょっかいを出してきた。
私の目を盗んで、ワイフに抱きついたこともある。

 私は実兄を強く叱った。
が、晩年の実兄は、そういう道理すら理解できるような状態ではなかった。
私はともかくも、ワイフのことを考えると、いっしょに住むわけにはいかなかった。

 が、方法がなかったわけではない。
別棟の家は、すでに当時、あった。
そこへ住まわせることも、不可能ではなかった。
が、私はワイフへのちょっかいを、誇大に問題にし、それから逃げた。
今、それが私の心を重く、塞ぐ。

●慰め

 ワイフは、こう言って、私を慰めてくれた。
「あなたはじゅうぶん、したわよ」と。

 じゅうぶん?

 私にはその実感は、ない。
結婚前から、収入の半分は、実家へ送った。
が、送ったのは、お金だけ。
心は、送らなかった。
「お金さえ送っておけば、実兄や母や、それで喜ぶはず」と。
こんなたとえは、よくないかもしれない。
しかしこんなたとえのほうが、当時の私の気持ちを正確に表している。
当時の私は、冷酷な飼い主のようなもの。
餌だけを与え、それで満足していた。
まるで、厄介な犬や猫に、餌を与えるように……。

●実家を売る

 母のちょうど一周忌に、実家を売った。
捨て値のような値段で、売った。
私は、早く、実家から解放されたかった。
それでそうした。

 が、その当日の夜だったか、翌日の朝だったか?
私は実兄の夢を見た。
 
 私と実兄は、実家の前の坂を、下からあがってくるところだった。
実兄は、私の腕に手を回していた。
そして実家の前まで来た。
そのときのこと。
私が「やっとこの家から解放されたね※」と言うと、実兄は子どものように顔をすくめた。
すくめて笑った。
(注※……この部分は、言葉ではなかったように記憶している。
私がそう思っただけかもしれない。
なお母は最期の2年間を私の家で過ごした。
実兄は、3か月いたあと、郷里のグループホームに1年近く入居し、そのあと数か月後に、T市の病院で息を引き取った。
「恵まれなかった兄」ということで、葬儀だけは、人一倍、派手な葬儀をした。)
 
●午後10時30分

 一度、ベッドに入ったが、寝損ねてしまった。
エアコンの風が、気になった。
で、起きた。
時刻は、午後10時33分。

 少し前まで、今日書いた原稿を読みなおしていた。
読みなおしながら、「ここまで書いていいのかなあ」と思った。
私小説もよいところ。
が、同時に、こうも思う。
「はやし浩司」、ここにあり、と。

 やがて私も、灰となり、宙に舞う。
そのとき残るのは、こうして書いている文章だけ。
読者を意識することは、もうない。
ワイフですら、このところ、私の原稿を読まなくなった。
「飽きたのか?」と聞くと、「いつもまとめて読んでいるから」と。
ネットの世界は、そういう点では、不思議な世界だ。
相手の顔が、まったく見えない。
こうして書いていても、あたかも無の世界に向かって書いているような錯覚にとらわれる。
「書いている」というよりは、「叫んでいる」。
が、その声は、そのままどこかへ消えてしまう。

 だから、こうした文章を読み、こう思う人もいるかもしれない。
「はやし(=私)って、バカだなあ」、
「ここまで私生活を暴露することはないのに」と。
が、そう思いたければ思えばよい。
私自身も、すでに「私」を超えている。
1人の人間として、書いている。
「これも1人の人間」と。

●同窓会

 今夜は、名古屋で同窓会があった。
が、ドタキャンさせてもらった。
そしてこのホテルへ、やってきた。
講演会で知りあった、KUさんが、招待状をくれた。
「いつでもいいですから、使ってください」と。
で、急きょ、それを使わせてもらうことにした。
幸い、すぐ部屋が取れた。

 私はもともと、混雑したところが苦手。
回避性障害?
対人恐怖症?
……というより、私は若いころから、集団行動よりは、単独行動を好んだ。
人に、あれこれ指図されるのが、嫌いだった。

 が、それ以上に、今、名古屋は、インフルエンザの猛威にさらされている。
今週から、重要な講演がつづく。
健康には注意しなければならない。

●ワイフ

 静かな夜だ。
ワイフは、先ほどすでに寝息をたてていた。
すっかりバーさん顔になった。
そういう顔を見ると、申し訳なく思う。
私がワイフを、バーさんにしてしまった。
罪の意識を覚えることもある。

 がんこ。
超がんこ。
一度、自分の意見を述べたら、とことんそれにしがみつく。
若いときから、そうだった。
あだ名は、「石部金子」。
石部金吉をもじった。
私が、名づけた。
まじめ。
クソまじめ。
融通がきかない。
冗談が通じない。
だからよく喧嘩した。
衝突した。
が、今は、そんなワイフも、いとおしい。

●惜しい

 明日は午後イチバンから仕事。
「早く寝なければ……」と思う。
同時に、今の、この時間が、惜しい。
いつまでも、こうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
今夜あたり、何か新しいことを発見できるかもしれない。
宝探しのような感じ。
「徳川の埋蔵金探し」?
そこに何かあるかもしれないという期待感が、私をぐんぐんと引っ張っていく。
だから、自分にこう言って聞かせる。
「人間、1日や2日、寝なくても、どうということはないのです」と。

 ホテルのフロントの横で買った、せんべいをパクパクと食べる。
このあたりは、せんべいの産地。
「産地」というのもおかしいが、名物になっている。
ここへ来るとき、パーキングエリアで、休息した。
このあたりでは、どのパーキングエリアでも、そのせんべいを売っている。

 ああ、この満足感。
充実感。
これがあるから、書くのをやめられない。

●死骸

 今、海老せんべいを食べたところ。
ひからびた海老が、化石のように張りついていた。
人間も、残酷な生き物。
生き物の死骸を、平気で食べている。
骨と皮だけになった死骸を、平気で食べている。

●就寝

 あくびが連続して、出てきた。
就寝タイム。
……しかしどうして私は、こうまで貧乏性なのか。
精神医学的には、強迫観念症という(?)。
いつも何かに追い立てられている。
何かをしていないと、気がすまない。

 が、それが苦痛というのではない。
むしろ何もしないでいると、頭の中が爆発しそうになる。
だから吐き出す。
パソコンに向かって、文章を叩きだす。
今も、そうだ。
頭の中がモヤモヤしている。

●宇宙船

 やはり眠ることにする。
で、私の就眠儀式。
床に入ると、いつも巨大な宇宙船を、想像する。
直径が20〜30キロは、ある。
円形の宇宙船。
毎晩、少しずつ、その宇宙船の各部を設計する。
それを考えていると、いつの間にか眠ってしまう。
今夜は、研究室を設計してみよう。
世界からやってきた科学者たちが、さまざまな研究をする。
そんな研究室。
つまり頭の中で、眠る前に、場所を決め、それを設計する。
それが私の就眠儀式。

 この1〜2年、眠るときは、いつもそうしている。
「羊が1匹、羊が2匹……」と数える人もいるそうだ。
が、私には効果がない。
かえって頭が冴(さ)えてしまう。

 では、おやすみなさい。
はやし浩司 2012−02−01夜記

 ほんとうにここは、すばらしいホテルです。
招待してくれた、KUさん、ありがとうございます。
●2月2日(はやし浩司 2012−02−02)

 朝、起きる。
外を見ると、一面、うっすらと雪景色。
三谷町の家々の屋根が、白いペンキを塗ったようになっている。
すぐ下の森も、ところどころ白髪のように白くなっている。
昨夜、テレビのニュースでは、大雪の報道を繰り返していた。
多いところでは、5メートルを超える積雪になったとか。
橋が落ちたところもあるという。

 今度の大雪は、ふつうではない。

 が、その一方で、アメリカでは、暖冬とか。
アメリカに住む息子が、こう書いてきた。
「こちらは、4月上旬の気候です」と。
 窓を少し開け、外の様子をビデオに収める。

●帰り支度

 これから帰り支度。
では、今回の旅日記は、ここまで。
サンヒルズ三河湾、本当にすばらしいホテルでした。

 三河湾国定公園内
三谷町温泉
サンヒルズ三河湾
Sunhills Mikawawan
http://www.sunhills-m.com
Tel: 0533-68-4696
E-mail: miya@sunhills-m.com


(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 サンヒルズ三河湾 はやし浩司 シャッター街 シャッター通り 実兄 はやし浩司 シャッター通りの悲しみ サンヒルズにて はやし浩司 2012−02−01)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

映画『ドラゴン・タツーの女』(はやし浩司 2012−02−11)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、怠惰な1日だった。
起きたのが、午前9時。
そのあとすぐ30分の運動。
あとはルーティーン(日課)。
一息ついたのが、午後1時ごろ。
そのあと居間で居眠り。
3時ごろになって、ワイフが映画に行こうと誘った。
昨日公開された、『ドラゴン・タツーの女』。
それを聞いて、「『チンチン・タツーの男』のほうがいい」と、私。
……ということで、映画館へ。
今、時刻は午後11時10分。
山荘へやってきた。
途中、幸楽苑で、ラーメンを食べた。
いつも1人前を、2人で分けて食べている。
それでも量は多いほど。
満腹感で、腹の中が今も、ゴボゴボしている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●浪曲

 今、私は浪曲の練習をしている。
子どものころは、毎日のように聞いていた。
祖父が、好きだった。
祖父は、自分では歌わなかったが、町に歌手がやってくると、かならず聞きに行った。
私もついていった。
それが今でも、耳に残っている。
「♪旅ゆけば、駿河の道に、茶の香り」と。

 「♪駿河の国に」と歌う人も多いが、初代広沢虎造も、二代目虎造も、「♪駿河の道に」と歌っている。
そのほかの歌詞は、そのときどきの録音によって、微妙に異なっている。
理由はいろいろ考えられる。
たとえばもともと決まった歌詞などなかった。
そのときの気分で、歌詞を変えた。
当時は、そういう時代だった、など。

 今では、YOUTUBEで、広沢虎造の浪曲を、自由に聞くことができる。
初代虎造のは少ないが、二代目虎造の録音になると、いろいろな時代の歌い方を楽しむことができる。
それを聞いていると、心はそのまま子ども時代に、タイムスリップする。
祖父が、そこに立っているような気分になる。

●韓国語

 ところでその浪曲を練習しながら、こんなことに気づいた。
最初の部分で、こう歌うところがある。
「♪海道いちの親分は〜エ」と。
最後の部分に「エ(e)」という発音が入る。
なぜだろう。
民謡の中にも、ときどき似たような「エ」が入ることがある。
ご存知の方も多いと思うが、「エ」は、韓国語の「は」に相当する。
「私は、浩司です」の「は(wa)」である。

 日本語と韓国語は、兄弟言語。
こういうとことに「エ」が入っても、おかしくはない。
しかし、本当にそう考えてよいのか。
つまりほんの100年ほど前までは、日本語の中に、韓国語がまざっていた、と。

 こういった話は言語学者の分野。
私にはここまでしかわからない。
気にはなったので、ついでにここに書きとめておくことにする。

●テンポ

 浪曲の歌い方は、現代の私たちから見ると、かったるい。
テンポが遅いというより、のろい。
が、当時はそのようには、思わなかった。
浪曲がのろいとは、思わなかった。
生活のすべてが、浪曲のテンポで動いていた。
違和感は、まったくなかった。
時間にも余裕があった。

 居間にいると、息子がやってきたので、少し歌ってみせた。
あきれたような顔をして、私の顔をながめた。
で、私はこう言った。

 「昔はね、自転車屋でもね、客がいても、親父なんか将棋を指していたよ」、
「ときには客も、その将棋に加わることがあったよ」と。

 当時は、今より、はるかにゆっくりと時間が流れていた。
テレビで見る歌舞伎も、相撲も、落語も、みな、そうだった。
浪曲はそういう時代の歌だった。
当時の私は、ふつう以上に活発な子どもだったが、それでも、それを「のろい」と思ったことはない。

●密度

 こう考えてみると、時間とは何か。
改めて考える。

 今までの私の理論によれば、密度を2倍にすれば、時間も2倍になる。
反対に、密度が2倍薄くなれば、時間も2分の1になる。
そういうふうになる。
が、もしそうなら、昔の人たちは、同じ50年でも、現代の私たちより短い50年を生きていたことになる。
情報量にしても、比較にならない。
「多い」というより、今、私たちは情報の洪水の中で生きている。
しかし、本当にそう考えてよいのか。
つまりその分だけ、反対に、私たちは昔の人たちより、長く生きていると考えてよいのか。

 そこで問題は、「密度の内容」ということになる。
「情報の質」も、無視できない。

 いくら密度が2倍といっても、つまらないことで濃くしても、意味はない。
くだらない情報に振り回されても、意味はない。

●感動

 「情報」については、わかりやすい。
良質な情報と、粗悪な情報がある。
その区別なら、そこらの高校生でもできる。
問題は「密度」。

 10時間を、20時間にして生きたからといって、「密度が濃い」ということにはならない。
寝食も惜しんで、パチンコをする、とか。
となると、何が密度を決めるのか。
密度は何によって、決まるのか。
私は、そのひとつが、「感動」と考える。
感動の質と量が、密度を決める、と。
 私も自分の人生の中で、1日を1年のように長く感じたことがある。
オーストラリアの大学に留学していたときのこと。
けっして大げさな言い方をしているのではない。
本当に、そう感じた。

 毎日が驚きと感動の連続。
だからある夜、こう思った。
ちょうど3か月目の、ある夜のことだった。
ヘトヘトになった体をベッドに横たえた。
その瞬間、「まだこんな毎日が、9か月もつづくのか!」と。
私はそれを思ったとき、心底、自分が誇らしかった。
うれしさが、ドッと腹の底からわいてきた。

●人生を長く生きる

 言い換えると、人生を長く生きるためには、2つのことに気をつける。

(1) 情報の選択
(2) 感動の創造

 情報の選択を誤ると、時間を、無駄にする。
くだらない情報に引き回されるだけ。
また感動のない生活は、生活そのものをマンネリ化する。
それこそ10年を1年のようにして生きるようになる。
 あとは、そのときどきの各論ということになる。
つまり生き方の問題。
……とは書きつつ、このところ感動が少なくなってきた。
自分でも、それがよくわかる。
そこで「創造」。
自ら創りだす。

●悠々自適?

 その感動は、つねに緊張感を伴う。
緊張感の中から、感動が生まれる。
言い換えると、いかにして生活の中に緊張感を創るかということ。
その緊張感がないと、人生は、そのままだらしなくなる。
反対の視点に自分を置いてみると、それがよくわかる。

 老後は孫の世話と庭いじり。
悠々自適の年金生活。
が、そんな生活からは、感動は生まれない。
10年を1年どころか、1日にして生きるだけ。

●緊張感

 となると感動は、日々の緊張感の中から生まれる。
前向きに生きていくという緊張感の中から、生まれる。
新しいことに興味をもち、新しいことに挑戦していく。
新しい人々との出会いをいとわず、その人たちのために生きていく。

 が、このときひとつの大きな条件が生まれる。
「無私無欲」という条件である。
功利、打算が混入したとたん、感動は霧散する。
もちろん生きていくためには、収入が必要。
仮に収入のためではあっても、収入を、極力意識しない。
脇へ追いやる。
その努力は怠らない。

 もしそれができれば、ゆるやかな時間であっても、密度の濃い人生ということになる。
そうでなければ、そうでない。
わかりやすく言えば、東海道を歩いていっても、それで時間を無駄にしたことにはならない。
新幹線で行っても、それで時間を有効に使ったことにはならない。

●夢

 話題を変える。

 今朝、ハナ(犬)の夢を見た。
先月、他界した。
どこかの家で、大きな鳥かごを見ていたときのこと。
足元に、ハナがやってきた。
まだ中型くらいの大きさだった。
いつものように頭をさげ、私の体に、自分の体をこすりつけてきた。
が、見ると、横に、白と黒のブチの犬がいた。
丸々とした雑種の犬で、私が「ボーイフレンドか?」と声をかけると、うれしそうに尻尾を振った。
私は両方のハナとその犬と、交互にさすってやった。

 涙があふれた。
そこで目が覚めた。

●ハナ

 ハナのボーイフレンドを考えなかったわけではない。
ときどきワイフと、「どうしようか」と話し合った。
しかしいつも私たちの年齢を考えた。
犬といっても、20年は生きる。
そのつど、自分の年齢に20歳を加え、こう思った。
「20年後に、めんどうをみられるだろうか」と。

 だからハナは、ずっとひとりぼっちだった。
それが、今になって、私を責める。
自分たちのつごうで、ハナにつらい思いをさせてしまった。

●マムシ

 もっとも晩年のハナは、息子といつもいっしょだった。
息子が庭へ出ると、かたときも、息子のそばを離れなかった。
ハナも、さみしかったのかもしれない。
今にして思うと、ハナの気持ちがよくわかる。

 ハナは、庭先の、ヤマモモの木の下に埋葬した。
墓も立てた。
その墓に息子とワイフは、毎日、線香をたて、供養している。
私も祈っている。

 ……いつだったか、私が庭の畑で作業をしているときのこと。
ハナがけたたましく吠えた。
見ると足元にあった枯草の下で、マムシがとぐろを巻いていた。
もしあのときハナが吠えてくれていなかったら、私はマムシにかまれていた。
「命の恩人」と思うようになったのは、そのときからだった。

 そのハナは、もういない。
が、ハナの墓に参るたびに、こう祈る。
「もうすぐ、ぼくも、そちらへ行くからな」と。

 西洋では、飼っていた犬が、天国で私やあなたを案内してくれるという。
ほかの犬のことは知らない。
しかしハナなら待っていてくれるはず。
仕事に出かけるときは、どこかいいかげんだった。
しかし仕事から帰ってくると、一日も欠かさず、私を裏口で迎えてくれた。

 律儀な、どこまでも律儀な犬だった。

 おかしなものだ。
死んだ父や母より、遠くに住む息子たちより、ハナのほうが恋しい。
ハナに会いたい。
私には、かぎりなく、よき友だった。

●映画『ドラゴン・タツーの女』

 「ドラゴン・タツー」というのは、少し大げさ。
タツー(刺青)が、とくに意味をもつわけではない。
それに謎解きといっても、それほど奥があるわけではない。
言うなれば、「つじつま合わせ」。

 それにその「女」にしても、まさにスーパーレディ。
ハイテク機器を自由に使いこなす。
その女は、意味ありげな雰囲気で登場し、最後は、ふつうの女で終わる。
星は、3つの★★★。
少し甘いかな?
ダニエル・クレイグ主演ということで、かなり期待して行った。
期待が大きかった分だけ、がっかり。

 先にも書いたように、「意味ありげ」で始まり、「ふつうの映画」で終わった。
が、あまり「意味のない」映画。
やはり「チンチン・タツーの男」のほうが、よかった。

●2月12日(日曜日)(2012)

 日は替わって、12日。
昔はこんなことはしなかった。
が、今は、(2012)と年号を書き入れる。
でないと、あとで、いつの原稿だったか、それが、わからなくなる。
このところ、そういうことが多い。
たとえば古い原稿を探したようなとき、日付はわかっても、何年に書いた原稿かがわからない。
その前後をスクロールしながら、書いた年数を知る。
その手間に、けっこう時間がかかる。

 これもネット時代の特徴のひとつかもしれない。

ネットで検索すると、1年単位、10年単位の原稿が、どっと見つかる。
原稿が、大きな塊(かたまり)となって、画面に現れる。
「時間」の概念が、ネット上では、かなりちがう。
この世界では、「1年前」「10年前」という数字は、あまり意味をもたない。
逆に考えれば、こんなことも言える。

 ……たとえば、そんな人がいるかどうかは、わからない。
が、10年後、あるいは20年後、「はやし浩司」で検索し、私の書いた原稿を読む人がいたとする。
そのとき、その人は、時空を超え、パソコンのモニターをはさんで、私と対峙する。
そこには、時間はない。
距離もない。
「私」と、直に対峙する。

 ……ボロボロになった本を、遠くから買い寄せて読む。
時間をかけて読む。
が、それは昔の話。
その反対が、ネットの世界ということになる。
だから、最近は、年数を、できるだけこまめに、書き込むようにしている。
その数字だけが、過去になった「今日」を示す。

●W・ヒューストンの死

 たった今、ネットに、こんなニュースが流れた。
W・ヒューストンが亡くなった、と。
48歳だったという。
48歳!

 若すぎる。
死因その他は、「不明」とのこと。
芸能界は、しばらくW・ヒューストン一色になるだろう。
それにしても、なぜ?
グラミー賞受賞式の前日だったという。
賞と何か、関係があるのだろうか?

●貧乏の怖さ

 私の息子たちも含めての話。
最近の若い人たちは、貧乏の怖さを知らない。
知らないから、家族第一主義に、安易に走りやすい。
「仕事より、家族が大切」と。

 それはそれで結構なことだが、「仕事あっての家族」。
たしかにお金(マネー)では、幸福は買えない。
しかしお金(マネー)がなければ、不幸になる。

 とは言っても、一時的な貧乏なら、まだ何とかなる。
気力や体力で、乗り越えることができる。
怖いのは、ジワジワと、長い年月を経てつづく貧乏。
精神はもちろん、肉体をもむしばむ。
それが怖い。
私は経験している。

家中が、暗く、よどんだ空気に満たされる。
「明日は今日より、よくなる……」と。
そんな淡い期待も、その翌日には、こなごなに破壊される。
それが来る日も来る日も、繰り返される。

 当然、ものの考え方も、影響を受ける。
卑屈になる。
ゆがむ。
いじける。

 ……この不況下。
どこへ行っても、暗い話ばかり。
そういう話を聞くたびに、私は自分の少年時代を思い出す。
いやな時代だった。
本当にいやな時代だった。

●ボットン便所

 だから私はがんばった……と書けば、意図は見え見え。
しかし総じて言えば、団塊の世代は、それゆえに、がんばった。
が、その結果が今。

 若い人たちは、飽食とぜいたくの世界で、自分を見失ってしまった。
今のこの日本の繁栄にしても、いつまでもつづくものと思っている。
が、私たちはそうでない。
現在の日本経済は、薄氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。
その下には、あのボットン便所が待っている。
そうなったとき、つまり日本経済が崩壊したとき、今の若い人たちは、それに耐える力はあるだろうか。
そのときになっても、「仕事より家族が大切」と言っていられるだろうか。

●帰り支度

 ワイフが帰り支度を始めた。
窓の外には、紺色の青い空が広がっている。
気温は、3度前後。

 朝風呂に入った。
ほどよい気(け)だるさが、心地よい。
このままコタツの中で眠りたい。

 ……そう帰りには、久しぶりに、パソコンショップへ寄ってみよう。
もう何か月も行っていない。
東名高速道路のインター近くにある、「N」というパソコンショップ。
パソコン関連グッズのほとんどは、私は、その店で買っている。

(補記)

●プリンターのインク

 ところで今度、別の会社から、プリンターのインクが販売されることになった。
プリンターといえば、エプソン、キャノン、ブラザーの各社が製品として出している。
が、インクが高価。
エプソンのインクでも、6色セットで、5000〜6000円もする。
それを、1セットあたり、たったの1600円前後。

 販売しているのは、福岡市に本社をおく、「ジーストリーム」。
電話:092−402−7360
さっそく「楽天ホビナビ」を通し、2セット買ってみた。
価格は3333円プラス代引き手数料。
1セットで、3333円かと思ったら、2セットでこの価格。
この価格なら、この先、インク代は心配せず、プリンターを使うことができる。
問い合わせ先は、「インクナビ」本店へ。
http://www.inknavi.com/

(注意)エプソン用のインクはそのまま使えるが、キャノン用のインクは、ICチップを張り替えなければならない。
また相性については、Yellowだけ使ってみたが、まったく問題なくセットできた(エプソンEP902A)。
「どうしてインクは、こんなに高いのか!」と、日ごろ不満に思っている人は、一度、使ってみたらよい。

(はやし浩司 2012−02−12 はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 貧乏の恐怖 貧乏の恐ろしさ はやし浩司 貧乏の怖ろしさ 映画「ドラゴンタツーの女」 はやし浩司 プリンターのインク インクナビ はやし浩司 浪曲 旅行けば 駿河の道に茶の香り)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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「東海」は、方向を示す言葉、固有名詞ではない

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http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【1】文字は楽しい(文字学習の動機付け)




【2】数は楽しい(大きな数の動機付け)




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●意識のズレ

●3月19日、山荘に一泊

 昨夜遅く、山荘にやってきた。
途中、コンビニで、いくつかのものを買った。
せんべい、チューハイ、それにチョコレート。

 山荘に着くと、すでに春の匂い。
たとえ雑草でも、若葉には、若葉の匂いがある。
そう言えば、10日ほど前、ウグイスの初鳴きを聞いた。
が、今朝は、それがない。
どうしたのだろう? ……と思いながら、この文章を書いている。

 時は、2012年3月19日、月曜日。

 今週は、大きな目標(?)がある。
小学1〜2年生たちに、「速度と時速」を教えてみる。
私にとっても、はじめての試み。
そのための教材を午前中に、用意する。
(実際、その教材を使うのは、今週の木曜日からだが……。)

 先週、小学6年生の子どもが、速度の計算で悩んでいた。
いろいろ説明してみたが、最後まで納得できなかったよう。
それで今週は、「速度と時速」を教えてみたくなった。

 こんな問題だった。

【問】
 山に登りました。
頂上までの距離は、12キロ。
行きは、時速4キロ、帰りは、時速6キロで歩きました。
平均時速を求めなさい。

 その子どもは、「(平均時速は)5キロ」と答えた。
何度説明しても、「5キロ」と。
そう言い張った。
で、紙に山の絵を描き、「あのね、まずね、往復の時間を求めてからね……」と。
が、それでも納得できなかったよう。

 そこで今週は、「速度と時速」。
小学1〜2年生のころ、その「種」をまいておく。
その種は、やがて子どもの脳の中で、芽を出し、成長する。
学校で、速度や時速について学ぶころには、大きく成長しているはず。
これを称して、「種まき教育」(はやし浩司)という。

 大切なことは、子どもを楽しませること。
この先、いろいろな場面で、「速度」とか「時速」とかいう言葉を耳にする。
そのとき子どもがそういった言葉に、前向きに反応するようにすること。
そのために「楽しい」という印象づくりを大切にする。
それが大切。

 なお誤解があるといけないので、一言。

 私のところでは、算数だけを教えているわけではない。
小学2〜3年生になると、国語も教える。
レッスンの前の、10〜15分程度を、その時間にあてている。
……といっても、国語については、筆写と作文。
この2つ。

 筆写させる文章は、古文から現代文まで。
明治以後の文豪の書いた文章が多い。
が、そういった指導は、YOUTUBEで紹介しても、あまり意味はない。
どうか、誤解のないように。

【答え】

 先の平均時速の問題について、正解は、4・8キロ。
往復5時間(行きは3時間、帰りは2時間)で、24キロを歩いたことになる。
だから24÷5=4・8(キロ)。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【意識のズレ】(意識の錯視)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

錯視という言葉がある。
昔は「目の錯覚」と呼んだ。
同じ図形でも、見方によって、魔女にも見えたり、少女に見えたりする。
あるいは中央に、花瓶がある。
が、見方を変えると、両側に女性の顔が現れる。
こういうのを錯視と呼ぶが、「色」についてのも、よく知られている。
同じ色でも、周囲を明るい色に取り囲まれると、暗く見える。
周囲を暗い色に取り囲まれると、明るく見える。
人間のもつ「意識」についても、この錯視がよく起こる。
見方によって、180度、違う。
あるいは同じ意識でも、社会的環境の中で、まったく違った「色」に見える。
そういうことは、よくある。
意識に基準もなければ、標準もない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●KS君

 私が「意識ズレ」を実感したのは、そのときだった。
中学2年生になったKS君という男子がいた。
市内のS小学校に通っていた。
小中一貫校として知られ、進学校としても有名だった。
が、うち3分の2の生徒は、小学校からのもちあがりの生徒だった。
残りの3分の1は、中学進学時に、各小学校から入学してきた、選り抜きの生徒だった。

 KS君は、今でいうLD児だった。
文章の読解力が、極端に劣っていた。
実際には、長文の文章を読むことができなかった。
そのため、国語はもちろん、社会、理科も、苦手だった。
……という回りくどい言い方はやめよう。
学校でも評判の、できの悪い生徒だった。
S小学校という学校だったからこそ、余計に目立った。
1、2年、学年が上の児童も、下の児童も、「KS君」という名前を出しただけで、笑った。

●「後悔していないか?」

 ふつう学力が極端に劣っている生徒のばあい、中学進学時に、ほかの普通校に転校していく。
が、強制力はない。
KS君は、そのままS中学校に残った。

 ただ数学だけは、得意だった。
それがKS君の取り柄になっていた。
が、ある日、私はKS君にこう聞いた。
仲間にも、何かにつけ、バカにされていた。
「なあ、KS君、君はS小学校に入学したことを後悔していないか?」と。

 私はKS君が、そういう進学校で、最下位の成績ということを心配し、そう言った。
が、KS君の答は、意外なものだった。
K「ううん、後悔してないよ」
私「じゃあ、学校は楽しいか?」
K「楽しいよ」
私「だって、勉強が苦手だろ?」
K「勉強は苦手だけど、放課後は楽しいよ」と。

 「後悔しているだろう」と思い、心配していた私。
が、KS君は、「楽しい」と。
みなにバカにされながらも、KS君は、自分の世界をちゃんと守っていた。
クラスでも人気者だった。

●親子の意識

 こうした意識のズレは、そのつど経験する。
こんなこともあった。

 高校3年生になったA君が、こう言った。
「親父のヤツ、地元の大学へ入れと言ってうるさい。チクショー!」と。
その言葉に、はげしい憎悪の念を感じた。
理由を聞くと、「親父は、自分の老後のめんどうを、オレにみさせようとしている」と。

 で、しばらくして、私はA君の父親と話す機会があった。
私は大学進学の話をした。
父親はこう言った。
「うちは、経済的に余裕がないから、息子には、できれば家から大学へ通ってほしいのです」と。

 で、再びA君との会話。
私「お父さんも、今、たいへんなんだから、自宅から通える大学にしたら?」
A「うそだよ。親は子どもの将来のためなら、借金でも何でもして、子どもを大学へ送るべきだよ」
私「若い人はそう考えるけどね」
A「子どもは親より、幸福になる権利がある。ぼくが親になったら、そうする」
私「自分で子育てをしてみると、思い通りにはいかないものだよ」
A「親父はね、自分の老後を心配しているんだよ。ぼくを利用しようとしているんだよ」と。

 親子の間でも、意識が大きくズレることがある。
そのズレは、時代や世代にまたがることもある。

●嫌われる団塊の世代

 最近、こんな意識のズレを経験した。
2チャンネルを読んでいたときのこと。
若い人たちが、団塊の世代を、「敵」と呼んでいるのを知った。
(「敵」と書いて、「カタキ」と読むらしい。)

 これには驚いた。
そこでその前後の記事に、目を通した。
で、わかったことは、「日本の繁栄をつぶしたのは、団塊の世代」と。
さらに「これからの高齢者世代は、ゴミ」とも。
みなが、そう考えているのがわかった。

 とくに強く意識しているわけではないが、私たち団塊の世代には、団塊の世代なりの、自負心がある。
「日本をここまで繁栄させたのは、私たち」と。
が、20代、30代の若い人たちは、私たちの世代に対し、正反対の意識をもっている。

●戦中派vs戦後派

 もっとも世代にまたがる意識のズレは、いつの時代にもある。
たとえば戦中派と戦後派。

 戦中派の人たちは、「日本を命がけで守ったのはオレたち」という意識が強い。
一方、戦後派は、「日本を焼け野原にしたのは、戦中派」という意識が強い。
「おかしな戦争をするから、日本はいまだに苦労しているのだ」と。

 そう、いまだにこの日本は、中国や韓国など、近隣諸国から、ああでもない、こうでもないと文句ばかり言われている。
そのたびに、私たち団塊の世代の多くは、「あの戦争はまちがっていた」と言う。
「日本が焼け野原になったのは、戦中派の人間のせい」と。

 しかしそう思う私たちと、私たち団塊の世代を「敵」と思う若い人たち。
どこがどうちがうというのか。
 
●親のめんどう

 が、意識のズレをもっとも強く感ずるのは、「親のめんどう」の話になったときのこと。
私たちの世代は、親のめんどうをみるのは、子どもの役目と考える。
「家族」というときは、そこにはかならず、祖父母がいた。
「当然」というより、そんなことは、常識。
疑うこともなかった。

 が、今は、ちがう。
悪しき欧米文化の影響というか、「家族」から祖父母が除外されてしまった。
若い人たちが「家族」というときは、自分と配偶者、それに自分の子どもたちだけの世界をいう。
もとから「親(祖父母)のめんどうをみる」という意識、そのものがない。
ないことは、先日紹介した、千葉市に住む、EH氏からのメールでも、わかる。
EH氏はこう書いている。

 「(自分の)めんどうをみてほしかったら、息子(娘)に、頼めばよい」と。
さらにこうもあった。
「親のめんどうで、息子や娘をしばるのは、それこそ家族崩壊」と。

 意識も、ここまでズレてくると、私はもう何も言うことはない。
まだ子育てが始まったばかりで、しかも親の介護もしたことがない若い父親が、ここまで言う。
私は「異常」と思うが、それが最近の若い世代の常識ということになる。

●意識論

 意識というのは、そういうもの。
それぞれが、それぞれの意識をもっている。
「常識」と置き換えてもよい。
で、それぞれの人が、それぞれの常識をもって、自分の意見を組み立てる。

 同じ形なのだが、見る人の視点によって、180度ちがう。
意識そのものが、だまされることもある。
まわりの色によって、濃淡が変わる。
「貧困」がよい例である。

 現代の人たちは、自動車を自由に乗り回している。
半世紀前には、車をもつこと自体、夢だった。
それでも「貧しい」と言う。
進学にしても、そうだ。
私の時代でも、半数が「就職組」。
高校へ進学できる中学生は、半数に過ぎなかった。
大学はもちろん、高校にしても、「行かせてくれ」と、親に頼んだ。
が、今、親に頼んで、高校や大学へ行かせてもらう中学生や高校生はいない。
もちろん感謝の「カ」の字もない。
親子の意識のズレとなると、もっと大きい。

 たとえば親が息子にこう言ったとする。
「(仕事がなくなったら)、地元へ帰って来い」と。

 親は、「何かにつけ、都会生活は、殺伐としていて、たいへんだろう」という思いをこめてそう言う。
仕事がなくなれば、なおさら。

 が、息子氏のほうは、そうは思わない。
「老後のめんどうをみさせるために、オレを地元に戻そうとしている」と。
親のやさしさが、かえって子どもの反発を買うこともある。

●ついでに……

 ついでに、ことこの私について。
「息子たちに老後のめんどうをかけたくない」という思いは、人一倍、強い。
自分で、実兄や実母の介護で苦労した。
社会へ入ると同時に、以後、45歳まで、収入の半分は、実家へ送った。
金銭的負担感というよりは、社会的負担感に苦しんだ。
その苦労を知っている人ほど、「息子や娘たちには、同じ苦労を経験させたくない」と思う。

 が、今、息子たちにその話をすると、こう言い返される。
「パパは、ぼくたちにも同じことをしろと言っているのか。
ぼくは、自分の息子や娘に、そんなことはさせない!」と。

 親の世話も、介護もしたことがない、(させるつもりもないが)、息子たちがそう言う。

●意識

 意識というのは、10年単位で変わっていく。

 戦後派の人たちにとっては、「金権」が、最大のテーマだった。
「出世」という言葉も、もてはやされた。
「国のため」が、「会社のため」となり、企業戦士が生まれた。
「一社懸命」という言葉も生まれた。
ひもじさの戦いが、いつしか、金権教と結びついていった。
「金(マネー)こそ、すべて!」と。
が、私たちの世代にとっては、「反権力」が大きなテーマになっていた。
60年代安保闘争。
70年代安保闘争。

 しかしつづくつぎの世代には、それが「反世代」へと変化した。
尾崎豊が歌った、『♪卒業』などに、その例をみる。

 が、さらに最近は、恋愛至上主義。
欲望第一主義と置き換えてもよい。
欲望の追求こそが、善であり、目的である、と。
映画『タイタニック』のジャックとローズに、若い人たちは、「人間の理想」を見た。
悪しき欧米文化の影響である。

 その結果が今。
世代ごとに、意識が大きく変化した。
が、その意識も、よくよく観察すると、見方がちがうだけ。
そういうふうに感ずることも多い。

 原点に同じ(欲望)がある。
その(欲望)が、見方によって、ちがって見える。
あるいは周囲の環境によって、ちがって見える。
が、中身は同じ。
親を思う心。
子を思う心。
みな同じ。
しかし見方がちがう。
周囲の環境がちがう。
だからまったく、ちがって見える。
言い換えると、(欲望)にメスを入れないかぎり、(意識)の本質を知ることはない。

 ……とまあ、話が入り組んできたので、この話は、ここまで。
こういう理屈ぽい話は、みなに嫌われる。
別の機会に、もう少しかみくだいて書いてみたい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 意識 錯視 はやし浩司 意識のズレ)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

HSaturday, January 28, 2012
*Why is "Sea of Japan" "East Sea (Tonghae)"?
To the people of USA:(アメリカの人たちへ)

*Exaggerated nationalism of South Koreans(韓国人の過激な民族主義)
Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea? (どうして日本海が、「東海」なのか?)


●韓国の人たちよ、どうして「日本海」では、いけないのか?

 私の意見に賛成の人は、下記(A)〜(B)までを、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい。
訳文は、この原稿の終わりにつけておく。

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea” someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents.
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism.”


I agree to this opinion.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan


(B)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【読者のみなさんへ】

●私たちも声をあげよう!


韓国の東亜日報は、つぎのような記事をかかげている。
「『東海・日本海』併記について、バージニア州上院は、1票差で否決した※」(2012年01月28日)と。
つまり「いろいろ働きかけてはみたが、教科書に、『東海・日本海』と併記させることについて、バージニア州では、失敗した」と。

韓国はノ大統領の時代から、世界各国に専門の特使まで派遣し、「日本海」を「東海(トンヘ)」に改名する運動を重ねている。
「日本海」という呼称が、どうにもこうにも気に入らないらしい。
その気持ちはよくわかる。
が、どうして日本海が「東海」なのか?
 
韓国から見れば、確かに「東の海」。
が、日本から見れば、「北西の海」。
ロシアから見れば、「東南の海」。
これほどまでに自己中心性丸出しの呼び方は、そうはない。
もし世界中の国々が、自分の国を中心に、東西南北の海の名前を決めたら、それこそ「東海」という名前は、国の数だけ生まれることになる。

そこで韓国はバランスをとるため、黄海を、独自に、「西海」と呼んでいる。
が、こちらのほうは、目立った運動は、まったくしていない。
つまり「おまけ」。
韓国は、要するに、「日本」という文字がよほど気に入らないらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「日本海」問題

 日本海の呼称問題については、たびたび書いてきた。
ここでは、もう一歩、さらに話の内容を進めてみたい。
その第一。

 日本人は、あまりにも、おとなし過ぎる!

 どうして日本はもっと積極的に発言し、行動しないのか。
韓国が特使を派遣したら、日本も派遣すればよい。
韓国が騒いだら、日本も同じだけ、騒げばよい。

 昨年(2011年5月)書いた原稿を、もう一度掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「東海(トンヘ)」問題 (동해 vs. 일본해)

 『坊主憎ければ……』とかいうが、韓国は、「日本海」という名称が、よほど、気に入ら
ないらしい。

 で、韓国政府は、全世界の各国に「特使」まで送って、「日本海」を「東海」へ変更しよ
うと努力している。
(「特使」だぞ! わかるか!)

が、どうして「東海」なのか。
これほどまでに自己中心的な発想はない。
もしロシアが、「太平洋を『東方洋』にせよ」と主張したら、世界はロシアをどう思うだろ
うか。

 ついでに韓国は、黄海を、「西海」にしようとしている。
そうでも言わないと、バランス(=整合性)が取れないからだ。
が、無理は無理。
韓国政府も、やっとそれに気づき始めた。

 中央日報(韓国)は、つぎのように伝える。

『韓国政府は国際社会の東海(トンヘ、日本名・日本海)表記と関連し、「東海」と「日
本海」を併記すべきだという意見を国際水路機関(IHO)に提出したと、政府当局者が
1日明らかにした。

当局者は「IHO側が2日までに東海表記に関する公式意見を伝えてほしいと要求してき
た」とし、「東海単独表記主張は成功する可能性がないと判断した」と説明した』(5月4
日)と。

 繰り返すが、どこの国に対して、「東」なのか?
日本にとっては、日本海は、「北海」。
あるいは、「北西海」。
もしこんなメチャメチャな改名が許されるとしたら、それこそ世界は、大混乱。
「東海」だけでも、世界中に、何千も生まれる。

 ついでに……

対馬海峡→(韓国の)南海
東シナ海→(台湾の)北海
台湾海峡→中国海峡
南シナ海→北フィリッピン海
フィリッピン海→グアム海、などなどとしたら、どうか?

そのうちベンガル湾も、インドの東にあるということで、「東海」になるかもしれない。
アラビア海は、パキスタンの南にあるから、「南海」になるかもしれない。

 特使まで送って改名させようとしているところが、すごい。
……というか、バカげている。

 原稿をさがしてみたら、2007年の5月に、同じ原稿を書いているのがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●またまた「東海(トンヘ)」?(2007年5月記)

Why should the Japan Sea (Sea of Japan) be the Eastern Sea?
The Japan Sea (Sea of Japan) is situated to the east of Korea,
but is situated to the north to Japan.

++++++++++++++++++

韓国にとっては、東海(トンヘ)かも
しれないが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。

どうして韓国は、こうまで「東海」に
こだわるのか?

++++++++++++++++++

 『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺(ことわざ)を、地で行くような事例が、これ。
今も、つづいている。
韓国は、数年前から世界各国に特使まで送り、「日本海」を、「東海(トンヘ)」に改称しようと運動を重ねている。

 韓国にとっては、たしかに「東海」だが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。
韓国は、よほど、「日本」という名前が嫌いらしい。
「日本海」ではなく、「日本」という名称が嫌いらしい。

 しかし日本の周辺を見ただけでも、その地域や固有の名前がついた海というのは、いくらでもある。

 北から、東シベリア海、ベーリング海、オホーツク海、東シナ海、台湾海峡、フィリッピン海、南シナ海などなど。

 しかし「東海」などという、自己中心性丸出しの名前は、どこにもない。
英語で言えば、「the Eastern Sea(東海)」。
「トンヘの意味は?」と聞かれたら、韓国の人たちは、何と答えるのか。

 こんな改名がまかり通るなら、まず日本とフィリッピンの間にある「フィリッピン海」を、「南海」としたらどうか。
が、韓国にとっては、それはおもしろくないらしい。
こんな記事が、今朝の朝鮮N報に載っていた。

 『5月7日からモナコで開かれる、国際水路機構(IHO)総会に参加する、加盟国78カ国のうち、大多数が「日本海」の単独表記を支持していることが判明し、韓国政府に緊張が走っている。

 韓国政府当局者は30日、IHO総会に関するブリーフィングを開き、「現在の状況では大多数のIHO加盟国が日本海単独表記を支持しているが、どのような状況であれ、日本海が単独表記されることを絶対に容認することはできないというの、われわれの基本的な立場」と述べた』(07年5月1日)と。

 どうして容認することができないのか? 
韓国側は、その理由も述べたらよい。と、同時に、どうして日本海ではいけないのか。
その理由も述べたらよい。
さらに、どうして「東海」なのか、その理由も述べたらよい。

 仮に「東海」ということになれば、今度は、日本が猛反対するだろう。
「どうして東海なのか」と。

 さすがの韓国政府も、自分たちの愚かさに気づいたのだろう。
今度は、「平和の海」という代案を出してきた。
「平和」という名前は、K国が好んで使う名称でもある。今の今も、あの38度線をはさんで、韓国側にある村を、「自由の村」と呼び、K国側にある村を、「平和の村」と呼んでいる。

 が、その「平和の海」論も、どこかへ消えた。
そこで再び、「東海」。
「併記問題」。
今度は、「日本海と東海を併記せよ」と。

 こうした韓国側の動きを見ていると、反日運動の原点を見ているようで、興味深い。
つまり韓国にとってみれば、日本の存在そのものが、おもしろくないのだ。
理由など、ない。
まさに感情論。
彼らが主張するところの歴史認識問題にしても、そのうちの何割か以上は、その感情論と考えてよい。

 しかし一言。
韓国政府も、いちいちそんな(名称)の問題にこだわらないで、もっと大きな問題に取り組んでみたらどうか? 
たとえば国連への分担金を一人前にふやすとか、そういうことを考えてみたらどうか? あるいは政府開発援助金を、人口比に応じて、せめて日本の3分の1くらいにまで、ふやすとか……。

 そういうことはまったくせず、主張することだけは、一人前。
あるいはそれ以上!

 どちらにせよ、「東海」などという呼称そのものが、私たち日本人にとっては、言語道断。
どうして日本の北にある日本海が、東海なのか。
日本としては、絶対に容認できない呼称である。

ちなみに国際水路機構(IHO)総会では、大多数が、「日本海」の単独表記を支持しているという。
当然のことである。

(付記)今まで、直接的な批判を避け、あえて東海を「西海」などとまぶして、批判記事を書いてきましたが、今日から、正面から、「東海」とすることにしました。

(以上、2007年5月に書いた原稿より)

●グーグル翻訳でも……

 グーグル翻訳サービスを使って、「日本海」を韓国語に翻訳すると、韓国語で「東海」と翻訳される。
韓国政府は、すでにグーグルにまで、こうした手を伸ばしている。
日本よ、油断するな!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人よ、もっと声をあげよう!

 日本人よ、もっと声をあげよう。
方法は、簡単。
もしみなさんがBLOG(Twitter)を書いているなら、以下の文面をコピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい。

 ネットの世界では、同じ意見でも、数が多ければ多いほど、検索時に上位に表示される。
アメリカをはじめ、世界の人たちの目に留まる。
それが重要。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A~Bまでの訳文)

●どうして日本海が、「東海」なのか?

 私たち日本人は、韓国人(朝鮮人)が、日本を嫌っていることを知っている。
そして今、日本海という名前を、「トンヘ」つまり、「東海」と改名しようとしていることを知っている。
日本海は、朝鮮半島の東側に位置する。
それが彼らの主張の根拠になっている。

が、もしそうなら、世界中に、何百という「東海」が生まれるだろう。
というのも、それぞれの国に、「東」があるからである。

日本には、『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺がある。
あのA・アインシュタインは、田丸謙二先生への手紙の中で、こう書いている。
「過激な民族主義は危険である」と。

「日本海」という名前は、100年以上も、世界の常識として使われている。
1853年に日本に来航した、マシュー・ペリー提督が使った地図でも、日本海は「日本海」になっている。
でないというのなら、どうしてメキシコ湾が「メキシコ湾」なのか。
アメリカは、どうしてメキシコ湾を、「南湾」と改名しようとしないのか。
なぜなら、この種のナショナリズムが、馬鹿げていることを知っているからである。

どうか韓国の、馬鹿げた意見に耳を貸さないでほしい。

『日本海であって、東海ではない』(Sea of Japan, No East Sea)サイトの中には、次のような意見が載っている。

『……アメリカ人は韓国政府および韓国の国粋主義者たちは、漢字や漢字で書かれた書類を読めない子どもやマスメディアの世界において、洗脳プロパガンダ(=政治的情宣活動)を繰り広げている。

これらの攻撃的なプロパガンダは、無邪気な子どもたちをたきつけ、日本や日本人に対する敵意を煽(あお)り立てている。
私はこれらの愚かな、構造的暴力、さらには拡張主義、つまり新しいタイプのファシズムに、抗議する』(以上、同サイトより)と。

私は、この意見に同意する。

浜松市 はやし浩司


++++++++以下、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい++++++

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea”, someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents.
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism.”
I agree to this opinion.


Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan


(B)

++++以上 (A)~(B)をコピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい++++++

●「教科書」

 ついでに一言。

 東亜日報紙は、この記事※の中で、「教科書」という言葉に、こだわっているのがわかる。
が、アメリカの学校には、「教科書」と呼ばれる教科書は、ない。
「テキスト」はある。
が、教科書はない。
民間の出版社が発刊する、テキストである。
それぞれの学校が、自由に、それぞれのテキストを使っている。

そもそも、日本のような検定制度そのものが、アメリカには、ない。
だから、州議会に働きかけても、意味がない。
州議会で仮に併記を議決したとしても、法的拘束力はない。
それを知ってか知らずか、「教科書」という言葉を使っているところが、恐ろしい。

日本政府は、教科書について、検定済み教科書であって、国定教科書ではないと主張している。
が、これはウソ。
「検定」も「国定」も、英語に翻訳すれば、同じ。

なおついでながら、オーストラリアにも検定制度はある。
民間団体が、自主的にそれを行っている。
行っているが、検定するのは、暴力と性描写のみ。
むしろ逆で、州政府は、「政治的な表現については、検定してはならない」と、釘をさしている(南オーストラリア州)。
小学低学年時には、テキストすら使っていないところもある。

 繰り返す。
アメリカには検定制度そのものがない。
ないから、「教科書」という言い方そのものが、適切ではない。
「テキスト」は「テキスト」。
どうか誤解のないように!

 日本も、教科書制度を廃止したらよい。
戦時中の日本ならいざ知らず、2012年の今、国定教科書とは!
今どき「教科書」を使い、国民の思想統一しているのは、そこらの独裁国家くらいなもの。
日本よ、日本人よ、いいかげんに、目を覚ませ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……東亜日報紙の記事・全文)

『米教科書の「東海・日本海」併記、バージニア州上院1票差で否決
米バージニア州議会で推進された「東海(トンヘ)と日本海の教科書併記法案(SB200)」(東海併記法案)が否決された。
15人で構成された州議会上院の教育保健委員会は26日、全体会議を開き、東海併記法案に対する採決を実施し、賛成7票、反対8票で否決した。
同日の採決では、賛成7票と反対7票で拮抗したが、キャスティングボートを握るスティーブン・マーティン委員長(共和)が反対票を投じ、否決された。

デヴィッド・マースデン議員(民主)が11日に提出した同法案は、バージニア州内の公立学校で使用される1年生から12年生用の教科書に東海と日本海を併記することを義務づける内容を含んでおり、16日に教育委小委員会を通過した。

小委員会を通過した時は、全体会議の通過が有力視されたが、共和党議員を中心に親日ムードが生まれ、否決されたという』(以上「東亜日報」より)と。

なお日本のMSN・産経ニュースは、つぎのように伝えている。

『……米ワシントン近郊のバージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することを求める州法案の採決が行われ、1票差で否決されたことが分かった。

歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた。

米国では最近、韓国系米国人らが日本の教科書の使用中止を求める動きもあり、日本政府は官民を挙げた対策が求められている』(MSNニュース・2012年1月29日)と。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 東海 日本海 呼称問題 行き過ぎたナショナリズム 過激な民族主義 韓国のはやし浩司 東海呼称問題 Tong Hae Tonghae 東海 はやし浩司 Eggerrated Nationalism of South Korea 韓国のファシズム はやし浩司 民族主義 はやし浩司 メキシコ湾を南海に ペリー提督の地図)
はやし浩司 2012−01−29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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●R町の民宿に泊まる






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4月8日(日曜日)(はやし浩司 2012ー04−08)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

近く、高校の同窓会がある。
それを兼ね、郡上八幡まで足を延ばし、市内の旅館に泊まることにした。
Yという旅館。
以前より、一度は泊まってみたいと思っていた。
宿の案内によれば、1日、6組しか、宿泊客を受け入れないとのこと。
が、けっして小さな旅館ではない。
割烹旅館。
その帰りに、同窓会に出る。

その郡上八幡。
小さな町だが、観光ズレしていないところが、すばらしい。
前回行ったときには、人力車に、ワイフと2人で乗った。
プラス、あの町には、子どものころからの楽しい思い出が、ぎっしりと詰まっている。

今度行ったら、8月の盆踊りの日に泊まれるかどうか、聞いてみる。
今から予約すれば、たぶん、だいじょうぶだろう。
もしダメなら、もうひとつその山奥にある、白鳥で、盆踊りを楽しむという方法もある。
駅前のAという旅館が、イチ押し。

月日がたつのも速い。
月日が来るのも速い。
私たちはその狭間(はざま)で、過去を見たり、未来を見たりしながら生きている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●乗馬マシン

 買ったのは、数年前。
ときどき乗って、遊んでいる。
乗馬マシン。
ちょうど馬に乗っているかのように、前後左右に、パカパカ動く。
それが結構、楽しい。
本当に馬にまたがっているかのような気分になる。

 で、昨日のこと。
それに乗りながら、「女座り」というのを試してみた。
西部劇映画などで、そういうシーンがときどき出てくる。
またがって乗るのではなく、横向きに座る。
女性が、そういう乗り方をする。
単純な好奇心からだった。
が、これがまずかった。
 
 10分ほど乗っただけなのだが、そのあと気分が悪くなってしまった。
原因はわからない。
肝臓か胆のうに負担がかかったのかもしれない。
ひどくはないが、軽い吐き気を覚えた。
船酔いにも似ているが、それとも、感じがややちがう。

 で、結論。
慣れないことは、してはいけない。
するとしても、いきなり、「高速」ではまずい。
(そのとき、「高速」設定で、してしまった!)
はじめは少しずつ、ゆっくりと始めるのがよい。

 そういえば、こんな大失敗をした知人がいる。
何かにつけ、私と発想が似ている。
考え方も似ている。
行動派。
が、やっては、失敗する。
その男性は、こんなことをした。

●曲がった腰

 その男性は、自分の腰が、やや前に曲がり始めたのに気がついた。
年齢は、73歳。
若いころ、重い荷物をもつ仕事をしていた。
椎間板が損傷したらしい。

 「さあ、たいへん!」ということで、その男性は、自分で腰にあてる器具を作った。
木製で、それを背中に当てて寝る。
それを当てると、背骨がちょうどブリッジのようになる。
言うなれば矯正器具。
その男性は、それで曲がり始めた腰が、元に戻ると考えた。
それを一晩、自分の腰にくくりつけ、その姿勢で寝た。

 が、結果は大失敗。
翌朝早く、救急車で病院へ運ばれるところとなった。
腰がまったく曲がらなくなってしまった。

以後、1週間ほど、入院した。
つまり素人療法は、何かにつけて、危険。
今回の私の乗馬にしても、そうだ。
いつものようにまたがって乗っていればよいものを、あえて「女座り」をしてみた。
無理に腰を、左右に激しく振ることになった。
それがよくなかった。

 ……ということで、今朝は、朝食は抜き。
バナナ半分と、お湯だけ。
それにしても、バカなことをしたものだ
いまだに気分が悪い。
後悔!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マガジン4月16日号

 今朝は、とくに書きたいテーマは、なし。
平穏、無事。
午後は、ワイフと愛知県境までドライブに行くつもり。
途中に友人の別荘がある。
もしそこに友人がいれば、少し遊ばせてもらう。
今日は日曜日だから、たぶん、いるはず。
今が、ベストシーズン。

 で、とりあえず(?)、電子マガジンの4月16日号の発行予約を入れることにした。
テーマは、「プリウス問題」。
少し古いテーマだが、あの話は、現在、ナーナーで終わってしまっている。
もとはと言えば、アメリカ人の先走った誤解。
ありもしない急加速問題をでっちあげ、それでもって、日本車を攻撃した。

 で、私なりに調べてみたが、調べれば調べるほど、へん。
デタラメ。
その前の2月13日号で、「アメリカ人の脳みそ」について書いたので、4月16日号は、その続編ということになる。

 プリウス問題は何だったのか。
それをもう一度、みなさんに訴えてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【アメリカ人の脳みそ】(TOYOTAのプリウス急加速問題)

アメリカ人の脳みそを疑うようになったのは、
(それ以前からも、疑っていたが……)、
あのプリウスの急発進問題が起きてから。
大学とは名ばかり。
もちろん優秀な教授や学生が集まる大学も多いが、
そうでない大学も、少なくない。

南イリノイ大学もそのひとつ。
その大学に、デービッド・ギルバート教授という教授がいる。
彼は、プリウスの急加速を、実験で証明できたと主張した。
が、その方法が、稚拙。
幼稚。
バカげている。

 『ギルバート教授は、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に、5ボルトを加えてショートさせた状態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することなく、急加速現象がみられた』とした。
それに対して、トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤーの絶縁状態を破壊する必要があった、としている。

 つまりギルバート教授は、わざと電線をショートさせ、急加速現象を起こしてみせた。
そしてそれでもって、「トヨタのプリウスは、欠陥車」と結論づけた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以下、当時、私がBLOGに書いた原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アメリカ人の論理力(TOYOTAのプリウス問題)

●アメリカ人の友人たちへ(To my friends in USA as to TOYOTA recall problem)
You have almost lost the last friend in Asia!

++++++++++++++++++++++

今度のTOYOTA問題を通して、君たちは、
アジアにおける最後の友人を失いつつある。
それを私たちは、とても残念なことに思う。

You have almost lost the last friend that had remained to be so in Asia through the TOYOTA problems, about which we feel very sorry.

より多くの日本人が、反米的になりつつある。
新米的であった私でさえ、アメリカに、大きく失望した。
そして今では、こう言うようになってしまった。
「アメリカなど、クソ食らえ!」と。

More and more Japanese are becoming anti-American and even I, whom I supposed myself to be a pro-American, do not hesitate to say, “Down with USA”.

再現性のない、インチキ実験?
報道映像の捏造?
さらには保険金目当ての、にせ事故?、などなど。
日本では、急加速は、一例も報告されていない。
それもそのはず。
この日本で、両足を、ブレーキとアクセルの両方にのせて運転する人はいない。
「事故の95%は、運転手によるもの。
車によるものは2%にすぎない」(アメリカ国家ハイウェイ安全局(NHTSA)会長)。

リコール後も、600万台のプリウスについて、60件の苦情があったとか。
(600万台につき、60件だぞ!
0・001%!
GM車やフォード車については、どうなのか?)

それについて、「NHTSAは、さらなる改善策をTOYOTAに命じた」とか。
アメリカよ、少しは、冷静になれ。
これを「日本叩き」と言わずして、何という?

A very doubtful experiment, which was proved to be a fake,
A fabricated report on TV,
False accidents reported in the Congress...,
and more over it is strange that none of these sorts of accidents are reported in Japan.
No stupid men put both feet on each a brake pedal and accelerator pedal at the same time in Japan.
Be calm!
NHTSA has ordered Toyota to provide a different solution, since 60 complains are reported among 6 million TOYOTA cars.
Isn't this "Japan Bashing"?

+++++++++++++++++++++

●TOYOTA問題

 今回の一連のTOYOTA騒ぎは、何のか。
よくわからないが、ことの発端は、1教授のインチキ実験。
南イリノイ大学の、ギルバート教授。
彼はコードの絶縁体を意図的にはがし、それでもって、急加速を再現してみせた。

「(絶縁体がはがれるなどいうことは)、通常の状態では起こらない」というのが、一般的な常識。
そこで今度は、同教授は、5ボルトの電圧をかけ、「同じようなことが起こる」と実験してみせた。

 しかし急加速問題は、何もTOYOTAで始まったわけではない。
同じような実験をすれば、ほかのメーカーの車でも、同じような反応を起こすことがわかった。
また似たような急加速は、TOYOTA車以外でも、アメリカでは、繰り返し、起きているという。
つまりこれは、TOYOTA車の問題というよりは、アメリカ人の車の乗り方に問題があると考えたほうが、正しい。

 当初、「アクセルとブレーキを同時に踏むと……」という報道が流れたとき、私には、その意味がよくわからなかった。
「アクセルとブレーキを同時に踏むとは、どういうことなのか」と。
そのまま解釈すれば、アメリカ人というのは、両足を、アクセルとブレーキの両方に、足を載せて運転しているということになる。
しかし日本人は、そういう乗り方をしない。
そのためにアクセルもブレーキも右側(アメリカでは左側)に、寄せて並べてある。
 
●疑問

 つぎつぎと新事実が、明るみになってきている。
が、今は私もまだよくわからないでいる。
報道された記事だけを集めておく。
後日、もう少し事実が明らかになった段階で、このつづきを書いてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)疑問だらけのデービッド・ギルバート教授の実験

トヨタ自動車は1日付の米議会あて書簡で、南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授が先週の公聴会で示した見解に反論した。

同教授は、2月23日の下院エネルギー・商業委員会の公聴会で、自ら行った実験でトヨタ車に発生したとされる急加速の状況を再現できたと証言、トヨタの電子系統に問題があるとの見解を示していた。

ASSOCIATED PRESS

 南イリノイ大学のデービッド・ギルバート教授(2月23日の公聴会で) は、プリウスの急加速を、実験で証明できたと主張した。

 この証言に対し、トヨタは書簡で、独自の調査と同社が調査を委託した技術コンサルティング会社エクスポネント(米カリフォルニア州)の調査結果に基づいて反論を展開した。
トヨタはトヨタ側の実験でもギルバート教授と同じ結果が得られたが、他のメーカーの車でも同じ状況が生じたと主張し、同教授の証言は誤解を招くと批判した。

 エクスポネントは43ページに及ぶ報告書で、ギルバート教授の実験を他のメーカーの5車種で行ったところ、すべて同じ状況が発生したことを明らかにし、実験のような状況は「きわめて可能性の低い欠陥が重なった場合にしか生じない」と結論づけた。

 ギルバート教授は23日の証言で、「トヨタ・アバロン」のアクセル回路に5ボルトを加えてショートさせた状態で走行テストを行ったところ、車載コンピューターがエラーコードを発することなく、急加速現象がみられた、とした。
トヨタは書簡で、ギルバート教授が指摘した状況を再現するには、2本のワイヤーの絶縁状態を破壊する必要があった、としている。

 ギルバート教授から、トヨタとエクスポネントの実験結果に対するコメントは得られなかった。

 トヨタの広報担当マイク・マイケルズ氏は、ギルバード教授の調査を「誤解を招く不適切なもの」とし、「システムをいじりまわしている」と批判した(以上「ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版より)。

★以上の原文

Toyota Motor Corp. rebutted the findings of a study presented at a congressional hearing last week that claimed to replicate undetected sudden acceleration in its vehicles and called into question the company's electronics.

TOYOTAは、反証をあげた。

Based on its own study and one undertaken by the Menlo Park, Calif., engineering research firm Exponent, which has been hired by Toyota, the car maker said it was able to duplicate the result in Toyota vehicles found by David W. Gilbert, a professor at Southern Illinois University-Carbondale who testified at a House hearing. But Toyota said it also created the same response in vehicles made by competitors, which it said rendered Mr. Gilbert's findings misleading.

ギルバート教授がしたようなことをすれば、ほかのメーカーの車でも、同じようなことが起きることがわかった。

"We have reproduced the engine revving and engine speed increase in Toyota's vehicles," Toyota said in a statement dated March 1 and sent to congressional committees. "At the same time, we have also confirmed that a substantially similar kind of engine speed increase phenomenon occurs with the other manufacturers' vehicles."
Toyota said the tests Mr. Gilbert performed would not happen "in the actual market." To achieve Mr. Gilbert's results, Toyota said it had to cut and breach the insulation on two wires.

TOYOTAは、このような急加速は、TOYOTA車だけにかぎったことではなく、ギルバートの行ったようなテスト(=2本の線の絶縁体をはがし、接触させるようなこと)は、通常の状態では起きないと言った。

Mr. Gilbert said he will provide an official response but declined to comment on the findings by Exponent and Toyota. He said he may travel to California to meet with the research concern.

In the last week, Toyota has endured three bruising congressional hearings questioning its belated response to reports of sudden acceleration in its vehicles. While Toyota executives acknowledged the company failed to quickly respond to safety issues in the past, the company has maintained that faults in its electronics are not behind incidents of unwanted acceleration.

TOYOTAは、安全問題に迅速に答えなかったことは認めるものの、電子部品には欠陥はないと主張した。

Consumer safety advocates continue to challenge Toyota on that point, charging that the rise in acceleration reports—which have been linked to 52 deaths—is correlated to the installation of an electronic throttle control system in Toyota and Lexus models beginning in 2002.

消費者安全協会は、52人の死亡について、TOYOTA車との関連を追究する。

Mr. Gilbert, who testified before the House Commerce and Energy Committee Feb. 23, said he was able to replicate sudden acceleration without creating an error code in the vehicle's onboard computer by introducing five volts into the gas-pedal circuitry of a Toyota Avalon. In his report, Mr. Gilbert said his findings "question the integrity and consistency" of Toyota's computers to detect malfunctions.

5ボルトの電圧をかけたら、急加速現象が起きた。

In a 43-page report, Exponent, the research firm hired by Toyota to investigate its vehicles electronics, applied Mr. Gilbert's test to five models including a Honda Accord and a BMW 325i and found all five reacted similarly. Toyota added that it tested three competitor vehicles and found they experienced the same engine revving and speed increase when their electronics were similarly altered.

同じような急加速現象は、ほかのメーカーの車でも報告されている。

"For such an event to happen in the real world requires a sequence of faults that is extraordinarily unlikely," Exponent said in its report.

Toyota spokesman Mike Michels described Mr. Gilbert's research as "misleading and irrelevant." Mr. Gilbert was "gaming the system," Mr. Michels said.

ギルバートの報告は、誤解を招くもの。
また車をもてあそんでいるだけ。

Separately, the National Highway Traffic Safety Administration said Thursday it has received more than 60 complaints from Toyota owners who report they are still experiencing sudden unintended acceleration despite having their vehicle repaired by a Toyota dealer under the car maker's recalls.

TOYOTA のリコール後も、60件の苦情が、国家ハイウェイ安全局(NHTSA)に届いている。

"Officials are contacting each and every consumer to learn more about what they say is happening," the agency said.

現在、調査中。

If it appears that the remedy provided by Toyota isn't addressing the problem, NHTSA said it has the authority to order Toyota to provide a different solution.
"We are determined to get to the bottom of this," said David Strickland, administrator of the auto-safety agency.

国家ハイウェイ安全局(NHTSA)は、TOYOTAに、ほかの解決策を用意するよう、命じている(以上、ウォールス・トリート・ジャーナルより)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ニューヨーク時事・3月16日】

トヨタ自動車は15日、米カリフォルニア州サンディエゴ近郊の高速道路で急加速を引き起こしたとされるハイブリッド車「プリウス」について、技術者らが関連部品の徹底的な検査のほか、走行テストなど多岐にわたる検証を行ったものの、車両に急加速を引き起こすような異常は見られなかったとの暫定調査報告をまとめた。

 調査は米道路交通安全局(NHTSA)関係者と米議員らの立ち会いの下、10、11の両日実施された。
トヨタは暫定報告で、

(1)アクセルペダルは正常に機能した。
(2)前輪ブレーキは著しく摩耗していたが、後輪ブレーキとハンドブレーキは良好な状態だった。
(3)正規品のフロアマットは留め金には固定されていなかったが、アクセルペダルを妨害もしくは接触するような状態は確認されなかった。
(4)エンジン点火装置は正常だった。
(5)変速レバーも正常だった。
(6)アクセルペダルとブレーキペダルを同時に踏んだ場合、エンジン出力が減退する機能も正常に作動した−などと説明した(以上、時事通信より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
【ワシントン】米下院エネルギー・商業委員会が23日開いたトヨタ自動車の大量リコール(回収・無償修理)問題をめぐる公聴会で、急加速を経験したとして証言したロンダ・スミスさんのトヨタの「レクサスES350セダン」が、現在も使用されており、何のトラブルも起こしていないことが分かった。
米高速道路交通安全局(NHTSA)の広報担当者が24日明らかにした。

●公聴会で証言したロンダ・スミスさん
 
同スポークスマンによれば、NHTSAが先週、同車の新しいオーナーに聞いたところ、「走行距離3000マイル弱のところで購入し、何のトラブルも経験せずに走行距離は2万7000マイルになった」と答えたという。
スミスさんは証言で、2006年にテネシー州のハイウェーで制御不能の急加速に見舞われ、時速100マイル(約160キロ)になった恐怖の経験を涙ながらに語った。
その後、スミスさん夫妻は同車を売却した。

 報告を受けたNHTSAの検査官は、フロアーマットがアクセルペダルに引っかかったことが原因と判断した。
しかしスミスさん夫妻は、フロアーマットのせいではないと主張。スミス夫人は、車が速度を上げる前にクルーズ・コントロール・ライトが点滅したことから、電子制御系の問題と考えている(以上、ウォール・ストリート・ジャーナル)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 ただ、2005年のNHTSA調査によると、自動車事故の約95%は運転者のミスによるもので、自動車の問題で起こるのは約2%にすぎない。
米自動車工業会のマッカーディ会長は同公聴会で、この報告を引用する予定だ。
同会長はまた、車の衝突データを集めるのにNHTSAがもっと多くの資金を必要としていることを訴える方針だ(以上、ウォールストリート・ジャーナル)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※)
 先週、米カリフォルニア州のハイウェイで起きたトヨタのハイブリッド車プリウスの急加速事件で、連邦当局の調査によってブレーキに特殊な損耗パターンが見つかり、運転者の説明に疑問が浮かび上がっている。
関係している3人が語った。

 先週8日、サンディエゴ近くのインターステート8号線で青の2008年型プリウスを運転していたジェームズ・サイクス氏(61)は緊急電話をかけて、何もしないのにスピードが時速90マイル(144キロメートル)まで上がったとオペレーターに伝えた。
最終的にはカリフォルニア・ハイウェー・パトロールのパトカーが同車に横付けし、止めることができた。

 サイクス氏は走行中およびその後に、高速走行中に力いっぱいブレーキを踏み込んだと話した。

 しかし、関係者によれば、米運輸省道路交通安全局(NHTSA)とトヨタの専門家が共同でこの車を調査したが、高速走行中に一定時間力いっぱいブレーキが踏み込まれた痕跡は見つからなかった。

 ブレーキは変色し、損耗が見られたが、その摩擦パターンは運転者が断続的に普通程度の力でブレーキを踏んだことを示唆しており、サイクスさんが言うような踏み込みはうかがえなかったという。

 これ以上の詳細は明らかではない。NHTSA当局者は12日、調査に関するコメントを拒否した(以上、ウォール・ストリート・ジャーナルより)。

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●アホの上塗り(How are you ashamed of yourselves, Mr. NHTST, USA?)

To: NHTSA, USA

What has been the "TOYOTA" problem?
Please re-read my article which I wrote in 2010.
In that article, I wrote, "Be ashamed NHTSA!"
I also agein write here, "Be ashamed, NHTSA!"

+++++++++++++++++++++++++

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

このたび、TOYOTAの「シロ」が、確定した。

まず、YOMIURIの記事から。

+++++++++++++以下、YOMIURI+++++++++++++++

 ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに“お墨付き”を与えたことを明らかにした。
末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」を購入したという。

 長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」と語った。
「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも述べた。
長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。

+++++++++++++以上、YOMIURI+++++++++++++++

●ラフード米運輸長官

 こんな記者会見程度で、TOYOTAが被った損害が、解消できるのか?
それで責任を果たしたことになるのか。
このラフード米運輸長官は、アホ中のアホ。
TOYOTA車に、宇宙線をあててまで、欠陥を探し出そうとした、その張本人である。
「車に、宇宙線」だぞ。
それもNASAと協力して?!

 ラフード米運輸長官は、「論理学」の「ロ」の字も知らない、アホ。
アホ長官。

●2010年に書いた原稿より

 昨年(2010)に、私が書いた原稿を、もう一度、よく読んでみてほしい。
ここに書いた「アホ」の意味が、よくわかってもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10−04−01)

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の私の原稿が、あちこちのサイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスによるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの不適切な操作によるもの。
ところで、こんな仰天ニュースが、読売新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受けて事故原因の調査に乗り出すことが30日、明らかになった。

 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月かけて行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010−3−30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立てあげたいらしい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼したという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア〜〜〜?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、その放射線とやらは、どこから発せられたのか。

そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるはず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授のそれと、どこもちがわない。

「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したとか?

TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与えるかもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほうがよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠とはならない。

もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こぞって、放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、どれをめくってみるか。

1枚目……(△)
2枚目……(□)
3枚目……赤の(●)
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明されたわけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)であったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがっていることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、TOYOTAの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。

(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)
さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA車に、まんべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」も証明しなければならない。

まだある。

「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、証明しなければならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせなくなってしまった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数でもよい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。
これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数値に近ければ、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因があるということになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)と、ほかのメーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通安全局(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。
 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交通安全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題にする前に、車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしている。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必要があるのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題は起きていないという。

(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでいる。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証明しなければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータでもあれば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響を与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめて十分となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が与える影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X−File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明できた」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。

言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 ラフード米運輸長官 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安全局(NHTSA) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制御装置 影響 TOYOTA ハイブリッド車)

●終わりに

 ラフード米運輸長官は、こう言ったという。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買うべきだ』と答えた」と。

 それに応じて、日本の経団連は、「安全性のお墨付きをもらった」とはしゃいでいる。
が、これもおかしい。
日本の車、社会、経済に与えた影響は、計り知れない。
それをさておき、「お墨付き」とは?
どうして日本は、ここまで隷属するのか。
シッポを振るのか。
本来なら、「コノヤロー!」と激怒し、損害賠償を請求してよい事案である。
どうしてそれをしないのか?

 つまりラフード米運輸長官のこの程度のリップサービスで、日本人のあのときの(怒り)をご破算にしてすませてはいけない。
またそれですむような話ではない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【結論】

 「スーパー・マルチタースク人間」かどうかは、運転中だけのテストではわからない。
スーパー・マルチ・タースク人間と言えるためには、ほかの分野でのテストでも、それが証明されなければ、ならない。

 自動車の運転のような、慣れによって自動化できる技術を尺度にし、それ以外の作業ができるからといって、マルチ人間ということにはならない。

 従って、ユタ大学が行った、この実験とその結果は、「C」マーク。
「アメリカの大学」「教授」「大学がした実験」という言葉に、幻想をもってはいけない。
またそういう権威付けにだまされてはいけない。

(はやし浩司 David Gilbert South Illinois Fake はやし浩司 Jason Watson David Strayer 家庭教育 ニセ科学 エセ論文 偽論文 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 スーパーマルチ人間 スーパータスカー はやし浩司 マルチ型人間 シングルマルチ TOYOTA プリウス 論理の穴 論理の矛盾 論理学 はやし浩司 必要十分条件 はやし浩司 Super Tasker スーパータスク人間 スーパータスク型人間 はやし浩司 マルチ人間)2012/03/06まとめ


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ひさしぶりに民宿に一泊

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

明日は、講演。
それを理由に、今夜は、隣町のA町に一泊。
浜松市の自宅から、東名高速道路を経由して、2時間30分。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TAMIYAの「戦艦大和」

 ところで今日、TAMIYAの戦艦大和が届いた。
定価は2万4000円前後だが、AMAZONで買ったら、1万6000円前後だった。
知る人ぞ知る、プラモデルの最高傑作。
超大型モデル。
縮尺は、350分の1。

 学生時代から、「一度は……」と思っていた。
「一度は作ってみたい」と。
とうとうその夢が、実現した。
息子に手伝ってもらえば、できるはず。

●宿にて

 エアコンを最高の31度に設定した。
それから半時間。
やっと部屋の中が暖かくなってきた。
どこか風邪ぽい?
おかしな寒気を感ずる。
部屋に入ったときから、水鼻が出るようになった。

 で、目下、インフルエンザが、大流行中。
警戒するに越したことはない。
今年、私は予防接種をしていない。
ワイフや息子はしたが、私はできなかった。
いつもの医院へ行ったら、「もう在庫がありません」と。

 気をつけよう。

●旧市街

 通りは、「X町通り」となっている。
部屋は2階。
通りから、ひっきりなしに街の騒音が聞こえてくる。
削岩機がコンクリートを削る音。
そんな音も、時折、遠くから聞こえてくる。

 どの店も元気がない。
店というより、通りに元気がない。
そんな通りを、車がザザーッ、ザザーッと行ったり来たりしている。
その音が、嵐の日の、窓ガラスを叩きつける雨の音のよう。

 その商店街通り。
家と家の隙間がない。
この街並みは、故郷の美濃町と同じ。
道に面した窓からだけ、外の明かりが入ってくる。
私は高校を卒業するまで、こういう街中に住んでいた。
懐かしさがこみあげてきた。

 ……そんなことを思い出していた。
眠くなる目を、懸命にこらえながら……。

●「信ずる」

 子どもを信ずるということは、どういうことなのだろう。
たとえば夫婦や恋人どうしなら、「疑わない」ということ。
が、相手が子どものばあいは、ニュアンスがややちがう。

 あえて定義するなら、「能力を認める」ということ。
というのも、「愛する」とか、「信ずる」とかいうが、中身が、きわめてあいまい。
抽象的。
「子どもを信じなさい」と言われた親だって、困る。
「どうすればいいの?」と。

 そこで私は、こう考えた。
「信ずることは、子どもの能力を認めること」と。

●「能力を認める」

 この私も、母に、泣かれたことがある。
私が「幼稚園の先生になる」と言ったときのことだった。
が、あのとき母だけでも、私を信じてくれていたら、そののちの私の人生は、大きく変わっていただろう。
母を責めているのではない。
母は母で、当時の常識として、そう言った。

 その「信ずる」。
私の能力、つまり、能力がもつ方向性、それを認めてほしかった。
それでここに書いたように、「信ずること」イコール、「能力を認めること」と考えるようになった。

●公務員の給料、8%削減?

 Yahooニュースは、つぎのように伝える。

『……国家公務員の給与を引き下げる臨時特例法案をめぐり、民主、自民、公明3党は25日午前、国会内で実務者協議を開いた。
民主党は今年3月から平均0.23%引き下げる人事院勧告(人勧)を実施したうえで、同4月からさらに平均7.8%を上乗せし、計平均8.03%減額する修正案を提示』(ヤフーNEWS)と。

 しかし問題は、給料ではなく、「手当」。
1人ひとりの公務員に責任があるわけではないが、「手当」にメスを入れないかぎり、ただのザル法案。
職種によっては、20〜30種類もの手当はつくのがある。
その手当の額が大きい。

役人のことだから、あの手この手で、法案を骨抜きにしてしまうはず。
今までも、ずっとそうだった。
「減額された分は、手当で補てんします」と。

 それに今ごろ、8%!

 私の親しい友人(H市市役所勤務)は、すでに15年以上も前に、こう言っていた。
「私ら、本当に、公務員になっていてよかったです」と。
物価はさがる。
給料はさがらない。
職を失う心配は、ゼロ。
退職金も年金も、満額!

 今では同じ職種でも、公務員と民間とでは、2倍近い開きがある(「週刊文春」)。
さらにこんな謀略も……。

●年収500万円

 今度から、年収が500万円以上あるときは、年金が減額されることになったという。
まだ法案が通過したとは聞いていないが、たぶん、そうなるだろう。

 しかし年金といっても、どの年金をいうのか。
もしそれが基礎年金(国民年金)のことをいうなら、これほどまでにずるい謀略はない。
こういうこと。

 この先、日本経済は左前になる。
よくなるなどということは、考えられない。
そのときこの日本を、猛烈なインフレが襲う。
(=円の価値がさがる。)
現在、500円のラーメンが、1000円とか、2000円とかになる。
ハイパーインフレが日本を襲えば、タクシーの初乗り代が、1万円になることも考えられる(経済雑誌ほか)。
当然、その分だけ、名目上の給料はあがる。

 大卒の初任給が、年収にして500万円とか、そうなる。
もしそうなったら、年金は、どうなるか。
先の法案が通れば、年金が自動的に減らされることになる。

 現在の今は、「500万円もあれば、減額されても、しかたない」ということになる。
が、2年後、あるいは3年後には、そんなことは言っておれないだろう。

 「だから今のうちに、法案を通しておけ」と。
つまり先手を打った(?)。
それにしても、官僚の考えることは、ずるい。

●眠い

 午後から眠かったが、夕食後、眠気がぐんとました。
「横になろうか……」、
「もう少し起きていようか……」、
……目下、思案中。

●下宿

 「金沢の下宿がこうだった」と私。
間取りは、8畳間。
下宿では、その8畳間をベニア板で2つに仕切り、2部屋としていた。
今の若い人たちにすれば、想像もつかないだろう。
質素な部屋だった。
電気も、天井に1灯、蛍光灯があるだけ。
冷房も暖房もなし。
小さなコタツだけ。

 そんな下宿に、2年間いた。
3年生になるとき、別の下宿に移ったが、それまでの下宿より、さらに劣悪だった。
が、下宿代が下宿代だったから、文句は言わなかった。
2食付で、9000円(1年入学時)〜1万6000円(4年卒業時)。
そのように記憶している。

●R町

 夕食後、扁桃腺が痛くなった。
いつもならアスコルビン酸の原末をもって歩く。
が、今日は、忘れた。

 郊外のドラグストアまで車で行く。
そこでアスコルビン酸と葛根湯のドリンク剤を買う。
私のばあい、アスコルビン酸でうがいをすると、痛みは消える。
うがいするとき、しみるような痛みを感ずるときもある。
が、そのあと、スーッと痛みが消える。
(あくまでも私のばあいの治療法。
ぜったいにマネをしないように!)


●不景気

 先日も、浜松市内で弁当店を経営している、F氏がこう言った。
「不景気ですね」と。
会うたびに、そう言う。

 こういう小さな町に来てみると、それが痛いほど、よくわかる、
不景気なら不景気でよい。
が、日本は、20年前を境に、それ以前の日本へと後退している。
このままでは、戦後直後の日本に逆戻りしてしまう。

 この宿にしても、40年前の下宿屋にそっくり。
私は毎日、毎晩、ただひたすら勉強したのは、勉強が好きだったからではない。
勉強以外にすることがなかった。
遊ぶ、お金もなかった。

●「団塊の世代は敵」

 若い人たちから見れば、日本の繁栄を食いつぶしたのは、私たち団塊の世代ということになる。
2チャンネルの投稿を読んでいると、それがよくわかる。
一方、団塊の世代は、(私を含めての話だが)、そうは思っていない。
「この日本を支えてきたのは、私たち」という自負心が強い。
ただひたすら、企業戦士となり、一社懸命でがんばってきた。
家庭を犠牲にした人も多い。

 この意識のズレを理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。

●飽食と贅沢(ぜいたく)
 
現在の20代、30代の人たちが生まれたころは、日本経済はまさにバブル経済の真っ最中。
子どもが生まれると、祖父母までやってきて、蝶よ、花よともてはやした。
まさに飽食と贅沢。
それが当たり前の世界だった。
七五三の祝いに、ホテルや料亭を借り切って祝う家も、少なくなかった。

 が、こうした育児観を批判する人もいるには、いた。
私もその1人だった。
当時、書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

2作、つづけて紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「費用もかえって、安いのじゃないかしら?」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

七五三の祝いを式場で?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●費用は一人二万円

 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。
何でも今では、子どもの七五三の祝いを、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。
見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な着物を着た女の子(6歳ぐらい)が、中央にすわり、これまた結婚式場のように、列席者がその前に並んでいた。

費用は一人二万円くらいだそうだ。
レポーターが、やや皮肉をこめた言い方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その母親はこう言った。
「家でするより楽で、費用もかえって、安いのじゃないかしら」と。

●ため息をついた私と女房

 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。
私たちは、結婚式すらしてない。
と言うより、できなかった。
貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだったが)、私が今の女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、「香港へ行きたい」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでおしまい。

実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。
反対に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけでも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも流れてしまった。
さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。

●「何か、おかしいわ」

 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。
「何か、おかしいわ」と。
つづけて私も言った。
「おかしい」と。
すると女房がまたこう言った。
「私なら、あんな祝い、招待されても行かないわ」と。
私もそれにうなずいた。

いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなものだったかもしれない。
しかしおかしいものは、おかしい。

 子どもを愛するということ。
子どもを大切の思うということ。
そのことと、こうした祝いを盛大にするということは、別のことである。こうした祝いをしたからといって、子どもを愛したことにも、大切にしたことにはならない。
しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。

むしろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。
「自分は大切な人間だ」と思うのは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢心である。
その慢心がつのれば、子どもは自分の姿を見失う。
こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。

 さらに……。
子どもが慢心をもったならもったで、その慢心を維持できればよいが、そうでなければ、結局はその子ども自身が、……? 
この先は、私の伯母のことを書く。

●中途半端な人生

 私の友人の母親は、滋賀の山村で生まれ育った女性だが、気位の高い人だった。
自転車屋の夫と結婚したものの、生涯ただの一度もドライバーさえ握ったことがない。
店の窓ガラスさえ拭いたことがないという。
そういう女性がどうこうというのではない。
その人はその人だ。
が、問題はなぜその女性がそうであったかということ。
その理由の一つが、その女性が育った家庭環境ではないか。

その女性は数一〇〇年つづいた庄屋の長女だった。
農家の出身だが、子どものころ畑仕事はまったくしなかったという。
そういう流れの中で、その女性はそういう女性になった。

●虚栄の世界で

 たとえばその女性は、医師の妻やその町のお金持ちの妻としか交際しなかった。
娘と息子がいたが、医師の娘が日本舞踊を習い始めたりすると、すぐ自分の娘にも日本舞踊を習わせた。
金持ちの娘が琴を学び始めたりすると、すぐ自分の娘にも琴を習わせた。
あとは一事が万事。

が、結局はそういう見栄の中で、一番苦しんだのはその女性自身ではなかったのか。
たしかにその女性は、親にかわいがられて育ったのだろうが、それが長い目で見てよかったのかどうかということになると、それは疑わしい。
結局友人の母親は、自転車屋のおかみさんにもなれず、さりとて上流階級の奥様にもなれず、何とも中途半端なまま、その生涯を終えた。

●子どもはスポイルされるだけ?

 話を戻すが、子どものときから「蝶よ、花よ」と育てられれば、子ども自身がスポイルされる。
ダメになる。
それだけの財力と実力がいつまでもともなえば、それでよいが、そういうことは期待するほうがおかしい。
友人の母親のような末路をたどらないとは、だれにも言えない。

 で、その女性にはつづきがある。
その女性は死ぬまで、家のしきたりにこだわった。
五月の節句になると、軒下に花飾りをつけた。
そして近所に、甘酒を配ったりした。
家計は火の車だったが、それでもそういうしきたりはやめなかった。
友人から、「ムダな出費がかかってたいへん」という苦情が届いたこともある。

●子どもというのは皮肉なもの

 子どもというのは不思議なものだ。
お金や手間をかければかけるほど、ダメになる。
ドラ息子化する。
親は「親に感謝しているはず」と考えるかもしれないが、実際には逆。

 一方、子どもは使えば使うほど、すばらしい子どもになる。
苦労がわかる子どもになるから、やさしくもなる。
学習面でも伸びる。
もともと勉強には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗りこえる忍耐力も、そこから生まれる。
「子どもを育てる」という面では、そのほうが望ましいことは言うまでもない。


はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん?

子どもに与えるお金は、100倍せよ

●年長から小学2、3年にできる金銭感覚

 子どもの金銭感覚は、年長から小学2、3年にかけて完成する。
この時期できる金銭感覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。
が、それだけではない。
子どもはお金で自分の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。
これがこわい。

●100倍論

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、100倍にして考えるとよい。
100円のものなら、100倍して、1万円。
1000円のものなら、100倍して、10万円と。
つまりこの時期、100円のものから得る満足感は、おとなが1万円のものを買ったときの満足感と同じということ。
そういう満足感になれた子どもは、やがて100円や1000円のものでは満足しなくなる。
中学生になれば、1万円、10万円。さらに高校生や大学生になれば、10万円、100万円となる。
あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。
あるいは高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。
しかしこれはまったくの誤解。
あるいは実際には、逆効果。

一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。
子どもはさらに高価なものを求めるようになる。
そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。

 先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。
何でもその朝発売になるゲームソフトを手に入れるために、60歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでいるというのだ。
しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。
「かわいい孫のためです」と。

その番組の中では、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。

「おばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい

一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。
つまり1人の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム屋の前に並んでいるというのだ。
その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空のもと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるかどうか疑わしい。
感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。

苦労などというものは、同じような苦労した人だけに理解できる。
その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行けという意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。
少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。
この思い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。
アメリカ人でもイギリス人でも、そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素
である。
少し前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。
それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。

日本人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。
さて誕生日。
あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。
ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りかってみてほしい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 七五三 祝い ホテル 結婚式 子どもの金銭感覚 金銭教育 はやし浩司 七五三の祝い 飽食と贅沢 自分を見失う子ども 子供 はやし浩司 釣り竿を買ってやるより 寒空に並ぶ祖母)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神国日本

 20代、30代の人たちの目から見れば、こうなる。
「日本の繁栄を食いつぶしたのは、団塊の世代」と。
少なくとも、私たち団塊の世代に感謝している若い人は、いない。
それはちょうど、私たち団塊の世代が、戦時中、戦争に行った人に感謝していないのとよく似ている。
むしろ逆で、「どうしてあんなバカな戦争をしたのだ」と、非難する。

 当時の人たちは、国策として洗脳※されていたとはいえ、「神国日本」のために、命をかけた。
戦った。

(注※……私たちは常に国家によって、洗脳されている。
私にもこんな経験がある。

 オーストラリアへ留学生として渡ったときのこと。
オーストラリア人の学生がこう聞いた。
「日本ではなぜ、軍事教育をしているのか?」と。
そこで私が「していない!」と断言すると、こう言った。

「日本の男子学生は、みな、陸軍服(学生服)を着ている。
女子学生は、水兵服(セーラー服)を着ている。
それに軍隊ももっているではないか」と。

 そこで私が、「あれは軍隊ではない。セルフ・デフェンス・アーミィ(自己防衛隊)だ」と言うと、みなが、ドッと笑った。
「どこの国の軍隊が、自国を守らないということがあるか」と。

 私は「自衛隊は軍隊ではない」と教えられていた。
つまりそのように洗脳されていた。)

●感謝

 だから……というわけでもないが、現在の高校生や大学生は、親に感謝などしない。
高校生で、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、ほぼゼロ。
大学生でも、少ない。
それもそのはず。

 子どもたちは幼いころから、「勉強しろ」「勉強しろ」と尻を叩かれている。
だからこう言う。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と。

 私の3人の息子たちにしてもそうだ。
ごく平均的な高校であり、大学生だったと思う。
思うが、このかた、ただの一度も、私に感謝の念を伝えたことがない。
親の私は、老後の貯蓄を切り崩して、学費を工面した。
が、そんな親の気持ちや苦労など、どこ吹く風。
私が新しいパソコンを買ったときも、息子の1人は、私にこう言った。

「無駄づかい、するな!」と。

 私が自分で働いて、自分で買ったパソコンである。
それについても、そう言う。

●意識

 結局は意識の問題ということになる。
その意識が、180度、ズレている。

 が、私たちは私たちの意識を基盤にして、ものを考える。
「私たちがこうだから……」と。
つまり「子どもたちには、これだけのことをしてやったのだから、内心では感謝しているはず」と。
私のワイフも、ときどき、そう言う。
が、残念ながら、私の息子というより、現在の若い世代の人たちには、そういう意識は、まったくない。

 意識というのは、そういうもの。
シロか、クロか。
それしかない。
むしろ逆恨みされる。
「この日本をダメにしたのは、パパたち、団塊の世代」と。

それともあなたは、戦時中、戦争に行き、日本のために戦争をしたあの世代に、感謝しているとでも言うのだろうか。

●グチ

 悲観的なことを書いた。
が、こうした町に泊まってみると、それがよくわかる。
本来なら、今、マレーシアやインドネシアに立っている高層ビルが、この町にあってもおかしくない。
が、それがない。
どこにも、ない。

 立派な建物といえば、どこかのゼネコンが請け負った公共施設だけ。
本来なら……と書きたいが、この先は、グチになるだけ。
書いても意味がない。

 ただこういうことは言える。

 一見、華々しく見える日本経済だが、現状を知りたかったら、こうした町の、こうした民宿に泊まってみることだ。
ここに今、日本の現状がある。

●講演

 鼻水は少し出るが、風邪の症状は収まったようだ。
よかった!
明日は、講演。
が、私は妥協しない。

 どんな小さな町の講演であっても、手を抜かない。
真剣勝負。
そう言えば、先ほど、携帯電話に、電話がかかってきた。
N市の教育委員会の人からのものだった。
来月、そこで講演をすることになっている。

それについて、要するに、「ふつうの講演をしてほしい」ということらしい。
先週、私は、こんな演題をつけた。
「六諏輪廻の……闇路に迷う愚痴親父」と。
それがまずかった?

 「改めて、書き直します」と返事を書いた。

●就寝

 そろそろ眠くなってきた。
ワイフは、すでに寝支度を整えている。
私も、先ほど、歯を磨いた。

 ……長く通った歯科医院が、閉鎖され、すでに1年以上になる。
今度から、K歯科医院に通うつもりでいる。
私の教え子が、その医院で、歯科医師をしている。
楽しみなような、恐いような。
「あのときの恨み、今、はらす……」と、グサリとやられるかもしれない。

 ……学生時代を久々に思い出した。
あのころもこうして徹夜でパソコンを叩いていた……というのは、ウソ。
当時はまだ、パソコンはなかった。
工学部に、電子計算機というのは、あった。
教室1部屋を占めるほど大型のもので、窓の外からのぞくと、紙テープがバラバラと音をたてて飛び出していた。
それを見て、私は、こう思った。
「なんだ、こんなものか!」と。

 それから40年。
今、ここでこうして使っているパソコンのほうが、当時の電子計算機より、性能は、はるかによい。
それを考えると、不思議な感覚に襲われる。

(おやすみなさい。はやし浩司 2012−01−25)

●1月26日(木曜日)

 朝は、5時に目を覚ました。
エアコンの、乾燥した風を感じ、目が覚めた。
のどがカラカラだった。

 ……ニュースサイトをのぞくと、長野市で、積雪151センチとあった。
151センチ!
その量に驚く。
道理で、昨夜は、寒かった。

●円高vs貿易赤字

 もうひとつのニュースは、日本の貿易収支が、昨年(2011年)赤字になったこと。
「円高不況」とは言われるが、もし今「円安」だったら、貿易赤字は、さらに膨らんでいたはず。

どうであるにせよ、2012年の日本は、たいへん暗い。
今は、EUの金融危機問題で関心が、EUに移っている。
が、皮肉なことにEU問題が片づけば、つぎは日本?
あるいは中国?
あるいはアメリカ?

 このところ韓国のウォンが急上昇している。
(今日現在、1ドル=112円台。先月は、117〜116円前後。)
韓国がターゲットにされている可能性も、きわめて高い。

●教育

 教育というのは、今、組み立てても、その成果が表れるのは、20〜30年後。
言い換えると、教育は、常に20〜30年後を見据えてする。
そのよい例が、シンガポール。
シンガポールは、「Look East(日本を見習え)」と、20〜30年前に、その準備をした。
こんな例がある。

 私がいたオーストラリアのIHカレッジ(メルボルン大学)には、世界中から留学生が集まっていた。
が、それぞれの国の留学生は、それぞれの国の国情をそのまま反映していた。
独裁国家からの留学生は、王子や皇太子など。
フィリッピンなどの軍事国家の留学生は、軍人。
そしてシンガポールからも留学生が来ていたが、彼は「教師」だった。
名前を、チュー・チー・サンと言った。

 日本から行った私は、三井物産という会社の内定を延期してもらい、オーストラリアに渡った。
日本は当時、経済立国をめざしていた。
当時の私は、「なぜ、教師が?」と思ったが、今にしてみると、シンガポールは、教育に全精力を注いでいた。

 これからの日本を支えるには、「教育」しかない。
が、その教育は、……?
少なくとも今、日本がしている程度の教育なら、世界中、どこでもしている。
英語の国際検定試験では、ビリから数えたほうが早いほど。
こんな状態で、日本は2050年を乗り切ることができるだろうか。

 つまり今の日本に必要なのは、教育の大改革。
自由化。
基本的な主要科目は、学校で教える。
それ以外は民間に委託し、自由競争に任せる。
たとえば英語教育などといった科目は、民間に任す。
月謝は、バウチャー券方式で補助すればよい。

 高校、大学の単位の共通化は、常識。
フリースクールも、これまた、常識。
今のように、学校以外に道はなく、学校を離れて道はない。
そんな制度のほうが、遅れている。
おかしい。
その(おかしさ)に、みなが気づく。

 が、同時に、職業格差、給与格差、官民格差を是正する。
これが残るかぎり、受験競争はなくならない。
学外教育といえば、受験教育。
そうなってしまう。

 要するに、子どもたちのもつ多様性に合わせて、無数のコースを用意する。
その選択は、子ども自身に任す。
なぜ今、この日本で、「武士道」なのか?
「論語教育」なのか?
方向性がまちがっているというより、バカげている。

●豆腐系人間

 とは書きつつも、このところ私も自信を失いつつある。
子どもたちの世界でも、たくましい子どもほど、嫌われている。
自己主張のはげしい子どもほど、嫌われている。
「できの悪い子」と。

 そのかわり生まれてきたのが、草食系ならぬ、豆腐系人間。
おとなしく、ハキがなく、ナヨナヨしている。
男子なのに、ピンクの花柄パンツをはき、耳や鼻には、金物をぶらさげている(高校生)。
「日本は……?」と問いかけただけで、「ダサイ!」と言って、はねのけてしまう。
(そういう若者にしたのは、時の文部省だぞ!)
こんな日本に、未来はあるのか?

 では、どうするか?

 たくましい子どもを育てるためには、たくましい教師がいなければならない。
たくましい教師を育てなければならない。
が、現状は、……?
「年功序列」という言葉がある。
学校教育は、完ぺきに近いほど、その年功序列型社会。
その年功序列型社会をまず崩す。
30代、40代の校長が出現する。
20代でもよい。
そうなったとき、日本の教育は変わる。
また変えなければならない。

●私たちの責任

 かなり頭が熱くなってきた。
こういう話になると、どうしても頭が熱くなってしまう。
が、これだけは言える。

 それぞれの人は、それぞれの立場で、がんばっている。
それは認める。
が、同時に、天下国家を論じてこそ、その先に日本の未来が見えてくる。
2050年には、少子化がさらに進み、高齢者がさらにふえる。
(65歳までのおとな):(65歳以上の高齢者)の比率が、1・2:1になる。

 腰の曲がったような高齢者が、100万円(3か月ごと)の札束を手づかみにして郵便局を出る。
その一方で、子どもをもつ親には、数万円(月額)の補助もない。
学費にしても、基本的には、全額、親の負担。
企業によっては、私製の奨学金制度を始めたところもある(スズキ自動車ほか)。
しかし欧米と比べたら、超貧弱。

 私も今、20代なら、子どもは作らない。
生まれてくる子どもが、かわいそう!
若い人たちにしても、そうだ。
明けても暮れても、やっていることと言えば、恋愛ごっこ。

 つまりこういう国にしてしまったのも、私たちの責任。
天下国家を論じなくなった、私たちの責任。
が、その私たちに向かって、若い人たちは、こう言う。
「ゴミ」と。

●亡国の兆候

 しかし……。
「ゴミだ」「ゴミだ」と言われると、ふとこう思う。
「どうでもなれ!」と。
「そんな偉そうなことを言うなら、自分で国を作ってみろ」と。

言い換えると、この日本も、落ちるところまで落ちるしかない。
一度、食うに困るところまで、落ちるしかない。
またそこまで落ちないと、自分で気がつかない。

 ……こういうのをニヒリズムという。
そのニヒリズムが、私の心の中にも、芽生え始めている。
まさに亡国の兆候。
が、これではいけない!
「どうでもなれ」と手を引いてしまったら、今までの努力は、いったい何だったのかということになってしまう。
が、それこそ、まさに敗北。

……ということで、今日も、講演で、がんばる。
自分の思いを、今の若い親たちに伝える。
はかない抵抗かもしれないが、やるしかない。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 亡国の兆候)


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小説:3か目の朝




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2歳児の不登園について】

【三重県のDさん(母親)からの相談】

(Dさんより、はやし浩司へ)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【 いただいた相談内容について……これは後日のトラブルを避けるためです。どうか、ご協力ください。 】:
内容を(私)とわからないように改変したのちなら、転載、引用を、自由にしてよい。

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:2歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(36歳)母(34歳)息子(2歳)

【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きください。 】:

はじめてメール致します。
2歳の息子の母です。
息子の登園拒否に悩んでいます。

息子は去年から保育園に通い始め、今年から2年目になります。
この4月から新しいクラスになったのですが、3月の終わりごろ(クラスが変わる前)から登園拒否を起こすようになりました。

原因として思い当たる事は、

(1)3月の終わりごろ体調を崩しお休みが続き、休み明けに登園すると、保育園が新年度の準備の為に先生の入れ替わりを行っていた(クラスの雰囲気が変わっていた)

(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実家です)の家もゴタゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構ってくれなかった)

(3)新しいクラスにまだ馴染めない

以上、いくつかありますが、どれも原因になっている気がします。

夜は夜泣きが酷いというほどではなく(時々クスンクスン言います)朝まで起きる事はありません。
食欲もそれなりにあり、特に夜はしっかり食べています。
ただ、保育園も教室に入る前までは行けるのですが、クラスに一歩入る事が出来ず、教室の前で泣きます。
泣き方は日に日に酷くなっており、床に突っ伏して私の足に絡みついて泣く事もあれば、クラスの先生が抱っこするのを振り払うように暴れて泣く事もあります。
そして急にタオル類を手放さなくなりました。
大きめのタオルやブランケットがあると安心するのか、寝る時も抱きしめて寝ます。
保育園へ行く時も持って行くと言って離しません。
家庭での過ごし方は、以前と大きく違う事はありませんが、今までママがいなくても祖父母と遊べたのに、ここ数日はママがいないと嫌だと言います。
保育園から帰ると一人で遊べますが、朝はママにくっついていないと食事も摂りません。
またとっくに卒乳を済ませていましたが、最近おっぱいを求めるようにもなりました。

HPで先生のご意見を拝見致しました。
息子の場合も、母子分離不安に該当するのではないでしょうか。
毎朝「今日も保育園頑張ろうね」「帰ったら公園行こうね」などと励ましていますが、結局教室の前で大泣きです。
園の先生には「泣いているのは朝だけで、あとは機嫌よく過ごしていますよ」と言われていますが、我慢しているだけで心は折れたままなのではないかと心配です。
今、精一杯の愛情を示そうと、出来るだけ抱っこするなどスキンシップを行っています。
症状が出てからまだ2週間程度なので、まだまだ時間が掛かるのだろうとは思っていますが、今私に出来る事があれば、アドバイス頂けると光栄です。

よろしくお願い致します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(はやし浩司より、Dさんへ)

 「2歳」という年齢に、驚きました。
しかも「今年で通園、2年目」ということですから、1歳前後から、通園していることになります。

 その2歳の子どもが、体を張って、登園を拒否している……!
それを何とかして、保育園へ通わせようとしている……!
大前提として、家庭に、その必要性、(たとえば共働きしなければならないとかいう事情がないならば)、子どもは、家庭で、育てなさい。

 集団教育を経験させるとしても、満4歳前後からでじゅうぶんです。
アメリカの小学校の多くは、満4歳から、6年間の教育を実施しています。
それ以前は、ナーサリーの分野ということになります。
カナダでは、自由に、親と子ども(1〜4歳)が、保育園へ行きます。
登園時刻も、帰宅時刻も、自由です。
何をするかも自由です。
週に何回、行くかも自由です。
(プラス、無料です。)
つまり日本の現状は、世界的に見ると、あまりにも非常識です。

 保育園だの、幼稚園だの、幼保一元化だの、基本的な部分で、完全に狂っています。
つまり「園」の経営方針第一主義!
もっとわかりやすく言えば、「金儲け」。
子どもの心(心理)など、どこにもない!
2歳の子どもが、園へ行くのをいやがっている。
当然でしょ。
いちばん家族の愛、母親の愛を求めている乳児(幼児)が、不登園!!!

 Dさんが、バカげているというのではありません。
制度と、それを支える国や親たちの意識が、バカげている。
結論から先に言えば、さっさと園をやめ、子どもの心を守りなさい。

このままでは、基本的信頼関係の構築にすら、失敗してしまうでしょう。
子どもの年齢からして、心に大きな傷(トラウマ)を残すことも考えられます。
症状は、文面から見る範囲では、完全に、「学校恐怖症(ジョンソン)」です。
また午前中に重く、午後に軽快するというのも、典型的な日内変動です。
これを「虐待」と言わずして、何と言いますか。

(「はやし浩司 学校恐怖症」で検索をかけてみてください。)

 間接的な、つまり親にその意識がない、虐待です。
2歳ですよ!
WHOですら、「2歳までは親が育てろ」と勧告しています。
「できれば……」ということでしょうが、この時期までに子どもの心ができます。
(反対に、2歳前後までに、その構築に失敗すると、子どもは生涯にわたって、人間らしい心を取り戻すことはないとも言われています。
野生児の例をあげるまでもありません。)

 甘えさせてあげなさい。
添い寝をさせてあげなさい。
乳房を口に含ませてあげなさい。

 すでに神経症的な症状も現れています。
(タオルを手放さないなど。)
放置すれば、この程度ではすまなくなりますよ。
身体的症状から、精神的症状へと進んでいきます。
ここはたいへん慎重に、子どもの心を見るべき時期です。

(「はやし浩司 神経症」で検索をかけてみてください。)

 なお母子分離不安ではないかということですが、Dさんのお子さんのばあいは、あくまでも随伴症状です。
つまりそんな表面的な症状が、問題ではないということです。
お子さんの心の中では、心配と不安が渦を巻いています。
安心して、心を休めることができない。
心理学でいう、「基底不安」です。
そのひとつとして、母子分離不安症状が出ているだけです。

 本当の問題は、「(2)夫婦間でトラブルがあり、子供が安心して過ごしていた祖父母(私の実家です)の家もゴタゴタに巻き込まれていた(どこにいても落ち着かなかった、もしくは自分に構ってくれなかった)」というところです。

 こういう問題では、つまり子どもに何か症状が現れると、親は、子どもを何とかしようと考えます。
しかしそれこそ親の身勝手。
まずそのゴタゴタとやらを、子どもの世界から切り離しなさい。
つまり子どもの問題ではなく、あなた自身の問題です。

 一方で、親が火事を起こしておきながら、ワーワーと逃げ回る子どもに向かって、「静かにしなさい」と叱っているようなものです。
たいへんきびしい意見を書いていることは、承知しています。
Dさんにとっても、つらい回答かと思います。
しかしね、私には、子どもが懸命に発しているSOSのほうが、心配でならないのです。
命がけで発している。

 私も子どものころ(3〜6歳)、父が酒乱で、たいへんつらい思いをしました。
その結果、今でも、心の傷と闘っています。
そういう自分を知っているからなおさら、Dさんのお子さんが心配でならないのです。
では、どうするか。

(1)保育園は、必要なければ、やめなさい。
あなたに時間があれば、2人で楽しいときを過ごしなさい。
子育ては義務ではなく、権利です。
その権利を放棄しないでください。
親子が、いっしょに楽しい思い出をつくる。
それは権利です。
あちこちへ出かけ、いっしょに過ごしなさい。
保育園などに押し込め、その権利をどうして自ら放棄するのですか?
(もちろん本人が楽しんで通うばあいは、別ですが……。)

(2)家庭のゴタゴタは、子どもから切り離しなさい。
ゴタゴタを、子どもの目からはずし、見せてはなりません。
巻き込んではいけません。
これは親の義務です。
家庭のゴタゴタに子どもを巻き込むこと自体、「虐待」ですよ!
虐待!
私は「間接虐待」と呼んでいます。
子どもの心に傷をつけるという点では、通常の(?)の虐待と、どこもちがいません。
つまりね、これはあなた自身の問題ということ。

(3)その結果として現れている、神経症的症状、不登園は、あくまでも「結果」。
対症療法だけしても、意味はありません。
まずあなたがもっている、学歴信仰的な亡霊から決別すること。
アメリカでは、学校へ通わないで、自宅で学習している子どもが、推定で200万人もいます。
あなた自身を苦しめている、学歴信仰という呪縛から、あなた自身を解き放つこと。
「保育園なんてね、行きたくなければ行かなくてもいいのよ。その分、ママと遊びましょうね」と。

 まず肩の荷をおろす。
「自由」の意味を知る。
私なら、今という貴重な時期は、できるだけ子どもといっしょにいる時間をふやします。
こういう楽しいときは、あっという間に、終わってしまいますよ。

 なおスキンシップは、「もとめてきたら、すかさず応ずる」が原則です。
1秒も、間をおいてはいけません。
「すかさず」です。
ぐいと抱いてあげるだけも、効果的です。
「あとでね」「今、忙しい」は、禁句です。
子どもは、その瞬間に、親の心を見抜きます。

Dさんは「できるだけ……」と書いていますが、「できるだけ……」では、足りないということです。
今、一度、全幅の愛情表現(愛着)を、子どもに示してあげなさい。
多少の後遺症(甘えん坊になるとか、依存性がつくとかなど)はありますが、それはマイナーな問題です。
心の傷(トラウマ)とは、比較にならないほど、小さな問題です。

 以上ですが、あとは、私のHPの記事を参考にしてください。

「はやし浩司 基本的信頼関係」などが、役に立つと思います。

(終わりに)

 とはいえ、Dさんが、かかえているような問題は、程度の差こそありますが、みなが共通してかかえている問題です。
外から見ると、どの家も、うまくいっているように見えますが、本当は、中身はガタガタ。
つまり(ありふれた問題)ということ。
だからどうか自分を責めないでください。

 こうしてDさんも、ただの母親から、賢い母親へと成長していきます。
その苦しみの第一歩です。
いつか、その苦労が、あなたの人生を輝かせます。
あとは恐れず、前に向かって進めばよいのです。

 よく安易に、「私は子どもを愛しています」などと得意げに言う親もいます。
しかしそういう親ほど、「愛」の意味が、まるでわかっていない。
愛というのは、苦しくも、つらいものです。
そして静かです。
そこに愛があることにさえ、気がつかない人も多いのです。

 さあ、あなたも今、その愛が試されつつあります。
方法は簡単。

『許して、忘れる』ですよ。

 「はやし浩司 許して忘れる」も、一度、検索してみてください。
きっとあなたに勇気を与えることができると思います。

 では、今日はこれで……。

はやし浩司
2012/04/06

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 間接虐待 神経症 子供の神経症 基本的信頼関係 母子 はやし浩司 基本的不信関係 登校拒否 学校恐怖症 不登園 はやし浩司 不登園)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【3日目の朝に】(短編小説byはやし浩司)(はやし浩司 2012−04−07)

(第1日目の朝)

●俵 周人

 俵 周人(たわら・しゅうと)、83歳。
男性。
元司法書士。
「元」をつけるのは、現在は、引退中。
というより、事務所を閉鎖して、すでに10年近くになる。
2人の息子がいたが、それぞれは独立し、現在は、東京とアメリカに住んでいる。
共に音信が途絶えて、25年。

 事務所を手伝っていた妻、由紀子は、事務所を閉鎖する、その少し前に他界。
享年、65歳だった。

 その周人が、その朝、こんな夢を見た。

●公民館

周人は、どこかの公民館らしき部屋の中にいた。
木造の、古さを感じさせる建物だった。
歩くと、あちこちで、床が、ギシギシときしんだ。
柱に塗ったペンキも、ところどころはげ落ちていた。

 周人は、その部屋の前のほうに立っていた。
村の人たちが、何かの会合を開いていた。
その周人に向かって、10数人の、男や女たちが座っていた。
周人は、男や女たちに向かって、こう言った。

 「私は神様のような者です」と。

 とたん部屋の中は、笑い声で埋まった。
中にはあからさまに、侮蔑の念を表情に浮かべる男もいた。
が、周人はつづけた。

「ここにいる皆さんは、私が勝手に、頭の中で想像した人たちです」と。
さらに笑い声は、大きくなった。
「先生は、おもしろい人だ」と。
そんな声も聞かれた。
が、周人はひるまなかった。

 「私は今、夢を見ています。みなさんは、その夢の中の人たちです。だからみなさんは、私が勝手に、つまり頭の中で想像した人たちです」と。

●夢

 周人は、それが夢であることを知っていた。
若いころから、ときどき、そういうことがあった。
夢を見ながら、別の意識が、「これは夢である」と、周人に教えた。
周人はそれを知り、「ああ、これは夢だ」と、自分に言って聞かせた。
そのときも、そうだった。
「ああ、これは夢だ」と。

 だから周人は、男や女たちに向かって、こう言った。

 「みなさんは、実は、存在しないのです」と。

 周人は、そう言いながら、ふと前に見た夢のことを思い出した。
よくそうして、この公民館らしき部屋の中で、話したことがある。
いつだったかは思い出せない。
が、はじめてではない。
村で、何かの問題が起きるたびに、周人は、よく意見を求められた。
村で、ただ1人の、法律の専門家だった。
そのためその村では、「先生」と呼ばれていた。

 そう、そのつど、こうしてみなの前で立って話をした。

●反論

 すると左の隅にいた若い男が、こう聞いた。
若いといっても、50歳を過ぎていただろうか。
笑い声を含んだ、言い方だった。

 「……つまり、私は、あなたの想像上の人間ということですか」と。

 周人は、その質問にも、きっぱりとこう答えた。
「そうです!」と。
とたん、さらに大きな笑い声が、部屋中に響いた。

男「しかし、……私はね、今日、一日中、農協の手伝いをし、車を運転していましたよ」
周「それも、私がそのように想像したからです」
男「想像? そんなはずはありません。ほら、手だって、ちゃんと汚れている」
周「それも私がそのように想像したからです。私が想像したとおりに、あなたは話しているだけです」
男「じゃあ、そのあと私はどこへ行ったか、先生は、ご存知ですか」

私「知っていますよ。……そう、あなたは、水車小屋へ行き、そこで水の流れを調べましたね」
男「ハハハ、そうですが、先生は、私をどこかで見ていたのでしょう」
私「見ていたのかもしれません。映画の中のように、あなたの姿がはっきりと思い出せます」
男「……話にならない!」
周「私は、今、夢を見ているのです。みなさんは、私の夢の中の人たちなのです」と。

 するとだれかが、こう言った。
その声に同調し、さらに何人かの男や女たちが、こう言った。
「だったら、証拠を見せてくださいよ」と。

●意識

 周人は、かなりムキになっていた。
軽い興奮状態になった。
心臓の鼓動が大きくなるのが、自分でもよくわかった。
が、夢の中でそうなるのは、たいへんまずい。
「このままでは、目が覚めてしまう……」と。
周人は、自分の夢にしがみついた。

 「証拠……? たとえばみなさんの怪我や病気だって、治せます。どんなことだって、できます」と。

 気がつくと、1人の男が、周人の前に立っていた。
その2日前、草払い機で土手の草を刈っているとき、土手から落ちた。
そのとき、腕の骨を折った。
周人には、その事故のときの様子が、やはり映画でも見たかのように、よくわかっていた。

 「どうしてだろう?」と、周人は思った。
意識がかすかに揺れた。
周人は、自分が夢を見ていることを、忘れ始めていた。

●義理の妹

 周人は男の腕に、自分の手を置いた。
置きながら、「痛いですか」と聞いた。
固いギブスが、ひんやりと冷たかった。

 その様子を見て、男は、こう言った。
「やはり、治せないじゃないか」と。
周人は、1歩、足をうしろへ引いた。
軽い敗北感を覚えた。

 周人は、最前列に座っている女に話しかけた。
年齢は、やはり50歳くらいだった。
見覚えのない顔の女性だった。

周「あなたは、だれですか?」
女「あら、いやだ。先生ったら、私を忘れている。私はあなたの妹です。義理の……」
周「義理の妹?」
女「そうですよ。先月、父の法事で会ったばかりでしょ」
周「会った?」
女「……先生、だいじょうぶですか」
周「……ハア……?」と。

 周人は、その法事のことは知らなかった。
その女性に会ったこともなかった。
義理の妹?
「義理の妹って……?」と思ったが、それは口にしなかった。
周人は、その場を、ごまかした。

「ハハハ、そうでしたね。ごめんなさい」と。

 そこにいた男や女たちは、また笑った。
周人が、何かを口にするたびに、よく笑った。

●あの世

 会場は、どこか薄暗かった。
そのあたりだけが、1、2個の裸電球で、白く照らし出されていた。
だれかが言った。

 「先生の話は、おもしろいですね。もし私たちが先生の夢の中の人間であるとするなら、先生の住んでいるもとの世界は、どんな世界ですか」と。

 周人はそのとき、懸命に、もとの世界を思い出そうとしていた。
「私は、俵 周人だ。名前はわかる。しかし……ここはどこなのか」と。
が、周人は、こうつなげた。
「……ええと、ここがここだとするなら、私のいたもとの世界は、あの世……ということになりますね」と。
懸命の反論だった。
再び、そこが夢の世界であることが、周人には、はっきりとわかった。

男「あの世? ならば先生、あの世は、どんな世界ですか」
周「……ここと、まったく同じです」
男「まったく同じ? 同じということは、どういうことですか」
周「今のみなさんと同じような人たちがいて、同じような生活をしています」と。

 事実、その通りだった。
そこにいる男や女たちにしても、またその部屋にしても、周人の記憶のどこかにあった人や部屋にちがいない。
深い無意識の世界に潜んでいた記憶が、意識の世界に、浮かびあがってきた。
それが夢となった。

男「仮にですよ、仮にです。もしあなたがあの世で目を覚ましたら、私たちはどうなるのですか」
周「……目を覚ましたら、ですか? ……そうですね、あなたたちは、そのまま消えます」
男「先生の話は、おもしろい。私たちが消えるだなんて……。私たちは消えませんよ」と。

 笑い声は、さらに大きくなった。
「そうですね」と思った瞬間、周人も、みなといっしょに笑い出した。
とたん、周人の意識は薄らいだ。
公民館らしき部屋が、暗闇の向こうに遠ざかった。

 周人は、目を覚ました。
こう思った。
「やはり夢だった」と。

●夢日記

 有料の老人ホームだった。
周人は、その一室で横たわっていた。
1畳分ほどの畳(たたみ)を、やや長くしたベッドの上に寝ていた。
白いシーツが、足にからみ、その上から、乾いた風がやさしく吹きつけていた。
温風機が、その上の壁にあった。

 周人は、夢の中のできごとを思い出そうとしていた。
が、夢というのは、時間がたつと忘れてしまう。
ばあいによっては、1〜2分で、忘れてしまう。
意識といっても、表層の意識。
脳の表面をかすめ、そのままどこかへと去っていく。

 そこで周人は、若いときには、夢日記をつけていたこともある。
周人には、それが楽しかった。
妻の由紀子が生きているときには、その日記を、あとで読んで聞かせてやったりもした。
それを聞いて、由紀子はいつもこう言った。
「あなたの夢は、いつも映画みたい」と。

 が、夢は夢。
夢日記につづられた話は、奇想天外というよりは、連続性のないものばかりだった。
背景も、そこに出てくる人たちも、また状況も、ちがっていた。
楽しく笑うような夢もあれば、反対に、何かに追い立てられ、苦しむ夢もあった。

 が、夢日記を長くつづけていると、夢にも一貫性があることがわかるようになる。
周人は、いつだったか、それに気づいた。
自分の夢日記を読んでいたときのことである。

そのころの周人は、たとえば周人は、電車やバスに乗り遅れそうになる夢を、よく見た。
飛行機に乗り遅れそうになる夢を見たこともある。
そのことから、周人は、そういった夢を見る理由として、周人自身がもつ強迫観念によるものと知った。

 しかし連続性はない。
今朝見た夢のつづきを、明日の朝、もう一度見るということはない。
周人は、夢がもつ、多様性……つまり脳の広さには、いつも驚いた。

●車椅子

 周人は、枕元のベルを押した。
車椅子に移動するには、介護が必要だった。
右足の関節を痛めて、10年以上になるだろうか。
そのころから歩くと激痛が走るようになり、その数年後、人工関節の埋め込み手術を受けた。
さらにその数年後、周人は、現在の、この有料老人ホームに入居した。
それまで住んでいた家と土地を売り払い、それを預託金とした。
ほかに1200坪の農地があるが、それは死んだ父名義のままになっていた。

 介護度は2。
実際には3かも?
一度、車椅子に座ったら、一日中、そのままということも珍しくなかった。
数日前には、ケアマネの男から、「特養(特別養護老人ホーム)の申し込みをしておきました」と言われた。

 周人は、2度目のベルを押した。
夕食以後は、水分をとらないようにしている。
しかし尿意だけは、何ともしがたい。
し尿ビンをベッドの下から引き出そうとしたそのとき、介護の若い男が入ってきた。

 愛想はよいが、形だけ。
口はうまいが、心がこもっていなかった。
手際よく周人の世話をしたあと、その若い男は、そのまま部屋を出て行った。
周人は、そのままひとりで、そこに残された。

●日記

 あとは食事の時間を待つだけ。
介護士が決まった時刻になると、食事を運んできてくれる。
食堂もないわけでない。
その時刻の前に、食堂へ行けば、食堂で食事をとることもできる。
しかし周人のように、頭のしっかりした老人は、少ない。
ホームの約半数の人は、認知症か何かにかかっている。
話しかけても、反応がない。
一日中、何も話さないで、ボーッとしている人も多い。

 周人はそういった老人と、いっしょに食事をするのがいやだった。
それで特別なはからいということで、たいはんの食事は、自分の部屋ですましていた。

 周人にしても、ホームの人以外の人と話す機会は、ほとんど、ない。
話すといっても、内容は、いつもテーマ。
同じ話。
あとは、古いワープロを使い、その日の日記を書く。
それが周人のゆいいつの、日課になっていた。

●熟睡剤

 「どうすれば、夢のつづきを見ることができるだろうか」

 周人は、その日は、それだけを考えていた。
頭の中で、夢の中で会った男や女の顔を思い出していた。
「また会えるだろうか」とも。

 が、今までの経験では、それはなかった。
つまりできなかった。
夢日記をつけていたとき、それを知った。
とくに現実と夢の世界が混濁するというのは、精神状態が、かなり危険な状態であることを示す。
精神病質の心配がある。
何かの本に、そう書いてあった。

 では、連続性のある夢はどうか。
連続映画のように、その翌日、そのつづきを、見るとか。
そんな夢でも、精神状態が、かなり危険な状態になっていることを示すのか。

 が、周人は、もう一度、今朝の夢に戻りたかった。
あの男と、もう一度、議論してみたかった。
「君は、ぼくの想像力が作った、架空の人間だ」と。
それをはっきり、それを言ってやりたかった。

 そのための方法がないわけではない。
熟睡剤を多めにのめば、朝方、軽い幻覚症状が起きる。
それを利用し、夢を見る時間を長くすることはできる。
今の周人にとって、それ以外の楽しみは、ほとんどない。

 その日も、何の変哲もなく過ぎた。
その夜もせかされるようにして、ベッドに入った。
介護士は、枕元の電気を消し、そのままつぎの部屋に向かった。
周人は、何も言わなかった。
あいさつをしなかった。

(2日目の朝)

 周人は、なだらかな丘のつづく小道を歩いていた。
細い道だったが、舗装されたように美しい道だった。
しばらく行くと、木を組んだフェンスがあり、その向こうに何人かの男たちが座っていた。
仕事の前の段取りを、あれこれと話しあっているようだった。
あるいはすでに仕事を終え、その合間に、休息をとっているのかもしれない。
周人を見つけると、その中の1人が、声をかけてきた。

 「やあ、先生、昨日の話は、おもしろかったですな」と。

 男は、山の中腹に畑をもっていた。
かぼちゃや、山芋を育てていた。
が、それがイノシシに荒らされるようになった。
周人にはそれがよくわかっていた。

周「イノシシは、出ませんか」
男「ハハハ、ヤツの餌を作っているようなものですよ」
周「それはたいへんですね」
男「いいんですよ。どうせ、私たちは食べないから」と。

 そのとき周人は、それが夢であることに気づいた。
「これは夢だ」と。
その気になれば、状況を変えることもできる。
空を飛ぶこともできる。
が、そういう思いをさえぎるかのように、別の男が話しかけてきた。

男「先生の……、昨夜話してくれた、あの話は、おもしろかったですよ」
周「……そうですか」
男「あの世というのは、私はないと思っていました」
周「いや、それがあるんです。ちゃんとあるんです」
男「先生は、あの世から来たと言いますが……ね?」
周「話すほども、価値のない世界ですから……。でね、昨日、私が消えたあとのことですが……」
男「消えた? 先生、冗談言わないでくださいよ」と。

 男たちはそれぞれが勝手に話し始めた。
それによれば周人は、そのあと、村の班長の家に寄り道をしたという。
秋の収穫祭の祭が近いということもあり、その話しあいをしたという。
が、周人には、その記憶がなかった。
男たちの話すがまま、それに口を合わせるしかなかった。

 「そうでしたね。そうでした。ハハハ」と。

●相談

 夢の中の周人は、村の人たちと変わらないほど元気に、歩いていた。
山の土手も、すいすいと上った。
力仕事も、軽々とできた。
が、何よりもうれしかったのは、男たちの言葉に温もりがあったこと。
ぶっきらぼうな言い方だったが、一言、一言が、周人の心に響いた。
男たちは、作物の話をした。
「キーウィは、儲かる」「いや、花木のほうが、儲かる」と。

男「あの喜一さんの土地ねえ、先生。あれ、どうなるんですか」
周「ああ、あの土地ね。あそこまで複雑になると、手のほどこしようがないね」と。

 周人は、喜一の土地の話は前から聞いていた。
代々、移転登記をしないまま、その喜一が、数年前、亡くなってしまった。
相続人はあちこちに散らばっている。
それが孫の代にまで、広がっている。
その孫も今では、生きているかどうかさえ、わからないという。
相続放棄の印鑑を集めるといっても、たいへんな作業になる。

 周人は、そんな話を、した。
男たちは、「やはり、そうか」というような顔をした。
が、つぎの一言に、周人は、電撃に打たれたようなショックを受けた。
とたん胸の鼓動が激しくなり、周人の意識がかすんだ。
周人は懸命にそれを抑えた。
目を覚ましたら、そのままに自分が消えてしまう。
が、意識だけが勝手に、遠ざかっていった。

 1人の男が、こう言った。
「奥さんがね……ほら、先生の奥さんですよ。今夜は、早く帰ってきてほしいとこぼしていましたよ。若い奥さんを、ひとりにしておいては、いけないよ」と。

●敗北感

 周人は何度も目を閉じなおした。
夢の中に戻ろうとした。
が、そのつど、さらに強い意識が、周人を引き戻した。
激しい鼓動が、頭のうしろから、周人を叩いた。
周人は、はげしく小刻みな呼吸を繰り返した。

 目を開けると、カーテンの隅から、白い朝の光が漏れていた。
周人は、強い後悔の念を覚えた。
「由紀子がいる? あの村に、由紀子が住んでいる?」
目を覚ました自分を、周人は、何度も、なじった。

 ベルを押したのは、それから半時間もしてからのことだった。

●姉の息子

 その日の午後は、遠くから客が来ることになっていた。
周人が住んでいるID地区は、観光地にもなっている。
温泉旅館も、いくつか並んでいる。

 が、周人は、その客が嫌いだった。
つまりは、様子見。
見舞いではない。
見物。
それが周人には、よくわかっていた。
が、断ることができない。
それ以上に、逃げる場所もない。
「忙しいから会えない」という口実など、どこを探してもない。

 客……20歳も若い、姉の息子だった。
つまり甥。
姉はすでに他界していたが、父が残した1200坪の農地については、相続権をもつ1人になっていた。
宅地に転用すれば、かなりの財産になる。
その息子、つまり周人の甥が、その相続権を主張し始めた。
周人が死ねば、その息子と、周人の息子たちが、相続権を主張し、土地を分配することになる。

 周人は、その甥が嫌いだった。
定職にもつかず、女癖も悪かった。
かと言って、周人の息子たちとも疎遠になってしまった。
自分の息子だったが、遺産を分け与えようなどという気持ちは、とうの昔に消えた。

姉の息子は、遺産の協議分割書に、印を押させようとしていた。
周人はのらりくらりと、それをかわした。
そんな甥でも、印鑑を押したら、二度と来なくなる。
それが周人にはよくわかっていた。

 が、周人は、前回、その息子に会ったあと、自分の取り分については、町に寄付すると心に決めた。
温泉街の人たちは、駐車場としてその土地を使っていた。
町に寄付すれば、ちょっとした公園にもなる。
町の人たちは、それを喜ぶだろう。
周人は、自分の意思を、遺言として書きとめ、公正証書として登記した。

●遺産

 甥は慇懃無礼な男だった。
態度も大きかった。
介護士が部屋に入ってくると、ことさら大声で、昔話をした。
「この伯父には世話になりました。よく魚釣りに、連れて行ってもらいました」と。
わざとらしい言い方だった。

 で、一連の世間話が終わると、甥は、こう訴えた。
「おじさんも、今のうちに土地を売り、もっといい施設に移ったほうがいい」と。
「母が残した家も古くなったので、早く立て直したい」とも。
が、周人はいつもの言葉を繰り返した。

 「まあ、何とかしなければなりませんね。私もそう思っていますが……」と。

 甥の立場になれば、ほかにも方法はある。
民事調停が、いちばん、手っ取り早い。
半ば強制的に、遺産の分割を請求することもできる。
しかし周人は、その方法については教えなかった。

 が、今では、客と言っても、そんな客ばかり。
棚の郵便袋には、不動産屋の名刺だけでも、10枚近くが入っている。
その郵便袋に、周人は、ちらりと目をくれた。

●写真

 その日も、体調がよくないことを理由に、甥には早めに帰ってもらった。
甥は、「今度来るときには、印鑑証明書と戸籍抄本を用意しておいてほしい」と、何度も念を押した。
周人は、うわの空で、軽い返事を繰り返した。

 夕食は、自分の部屋でとった。
10分ほど、女性のヘルパーが、あれこれ世話をしてくれた。
が、周人のほうから、それ以上の世話を断った。
周人は、その日も、一日中、その朝見た夢のことを考えていた。
……というか、頭から離れなかった。

 棚には、妻、由紀子の写真だけが、飾ってある。
周人は、それを何度もながめた。
そしてその夜も、熟睡剤を、いつもの2倍ほど、口の中に入れた。

(3日目の朝)

●自分の家

 周人は、自分の家をさがした。
が、どれも近くまでは行くが、その先へは進めない。
またやっと見つけた家にしても、そこには別の人が住んでいた。

 山の中腹にある家。
川沿いのビルの中の一室。
いちばん自分の家らしき家は、新興住宅地の中にあった。
が、どれも似たような家で、区別ができなかった。

 周人は、はやる気持ちを抑えながら、あの男たちを探した。
「あの男たちなら、知っているはず」と。
が、その男たちも、いなかった。

●商店街の子ども

 周人はそのとき見知らぬ商店街の前を歩いていた。
すると、1人の子どもが話しかけてきた。
10歳くらいだろうか。
それとも幼児だっただろうか。
よくわからなかった。
が、こう言った。

子「おじさん、あの世から来たの?」
周「……」
子「あの世って、本当にあるの?」
周「そうだな、あるかもね」と。

 とたん、周人は、自分が夢の中にいるのがわかった。
「これは夢」と、はっきりわかった。

子「あの世って、どんなところ?」
周「こことは、どこも違わないよ。同じだよ」と。

 その瞬間、周人は、公民館らしき部屋の中に立っていた。
また別の男が、こう聞いた。

男「同じということは、どういうことですか」
周「今のみなさんと同じような人たちがいて、同じような生活をしています」と。

 周人は、うれしさが腹の底からこみあげてくるのを覚えた。
そしてそれが頭の高さまでくると、熱い涙に変わった。
周人は、あの公民館らしき部屋に戻ってた。

男「あの世が、ここと同じ?」
周「そうなんです。ここと同じです」
男「先生も、おかしなことを言う人だ。住職だって、そんなこと言わないよ」と。

 周人は、ゆっくりとそのあと、こう聞いた。

 「家に帰りたいです。由紀子が待っています。どなたか、いっしょに行ってくれる人はいませんか?」と。

 それに応じて、何人かの男や女たちが、手をあげた。
その中には、あの義理の妹がいた。
「お忙しいところ、すみません」と。
周人はていねいに、頭をさげた。
義理の妹という、その女は、にこやかに笑いながら、周人を、外に誘った。

●自宅

 その女性は、小柄な人だった。
年齢はわからないが、40歳くらいだろうか。
それとも30歳?
楽しそうだった。
歩くというよりは、空を舞うように、先を走った。
周人は、懸命にその後を追いかけた。

 鼓動はますます激しくなった。
熱い涙は、ますます大粒になり、頬を伝って落ちた。
何かを話しかけようとしたが、声にはならなかった。

 が、その女性は、周人のことなど忘れてしまっているかのようだった。
ゆるやかに曲がった道。
木々に覆われた土手。
小さな木の橋の下には、小川が流れていた。
澄んだ水で、何匹かの魚を、かいま見ることができた。

 今度は周人が聞いた。
言葉にはならなかったが、女性には通じた。

 「ここはあの世ですか」と。

 が、女性はこう言った。
「先生は、あの世から来たのでしょ。おかしなこと、言わないでくださいよ」と。

●由紀子

 家は、こんもりと盛り上がった土地の上にあった。
白い壁の家だった。
窓枠は木でできていた。

 案内してくれた女は、そこにはいなかった。
消えていた。
が、周人には、それが自分の家とわかった。
子どものころ住んだことのある、あの木枠の家。
三角屋根の玄関。
その上を覆う、スレート瓦。
のぞき窓にもなっている、ステンドドグラスの小窓。

周人は、ドアのノッブに手をかけた。
と、そのとき、家の横から、声が聞こえた。
由紀子の声だった。

 「お帰りなさい!」と。

 そっけない声だった。
洗濯ものをかかえ、由紀子がそこに立っていた。
「あなた、悪いけど、まだ洗濯物が残っているから、集めてきて」と。

 周人はそれには従わず、そのまま由紀子を抱きしめた。
そのとき周人は、はじめて自分の腕を見た。
しわのない、若々しい腕だった。
その手で、周人は、さらに力をこめ、由紀子を抱いた。
由紀子は、けげんそうな表情を残したまま、周人の腕の中で力を抜いた。

 「あなた、いったい、どうしたのよ。いつものあなたじゃ、ないみたい。おかしいわ」と。
が、周人は、そのまま由紀子を抱きつづけた。
頬には大粒の涙が、流れつづけた。
周人は構わず、由紀子を抱きつづけた。

●周人の最期

 俵 周人は、その朝早く、だれにも看取られず、息を引き取った。
医師の話では、午前5時ごろ、亡くなったのではないかということだった。
検視には、ホームの主任と、介護士が立ち会った。
医師が「老衰による自然死」とカルテに書き込むのを見届けると、介護士は手慣れた様子で、ベッドを整え、周人の乱れたパジャマを直した。

 穏やかな表情だった。
安らかな表情だった。
今にも、笑い出しそうな顔だった。
俵 周人はこうして、この世を去った。
享年83歳。

 介護士の男は、最後にそれを見届けると、部屋を出る前に、周人の顔に、白い布をかけた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 短編小説 俵周人 3日目の朝 はやし浩司 小説 俵 周人 はやし浩司 周人 小説 処女作)2012/04/07記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●朝・雑感あれこれ(はやし浩司 2012−03ー07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国際経済

 ネコの目どころか、オセロ(ゲーム)のように、日々に白黒が逆転する。
それにあわせて、世界の株価が、乱高下。
バカげているというか、狂っている。

 今朝のBloombergは、ギリシアの金融危機をトップに載せている。

『ギリシャは十分な同意が得られれば、
ギリシャ法に基づく国債の保有者を対象に、
集団行動条項(CAC)を発動して債務交換への参加を義務付ける』と。

 わかりやすく言えば、「借金の棒引きを、一方的に義務づけるぞ」と。
つまりギリシアはすでに、国家破綻(デフォルト)している。
それをああでもない、こうでもないと、あがく。
世界を脅す。
『無秩序に国家破綻をすれば、1兆ユーロの被害が出る』と。

1兆ユーロ……、100兆円!

 国家破綻にも、「秩序型」と「無秩序型」があるらしい。
知らなかった!

 それを先読みし、今日のニューヨーク市場は、203ドルもさげた。
日本も現在、下降中(午前9:20現在)。

ほかにも気になるニュースがある。

●ニョンビョン(寧辺)の軽水炉

 たとえば現在、北朝鮮は、軽水炉を建設しているという。
工事現場の写真も紹介されていた。
が、それを見て、???。

大型クレーンが一基だけ。
あとはトラックが、数台。
周囲の円形だけは、「円」だったが、それ以外は、まさに露天掘り。
「こんな工事で、だいじょうぶか?」と。

日本の原子炉のような精緻さが、どこにもない。
排水施設も、写真で見るかぎり、なさそう。
詳しくはわからないが、お粗末。
驚くほど、お粗末。

そんな原子炉が事故でも起こしたら、どうなるのか。
首都ピョンヤンどころか、韓国のソウルだって、あぶない。
ニョンビョンの核施設から首都ピョンヤンまでは、直線距離にして約90キロ(グーグルアース上)。
たったの90キロ!

 が、今の日本は、(=私たちは)、他国の原子炉のことまで心配する余裕はない。
偉そうなことも言えない。
しかしそれにしても、お粗末。

●不気味な地震活動

 MSN・ニュースは、つぎのように報道している。

『東日本大震災の影響でフィリピン海プレート(岩板)の沈み込みが加速し、関東地方を乗せた北米プレートとの境界部にひずみが蓄積しやすくなっていることが防災科学技術研究所の観測で6日、分かった。

(中略)

 首都圏では複数のプレート境界型地震が想定されている。関東大震災を起こしたマグニチュード(M)8級の関東地震は、次の発生が約100年後とされるが、首都直下地震のひとつである東京湾北部地震(M7・3)は切迫しており、発生が懸念されている』と。

 関東地震はともかくも、首都直下型地震が、かなり切迫しているということらしい。

 もちろん首都だけではない。
この遠州浜周辺もあぶない。
そこで昨夜も寝床で、ワイフとこんなことを話しあった。

「息子の家のほうに、移ろう」と。

●我が家

 我が家は、築46年になる古屋と、築10年の息子の家の2棟に分かれている。
古屋は、耐震構造にはなっていない。
昔のままの家。
一方、息子の家は、徹底した耐震構造になっている。
1階の1部屋が空いている。
私はそこへ移ろう、と。

 が、ワイフは、昔からのんき。
信じられないほど、のんき。
で、それを相談したら、「この家がつぶれるのオ?」と。

 しかたないので、私は、座卓を枕元に置いた。
万が一天井が落ちてきても、座卓が私たちを守ってくれるはず。
が、ワイフは、天井をながめながら、こう言った。

「あんな天井が落ちてきたくらいでは、死なないわよ」と。

私「あのなあ、天井が落ちてくるんじゃないよ。大屋根が落ちてくるんだよ」
ワ「落ちてこないわよ」
私「あのなあ、1分以上も、人が立っていられないほど、揺れるんだよ」
ワ「……」
私「こんなボロ家、無事のはずがないだろ……」と。

 ということで、今日は、朝食のあと、寝室の引っ越し。
ワイフが反対しても、そうする。


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  1. 2012/05/08(火) 10:37:40|
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●文字は楽しい

【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012−05−07)

●文字遊びを展開しました(年長児)。

 「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。

 幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。




●小1用、小2用、小3用の教材

 今週は、「大きな数」をテーマに、小学1〜3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。

 子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/07(月) 22:23:10|
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●お人好しの素人外交

【私のメール作法】

●件名

 毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200〜300通のメールが、すり抜けてくる。

 スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。

 (私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)

 が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。

 だから……。

(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。

 封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。

(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。

 件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。

(3)感情表現を豊かに

 ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。

 たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。

 つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。

 実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れるようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。

 以上が、私の「メール作法」ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本の無駄づかい】

●お人好し外交

 先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。

 まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。

++++++++++++以下、4月22日

●IMF(国際通貨基金)への拠出金

 日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!

 ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。

日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル

 アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。

 あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?

600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。

 もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。

 あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。

 ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。

べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)

 これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。

『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!

 アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。

 どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。

 今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。

++++++++++++以上、4月22日

●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)

 報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。

 それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じくらい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。

 あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。

 『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。

 対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。

 これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。

 つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。

●本論

 さて本論。

 今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。

 何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。

 世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。

 つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。

『[東京 23日(2012年4月23日)
 ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。

(中略)

<年収10倍の提示も>

(中略)

 ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与される。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュース)と。

 日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!

 ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取引されている。 
2012/05/07


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


  1. 2012/05/07(月) 09:33:08|
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●殴り殺された老人

【消息・調査】(はやし浩司 2012−05−07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インターネット

 インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。

 たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。

 何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。

●興味

 が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?

 理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。

 そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。

●独りよがり

 学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。

私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。

 それを知ったとき、「ナーンダ!」と。

 ……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。

 だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、私から去っていった。

 当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。

 はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。

●一縷(いちる)の望み

 で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。

 ……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア〜ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。

 いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場で倒れてしまうが……。)

 が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。

●恋愛詐欺

 で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。

 住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。

 あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。

調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。

 つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。

●STOP

 ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。

 そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。

 ……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。

 みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。

 ……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 23日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回の補足】「殴り殺された老人」


(補足)

●失われた存在感、父と母(「家族崩壊」の問題)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

韓国の作家、申京淑氏の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっているという(韓国・東亞日報)。
申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。
『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろうか」という質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。
見慣れないものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感することが、より重要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。
ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではなく、「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。
この浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、戻ってこない。
「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)。
浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。
が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。
『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時も『ごめんね』という言葉を聞かされて育った。私たちが当たり前のように耳にしながら育ったこの言葉は、いざ両親に対してはかけたことがない。言葉の順番が変わるべきだという気がした』(同)と。
つまり「家族崩壊」の背景には、この「一方向性」がある。
親から子への一方向性。

親はいつも子のことだけを考える。
が、子は、親のことは何も考えない。
だから「一方向性」。
またそれが原因と考えてよい。
それが原因で、家族は崩壊する。
申氏は、「親はつねに子どもたちに対して、『ごめんね』と声をかける。
しかし子どもの側から、そうした言葉が発せられたことはない。
今朝は、この問題について考えてみたい。
2011/06/12

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●保護と依存性

 日本では、親のことを、「保護者」という。
韓国でもそうだと理解している。
しかし保護と依存の関係は、申氏が指摘するように、つねに一方向的なもの。
保護する側は、いつも保護する。
依存する側は、いつも依存する。
そして一度、この保護・依存の関係ができあがると、それを変えるのは容易なことではない。
それを基盤として、人間関係が構築されてしまう。

 が、悲劇はそのあとにつづく。
当初は感謝していた依存側も、それがしばらくつづくと、「当然」になり、さらにつづくと、今度は依存側が、保護する側に向かって、それを請求するようになる。
親子関係とて、例外ではない。

 ある息子氏は、結婚式の費用を親に請求した。
が、そのとき親は定年退職をしたあと。
貯金はあったが、老後資金としては、じゅうぶんではなかった。
それもあって「なら、半分くらいなら……」と答えた。
が、この言葉が、息子氏を激怒させた。
「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。
 以後、息子氏は、親との縁を切った。
「2、30年後に、許してやる!」と
親が言ったのではない。
息子氏が、「許してやる」と言った。

 その親は、私にこう言った。
「息子が学生のときは、生活費のほか、毎月のようにお金を貸しました。
『就職したら返す』と言っていました。
で、東京の大手運輸会社に就職しましたが、当初の2年間は、『給料が少ない』と言っては、毎月のように、お金を借りに来ました。
『車を買うから、お金を貸してほしい』と言ってきたこともあります。
100万円でした。
『特殊車両の運転免許を取るため、30万円貸してほしい』と言ったこともあります。
そのつど『給料があがったら、返す』と言っていました。
が、縁を切った(?)ことをよいことに、以後、ナシのつぶてです。
もう3年になります」と。

 この話は事実である。
というのも、こうしたエッセーで(話し)を書くときは、その本人とわからないように書く。
いくつかの話しをまとめたり、あるいはフィクションを混ぜて書く。
が、あまりにも非常識な話しなので、あえて事実を書いた。
つまりこれが「家族崩壊」である。
 家族崩壊の根底には、保護・依存の関係がある。
それがいびつな形で増幅したとき、ここに書いたようなできごとが起こる。

●家族崩壊

 申氏には悪いが、申氏は、ひとつ事実誤認をしている。
申氏には、欧米の家族が、「家族崩壊」に見えるかもしれない。
しかし欧米では、伝統的にそうであり、それが社会の中で、「常識」として定着している。
だからたとえばアメリカ映画などをみても、そこにあるのは、両親と子どもだけ。
祖父母がからんでくることは、まず、ない。
 そのため社会のシステムそのものが、それを包む形で完成している。
たとえばオーストラリアでは、どんな小さな町にも、「オールドマン・ビレッジ(Old Men's Village)」というのがある。
老人たちは、そこに集まって生活をする。
たいてい町の中心部にある。
幼稚園や小学校の近くにある。
 
 そのビレッジで自活できなくなったら、その横の、日本で言う「特養」へ移動する。
わかりやすく言えば、「家族崩壊」を前提として、社会のしくみが、完成している。
フランスでも、事情は同じである。

 が、この日本では、そうでない。
若い人たちの意識だけが、先行する形で欧米化してしまった。
社会のシステムが置き去りになってしまった。
そのため多くの老人や、老人予備軍の退職者たちが、言うなれば「ハシゴをはずされてしまった」。

 前にも書いたが、こうした悲劇は、地方の町や村で顕著に現われている。
北信(長野県北部)から来た男性(75歳くらい、元高校教師)はこう言った。
「過疎化なんて言葉は、一昔前のもの。私にも息子と娘がいますが、娘とは、もう20年以上、会っていません」と。

●2つの解決策

 家族崩壊に対して、2つの解決策がある。
ひとつは、予防。
もうひとつは、事後対策。

 予防というのは、「親の存在感」の復権ということになる。
たとえば私たちが子どものころは、魚でも、いちばんおいしい部分は、祖父母。
つぎに父親。
私たち子どもは、そのつぎの部分を口にした。
テレビ番組でも、祖父母が、「これを見たい」と言えば、私たちは何も言えなかった。
(それでもチャンネルを取りあって、結構、喧嘩をしたが……。)

 が、今は逆。
魚でも、いちばんおいしい部分は、子ども。
つぎに父親であり、母親。
祖父母と同居している家庭は、ほとんど、ない。
また同居していても、祖父母が口にするのは、(残り物)。

 つまり「復権」というときは、根本的な部分から、一度、ひっくり返すことを意味する。
が、今となっては、それも手遅れ。
親自身が、すでに、「親の存在感」を喪失している。

 で、事後対策。
今が、そのとき。
できること、やるべきことは、山のようにある。
そのヒントが、バートランド・ラッセルの言葉。
イギリスのノーベル文学賞受賞者。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、
『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。

●3つのポイント

 順に考えてみよう。
(1)子どもたちに尊敬される
(2)子どもたちを尊敬する
(3)必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない

 が、現実は、きびしい。

★父親のようになりたくない

 平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬し
ていない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、
「母親を尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは、51・5%。
また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

★親のめんどうをみない

第8回世界青年意識調査(2009)によれば、「将来、親のめんどうをみるか?」という
質問に対して、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた若者は、

  イギリス  66.0%、
  アメリカ  63.5%、
  フランス  50.8%、
  韓国    35.2%、
  日本    28.3%、であった。

 もう何もコメントする必要はない。
ここにあげた数字をじっと見つめているだけでよい。
それだけで、「家族崩壊」というのが、どういうものか、わかるはず。
同時に、今、私たちが親としてしていることの(愚かさ)に気づくはず。

●あなた自身のこと

 こう書くと、若い父親や母親は、こう言う。
「私たちの世代は、だいじょうぶ」
「私は子どもたちの心をしっかりとつかんでいる」
「私たち親子は、強い絆で結ばれているから、問題はない」と。

 が、そう思っている親たちほど、あぶない。
またここに書いたことは、50代、60代の私たちのことではない。
30代、40代の、若い親について書いたことである。
つまりあなた自身のことである。
それに気がついていないのは、あなた自身ということになる。

 では、どうするか?
結論は、すでに出ている。
『必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えない』(バートランド・ラッセル)。

 子どもに尊敬されようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)
子どもを尊敬しようなどと、思わないこと。
またその必要もない。(この日本では……。)

 へたに子どもに媚(こび)を売るから、話しがおかしくなる。
親は親で、親としてではなく、1人の人間として、好き勝手なことをすればよい。
自分の道を生きればよい。
子育ては重要事だが、けっしてすべてではない。
また(すべて)にしてはいけない。
それが『けっして程度を越えない』ことに、つながる。

 先日も、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)上で、こんな相談を受けた。
「子どもが勉強しない。どうしたらいいか」と。
それに答えて私はこう書いた。

 「子どもの勉強の心配をする暇があったら、自分の老後の心配をしなさい」と。

 へたに「勉強しろ」「勉強しろ」と言うから、親はその責任を負わされる。

中には「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と豪語する学生すらいる。
そういう子どもが社会へ出れば、どうなるか。
たぶん、こう言うようになる。

「親なら、結婚式の費用くらい、負担してくれてもいいだろ!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 本末転倒 家族崩壊 はやし浩司 家族崩壊 家庭崩壊 保護と依存 
はやし浩司 ラッセル 父親のようになりたくない 親のめんどうをみる はやし浩司 MOM 親の嘆き 私の子育て 何だったのか はやし浩司 私の子育ては何だったのか)

(注)六趣輪廻…… 「六趣輪廻」とは、衆生が煩悩とその行為によって必然的に“趣く”六つの道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)(以上、2012年1月20日記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再度、KS氏のコメントより

+++++++++++++++++

(東京・KS氏より)

団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)

++++++++++++++++

●「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」

 KS氏も、こう断言している。
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」と。

 ほかのコメントには、こうあった。
「団塊の世代は、ノーノーと生きてきた」
「借金を(若者に)押しつけ、遊んでいる」
「老人は、1匹、2匹で数えろ」などなど。

 こうしたコメントについては、もう少しあとで紹介することにして、まずKS氏の意見。

(1)団塊世代は、偉そうにしています。
(2)若者を見下している!!
(3)団塊世代は敬語を使えないのかね?
(4)「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
(5)事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は敵に回されるんです。

 個人的には、「団塊世代は敬語を使えないのかね?」という部分に、私は反感を覚えた。
KS氏は、こう書いている。

「信号を無視して渡ってきた男性(息子も同伴)に対して、老人といえども、敬語を使って注意しろ」と。

 敬語?
どうして敬語なのか。
脳の中で、バチバチと火花が飛ぶ。
反論しようにも、しようがない。

●意識のズレ

 意識のズレというのは、恐ろしい。
私も含めてだが、ほとんどの団塊の世代は、そうは考えていない。
「現在の日本の繁栄を築いたのは、私たち」と。
そう考えている。
 
 が、ただ築いたのではない。
自分を犠牲にし、懸命に貧乏のドン底から、はい上がった。
私にしても、1か月に休みが、1日だけという年が、何年もつづいた。
子どもたち(息子や娘たち)にだけは、ひもじい思いをさせたくないと、そんなことばかり考えてきた。
学費にしても、そうだ。
老後の資金を取り崩し、子どもたちを大学まで送った。
また親たるもの、そうあるべきと信じて疑わなかった。

 が、千葉県に住む、EH氏は、こう書いてきた。
「阿呆」というタイトルで、つぎのようにあった。

『老後の自分の面倒を見てもらう為に、愛情もない相手と結婚して、子供を作り、育てるって事ですかね。そんな世界で生きていて、なんの価値があるのでしょう。
世の中は地球規模で変化をし、進化をしているのです。
夫婦、家族、恋愛... 全ての形が多様化しているのです。新旧色々あって良いじゃないですか。
結局、林先生は御自分の意見が正しいと思い切り主張していて、読んでいてがっかりです。
ちなみに私は、子供がどこでどんな生き方をしても良いと言える親をずっと目指します。
子供には子供の人生があるのですから。
それを家族崩壊とは思いません。
むしろ、親の面倒で子供を縛りつけている方が家族崩壊じゃないのですか?
親の近くにいようが遠くにいようが子供が良い人間で幸せなら、親としても幸せなはず。
林先生は子離れ出来ていないのですね。
そんなに親の面倒を子供が見るのが当たり前だと思うのなら、御自分のお子さんに『私の面倒をみろ』と、言ったら良いのに!
 千葉 E.H.より』と。

 たぶん、まだ老親のめんどうをみたことも、介護もしたこともない若い父親が、こういうことを平然と言ってのけるから、恐ろしい。
また老親のめんどうをみるつもりもないだろうし、介護もするつもりもないだろう。
私がEH氏の親なら、めんどうをみてもらうのも、介護をしてもらうのも、こちらから願い下げる。
想像するだけで、ぞっとする。
EH氏は、こう書いている。

「自分の老後の面倒をみてほしかったら、息子や娘に頼め」と。
「頼め」というところが、恐ろしい。
それともEH氏は、自分の子ども(息子あるいは娘)に対して、日ごろ、こう言っているのだろうか。

「自分のめんどうをみてほしかったら、親の私に頼め」と。
またそういう親子関係を、「地球規模の変化であり、進歩である」と。

●事件

 事件は、そんな最中に起きた。
もう一度、そのときの原稿を取りあげてみる。
団塊の世代以上の、老人組のみなさん、じっくりと読んでみてほしい。
私たちの老後が、いかに悲惨なものになるか、これを読めば、少しはわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●殴り殺された老人

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●逆ギレ

 今朝のニュースで、一番驚いたのが、これ。

 赤信号を無視して歩いている男性を、別の男性が注意した。
それに注意された男性が、逆ギレ。
注意した男性を殴り、殺してしまったという事件。

 この種の事件は、ときどきあるが、今回の事件は、つぎの1点で特異性がある。
殴った男性は、そのとき自分の「10代の息子」(報道)と、いっしょだったこと。
MSN・Newsの見出しは、つぎのようになっている。

『赤信号注意され逆上…男性殴り死なせた男の「理不尽」 交錯する怒りと悲しみ』(MSN・NEWS)と。

 以下、MSN・Newsより

+++++++++++++以下、MSN・NEWS+++++++++++++++

東京都品川区の路上で昨年11月、赤信号で横断したことを注意された男が逆上し、注意した男性を殴って死亡させる事件があった。
傷害致死容疑で逮捕、起訴された男は警視庁の調べに「腹がたってやった」と供述。
その理不尽な行動に、関係者の間で怒りと悲しみが交錯している。(大島悠亮)

息子の前で逆上し…

 昨年11月12日午後7時35分ごろ、大手百貨店や飲食店などが立ち並ぶ東京都品川区のJR大井町駅中央口側の横断歩道。
区内に住む無職、小牧信一さん=当時(77)=は、対面から信号無視をして渡ってきた2人組の男らを見かけた。

 「赤信号ですよ」

 小牧さんがこう注意すると、男の1人が「うるせえんだよ」と逆上。
顔を殴られた小牧さんは路上に転倒して頭を強く打ち、意識不明の重体となった。
小牧さんはすぐに病院に搬送されたが、1カ月以上たった12月20日、帰らぬ人となった。

 捜査関係者によると、小牧さんを殴ったのは傷害致死容疑で逮捕され、今月13日に起訴された品川区東大井の会社役員、山根基久夫被告(48)。

そして、傍らにいたのは山根被告の10代の息子だった。
2人は事件後、駅構内を抜け、自宅のある東口方面から逃走。
山根被告は事件がニュースなどで報道されているのを見て、小牧さんが死亡したことも把握していたという。

 当初、捜査は難航したが捜査員の執念が実を結ぶ。
事件から数週間がたち、再度、現場周辺の防犯カメラを細かく解析したところ、事件当時、現場で目撃された男と似た人物を確認。山根被告が浮上した。

+++++++++++++以上、MSN・NEWS+++++++++++++++

●若い人たちの反応

 事件の異常性もさることながら、若い人たちの、この事件に対する反応に、私は驚いた。
2チャンネルをのぞいてみると、つぎのような意見が、ズラリと並んでいた。

全体の2分の1から、3分の1以上が、殴られて殺された小牧伸一さんを非難したり、反対に、殴った山根被告を擁護するもの。
(殴った男性を非難しているのではなく、殴られた男性を非難している!)

●2チャンネルより

 2チャンネルへの書き込みを、そのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


★子供の前で恥じかかせた爺が悪いわ
まじでむかつく言い方したんだろうな
もしかして赤だと車こなくても待つタイプ?


★勇ましいなおい


★赤信号まじめに待ってる奴って馬鹿でしょw


★これは逆に爺がよっぽど酷かったんじゃないかとすら思ったり


★むしろ良い仕事しただろ 。
老人一匹殺すとか


★メリークリスマス
子供にカッコ良いところみせたかったんだろうな
正論だから腹が立ちともいうよな
忘れられないクリスマスだな
まぁ政府は見殺しにして風評被害にして
関係者は身も心もぬくぬくぶるっちょだし


★信号をいちいち守る歩行者は大体発達障害か何かなんだよな。


★赤信号を守るのは正しいことだが
それを守らない人を注意するのにはリスクが伴うことを教えた


★俺も原チャリ走行してたら、俺を怒鳴りつけながら追いかけてきた爺がいたが、その言い分が、「カーブで歩行者の領域に入ったのがけしからん」みたいな話だった。
俺が走行時、歩行者が居なかったからショートカットしたんだが、そこにいたわけでもない爺に罵倒されて頭に来たが殴りはしなかった。


★知らんやつに注意するのはバカとしか言いようがない
この爺はよく今まで生きてたわ


★団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ


★んなわけねえよ。
近所に住んでてあの状況をよくわかってるから言ってるだけ。
あそこはみんな信号無視するから注意するのがおかしいんだよ。


★俺は原付でいつものごとく車の前で止まってたら
いきなり停止線オーバーしてるだろ!って目の前横断してたおっちゃんが怒鳴ってきた
おっちゃん、あんた横断帯とから二メートルも離れたとこ横断してるんですが…


★団塊ってかバブル世代だったな
まあどっちにしても敵だけど


★見ず知らずの人間に文句を言うクソジジイと、見ず知らずの人間を殴って殺すオッサン、ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw


★信号無視ごときでいちいち注意する奴に限って巨悪には何も言えずダンマリなんだよなw 卑屈すぎるわ


★子供連れてるのに人に注意されるようなことをした父親の自業自得だろ
子供の前で尊厳大事にしたかったら人に注意されるような行動をしなければいい


★いちいち注意した老害もゴミ
殴り殺したDQNパパもゴミ
そんなDQNパパに育てられた息子もやっぱりゴミ


★大阪の場合はジジイが率先して信号無視


★だったら親だけを呼んでこっそりよくないですよって言えばいい。
わざわざ恥をかかせようとするような奴はこういう報いを受けるのは当然だわ


★ジジイも信号無視したことあんだろ?
ジジババは他人に厳しく自分に甘いからな


★これはやりすぎだけど、しつこい老人もいる。車のまったく通らない赤信号で歩行者が信号待ちをするのは愚鈍。


★俺も1回、歩道をチャリで漕ぐのが原則禁止になった月に
歩道を漕いでたら片足引きずってるジジイに大声でキレられて警官呼ばれるまでの騒ぎになったな
警官も、別にどうでもいいじゃんみたいな態度取ってたから今度はジジイが警官に絡んでてわろた


★他人を注意するのは常識知らずで自業自得だな


★77歳のじいさんの言うことなんてほっときゃいいのに
48歳にもなってこんなことで一生台無しにするなんて
ただのあほ、そんだけのことだろ
どっちがいいとか悪いとかどうでもいいし
殴ったほうも殴られたほうも人生終わりなんだよ


★俺の大学のフランス人の先生が、車が来ないのに赤信号で横断歩道を渡らず
待っているのは日本人とドイツ人だけだって笑いながら言ってたな。
信号が何のためにあるかを考えたら、渡らないほうが不合理だとな。


★爺も自業自得だよ。


★いい大人を注意するとかもう最悪ですね
本人は分かっててあえてやってるんですから
バカと言われたと同じです
これはもう殺してくれと言ってるのと同じでしょうね


★ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ


(以下、延々と、つづく……)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●意識

 最近の若い人たちの意識が、私たちの意識とズレていることは、私自身も強く感じていた。
が、ここまでズレているとは、思ってもいなかった。

 若い人たちは、「77歳」という数字だけを見て、「ジジイ」と位置づけている。
その上で、事件の内容を吟味することなく、短絡的に、老人批判を展開している。
「2チャンネル」という、無責任な掲示板での意見だから、本気にとらえる必要はないのかもしれない。
が、それ故に、かえって、現代の若い人たちの「本音」が、そこにあるとみてよい。

(もし注意したのが、30代、40代の男性だったら、どうだったのか?)

●段階の世代は「敵」

 この書き込みの中で、つぎの2つが、気になった。
「団塊」という言葉が、強く私の関心をひいた。

『団塊ってかバブル世代だったな。まあどっちにしても敵だけど』
『団塊と老害だからどっちもν速の敵だろ』と。

 「v速」とは、何か。
それはさておき、ここで見られる若い人たちの意識は、180度、私たち団塊の世代のもっている意識とちがう。

 私たち団塊の世代には、それを意識しながら生きてきたわけではないが、「この日本の繁栄を築きあげたのは私たち」という自負心がある。
同時に、ぜいたく三昧に明け暮れる若い人たちを見かけると、ときどき、「だれのおかげで、そんなぜいたくができるのか、わかっているのか?」と言いたくなるときがある。

 が、若い人たちの意識は、私たちの意識とは、ちがう。
私たち団塊の世代をさして、「敵」と。
こうした意識をもっているのは、若い人たちの中でも一部と、私は信じたいが、どうやら一部ではなさそうだ。
すでにこうした傾向、つまり「世代間闘争」は、あの尾崎豊が、『♪卒業』を歌ったときから、始まっていた。

●親バカからジジバカへ

 総じてみると、団塊の世代には、親バカが多い。
「子どものため……」と、自分の人生を犠牲にした人は多い。

「子どもだけには、腹一杯、メシを食べさせてやりたい」
「ひもじい思いだけは、させたくない」
「学歴だけは、しっかりと身につけさせてやりたい」と。

 が、そんな思いや苦労など、今の若い人たちにしてみれば、どこ吹く風。
気がついてみたら、老後の資金を使い果たしていた……。
それが団塊の世代。

 が、親バカなら、まだ救われる。
が、それが日本全体に及んだとき、今度は、ジジバカとなる。
私たちは「つぎの世代」を考えながら、この日本はどうあるべきかを、思い悩む。
考える。
が、肝心のつぎの世代にしてみれば、ただの(ありがた迷惑)。

 が、私たちの世代には、それがわからない。
「そうではない」という幻想にしがみつきながら、生きている。
が、幻想は、幻想。
それがわからないから、ジジバカ。
私たち団塊の世代は、今、とんでもないジジバカを繰り返している(?)。

 それを如実に表現しているのが、つぎの言葉。
少なくとも私がもっている「常識」とは、180度、ちがう。
180度、ひっくり返っている。

『……ちょっとカチンと来る注意のされ方をしたら、嫌味や余計な一言を返して相手も不愉快な気分にさせるのが常識のある社会人の行動だろ』と。

 その若者は、こう言っている。

 「カチンと来るような注意のされかたをしたら、イヤミや余計な一言を返し、相手も不愉快な気分にさせるのは、当然。
それが常識のある、社会人としての行動」と。

●ゴミ

 60代、70代の人たちよ、覚悟しようではないか。
現在の若い人たちには、私たち老人に対する畏敬の念など、微塵(みじん)もない。
そういう若い人たちに、私たちの未来を託しても、意味がない。
期待しても、意味がない。

 ……というのは書き過ぎ。
またそうであってはいけない。
それはよくわかっているが、それが私たちの未来を包む現実。
この先、この傾向は、ますます強くなる。
こんな記述も見られる。

『ゴミみたいな人間が2人消えて良かったじゃんw』と。

 現に今、あくまでも風聞でしかないが、医療機関でも、「75歳以上は手術はしない」という考え方が定着しているという。
現実にそんな規定があるわけではない。
その年齢以上になると、「年齢(とし)ですから……」と、治療を拒否されるケースも多い。
事実、私の兄は、担当のドクターに、こう言われた。
「私は治る見込みのある患者は、治療しますが……」と。

 つまり治る見込みのない患者(=兄)は、治療しない、と。

●同情

 ただ若い人たちが、忘れていることが、ひとつ、ある。

 現在、「若い人たち」と呼ばれている人にしても、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
自分たちだけは、ジジ・ババにならないと信じているかもしれない。
が、かならず、100%、そのジジ・ババになる。
そしてそのとき、そのジジ・ババを取り巻く環境は、今よりも過酷なものとなる。
2050年……つまり38年後には、約3人に1人が、そのジジ・ババになる。
(=1・2人の実労働者が、1人の老人を支える時代になる。)

 現在25歳であれば、25+38=63歳!
若い人たちよ、それがあなたの未来だぞ!

 そのとき、今、天に向かって吐いた唾(つば)が、自分の顔に落ちてくる。
が、私はけっして、現在の若い人たちのように、「ザマーミロ!」とは言わない。
「かわいそうに」と同情する。

●小牧伸一さん

 小牧伸一さん、あなたの死は、けっして無駄にしない。
こういう事例では、注意するほうも、不愉快。
できれば、事なかれ主義でもって、無視したい。
しかしそれがあまりにも目に余った。

「信号を守れ」というのは、相手のことを思って発した言葉。
自分のためではない。
信号を無視すれば、その相手が事故に遭う。
小牧伸一さんは、それを心配した。
だから相手を注意した。

 が、心配してもらったほうは、逆ギレ。
あなたを逆に殴った。
こんなバカなことが「常識」というのなら、そちらの常識のほうが狂っている。

 殴った男は、本物のバカ。
どうしようもない、つまり救いようがない、バカ。
徹底して法の裁きを受ければよい。

 が、残念ながら、今、こういうバカが、ふえている。
言うなれば、これはまさに、善と悪の闘い。
善が勝つか、悪が勝つか……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原因はどこにあるのか?
 
 若者たちの意識は、半世紀前と比べただけでも、完全に逆転している。
が、理由がないわけではない。
私が、35歳ごろに書いた原稿を読んでみてほしい。
この原稿の中に、その原因を知る、ひとつの手がかりがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「団塊の世代は敵」

 若い人たちから見れば、日本の繁栄を食いつぶしたのは、私たち団塊の世代ということになる。
2チャンネルの投稿を読んでいると、それがよくわかる。
一方、団塊の世代は、(私を含めての話だが)、そうは思っていない。
「この日本を支えてきたのは、私たち」という自負心が強い。
ただひたすら、企業戦士となり、一社懸命でがんばってきた。
家庭を犠牲にした人も多い。

 この意識のズレを理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。

●飽食と贅沢(ぜいたく)
 
現在の30代、40代の人たちが生まれたころは、日本経済はまさにバブル経済の真っ最中。
子どもが生まれると、祖父母までやってきて、蝶よ、花よともてはやした。
まさに飽食と贅沢。
それが当たり前の世界だった。
七五三の祝いに、ホテルや料亭を借り切って祝う家も、少なくなかった。

 が、こうした育児観を批判する人もいるには、いた。
私もその1人だった。
当時、書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「費用もかえって、安いのじゃないかしら?」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●七五三の祝いを式場で?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●費用は一人二万円

 テレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。
何でも今では、子どもの七五三の祝いを、ホテルかどこかの式場でする親がいるという。
見ると、結婚式の花嫁衣裳のような豪華な着物を着た女の子(6歳ぐらい)が、中央にすわり、これまた結婚式場のように、列席者がその前に並んでいた。

費用は一人二万円くらいだそうだ。
レポーターが、やや皮肉をこめた言い方で、「(費用が)たいへんでしょう」と声をかけると、その母親はこう言った。
「家でするより楽で、費用もかえって、安いのじゃないかしら」と。

●ため息をついた私と女房

 私と女房は、それを見て、思わずため息をついた。
私たちは、結婚式すらしてない。
と言うより、できなかった。
貯金が一〇万円できたとき、(大卒の初任給がやっと七万円に届くころだったが)、私が今の女房に、「結婚式をしたいか、それとも香港へ行きたいか」と聞くと、女房は、「香港へ行きたい」と。それで私の仕事をかねて、私は女房を香港へ連れていった。それでおしまい。

実家からの援助で結婚式をする人も多いが、私のばあい、それも望めなかった。
反対に私は毎月の収入の約半分を、実家へ仕送りしていた。

 そののち、何度か、ちょうど私が三〇歳になるとき、つぎに四〇歳になるとき、「披露宴だけでも……」という話はあったが、そのつど私の父が死んだり、女房の父が死んだりして、それも流れてしまった。
さすが五〇歳になると、もう披露宴の話は消えた。

●「何か、おかしいわ」

 その七五三の祝いを見ながら、女房がこう言った。
「何か、おかしいわ」と。
つづけて私も言った。
「おかしい」と。
すると女房がまたこう言った。
「私なら、あんな祝い、招待されても行かないわ」と。
私もそれにうなずいた。

いや、それは結婚式ができなかった私たちのひがみのようなものだったかもしれない。
しかしおかしいものは、おかしい。

 子どもを愛するということ。
子どもを大切の思うということ。
そのことと、こうした祝いを盛大にするということは、別のことである。こうした祝いをしたからといって、子どもを愛したことにも、大切にしたことにはならない。
しないからといって、子どもを粗末にしたことにもならない。

むしろこうした祝いは、子どもの心をスポイルする可能性すらある。
「自分は大切な人間だ」と思うのは自尊心だが、「他人は自分より劣っている」と思うのは、慢心である。
その慢心がつのれば、子どもは自分の姿を見失う。
こうした祝いは、子どもに慢心を抱かせる危険性がある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反省

 ともあれ、こうした世代間闘争というのは、100%、老人組が敗れる。
古今東西、勝ったためしがない。
それもそのはず。
私たち老人組は、生きていくだけで精一杯。
その先にあるのは、「死」。

 そこで『老いては子に従え』という。
つまり負けを認めろ、と。
が、私たちの世代の者にとっては、まさに自己否定。
この原稿を読み、「私たちは何のため、だれのためにがんばってきたのだろう」と思っている人も多いことかと思う。
そう、私たちは、何のため、だれのためにがんばってきたのか。
あるいは子育てといいながら、壮大な無駄をしただけなのか。

 これ以上は、グチになるのでは、ここでは書きたくない。
ただ私たち老人組も、反省すべき点は、多い。
たとえば私の近所をざっと見回しても、自分勝手な老人は多い。
多すぎる。
まさに自分のことしか、していない。
とくに元公務員、元準公務員(三公社五現業)の人たちが、ひどい。
豊かな年金をよいことに、まさに悠々自適の老後生活。
私もこの地区に住んで、40年以上になる。
しかしそういう人たちが、たとえば近所のゴミ拾いなどをしている姿を見かけたことがない。
一事が万事というか、そういう姿勢では、若い人たちから嫌われて当然。
老害論をぶつけられても、当然。
この私ですら、腹が立つ。

●老後のテーマ

 では、私たち老人組は、どうあるべきか。
結論は、すでに出ている。

 あとは、それに向かって、最後の「命」を燃焼させるだけ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 老害論 ジジババゴミ論 注意され殺された老人 意識のズレ 老人組の生き様 はやし浩司 団塊の世代 悪玉論 団塊の世代 バブル世代)2012/04/06まとめ


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

***********2012年04月06日まで*********** 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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  1. 2012/05/07(月) 02:08:56|
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●直感と理論化

●休日パラドックス&二重過程理論(MSNのトッピクスより)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●MSNトッピクスより(2012−05ー06)

**********以下、MSNトッピクスより抜粋*********** 

 ……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしまう。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろうか?

時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。

こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモンド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。

普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6〜9つのことしか記憶に残らない。

しかし、充実した休日では一日に6〜9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っていることが多いので、長い時間だったように感じるのだという。

**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********

 で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech ”Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html#ixzz1suzvPiwK

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

We have all experienced it – a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to lots of memories – and when we look back, there are so many that it feels as if we were away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia Hammond. She told the British Psychological Society’s conference in London that our lives are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the number of memories we form.

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●二重過程理論

 なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。

『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれている。

「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほうがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」

 心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。

 二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られている「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。

 これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。

●二重過程理論

 ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。

 人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。

(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)

 何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。

 たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。

 つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。

 そういう意味では、先の(1)と(2)は、順番が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要である。

 だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。

ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。

 新しい思想、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二重過程理論 記憶 記憶と時間の長さ はやし浩司 記憶の密度と時間の長さ はやし浩司 直感の体系化 理論化)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/06(日) 17:46:00|
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ブラックビジネス(宝島社)を読む

【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012−05−06)

●宝島社

 昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。

 宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。

 が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。

 奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。

(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。

 さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。

 私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)

 話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。

●ブラックビジネス

 目次を並べてみる。

(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。

(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは

(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界

(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ

 どれも私たちの生活と直結している。

●リフォーム業界

 読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。

 そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。

●スピチュアル商法

 「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。

 少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。

 ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。

●若い女性

 こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。

「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。

 無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。

 ……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。

●老人組みよ、警戒しよう!

 ともあれ、我ら、老人組みは、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。

 それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。

 どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 21日
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【団塊の世代(バブル世代)は、若者の敵?】

●ジジババ老害論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 少し前、こんな記事を書いた。

 「最近、団塊の世代〜に対する、若い人たちからの風当たりが強くなってきているのを感じます。
「敵」とか、そんなふうに位置づけられているようです。
(若い人たちは、私たちのことを、「バブル世代」と呼び、経済の繁栄をつぶした世代と考えているようです。)
そんな中、1人の老人(77歳)が、赤信号で横断した男性を注意し、殴り殺されるという事件が起きました」(以上、はやし浩司)と。

 私は当然、殴り倒した男性のほうが非難されるべきと思っていた。
が、若者たちの意見は、逆。
「注意した方の老人のほうが悪い」と。
これには驚いた。
驚いて、自分の意見を書いた。

 団塊の世代は、若者の敵?。
それについて、多くの人から、(大半が若い人たちからだが)、コメントが届いた。
その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。

(ほかにも多くのコメントが届いたが、感情的な意見であったり、あるいは文章として体(てい)をなしていないので、その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。)

+++++++++++++++++

(東京・KS氏より)

団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)

++++++++++++++++

●ジジババ老害論

 ここに紹介したKS氏の意見は、けっして一部の若者の意見ではない。
おおかたの若者たちが、そう考えている。
60〜70%の若者たちが、同じように考えていると理解してよい。
称して、「ジジババ老害論」。

 そのときに書いた原稿を、もう一度、再掲載する。
KS氏が言うように、私たち団塊の世代も、反省すべき点があるなら、謙虚に反省する。
私には、そういう視点が欠けているのかもしれない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

つぎの原稿の日付は、2012年1月20日になっている。
今日は、4月06日だから、3か月前の原稿ということになる。
団塊の世代、および老人組と呼ばれる人たちは、一度、私の原稿をじっくりと読んでみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(以下、2012年1月20日に書いた原稿より)

【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012−01−20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●ゴミ?

 少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。

 それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?

●「将来、親のめんどうをみる」

 「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

+++++++++++++++++++++++++++++++++

●年老いた親を養うことについてどう思うか

「どんなことをしてでも親を養う」

   イギリス66.0%、
   アメリカ63.5%、
   フランス50.8%、
   韓国35.2%、
   日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)

 日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。

 「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!

●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか

『そう思う』:

   イギリス70.1%、
   アメリカ67.5%、
   フランス62.3%、
   日本47.2%、
   韓国41.2%

+++++++++++++++++++++++++++++++++

 平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。

金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。

全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。

さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。

++++++++++++++++++++++++++++++

金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。

   20代は171万円、
   30代は455万円、
   40代は812万円、
   50代は1154万円、
   60代が1601万円、
   70歳以上が1432万円。

この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。

貯蓄ゼロの家庭は、年収が300〜500万円未満でも21.1%。
500〜750万円未満の家庭でも16.2%。

+++++++++++++++++++++++++++++

 なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400〜500万円程度と言われている(某経済誌)。

 「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。

●祖父母と同居

 私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。

 当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。

 現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)

●「祖父または祖母と同居している」

   日本(20.6%)、
   韓国(5.8%)、
   アメリカ(3.1%)、
   フランス(1.5%)、
   イギリス(1.1%)
 
 これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。

(1) 日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。

(2) 老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。

(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
   つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
   ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
   一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
   その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。

●「団塊の世代は敵」?

 先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?

 こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?

 その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。

●「敵」

 戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。

 が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。

 私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。

 もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。

 私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。

 父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。

 そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。

 が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。

 私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。

●ゴミ

 私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。

「老人は、役立たず」と。

 当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。

 日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ジジ・ババ受難の時代

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということになる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているうちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30〜40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
 つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

古い原稿を再掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。

 それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!

 この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!

 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。
毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)

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つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●高齢者への虐待

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

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 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があったということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということになる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言うのだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだいている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライで、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えない。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろうか。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、他人の心情でものを考えられるかということ。
つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。
さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることにより、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。
しかしこれは遺伝子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでしまう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。
この受験競争は、どこまでも個人的なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。
子どもにかぎらず、利己的であればあるほど、当然、「利他」から離れる。
そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。
ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。
ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をする子どももいるのはいる。
しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化しているだけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高邁な人たちかというと、それは疑わしい。
疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれている。
それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができない。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的、迎合的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか心が冷たい。
いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。
しかしこうした印象をもつのは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。
避けてはとおれないこと。
それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。

先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しました。

ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。
今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。

これも、私がそう育ててしまったのだから・・・
 しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?

加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5〜10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡してはいけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかというと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。

「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●介護問題と子どもの意識

 介護保険は、すでにパンク状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。

 どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。

 このおかしさ。
この悲しさ。

 ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌(Mom)に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?

 私はどうしたらいいの?
 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私の子育ては何だったの 私の子育てはなんだったの 親子の断絶 はやし浩司 親子の絆が切れるとき)

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。
そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査 はやし浩司 受験という虐待)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに(2012年1月20日記)

 ジジ・ババ・ゴミ論と、家族意識の変化。
さらには子どもを取り巻く環境と、家族意識の変化。
こうした問題が混然一体となり、この先、ジジ・ババを取り巻く環境は、さらに過酷なものとなる。
それには例外はない。
「社会の大勢」というのは、そういうもの。
いかにあなたが部分的に努力したとしても、子どもたちはやがてその「大勢」に呑み込まれていく。

むしろ、「うちはだいじょうぶ」「うちの子にかぎって」と、高をくくっている親、家族ほど、あぶない。
そういう親ほど、子どもの心の変化に気づいていない。

●では、どうするか

 最近の私の結論。
「そういう時流と思い、あきらめ、納得し、受け入れる」。

 独居老人、しかたない。
孤独死、無縁死、これまたしかたない。
それ以上に、息子や娘たちには、期待しない。
期待しなければ、失望もない。

 だったら、「限度をわきまえる」※。

 繰り返しになるが、子どもたちに向かって、「勉強しなさい」と言ってはいけない。
言えば言うほど、責任を取らされる。
その言葉自体が、虐待でもある。

 今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、いない。
ゼロ!
大学生でも、いない。
社会人になってからも、親に車を買わせている子ども(若夫婦)となると、いくらでもいる。
さらには結婚式の費用から、子ども(孫)のおけいこ代まで払わせている子ども(若夫婦)までいる。

 が、当の子ども(夫婦)は、感謝などしていない。
「生活が苦しい」と言うことはあっても、感謝などしていない。

 だから限度をわきまえる。
(してやること)と(してはいけないこと)の間に、明確な一線を引く。
その一線を引くことに失敗すると、親子関係はバラバラになる。
それが全体として大勢を作り、ここに書いた「ジジ・ババ・ゴミ論」が生まれる。

 そう、私たちは、ゴミ。
今は、そういう前提で、自分たちの(現在)、そして(未来)を考えたらよい。
その上で、私たちはどうあるべきか。
若い世代とどうつきあっていくか。
それを考える。

(注※)限度論……バートランド・ラッセル(イギリスのノーベル文学賞受賞者)。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ受難時代 ゴミ論 はやし浩司 孤独死 独居老人 無縁老人 日本の子育て 育児論 はやし浩司 子育て限度論)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●春休みも、もうすぐ終わり(はやし浩司 2012−04ー05夜記)

 午後になって、畑の畝を2つ、ふやした。
トウモロコシと、インゲンの種を蒔(ま)いた。
ついでにネギが伸び始めたので、化成肥料を撒(ま)いた。
それが終わり、一息ついたころ、ワイフが、「映画を見たい」と言った。

 インターネットで調べると、『ドライブ』が、ちょうどよい時刻に始まるのがわかった。
話題作ではないが、おもしろそう。
そそくさと用意し、そのまま車に飛び乗る。

 映画館には、10分前に、着いた。
間にあった。
チケットを買い、中に入る。
観客は、15人ほど。
うしろから2列目に座った。
が、これがまずかった。
最後列の男たちは、靴を脱ぎ、足を前の席……つまり私たちの席に足をかけた。
これが、臭いの何のといったら……。

 映画が始まるとすぐ、私たちは2列ほど、前の席に移動。
ほっとした。
ポップコーンをほうばった。

 しかしそれにしても、臭い足だった!
靴を脱いで足を前の席にかけるという行為そのものが、マナー違反。
臭いとあれば、なおさら。

●3D映画

 前回、『スターウォーズ』をみてから、もう10日以上になる。
3D版だった。
途中で目が痛くなった。
はじめての経験だった。
それもあって、以後、映画館へ行くのを控えていた。

 私の年齢以上の人は、ああした動きが速い3D版は、見ないほうがよい。
目に悪い。
……ということで、これからは3D版は見ない。
心に決めた。
2D版を選んで見る
動きの速くない映画を見る。

●映画『ドライブ』

 映画『ドライブ』は、殺伐とした映画だった。
ロバート・デニーロの『タクシー・ドライバー』を彷彿(ほうふつ)させるような映画だった。
意味のない、殺しあいの映画。
ま、あえて言うなら、扁桃核(へんとうかく)に傷ついた人たちの映画。
幼児期から少年期にかけ、扁桃核に傷がつくと、人間的な温かい心を失うという※。
「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と説く学者もいる。
最近の脳科学は、そんなことまで説明するようになった。

 さらにそれが進むと、いわゆる「サイコパス」※。
「サイコパシー」と言うのが正しい。
日本では、「サイコパス」という。

 もしこの世に地獄があるとするなら、ああした世界を「地獄」というのだろう。
最後に若い男が、1人の女性のために命を落とすことになる。
一応、「愛」がテーマになっている?
が、愛といっても、地獄に咲いた花のようなもの。
どうしてアメリカ人は、ああまで肉欲的な「愛」を美化したがるのだろう。
「恋愛」というときの「愛」と、キリスト教で教える「愛」とは、まったく異質のもの。
同じ「LOVE(愛)」という言葉を使うから、話がおかしくなる。

 映画の評価は、星1つか2つの、★。
たぶん、1〜2週間後には、内容すら忘れてしまうだろう。
印象の薄い映画だった。

(注※……扁桃核、以前書いた原稿より)
『東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。
 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というのである。
 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。
実際、その(傷)が、こうした機器を使って、撮影されている。
 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。
 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。
さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身のあらゆることに影響を与える。
……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。
 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている』と。

(注※……サイコパス、以前書いた原稿より)
『「●サイコパス……私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在しているのです」(ここまで「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。
 この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。
(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。
 「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同サイト)。
 詳しくは、http://www.psy-nd.info/で。
 またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。
 良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。
北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++

 ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。
『精神病質者の意。
現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更されている。
サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で共感が無い。
加えて自分の行動に責任が取れない。
多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なり、サイコパスとなる可能性が高い。
8〜9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語処理が右脳で行われている。
一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」より)』と。

●Mr.PC(05月号)

 少し前、「Mr.PC」(パソコン雑誌)5月号を買った。
毎号、付録のソフトが、楽しみ。
で、今回はその中の、3Dロゴに挑戦してみた。
意外と簡単にできた。

 さっそく、2、3個作ってみた。
あとで、あちこちのページを、その3Dロゴで飾ってみたい。

 ……といっても、最近、脳みその働きが鈍くなってきたように感ずる。
ミスも多くなった。
つまりパソコンで何かの作業をしていても、ミスが多くなった。
それに新しいソフトが使いこなせるようになるまでに、時間がかかるようになった。
プラス、やっと使いこなせるようになっても、1、2週間もすると、使い方を忘れてしまう。

 さらに、最近、こんなことを発見した。

 たとえば、30分間、ウォーキングマシンの上で運動をしてからキーボードを叩くのと、何も運動をしないままキーボードを叩くのとでは、感じがまるでちがう。
運動をしてからだと、指先が軽快に動く。
運動をしてないと、ミスタイピングが多くなる。

 が、それだけではない。
運動をしてからだと、言葉がスラスラと出てくる。
運動をしてないと、「エ〜ト、何だったかな?」というように、迷うことが多い。

 若いころは、こんなことは、気にもしなかった。

 ……だからというわけではないが、今日は、午前中に30分、午後に30分、ウォーキングマシンの上で、汗をかいた。
加えて乗馬マシンの上で15分に運動+畑仕事。

 肉体の健康も大切だが、精神の健康も大切。
さらに脳みその健康も大切。
肉体+精神+脳みその健康。
この3つがそろって初めて、「健康」ということになる。

 そのカギを握るのが、運動ということになる。

●北朝鮮の人工衛星、光明星1号

3本のアンテナ

 まずは、写真を見てほしい。
左から、スプートニック1号(旧ソ連時代のもの)、北朝鮮の光明星1号、それに私のもっているラジオのアンテナ。
その取りつけ部を、拡大し、並べてみた。

 で、この写真を見てもわかるように、光明星1号のそれは、衛星のアンテナというよりは、ラジカセのアンテナ。
宇宙で開くような構造にはなっていない。
(スプートニック1号のほうは、複雑なバネ仕掛け(?)になっているのがわかる。)

 人工衛星自体もお粗末だが、こういう人工衛星でもって、宇宙開発というところが、おかしい。
恐らく今回予定されている人工衛星も、似たようなものなのだろう。
「カメラは積んでいるかもしれないが……」(韓国紙)、重量が100キロというのは、常識で考えてもおかしい。
最低でも、500キロほどの重さが必要という。

 ともあれ、何からなにまで、「?」マークがつくのが、北朝鮮。
が、笑ってはいけない。
あなどってはいけない。
北朝鮮は、すでに5〜6個の核兵器をもっているという。
その気にさえなれば、日本の主要都市を全滅させることもできる。

 で、私が危惧するシナリオ……。
(1)北朝鮮が、ミサイルを発射する。
(2)軌道をはずれ、失敗する。
(3)日本が、迎撃ミサイルを発射する。
(4)それを口実に、北朝鮮が、日本にミサイルを撃ち込む。

 ふつうの常識のある国なら、そんなことはしない。
が、北朝鮮には、そのふつうの常識が通じない。
通じないことは、「光明星1号」の写真を見ても、わかるはず。
こんなおもちゃのような(「週刊現代誌」)人工衛星でもって、「宇宙開発」という。

 なお先ほどの朝鮮N報の記事によれば、北朝鮮の潜水艦が、どうやら何かの作戦行動を始めたらしい。
ミサイルも警戒しなければならないが、北朝鮮の動きも、全体として注視する必要がある。
もしどこかの原子力発電所に、ミサイルでなくても、迫撃砲が1発撃ち込まれただけでも、今度こそ日本も、万事休す。
日本は、本当に、終わってしまう。

 原子力発電所周辺の、防衛態勢は、万全なのか?
あとになって、「想定外の攻撃でした」などと、言うな!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 扁桃体 はやし浩司 扁桃核の傷 精神疾患 扁桃核の傷)2012/04/05夜記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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  1. 2012/05/06(日) 10:20:16|
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(付記)ネット中毒

●ネット中毒(TBS・News−i)」より

+++++++++++++++++

韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。

かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。

まず、TBS−iの報道を紹介する・

+++++++++++++++++

**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******

いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。

 韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。

 女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。

 少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。

 韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。

**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******

●猛烈な攻撃

 この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。

私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも知ってほしい。

 が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。

 日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。

 あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?

 実は、今の今もそうである。

 数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。

 ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)

(付記)

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。

 たとえば……

「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ〜〜〜〜」(某サイト)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年の4月に書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ゲーム脳(ゲーム中毒)

+++++++++++++++++++

この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。

隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。

が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。

(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)

が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。

ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

●まねる(観察学習)

 発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。

 たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。

 で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。

その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。

 これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。

●自己認識能力

 ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。

 ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。

 子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。

 つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。

 ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。

……と私は書いている。

●付記

 あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。

 SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。

頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。

【補記】

 私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。

「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでしょう」と。

それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。

(注※)

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10−02−08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6〜29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
  1. 2012/05/05(土) 21:01:12|
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子どもと子どものゲーム脳

【ゲームははたして、安全か?】


●子どもとゲーム

(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)

+++++++++++++++++

「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!

イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。

+++++++++++++++++

【ロンドン27日・時事通信】

イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。

ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。

報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)

+++++++++++++++++

この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。

が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!

どうして? 

一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。

どうして?

危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)

明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。

あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。

数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。

「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。

隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)

が、この日本では、野放し! まったくの野放し!

私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。

どうして?

いったい、この日本は、どうなっているのだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ゲーム中毒の子どもたち】

●韓国のネット中毒(ゲーム脳)

+++++++++++++++

相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。

今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?

そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。

++++++++++++++++

********以下、韓国・より**********

 【ソウル時事】

 韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。

 韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。

 行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状が近いという。

 学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをやり過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止のキャンプなどの対策に取り組んでいる。

 午前0〜6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかなか打ち出せていない。 

********以上、韓国・より**********

●禁断症状

 時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる」と伝えている。

 が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。

 その韓国。
数字が具体的に表示されている。

「……同国青少年(9〜19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。

 どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。

またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。

 が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS−iは、こんなニュースも報道している。

**********以下、TBS−iより(2010−11−18)*******

 ……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。

**********以上、TBS−iより(2010−11−18)*******

 「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。

●禁断症状

 ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。

 「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。

 そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。

●ゲーム業界

 『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。

 少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。

 「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ〜〜。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ〜〜」と。

 こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100〜150番目あたりから、急速にそういった批判が目にとまるようになる。

 が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよい。

日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。

●脳のCPU(中央演算装置)

 話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。

 私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。

 が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。

 この問題と脳のCPUとどう関係があるか?

 つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。

 こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。

++++++++++++++++

古い原稿だが、2003〜5年に
かけて書いた原稿を紹介します。

++++++++++++++++

【ゲーム脳】

++++++++++++++++++++

「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」

これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。

++++++++++++++++++++

●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、

 『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
 森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。

 これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。

『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだに発表されていない。
 手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てたが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見方だ』(毎日JPより)と。

●利潤追求の世界

 こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、

『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。

 これにゲーム業界が飛びついた(?)。

『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。

 こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。

 もちろん批判もある。

『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。

●三つ巴の論争

 現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。

 森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。

 が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。

(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。

「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう思うにちがいない。

「ゲームは本当に安全なのか?」と。

 そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)

 仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果があるとはかぎらない。

●脳トレへの疑問

 私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世界での訓練にすぎない。

 たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうしたの?」という部分につながっていかない。

 仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。

 たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。

+++++++++++++

【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。

 □草、□問

+++++++++++++

 答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。

つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。

 それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。

 つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)

●疑わしきは罰する

 子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)

++++++++++++++++++++++

ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!

+++++++++++++++++++++++

最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。

『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。

この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。

 つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。

 が、私がここで書きたいのは、そのことではない。

 この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到している」(同)という。

 考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?

 K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!

 実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。

 どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか? 
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性からのもあった。

 「子どもたちの夢を奪うのか!」
 「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
 「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。

 私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強してからものを書け」とか、など。

 (誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)

 反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。

 で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。

 これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?

 一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつつ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。

 実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。

 あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。

 そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間には、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。

これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。

 ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまった若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。

注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリスで発表した。

この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。

(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ゲーム脳(2)

【M君、小3のケース】

 M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。

 M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。

 M君には、特異な症状が見られた。

 祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。

 祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。

 私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。

 M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けがをしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。

 こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切れない。こんなことがあった。

 M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取りあげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。

 もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやってきた。

 私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。

 そのM君には、いくつかの特徴が見られた。

(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化した。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。

(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。

(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。

(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。

 M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづけるそうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)

 以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。

ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! 
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。

「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●失行

 近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。

 失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。

 原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。

 それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられるという。行動命令と抑制命令である。

 たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二つが、同時に発せられる。

 だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。

 精神状態も、同じように考えられないだろうか。

 たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。

 そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。

 この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなりに、よく理解できる。

 たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。

 そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。

 それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。

 このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。

 ……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。

 前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。

 どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそうである。

 言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したりするということができなくなる。

 ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容易に推察できる。

 それが「スカスカの脳」ということになる。

 これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。

(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にとらえることは、よくある。

 たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに40〜50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。

 当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということになる。

 ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。

 しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。

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Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012−05−05)

●子どもとゲーム脳

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。

が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。

日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。

ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●朝鮮日報紙

 このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。

 じっくりと読んでみたい。

(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************


【1】


 幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中するようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。

 2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子どもは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも説明した。

 さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻るのが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。

 国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデオゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生になってからが望ましい」と主張している。


【2】


 午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしのパソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は必要なかった。

 「よく寝たか。ゲームを始めよう」

 いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲームの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したところ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。

 ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無難に勝利した。

 何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。いつの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段もこのくらいはプレーしている。

 私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借りてくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。

 ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うことはしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。


【3】


 科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このような子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけだ。

 ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子どもの脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠がない」との理由でで結論は出なかった。

 だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという事実が、科学的に初めて立証されたのだ。

 ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬中毒に陥ると肥大化することが分かっている。

 先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。

 韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められることを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するようになる」と説明した。

 ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シューティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感になることが、立証されたわけだ。

 韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響について研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。


【4】


 ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッグするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わるなどの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。

 イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケーションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃんは一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、イさんはえらいと感心していた。

 しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子どもたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初めは目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思うと、とてもつらい」と話した。

 スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもたちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ばなければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできるが、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み始める。

 カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与えるホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じられなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。

 幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。

 あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにすると、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機にまで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今になって分かった」と話した。


【5】


 ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来ても見向きもしない。

 ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェの運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョンスにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンのゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだった。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見せた。

 一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲーム以外の何も入り込むことはできなかった。

 子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことがない家庭はほとんどないだろう。

 特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっているのも実情だ。

 昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3−7歳の幼児・児童(3.7回)が、9−18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と話した。

 ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。

 関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3−6歳児の脳の発達過程では、脳梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。

 さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。

**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載

  1. 2012/05/05(土) 20:34:50|
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「子育てに自信がもてない」

●子育てに自信がなくなった母親

【SRさんより、はやし浩司へ】

[題名] 自分の育て方に自信がもてなくなりました。
[投稿者]SR

小4男児の母です。
息子が2才の時に離婚しました。
父親はいません。
3年から、スポ少に入りました。
スポ少も初めは頑張って行っていましたが、最近は行きたがらなくなりました。
本人は『身体はやりたいけど、いざ行くときになると脳が行きたくないと言う』などと言っています。

祖父母と一緒に暮らしています。
行かないと、周りの皆に迷惑かかる、と、私や祖父母は言っています。
そのせいかどうかわかりませんが、最近は小遣いが足りないといっては、財布からお金を取ったりします。
学校も行きたくないとか、こんな家族要らないから、『死ね!』と言ったりします。
何か、信頼関係が無くなってしまったようにも感じます。
これから先、どう接して行ったらいいか分からなくなってきました。
父親が必要なのでしょうか。
家のみんなは敵、……みたいな感じに思っているのでしょうか。
どうか、アドバイスお願いします。

【はやし浩司より、SRさんへ】

 文面からすると、息子さんは、かなり自分勝手で、わがまま。
いわゆるドラ息子症候群による症状が、いくつか出ています。
しかしこのことと、離婚、もしくは母子家庭と結びつけないほうがよいでしょう。
原因は、甘やかしと、きびしさ。
どこかでアンバランスな生活が日常化しているとみます。
たとえば、子どもの言いなりになる一方で、ときにガミガミと強く叱るなど。

 また子どもは小3〜4前後で、親離れを始めます。
思春期前夜にかかり、情緒も不安定になります。
幼児に戻ったり、おとなぶってみたりを繰り返しながら、徐々に、つぎの思春期を迎えます。
私はこれを「揺り戻し」と呼んでいます。
親としては、どう接したらよいのか、たいへんわかりにくくなる時期です。

 で、今の状況では、(1)信頼関係を取り戻そうなどとは、思わないこと。
(子どもは親の愛情を試すようなことを繰り返すようになります。
いちいちそれに引き回されないこと。
親は親で、つまり堂々としています。
「嫌われても構わない!」という態度を示します。)

(2)あなたはあなたで、やるべきことをし、それですまします。
子どもの機嫌を取らないこと。
淡々と、親としてやるべきことをやる、です。

(3)信頼関係は作るものではなく、日々の生活の結果として、(できる)ものです。
それには10年単位の時間が必要です。

感情的な子育てになっていませんか。
短気な子育てをしていませんか。
もしそうなら、子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということになります。

 コツは、(1)今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、子どもの様子をみます。
半年単位で、少しでもよくなれば、御の字。

(2)こうした子どもの非行(盗みなど)は、「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返しながら、2番底、3番底へと落ちていきます。
親があせればあせるほど、そうなります。
だから性急に、「直そう」などとは、思ってはいけません。
親がドタバタすればするほど、子育ては泥沼に入ってしまいます。
盗みについては、お金の管理を徹底するという方法で、対処します。

 たとえばここであせれば、(たとえば子どもの側からみて、愛情に不安感を覚えたりするほどまでに強く叱ったりすると)、夜遊び、外泊、家出……と進んでいく可能性もあるということです。
(それが2番底、3番底という意味です。)
スポーツ少年団については、子どもの判断に任せたらよいでしょう。
ひょっとしたら、やがてスポーツ少年団をやめる程度のことでは、すまなくなります。

 信頼関係がなくなった……ではなく、あなた自身が、子どものことをまったく信じていない。
短い文面だけでは、よくわかりませんが、私には、そんな感じがします。

 以上が、私がここでアドバイスできることです。
情報が不足しているので、何とも言えません。
なお「父親が必要でしょうか」という心配ですが、祖父母が近くにいるということですから、今は、考えなくてもよいでしょう。
年齢的にも、父親がいればそれで問題が解決するというような問題ではないように、思います。
新しい父親(?)を連れてきても、かえって失敗します。
(私は成功例を知りません。)

あなたはあなたで、(すべきこと)、たとえば仕事でも家事でも、すべきことをします。
仮に20歳くらいまで、子どもの心があなたから離れたとしても、それはそれ。
やがてそれを子どもの側が理解するときがやってきます。
もう少し長い目で、子育てを見つめてみてください。

 最近、「ファミリス」という雑誌に、「筋(すじ)と限度」という原稿を書きました。
参考までに、ここに掲載しておきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【愛と甘やかし】

●「許して忘れる」

 (愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。
が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。
英語では、「For/give & For/get」といいます。

 この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。

 が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではありません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き落とされます。

 子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。

●誤解

 が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。

 一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。

 規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。

 自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。

ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。

●筋(すじ)

 それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。

 あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。

『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、真の家族の喜びを与えられます』と。

 (限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。
※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
2012/03/16


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【親の愛情と発達障害】(橋下徹大阪市長の「発達障害がい、愛情欠如説」について)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

橋下大阪市長が、とうとうというか、ついに、「発達障害」という言葉を使った。
いわく「発達障がいの主因は親の愛情欠如」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●発達障害

 最近では、公文書などでは、「発達障がい」と、「害」を「がい」と表記するようになった。
が、この方法は、かえって「害」を強調することになるのでは?
「ボケ」を「認知症」と言い換え、さらに最近ではまた「ボケ」と言うようになった。
その反対の例が、「馬鹿」。
「ホース&ディア(馬と鹿)」と言われて怒る、外人はいない。
が、日本では、「馬鹿」と言えば、さげすみ語になっている。

 つまり言葉というのは、漢字の問題ではないということ。
だったら「発達障外」などと表記すればよい。
「発達問題」でもよい。
表記方法はいくらでもある。

●MSN(産経ニュース)より

『……橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」大阪市議団が議会提出する方針の条例案の発達障害をめぐる規定に当事者らから反発の声があがり、橋下市長が3日から4日にかけ短文投稿サイト「ツイッター」で「発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け、愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではない」などとコメント。
事態の収拾を図ろうとしている』(以上、MSNより)と。

●発達障害・遺伝説

 今では発達障害・遺伝説が常識化している。
「親の育て方にも問題がある」などと書いたりすると、抗議の嵐にさらされる。
BLOGなどへの辛らつな書き込みもふえる。
中には、「死ね!」というのもあった。

 しかし発達障害の「種」は、どんな子どもにもある、と私は見る。
程度の差もあるだろう。

 たとえば、親がはげしく叱ったため、1人2役の独り言を言うようになった女児の例を私は知っている。
それまでは、ごくふつうの子どもだった。
そのとき、その女児は、2歳だった。
 
 母親はこう言った。
「2役といっても、まったくの別人格。
気味が悪いです」と。

 さらに4歳のとき、風呂の水を出しっぱなしにして遊んでいた男児がいた。
そのため2階から1階まで、水浸し。
(その子どもの家では、風呂は2階にあった。)
それを見た祖父が、尋常でない叱り方をした。
とたん、その子どもは、様子がおかしくなった。
空を見つめ、ブツブツと、訳のわからないことを口にするようになった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された。

 その男児も、それまでは、ごくふつうの子どもだった。

 これら2例は、私がまだ30代のはじめ、経験した話である。

 すべてを遺伝で考えることはできない。
仮にそういう遺伝的要素があっても、発達障害児にならないケースもあるのでは?
一方、仮にそれまで遺伝的症状がなくても、ある事件をきっかけに、症状が出るということもある。

 ただし、兄弟姉妹、さらには、親子、親類縁者に、似たような症状を示す人が多いことも、事実。
そういう点では、私も「遺伝説」を支持する。

●育て方

 が、意伝説を支持するにしても、つぎの2つのことに注意したらよい。

(1)引き金を引かない
(2)症状をこじらせない

 先にも書いたように、生まれながらにして症状を示すケースもないわけではない。
しかし生まれながら(=生後直後)に、それを診断できるケースは、これまた常識で考えても、ありえない。
(あの新生児を見て、〜〜障害と判断できる専門家はいない。
ただし脳の器質障害については、脳波の測定などにより可能かもしれない。)

 ただ生後まもなくの段階で、親が様子のおかしさに気づき、無理をするケースがある。
たとえば夜泣きがはげしかったりすると、強く叱ったりする、など。
が、強く叱れば叱るほど、子どもの心は(ゆがむ)。
どう(ゆがむ)かは、ケースバイケースだが、ともかくも、その後、何らかの症状となって現れる。

 さらによくあるケースは、たとえばかん黙児や、AD・HD児のばあい。
3〜4歳児になると、症状が現れてくる。
が、その段階で、親は、そういった「障害」をもっていることに気づかず、無理に無理を重ねる。
はげしく叱ったり、さらには暴力を加えたりすることもある。
これが症状を複雑化する。
こじらせる。

 放っておいても、小学3〜4年生(10歳前後)で、こうした症状は快方に向かう。
子ども自身がもつ、自己管理能力が発達するためである。
脳には、自らを正常化するという機能が、備わっている。
要するに脳の機能障害というのは、そういうもの。

 それを薬物などで治そうとするから、かえって症状が長引いたり、悪化したりする。
「リタリン」を例にあげるまでもない。

 つまり遺伝説は遺伝説として、後天的に、引き金を引いたり、さらに不適切な指導、対処によって、症状を悪化させたり、こじらせるということもあるということ。
すべての症状が遺伝的に、つまり生まれながらにプログラム化されているわけではない。

●愛情欠如?

 橋下市長は、「愛情欠如」という言葉を使った。
これに対して、当事者らから反発の声があがったという。

 当然である。

 発達障害は、愛情の問題ではない。
愛情がなければ問題だが、愛情があっても、発達障害を示す子どもは、いる。
LD児などは、その一例ということになる。
一方で、愛情がなくても、健常児に育つ子どもも、これまたいくらでもいる。
つまり(愛情)と(発達障害)の間には、因果関係はない。

 が、あるとすれば、先にも書いたように、後天的に(引き金を引いたり)、(無知が原因で、症状をこじらせる)というケースである。
これは遺伝ではない。
どこかで親の愛情に結びついている。
「親の愛情がもう少し深ければ、こうまで症状はこじれなかっただろうな」というケースは、少なくない。

 だから橋下氏の意見には、一理あるということになる。
が、あくまでも「一理」。

●暴走

 橋下氏は、若い。
経験不足。
認識不足。
そういった面は、多々見られる。
それがときとして、暴走する。
今回の「愛情欠如説」も、そのひとつ。

 まあ、率直に言えば、危なっかしいが、それが橋下氏の魅力でもある。
ふつうの人なら、これだけで気が滅入ってしまうだろう。
もの書きなら、ツィッターを閉鎖し、筆を折ってしまうかもしれない。
が、橋下氏は、へこたれない。
その強靱さに、私は別の魅力を感ずる。

 ……というように、橋下氏を擁護し、この話は、ここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 発達障害 発達障がい 愛情欠如説 愛情欠落説)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 18日
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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【焼津・Hotel Ambia 松風閣にて】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

午後になり、少し昼寝。
起きたのが、1時半。
「2時に行こう」と私。

目的地は焼津(やいづ)。
焼津の市内で、夕食。
そのまま近くのホテルで1泊。
Hotel・Ambia・松風閣。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●北朝鮮の人工衛星(光明星1号)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日、北朝鮮の人工衛星について書いた。
アクセス数が多かったこともあるが、
書き足りなかった点もあるので、改めて
書き足してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ここ数日、週刊現代誌に載っていた、北朝鮮の人工衛星なる模型が気になってしかたない。
現在、ピョンヤンの「電子工業館」に展示してある模型は、前回、北朝鮮が打ち上げた人工衛星、「光明星1号」の模型という。
模型だから、本物ではない。
しかしまったくの、創造物とは言い難い。
もちろん、おもちゃではない。

 こうした展示館で模型を飾るときは、常識として、できるだけ本物に近いものを並べる。
たいていは、予備に作った本物を並べる。
古今東西、どこの展示館でも、そうしている。

 だから週刊現代誌で紹介されている人工衛星は、かぎりなく本物(?)に近いものと考えてよい。
しかし疑問がいくつかある。

●スプートニック1号、2号

 北朝鮮の人工衛星を見て、まず気がつくのは、その形状。
一見して、旧ソ連が打ち上げた、スプートニック1号および2号にそっくり。
球形で、アンテナが斜め後方に4本、伸びている。

スプートニック1号および2号の写真と、北朝鮮の人工衛星の写真を並べて、紹介する。

 なおスプートニック1号、2号というのは、スプートニク計画により、1950年代後半に旧ソ連によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星をいう。

(1950年代だぞ!)

732psupu-tonikku
(スプートニック1号)

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(スプートニック2号)

img321
(北朝鮮の人工衛星)

 この3枚の写真を見比べただけでも、北朝鮮の人工衛星がいかに「おもちゃ風」であるかがわかる。
おもちゃでなければ、サッカーボール。
あるいはクラブやディスコの天井につり下げてある、ミラーボール。
週刊現代誌は、「おもちゃイムニダ」と皮肉っている。

●疑問(1)アンテナ

 アンテナを見たとき、最初にこう思った。
「これはラジカセのアンテナ?」と。

 よく見ると、1本のアンテナが3段に分かれている。
携帯用のアンテナなら、伸縮できるように、3段にしたりする。
しかし人工衛星では、それは必要ではない。
仮に必要であるとしても、いったい、だれがどのようにして伸したり、縮めたりするのか。

 が、さらに詳しく見ると、3段になったアンテナが、その接続部で、溶接らしきものがほどこしてあるのがわかる。
写真でも見ても、それぞれの部分が、不揃いにふくらんでいる。

img323
(北朝鮮の人工衛星・3段になったアンテナ)

img322
(北朝鮮の人工衛星・アンテナ付け根部分)

 仮にこれが人工衛星であるとしても、数百億円もかけて宇宙へ飛ばす価値があるのだろうか。
反対に、数百億円もかけて飛ばすくらいなら、もう少しその価値のあるものを打ち上げるのではないだろうか。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。

●着色の謎

 謎はまだつづく。

 宇宙では、温度の差が問題となる。
たとえば月面では、昼は+120℃、夜はー150℃になる。
月は自転をしているので、昼の蓄熱と夜の冷却が繰り返され、まだ温度差は小さい。
では、宇宙ではどうか。
回転していなければ、太陽の光の当たる表面は、限界温度、裏はー270℃近くになる。
 
 そのため人工衛星は、温度を平均化するため、回転するようにできている。
とくに人間が居住するような人工衛星は、そうである。

 が、もし機器を積んだだけの人工衛星であれば、「熱」だけを考えればよい。
電子機器は、「冷え」には強いが、「熱」には弱い。
そこで人工衛星は、スプートニック1号、2号のように、熱を反射するため、ピカピカに磨かれる。
ところが、である。
北朝鮮の人工衛星は、ピカピカどころか、着色してある。
わざわざ着色した理由は何なのか。
つまりここが不自然。

●本物と模型

 私は子どものころから、プラモデルを作るのが趣味だった。
そのプラモデル。
よくできたプラモデルほど、本物に近い。
たとえば飛行機にしても、それぞれの部品には意味がある。
意味のない部品は、ない。
「こんなところに、こんなものがついている。何だろう……」と考えていくと、かならず、その答がある。
とくに戦闘機のばあいは、無駄がない。
もちろん飾りもない。
(塗装は別だが……。)

 一方、たとえばガンダムのようなプラモデルは、言うなれば、「ウソの塊(かたまり)」。
もっともらしい部品は無数についているが、みんなウソ。
そこにある部品の意味を考えても意味は、ない。
すべてが作者の想像力から生まれた、「飾り」である。

 つまり本物をもとにしたプラモデルと創作をもとにしたプラモデルのちがいは、ここにある。

 で、人工衛星のばあいは、どうか。
……とあえて問題を提起するまでもなく、無駄なものは、いっさい、ない。
飾りも、いっさい、ない。
戦闘機のような塗装も、ない。
そんな必要もないし、そんなことをすれば、重くなるだけ。

 その人工衛星に着色がしてある?
タイルごとに、2色が使われている?
しかも人工衛星の本体は、球形ではなく、多面体。
昔見た、ウルトラマンの映画にも、こんな人工衛星は出てこない。

●つづく疑問

 もう一度、スプートニック2号の写真を見てほしい。
スプートニック2号は、ロケット本体に、きちんと格納してある。
つまりこの状態で宇宙へ飛んでいく。
つまり宇宙へ届いたら、カプセルが開き、人工衛星は外へ放たれる。
が、問題は、そのとき。
人工衛星が宇宙へ放たれると同時に、当然、アンテナは、傘を開くように開かれる。

 そこでスプートニック1号の写真をよく見てほしい。
アンテナの付け根部分である。
たぶんバネ式になっていて、アンテナが開く構造になっているのがわかる。
かなり複雑な構造をしている。

 一方北朝鮮の光明星1号は、見るからにラジカセのアンテナ風。
自動的に開くとか、そういった構造になっていないことがわかる。
「どうやって宇宙で開くのだろう」と考えるだけ、ヤボ。
このアンテナでは、宇宙で、開くことはできない。
が、展示してある光明星1号のそれは、ちゃんと開いている。

●結論

 北朝鮮の人工衛星は、どう見ても人工衛星ではない。
アンテナひとつとりあげても……というか、私たちの家にあるラジカセのアンテナと見比べてみればよい。
取りつけ方、形状ともに、そっくり!

 恐らく今回打ち上げるミサイルにしても、似たようなものが積んであるのだろう。
重さは、100キロという。
北朝鮮は、世界に公開すると言っている。
だったら、その衛星本体を見せればよい。
ちがうかな?

●夢

 北朝鮮の人工衛星の話はひとまず、ここでやめ、つぎの話。

 昼寝をしたとき、こんな夢を見た。
おもしろい夢だったので、ここに記録する。

 ……私は、どこかの山道を歩いていた。
その先には、幾重も、低い山が連なっていた。
私は、どこかの町、……たぶん浜松市をめざして歩いていた。

 が、ふとこんなことを考えた。
こんな山なら、エンジン付きのパラグライダーで飛び越えてやろう、と。

 もちろん私は、パラグライダーなるものには、乗ったことがない。
見たことはある。
山荘の空の上を、よく飛んでいる。
が、いくら飛び立とうとしても、空を、木々の枝が覆っていて、飛び立てない。
木々の枝が、電線のようになり、それをじゃました。

 そこで私はこう考えた。
棒高跳びで使うような棒を用意し、それでひとっ飛びに山を乗り越えてやろう、と。

 幸い棒はすぐ見つかった。
丸くて長い棒だった。
私はその棒をよじ上り始めた。
が、しばらく上っていくと、下から何人かの男たちも、いっしょに上ってくるのがわかった。
1人は、私のすぐ下にいた。

 気にはなったが、私は上を見、そのまま上りつづけた。
あとはそのまま向こう側へ倒れればよい。
それでこの深い山を、抜け出ることができるはず……。
というようなことを、心のどこかで考えていた。

 私は棒を上った。
かなり高いところまで上った。
雲が、はるか下に見えた。
が、やがて棒の先端に。
その先端には、小さな看板が打ちつけられていた。
見ると、それには、「神」と書いてあった。
それを見て、私は、「ああ、ここは天国」と思った。

で、その看板をつかもうとすると、その看板は、スーッと消えた。
手をよけると、その看板が現れた。
で、もう一度、その看板をつかもうとした。
やはり、同じように、その看板は、スーッと消えた。

 ……そこで目が覚めた。

●夢判断

 支離滅裂な夢だった。
が、意味がないわけではない。
自分なりに夢分析をしてみる。

++++++++++++++

山の中にいた……私の閉ざされた世界を、象徴している。閉塞感。
「抜け出たい」という思い……生への葛藤。あるいは束縛からの解放。
空を覆う木々の枝……生きることにまつわる障害の数々。
丸い棒……男の象徴。ジャックと豆の木の話に出てくる、豆の木。
棒を上る……どこか芥川龍之介の『蜘蛛の糸』様。
後からついてくる男……不安の象徴。強迫観念。
「神」と書いた看板……頂点をめざしたいという欲求。願望。
看板が消える……天国に到達できないという限界。それにまつわる、はがゆさ。葛藤。

++++++++++++++

●リビドー

 空を飛ぶという夢は、ときどき見る。
が、思うように飛べないときのほうが、多い。
あるいは飛んでも、うまくコントロールできない。
「夢判断」なるものによれば、いろいろに解釈できる。
が、ジークムント・フロイトなら、こう言うだろう。

「抑圧されたリビドー(性的エネルギー)の解放を求めて葛藤している」と。

 そう、このところ不完全燃焼感が強い。
何をやっても、中途半端。
達成感や満足感がない。
何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない。

 このはがゆさ。
それが先に書いた夢の中に、凝縮されている。
が、精神科医なら、たぶん、こう判断するだろう。
「この男は、かなり強い強迫感をもっている」と。

●強迫性障害

 ウィキペディア百科事典では、つぎのように定義している。

『強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。
両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。
強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。

(1)強迫観念(きょうはくかんねん)とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す。
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。
ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もある。

(2)強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 強迫性障害(患者数)と診断される日本人は、100万人とされる(ウィキペディア百科事典)。
人口の約2%(世界共通)だそうだ。

 この数を多いとみるとか、少ないとみるか……。
が、内容は、一様ではない。

 ウィキペディア百科事典では、つぎのように分類している。

『(1)不潔強迫……潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。
体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る患者によっては電車のつり革を触ることが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。

(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。手の洗いすぎから手湿疹を発症する場合もある)など。

(2)確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。
電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。

(3)加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。
例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に苛まれて確認に戻るなどの行為。
赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。

(4)被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。
例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異常に遠ざけるなど。

(5)自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。

(6)疾病恐怖
または疾病恐怖症など。
自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。
HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。

(7)縁起恐怖
縁起強迫ともいう。
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見られる。

(8)不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の症状。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするものもある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。

(9)保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。
本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。

(10)数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。

(11)恐怖強迫
ある恐怖あるいはことば、事件のことを口にできない。
そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできない。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う(強迫行為)』(以上、ウィキペディア百科事典より。詳しくは……、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

●私のばあい

 私のばあい、(1)〜(11)のどれにも当てはまらない。
「そういうことも、たまにはあるな」という程度。
……ということで、ウィキペディア百科事典を読み、少し安心する。
(自分でそう思っているだけかもしれないが……。)
と、同時に、「あの人が、そうだ」「この人も、そうだ」と、いろいろな人が頭の中に思い浮かぶ。

 が、ここで誤解してはいけない。
だれにも、ここに書いたような傾向はある。
ない人はいない。
あとは軽重の問題。
それが重くなり、通常の社会生活がむずかしくなった状態を、「強迫性障害」と呼ぶ。
ここに書いてあることがあてはまるからといって、「障害者」ということにはならない。
(あてはまらないから、強迫性障害でないということにもならないが……。)

●出版の世界

 私はこうしていつもものを書いている。
が、けっして、何かに追い立てられて書いているのではない。
むしろ逆。
それが楽しいから、書いている。

 本を読むのが好きな人がいるように、私は、ものを書くのが好き。
書いているときだけ、私は私でいられる。
反対に書かないでいると、頭の中が、すぐパンクしそうになる。
で、それを書いて、吐き出す。
その爽快感がたまらない。
前にも書いたが、ひどい便秘症の人が、BENを、ドサッと出したときの気分に似ているのでは……?
だから書く。

 で、たまたま今日も、田丸謙二先生から、メールが届いた。
「だったら、本を書きなさい」と。

 実のところ、もう本には興味はない。
どうでもよい。
それよりも、時間が欲しい。
時間が足りない。
書きたいことがつぎつぎと出てきて、ときに自分でも収拾がつかなくなるときがある。
それに本といっても、私のほんの一部。
一部を切り売りしても、意味はない。
満足感は得られない。

 田丸謙二先生は、知らないが、この10年間だけでも、私は、10万枚(40字x36行)以上の原稿を、書いている。
平均すれば、1日28枚前後。
これらをすべて本にすれば、130枚前後で1冊の本になるので、770冊(単行本)。
もちろんそのほとんどは、本にする価値もない駄文。
が、どんな駄文でも、それは「私」。
「これは駄文でないから、本にする」「これは駄文だから、本にしない」というのであれば、最初から本にしてもらわなくても、結構。

……というか、本当は、私は出版社に、相手にされていない。
相手から見れば、私など、どこかのただの(馬の骨)。
出版社を責めているのではない。
私自身も、若いころ、出版社の立場で、本や教材の編集を手伝っていたことがあるから、そのあたりの事情は、よく知っている。
 
 本といっても、商品。
出版社は、まず売れる本かどうかを判断する。
販売部、もしくは営業部が、それを判断する。
編集部が動くのは、そのあと。
逆に編集部が動いたとしても、販売部が「NO」と言えば、その企画は流れる。

もちろん買い取り部数がしっかりと確約されているばあいは別。
たとえば宗教団体の多くは、こうした手法で本を出す。
「○○万部は、うちで買いますから……」と。

ほかに自費出版という方法もある。
が、私には経験がない。
本になるかならないかは、知名度と時代性で決まる。

 もちろん私には、そんな力はない。
知名度、ゼロ。

 ……これ以上書くと、グチになるから、この話はここまで。

●不完全燃焼感

 要するに、先ほど見た夢は、私の不完全燃焼感を、そのまま象徴化している。
「何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない」と。

 何だろう?
どうすればいいのだろう?

 列車は、先ほど、掛川を通り過ぎた。
書き忘れたが、今、私はこの原稿を、焼津に向かう列車の中で書いている。

●DSM−IV

 再び、強迫性障害について。
DSM−IVの診断基準によれば、(1)強迫観念と、(2)強迫行為の2つがあって、はじめて強迫性障害と診断されるそうだ。

 で、この中で興味深いのは、(7)の縁起恐怖。
先にも書いたように、「あの人がそうだ」「この人もそうだ」という人が、つぎつぎと浮かんでくる。
「縁起恐怖」というより、「迷信恐怖」。
この迷信という代物は、実にやっかい。
一度取りつかれると、それから逃れるのは、容易なことではない。
前にも書いたが、こんな人がいた。
原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年11月に書いた原稿、ほか1作

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●迷信

 迷信のはじまり……仏壇屋のおやじが、こんなおもしろい話をしてくれた。

 「たとえばね、何かの法事をしなかったとしますね。
そのあと、何かの事故が起きたりすると、『やっぱり、これは先祖様を供養しなかったためだ』とかなんとか、人は思ったりするものです。

 反対にね、もし法事をしたあと、何かいいことがあったとしますね。
すると『やはり、先祖様を大切にすることはいいことだ』と、人は思ったりするものです。

 つまりね、林さん、こうして迷信というのが生まれてくるんですよ。その人の中に……」と。

 仏壇屋という職業を通して、そのおやじは、人の生死を見つめてきた。
私は仏壇屋のおやじらしからぬ話を聞きながら、そのつど、感心した。
「この人は、ただの人ではないぞ」と。
つまりそのおやじは、人間が根源的にもっている(弱さ)を見抜いている!

 「そんなことを言ったら、仏壇が売れなくなりますよ」と私は言いかけたが、それは言わなかった。

●私の母

 私の母は、若いころから迷信深い人だった。
「迷信のかたまり」とさえ思ったことがある。
一貫性がなく、そのつど、迷信に振り回されていた。

もっとも母はそれでよいとしても、それによって振り回される私たちは、たまったものではない。

 たとえば靴一足を買うにしても、時間が指定された。
「夕方から遅い時間に買ってはだめ」とか、「買うなら、朝にしなさい」とかなど。
ほかに、「表(=玄関)で脱いだ靴は、裏(=勝手場)のほうで、はいてはだめ」というのもあった。

 ときには、靴を買う日まで、指定されたこともある。
「今日は、日が悪いので、買ってはだめ。あさってにしなさい」と。

 一事が万事。
ありとあらゆることに、その迷信が、入り込んでいた。
学校へ行くときも、裏口から出て行こうとすると、そこで呼び止められ、叱られた。
「表(=玄関)から出て行きなさい!」と。

 幼いころの私はそれに従ったが、小学3、4年生にもなるころには、息苦しさを覚えるようになった。
私は、そのつど母に反発したが、母は母で、自分の主張を曲げなかった。
そういう話を、寺や神社で聞いてきて、いつも私にこう言った。

「そういうことを言うと、バチが当たる!」と。

●されど迷信

 迷信、ただの迷信、されど迷信。
その迷信と戦うにも、かなりの勇気が必要。
ゆいいつの武器は、知性と理性、それに知識である。
何かのことで「おかしい?」と感じたら、そのことについて、徹底的に自分で調べるのがよい。
けっして不可思議なものに心をゆだね、その虜(とりこ)になってはいけない。

できればはじめから、近づかないこと。

こうした迷信というのは、一度気にすると、心の内側にペタリと張りつく。
取れなくなる。
取れなくなるばかりか、ときに自分が自分でなくなってしまう。

 このことは、子どもの世界を見ているとわかる。
10年ほど前、それについて調べたことがあるが、小学生にしても、大半が、まじないや、占いを信じている。
「霊」の存在を信じている子どもも、多い。

 大切なことは、自分で考えること。
仮に納得がいかないことがあったとしても、それを不可思議な「力」のせいにしてはいけない。
こんなことがあった。

 ある家庭に、3人の子どもがいた。
上から、長男、長女、それに二女。
長男、長女は、中学時代から札付きの番長に。
高校へは進学しなかった。
二女は、だれの子ともわからない子どもを妊娠、そして出産。
長女が、17歳のときのことだった。

 それについて、迷信深い叔父が近くにいて、「これは何かのたたり」と言って騒いだ。
そこでその両親は近くの神社を訪れ、「お祓(はら)い」なるものをしてもらった。

 が、原因は、母親自身にあった。
親意識が強く、権威主義。
口もうるさかった。
その上わがままで、思いこみもはげしかった。
子どもの心など、最初から、どこにもなかった。

 父親はいたが、週に1、2度赴任先の会社から帰ってくる程度。
母親は自分が感ずるストレスを、そのまま子どもたちにぶつけていた。

 子どもたちにすれば、さぞかし居心地の悪い家庭だっただろうと思う。
その結果は、先に書いたとおりである。

 つまりほんの少しだけでも、その母親に(考える力)があれば、こうした事態は防げたはず。
が、その母親には、その力さえなかった。
もっとも今は、3人ともそれぞれが結婚し、家庭をもち、それなりに幸福に暮しているから、とくに問題はない。

 またその後のことは聞いていないが、あの母親のことだから、今ごろは、きっとこう言っているにちがいない。

「何かあったら、あのX神社でお祓いをしてもらうといいですよ」と。
(以上、2008年11月記)

Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司

●迷信について(もう1作)

 信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。
迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わす。
かえって危険ですら、ある。

 S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガクガクと震わせます」と。

 最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。
その夫というのは、国立大学の工学部を卒業したような、エリート(?)である。
そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。

 もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではない。
少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。
悪魔の所作である。
だいたいにおいて、神や仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。

 たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏のようなもの。
私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。
だからアリたちも、ひょっとしたら、そう思っているかもしれない。
「あの林は、我々の神様だ」と。

 そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。
私を否定しても、私は記にしない。
もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているようなヒマなど、ない。

 人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。
もし神や仏がいるとするなら、宇宙的な視野で、かつそれこそ11次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいない。

 そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。
ものごとは、もっと常識で考えたらよい。

 信仰には、たしかにすばらしい面がある。
しかしそれは、教えによるもの。
あの釈迦も、法句経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。

※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:115600となる。
私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにとっては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメートル)の広さということになる。
人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営まれていることになる。
私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。
約三万人の人が住んでいる。
大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、同じ広さということになる。
多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……? 
初春の陽光をあびて、青い草が、さわさわと風に揺れている。
その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。

(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。
しかしアリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。
一〇分くらいで行ってしまうのでは? 
あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。
今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●Hotel Ambia 松風閣(焼津)

 「ホテル・アンビア」という。
地元の人は、「松風閣」という。
海岸の絶壁に建つ、絶景第一のホテル。
いろいろなホテルに泊まったが、まさに絶景。
断崖絶壁の上に建つ、絶景のホテル。
部屋へ入ったとき、思わず、ウォーッと声をあげてしまった。

 まるで空中の楼閣のよう。
眼下というより、真下に海岸線が見える。
たまたま今日は、「爆弾低気圧」が発生したとか。
四国のどこかでは、秒速42メートルの突風を記録している。
そのせいか、5〜6メートルもあるような大波が、真下で絶壁に打ち上げ、白いしぶきをあげていた。

 ハイクラスの、やる気度120%の、豪華ホテル。
浜松周辺では、このホテルと比較できるホテルといえば、伊良湖岬にある、伊良湖ビューホテル。
しかしこのホテルのほうが、上品。
ビューホテルのほうは、客層があまり、よくない(失礼!)。

 部屋へ入ると、若い女性が、館内の説明をしながら、お茶を立ててくれた。

●夕食

 夕食は、ここへ来る前、焼津さかなセンターで食べた。
さかなセンターの中には、いくつかの食堂がある。
その中の1つで、食べた。
なお焼津さかなセンターで売られている魚介類は、ショッピングセンターのそれと比べて、2〜3割は安い。
が、食堂の料理は、「安い」という印象は、もたなかった。

 で、夕食は、抜き。
が、その間に入浴すれば、がらがらのはず。
案の定、その時間をねらって大浴場へ行くと、客は私、1人だけ。
ゴーゴーと吹きすさぶ黒い雲を見ながら、露天風呂につかる。
まさに、絶景かな、絶景かな。

 大満足!

 明日は窓から富士山がながめるとか。
天気予報を調べると、「晴れ、ときどき曇り」とか。
ラッキー!

 窓の外を見ながら、ワイフがこう言った。
「いつか、こういうときが懐かしくなるかもね」と。
それに答えて、私はこう言った。
「まだまだ序の口。これから遊んで、遊んで、遊びまくる」と。

●今東光

 昔、今東光という作家がいた。
政治家でもあり、天台宗の大僧正でもあった。
一度、平泉の中尊寺で、法主(ほっす)として、法要をいとなんでいるのを見たことがある。
11PM(日テレ)で企画を書いているとき親しくなり、それが縁で、今東光ががんに侵されたとき、ときどき見舞いに行った。

 今東光は、2度、東京築地のがんセンターに入院している。
最初の1回目は、まったく元気だった。
医師に止められていたにもかかわらず、私を、センターの前にある焼肉屋で連れて行ってくれた。
今東光の病名は、直腸がんだった。
だから私のほうが心配して、「いいんですか?」と聞くと、「いいべえ」と。

 そんなある日。
また別の日に見舞うと、突然、こう言った。
「女を買いに行くべえ」と。

 当時、今東光は、女性のヌード画を描いていた。
体や性格にまったく不釣り合いな、細い線のヌード画だった。
今東光が前もって電話をすると、画廊のほうで、モデルを用意し、待っていてくれた。

 その今東光がこう教えてくれた。
「俺はな、若いころ、修行、修行で、女遊びができなかった。
病気も、もらったがな。
だから今でも、それを思うと、悔しくて、女を買いに行く」と。

 たしかそのとき「19歳から23歳まで、修行した」と言った。
そのとき聞いた年齢は記憶によるものなので、不正確。

 ……今、そのときの今東光の気持ちが、よくわかる。
私も、若いころは、仕事、仕事で、遊ぶことを知らなかった。
暇さえあれば、仕事をしていた。
それが今になってみると、悔しい。
だから、遊ぶ。
今、遊ぶ。

私「あきるほど、遊ぼう」
ワ「そうね」と。

 今では、今東光の名前を知る人も、少ない。
なお2度目に入院したときには、今東光は、ベッドの上で身動きが取れない状態だった。
丸いテント様のおおいに覆われ、顔だけ外に出していた。
それでも今東光は、原稿を書いていた。
いつ、どのようにして書いたかは知らないが、原稿を書いていた。
その原稿が、入り口のデスクの上に、きちんと並んでいた。
それが私に強烈な印象を与えた。

●ロビーにて

 ワイフが売店へ行こうと誘った。
応じた。
今、ワイフは、売店で、何やら買っている。
クラブの仲間へのみやげらしい。
私は、それを背中に、こうしてパソコンのキーボードを叩く。

 ……少し前、エレベーターで、9階から下りてきた。
そのとき焼津の夜景が、宝石のように美しく輝いていた。
嵐は去ったよう。
……だれかがエレベーターの中でこう言った。
「明日の日の出は、5時29分ね」と。

 運がよければ、またそのとき目を覚ましていれば、私も日の出を見ることができるはず。
楽しみ。
富士山を右手に、美しい写真を撮れるはず。

●春休み

 春休みということもあって、どこへ行っても、子どもの声がする。
今も背中側の通路で、子どもたちが騒いでいる。
聞きなれた声だが、うるさいものは、うるさい。
大声で、騒いでいる。
走り回っている。

 ロビーの前は、広い日本庭園になっている。
白い砂利が、ロビーの明かりを受け、白く光っている。
そのガラス窓に、ワイフの姿が映った。
何かを買ったらしい。
それを手にもち、ぶらぶらと歩いている。

●小沢系29人(民主党)辞表

 ワイフが朝日新聞の朝刊をもってきた。
1面の下の方に、「小沢系29人、辞表」とあった。
小沢系といえば、50人近くいたはず。
つまり20人以上が、小沢一郎から離反したことになる。

 「そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてだろう」と思ってみたりする。
政治の世界は、一寸先が闇。
一枚下も、これまた闇。
そこは権力と欲望が、醜く渦巻く世界。
「いやな世界だろうな」と思ってみたり、「よくやるなあ」と思ってみたりする。
 
 そう言えば、以前、「平成の忠臣蔵」というタイトルで、エッセーを書いたことがある。
野田政権が誕生したとき、小沢派議員の忠僕性を皮肉ったものである。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●民主党

 野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。

 わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。
この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」と「金(マネー)」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。

 もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。

 ・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。

●武士道

 ・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。
いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?

 5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという事実。
(工民、商人は、数がぐんと少なかった。)

 もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●タクシーの中で

 今では、どこへ行っても、原発事故と、地震や津波の話。
今日も、そうだった。
JR焼津駅からタクシーに乗ると、運転手がこう言った。

 「どちらから?」と。
「浜松から」と答えると、「浜松は、だいじょうぶですか?」と。

 運転手は、こう言った。
「焼津の人たちの中にもね、藤枝の方へ引っ越す人がふえていますよ」と。

 浜松市内でも、遠州浜沿いに住んでいる人たちの引っ越しが始まっている。
少し前までは、新幹線の北側は安心と言っていた。
が、震度7、津波の高さ21メートル。
3つのプレートが同時に動くと、それくらいの地震になるそうだ。

 で、もしそうなら、新幹線の線路でも、防ぎようがない。
地震で地盤の液状化も起こるだろう。
そこへ21メートルの津波!
海抜10メートル前後の下町は、全滅。

 3・11大震災前なら、そんな話はだれも信じなかっただろう。
私も信じなかった。
が、今は、ちがう。
「今すぐ……」というわけではないが、いつかは起こる。
かならず、起こる。
そういう前提で、この先を見る。

 数日前も、義兄がこう言った。
「下町の人たちが、山の手のほうへ、移動しているよ」と。
義兄は、大地主で、自分の土地の管理もかね、不動産屋を営んでいる。

 いやな世の中になったものだ。
今、この瞬間にも、大地震が起こるかもしれない。

●浜岡原子力発電所

 ときどき、ワイフとこんなふうに話しあう。
もし大地震が起きたら、すぐ逃げよう、と。
近くには、浜岡原子力発電所がある。
防災は万全と言っているが、だれも信用していない。
私も、信用していない。

 あの3・11大震災から数か月後のこと。
浜岡原子力発電所でも、配管に穴が開いているのが見つかった。
放射性物質が、海へ垂れ流されているのがわかった。
で、その前後、「大規模な」(報道)、防災訓練がなされた。
が、その防災訓練が、へん!
消防自動車がやってきて、原子炉に水をかけていた。

 原子炉に水だぞ!

 私はそれをテレビのニュースで見て、笑ってしまった。
つまり日本の防災意識も、その程度。
北朝鮮では、がんでも、赤チンをつけて治すそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
それと同じ。

 ……こういう話は、やめよう。
せっかくの旅行。
考えれば考えるほど、憂うつになる。

●4月4日

 明けて、今日は4月4日。
目覚ましを、午前5時15分にセットしておいた。
目覚ましと同時に、目を覚ますと、窓全面に、青い空がまぶしいほどに光っていた。
同時にワイフも目を覚ました。

 このホテルには、一度、皇族方全員が宿泊している。
言うなれば家族旅行。
そのときはじめて、私は納得した。
「この景色なら、その価値がある」と。

 浜松からは、鈍行列車で来ても、50分。
車で来れば、もっと早い。
愛知県の西浦温泉などよりは、ずっと近い。
こんな近くに、こんなよい温泉旅館があるとは!
星は、文句なしの、5つ星。
すばらしい。

 今、時刻は午前8時07分。
大波が右上から左下に、行く筋もの山を作り、その間で、糸のように細い小波が揺れている。
プラチナ色の海。
それを取り囲むように、淡いコバルト色の海。
たった今、デジタルカメラを構えて何枚か写真を撮った。
まぶしくて、液晶画面が見えなかった。
その方向にカメラを向け、勘で撮った。

 さあ、このまま帰る。
シャトルバスは、8時30分に出る。

はやし浩司 2012−04−04 焼津・ホテルアンビア・松風閣にて

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【北朝鮮問題vs私たち日本人の問題】
●迎撃ミサイル発射、反対!

●人工衛星

 「週刊現代」(今週号)を読んだ。
グラビアの中で、北朝鮮の人工衛星を紹介していた。
前回発射したとき、ミサイルに搭載したものという。

 それを評して、週刊現在誌は、「おもちゃイムニダ」と書いていた。
たしかに、「おもちゃ」。
「おもちゃ」以下の「おもちゃ」。

 サッカーボール、あるいはミラーボールのような球体に、アンテナが4本ついていた。
それだけ。
アンテナといっても、明らかにラジカセのアンテナ様(?)。
よく見ると、そのアンテナも、途中で、伸縮できるようになっている。
いったいだれが、どのようにして伸ばしたり、縮めたりするのか?

本体は球形だが、太陽電池らしいものはない。
電波を地上へ送るにも、かなり強力なバッテリーが必要なはず。
バッテリーは、どうするのか。
さらに制御装置らしきものものない。
素人の私が見ても、チャチ。
チャチすぎて、話にならない。

 その前のページでは、日本の宇宙ステーションの製造現場を紹介していた。
それと比較しても、一目瞭然。
あれは「おもちゃイムニダ」。

 北朝鮮の人たちは、あんなおもちゃを見せつけられ、それが本当に人工衛星と思い込んでいるのだろうか。

 週刊現代誌を買い、BLOGの中でその写真を紹介しようと思ったが、やめた。
紹介するまでもない。
それほどまでにチャチな人工衛星だった。

●赤恥

 で、私は確信した。
北朝鮮は、ミサイルなど発射しない。
……できない。
その技術もさることながら、仮に発射したとしても、宇宙には届かない。
太平洋上のどこかに墜落する。
が、そこでは、世界中の艦船が、待ち構えている。
うようよと待ち構えている。
そのあたりは、深度40メートル前後という。
当然、人工衛星(?)なるものは、回収される。

 そのとき人工衛星がハリボテであるとわかったとしたら……。
北朝鮮は、赤恥をかく程度ではすまない。
今までのウソが全部、バレてしまう。
(といっても、北朝鮮も、そこまでバカではないだろう。
回収されても困らないように、自爆装置くらいはつけているだろう。
自爆装置といっても、爆薬を詰めておけば、それでよい。)

 さらに一言。

 今回の人工衛星は、気象衛星という。
もしそうなら、飛行制御装置はもちろん、姿勢制御装置は、どうなのか。
地上から、どうやってそれを制御するのか。
宇宙から届く電波を、どうやって受信するのか。
少なくとも地上を撮影するカメラくらいは、ついているだろう※。

 だから私は、北朝鮮にこう忠告する。
「今回のミサイル発射実験は、やめたほうがいい。赤恥をさらすだけ」と。

(注※……韓国の報道)
『韓国政府関係者は「観測衛星は通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大きさでは『実用』からほど遠い。核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」』(MSNニュース)と。

●アメリカの反応

 それを熟知しているのか、アメリカは北朝鮮の代表に、こんな提案をしている。
「人工衛星なら、中国やロシアに打ち上げてもらってはどうか?」と。

 が、北朝鮮が「YES」と言うわけがない。
それがわかっていながら、アメリカは、そう提案した。

 Yahooニュースは、こう伝えている。

『……北朝鮮外務省・李根米州局長とアメリカ政府の元高官らが先月31日と今月1日、ドイツ東部で非公式の協議を行った。
しかし、双方の溝は埋まらなかったもよう。

 セミナーを主催した民間団体の関係者によると、アメリカ側は「人工衛星の打ち上げであれば、中国やロシアに依頼すればよい」と提案したが、北朝鮮側はそれを受け入れなかった』(以上、Yahooニュース)と。

●周囲科学

 ひとつの科学が進歩するためには、それを支える周囲科学が必要である。
同じように、人工衛星を作るには、周囲技術が必要である。
部品1個作るのにも、必要である。
いわんや、人工衛星。

少し前まで、乾電池すら自前で作ることができなかった国である。
(恐らく、今も、できないだろう。)
そんな国が、人工衛星など、作れるわけがない。
いわんや、それを宇宙に飛ばすとは……?

 もしそれができるとすれば、イランから技術とロケット本体を手に入れたと考えるのが妥当。
イランはすでに人工衛星を軌道に乗せることに成功している。
しかし仮にそうであったとしても、今回のミサイル発射実験には、いくつかの無理がある。

 その第一。

発射場への鉄道線路は、つい昨年末(2011)に完成したばかりという(報道)。
一事が万事というか、であるなら、それまでの資材などは、どうやって運んでいたのか。
しかも発射場に立っているクレーンは、ビル建設用のクレーンという。
発射台すら、ない。
知れば知るほど、お粗末。
そんな機材で、本当にロケットなど、打ち上げることができるのだろうか。
報道によれば、発射場にしても、一部、未完成という※。

 ……ということを考えていくと、今回のミサイルの発射実験は、無理。
で、今ごろ、内部では、こんな相談をしているにちがいない。

幹部A「とにかく、ある程度、飛べばいい」
幹部B「衛星が回収されたら、どうしますか」
幹部C「……発射方向を変えることはできないか?」
幹部D「それもひとつの手だな」
幹部E「いいか、ウソがバレたら、俺たちみな、公開処刑だぞ」
幹部F「……そうなったら、ただちに脱北しよう」と。

(注※……中央日報紙より)
『……中央日報は2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げを予告している平安北道東倉里の発射施設について、一部未完成とみられると報じた。
真偽は不明。施設の衛星写真を見た韓国政府高官の話としている。

 それによると、衛星の運搬ロケット「銀河3号」を発射台に据えるため設置される「発射整備台」が見当たらず、発射施設にタワークレーンが置かれているという。
高官は、発射整備台の設置工事が遅れ、クレーンで代用するとみられると指摘したという』(共同)と。

●戯言(たわごと)

 こうしたことを書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「貧しい国が、精一杯、背伸びをし、がんばっている。
そういう国を笑ってはいけない」と。

 しかしそれは北朝鮮の現状を知らない人が口にする、「戯言(たわごと)」。
独裁政権を維持するために、おびただしい数の人たちが、処刑されたり、収容所へ送られたりしている。
現在の今ですら、その数は、20万人とも、それ以上とも言われている。
つい先日は、軍の高官らが、迫撃砲で、処刑されたという。
「髪の毛一本、残すな」という、金正恩の命令によるものだという。

 なお一度収容所へ送られたら最後、生きて帰ってくる人は、ほとんどいないという。

●反面教師

 この先のことはわからない。
ミサイル発射実験につづいて、核実験も用意しているという報道もある※(韓国紙)。
やることなすこと、私たちの常識では理解できない。
狂っている。
が、どうであれ、私たちは今を生きる、生き証人として、北朝鮮の現実を、しっかりと記憶しておく必要がある。

 歴史は繰り返す。
過去にも同じようなことがあったし、未来にも、同じようなことはある。
そういうときのために、しっかりと記憶しておく。
そして二度と、現在の北朝鮮がしているようなことを、私たちは繰り返してはいけない。
私たちがいつか、同じように狂わないという保証は、どこにもない。

 北朝鮮を非難したり、笑ったりするのは簡単なこと。
しかし私たち日本人だって、ほんの70〜80年前には、同じようなことをしていた。
それを思うなら、もう少し謙虚になってもよいのでは。
時代が変われば、記憶も薄れ、結局はまた、私たちは、同じことを繰り返す。
それを北朝鮮を通し、私たちは学ぶ。
今、学ぶ。
北朝鮮は、まさにその反面教師ということになる。

(注※……TBS)
『韓国の国防省は、北朝鮮がミサイル発射実験とみられる「衛星」を打ち上げた場合、あわせて核実験も行う可能性があるとの見方を示しました。
 「北朝鮮がミサイルを発射した後、短期間のうちに核実験を行う素地があり、状況によっては追加の軍事挑発も憂慮されます」(韓国国防省スポークスマンの会見)』(以上、TBS)と。

●維新の会

 そのひとつというわけでもないが、私個人は、「維新の会」なるものに、あってはならない(危険なもの)を感ずる。
「大躍進」というのは、結構なことだが、政治の一貫性ということを考えるなら、けっして望ましいことではない。

 自民党がだめだったから、民主党が大躍進した。
が、今度は、民主党がだめだから、維新の会?

 維新の会が危険というのではない。
日本人がもつ、短絡性というか、後先を考えない激情性に、危険なものを感ずる。
つまり極端すぎる。
ひとつまちがえば、この日本は、たいへんなことになる。

 「維新の会」については、どういう方向性を持っているか、もう少し冷静に、見てみる必要があるのではないだろうか。
支持するのは、それからでも遅くない。
現に今、国歌だの何のと、橋下氏は、かなり右翼的な色彩の濃い発言を繰り返している。
あとになって、私たちは判断を誤りました、ではすまない。

 金正恩も若い。
橋下 徹も若い。
ムードだけに酔いしれていると、それこそ、たいへんなことになる。
 
●TK先生へ

 TK先生から、たった今、メールが届いた。
現在TK先生は、自宅を改築中。
その間だけということで、現在、近くの有料老人ホームに入居している。
その返事。

『TK先生へ

近くにいれば、毎晩でも話に行けるのに残念です。
私は実際には、祖父母の手によって育てられました。
また晩年の母は、2年間、私が世話をしました。
ワイフにはさせませんでした。
老人の世話には、慣れています。
そこらの介護士より、老人の扱い方がうまいのは、そのためです。
まったく気になりません。

実兄も、最後はボケ、いろいろありましたが、弟のように感じました。
だから先生の世話など、何でもありません。
多分先生のことだから、そういうところで、自分の近未来を見、ショックを受けられたのだろうと思います。
気持ちはよくわかります。
私も、もし自分に経験がなければ、ショックを受けただろうと思います。

しかしね、楽しめばよいのです。
私はいつも特養へ母を見舞いに行くたびに、周囲の老人たちとバカ話ばかりしていました。
が、ワイフはだめです。
老人と同居した経験がありません。
老人の世話をした経験もありません。
母が家にいる間中、「食事はどうの?」「運動はどうの?」と、そんな心配ばかりしていました。

老人には老人の世界がありますから、そっとしたいようにさせておくのがいちばんよいのです。

ただ、事故が3度つづき、それでこわくなって、特養へ入れました。
どれも、あわや……というような事故でした。
(母は昼間は眠り、夜中に動きまわりましたから……。
それにたとえ事故死であっても、不審死ということで、警察が介入してくると言われました。)
で、ケアマネに相談すると、「24時間、ついていてください」「夜は添い寝をしてください」と。
それでGIVE UP!、です。
私はその間、ただの一度も、ほかの息子や娘たちのように、グチを言ったことはありません。
つまりそういうことが、さらっとできるのです。
いつも祖父母のふとんに潜り込んで寝ていましたから……。
寒い夜は……。
中学生くらいになっても、です。

でもね、先生、こんなことを発見しました。
私も、この2年間で、2度、倒れました。
(軽いのを含めると、3度です。)
一度は、気を失い、大きなガラス窓を割ってしまいました。
そのときのことです。
死ぬことは、まったくこわくないということを知りました。
実に、穏やかで、安らいだ世界です。
「ああ、これで死ねる」とさえ、思いました。
でね、私はこう発見したのです。
脳には、そのときのために、すでにそのようなプログラムがすでにインプットされている、とです。
前脳と後脳の中間部あたりに、そういう部分があるそうです。

このことは逆に、最近、わかってきたのですが、あの新生児(赤ん坊)にも、そういう脳の機能があるのだそうです。
あの新生児が、親の愛をひきつけようと、無意識の部分で、行動しているということがわかってきました。
驚きでしょ!

つまり人間の脳のもつ、多様性というか、生まれてから死ぬまで、それぞれの段階で、プログラムがちゃんとインプットされているというわけです。
だから死ぬのはこわいですが、死の瞬間は、みな、穏やかで、安らいだ気分になる。
それを発見しました。

……やがてすぐ、私も先生のあとを追いかけます。
さみしいというより、楽しみです。
だからいっしょに、残された有意義に過ごしましょう。
先生も、ジジ臭いことを言わないで。

何かとたいへんでしょうが、先生は、けっして独りではないし……。
また何かあれば、連絡してください。
パソコンの分野でしか力になれませんが、よろしく!!!!!

はやし浩司』

●160万人

 話を戻す。

 北朝鮮は、早晩、かならず崩壊する。
が、日本にとっての問題は、それから。
韓国主導になるか、中国主導になるかは別として、日本は改めて戦争責任を問われることになる。
すでに北朝鮮は、中国を介し、補償金を打診してきている。
その額、何と100兆円!
もちろんそれで問題が解決するわけではない。
日本のすぐ隣に、巨大な反日国家が誕生することになる。
陸軍だけで、計160万人。
それこそその気にさえなれば、日本は、ほんの数日で、占領されてしまう。
仮に占領されないにしても、それ以後、日本は、今以上にその圧力を感じることになる。
ビクビクしながら、生きることになる。

 日本は、はたして、そのストレスに耐えることができるだろうか。

 が、問題は、さらにつづく。

●日本が蒔いた種

 元はと言えば、日本が蒔いた種。
それゆえに、最近の若い人たちは、こう言っている。
「ジジババの責任」と。
それが反世代闘争(=老人への反感)の原動力となっている。

今ではジジババ・ゴミ論がさらに進み、ジジババ害悪論まで、飛び出している。
つまりこの先、私たちジジババに対する風当たりが強くなることはあっても、和らぐことはない。
団塊の世代以上の人たちにとっては、たいへん住みにくい世界が、そこで待ち構えている。

 ……とまあ、そこまで考える必要はないかもしれない。
しかし北朝鮮の問題は、回り回って、やがてそのあたりまでやってくる。
経済が落ち目になったら、なおさら。
少なくとも、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ありがとうございました」「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ゆっくりと休んでいてください」という時代には、ならない。
その覚悟だけは、今からしておいたほうがよい。

●迎撃ミサイル発射、反対!

 以上のような理由から、私は迎撃ミサイル発射については、明確に反対する。
北朝鮮のミサイルに当たっても、はずれても、「発射した」という事実は、この先、大きな傷として、残る。
北朝鮮に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。
北朝鮮の立場で、それを考えてみると、よくわかる。

 北朝鮮にとって、戦争という突破口をいちばん名分化しやすいのは、この日本である。
アメリカや韓国ではない。
この日本である。

ならば「日本にはアメリカがついている」と考えている人は多い。
しかしそれは日本という国が、民主党政権になったときに、すでに日米安保条約は、形骸化した。
欧米では、「反米主義の左翼政権誕生」と、大々的に報じられた。
事実、民主党政権が最初にしたことは、中国詣で。
アメリカ詣でではなく、中国詣で。
あの小沢一郎は、300人近い国会議員や随行者を連れ、イのいちばんに、中国詣でをしている。

 さらに民主党政権は鳩山氏を東南アジアに送り、アメリカ抜きの「東アジア共同体構想」をぶちあげた(2009年9月)※。
欧州連合(EU)をモデルにしたものだが、これがいかにアメリカを怒らせたかは、想像するに難(かた)くない。
現在、極東アジア情勢は、完全に日本をはずしてことが進んでいる。
米韓主導。
結論から先に言えば、戦後、日本は、今、最大の危機的状況の中に置かれている。

 ……だからここは慎重に!、……ということで、迎撃ミサイルの発射には、慎重の上に慎重であるべき。
つまり反対!
迎撃の構えは見せても、迎撃してはいけない。
形はミサイルでも、中身はハリボテ。
そんなミサイルを本気で迎撃する必要はない。
その費用、1兆円以上!
が、それだけではない。
へたに迎撃すれば、中国を利するだけ。
中国はそれを見て、日本ならびにアメリカの迎撃システムや能力を知ることになる。

(注※……東アジア共同体構想、Yahooキーワードより)
『東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想。
民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)でアジア外交強化の取り組みとして明記。
アジア諸国と信頼関係を築き通商や金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策などの分野で協力体制を確立するとした。
参加国には、中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国を想定。
米国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどの扱いが焦点となる』(以上、Yahooキーワード)と。

●茶番劇

 最後に一言。

 今回の北朝鮮によるミサイル発射実験も、結局はアメリカvs中国という、2大国家のはざまで起きる茶番劇に過ぎない。

 アメリカにしてみれば、北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
(テロ集団に拡散することは恐れているが……。)
アメリカにしてみれば、中国こそが、最大の脅威。

 一方、中国にしても、事情は同じ。
北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
中国にしてみれば、アメリカこそが、最大の脅威。
だからその水面下では、たがいに謀略につづく謀略を繰り返しているはず。
おぼっちゃま然としている日本には、それがわからない。
日本が立ち入るスキなど、どこにもない。

 ただ心配なのは、今、日本はその存在感(?)を示そうと、焦っていること。
その(焦り)が、日本を暴走させる。
野田首相は、厳に、慎重であってほしい。

●TK先生より

 メールを開くと、TK先生から、返事が届いていた。

『林様:ご親切なメール有難うございました。
大変に心を打たれるメールでした。
御元気そのもののように見えた貴君が、二度もお倒れになったと聞いて驚きました。
これからはお互い様歳をとる一方です。
くれぐれもご注意して下さい。
大切な人ですから。
私にとってお迎えが来るということは亡くなった「マミ」(=奥様)や、娘が待っていて久しぶりに会え、一緒になれる期待が感じられます。
なるようにしかならないこれからですが、お互いに頑張りましょう。
くれぐれもお大事に。 
TKより』

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 北朝鮮問題 はやし浩司 2012−04−02)



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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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  1. 2012/05/05(土) 12:19:57|
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●「ファミリス」より、「筋と限度論」

【ファミリス・5・6月号より】
   2012年05月発刊

●親の愛に必要な、筋(すじ)と限度

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  1. 2012/05/04(金) 18:23:35|
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ポケモン・カルトbyはやし浩司

【ポケモン・カルトbyはやし浩司】
   1998年・三一書房版

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ポケモン・カルト(1998年4月15日・刊行)

はやし浩司著、「ポケモン・カルト」を公開します。
つづきは、「http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/」→「無料・立ち読みコーナー」へ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ポケモン・カルト】(あなたの子どもが、あぶない!)

表紙

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前書き+目次

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(第1章)

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ポケモン ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/04(金) 12:14:24|
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●同窓会ショック

●同窓会ショック・5月04日、朝3:49 (2012年)

●映画

 このところ、よい映画がない。
『Black & White』とか、『タイタンの逆襲』とか。
そういった映画は見た。

(ついでに『バトルシップ』、『ジョン・カーター』もみた。
これらについては、Blogの中で、すでに取りあげた。)

が、どれもパッとしない。
評価外というか、あえて評価するような映画ではない。
意味のないドタバタ映画。
戦争映画。

ボケ防止にはなる。
週に1度は、見るようにしている。
その程度。

 が、あえて言えば、『タイタンの逆襲』。
権威主義のかたまりのような映画。
ゼウスだのポセイドンだの、日本でいう水戸黄門が、何人もつづけて出てくる。
そういった神々が、地獄から解放された悪魔と闘う。
権威のない国、アメリカだからこそ、権威にあこがれるのか。
それとも、アメリカに住む、ラテン系の人たちのための映画?
どうであるにせよ、あの種の映画は、もう見飽きた。
つまらない。
 
 つぎは……。
そう言えば、またまたバンパイアものがやって来る。
『ダーク・シャドウ』とか。
今度は、ジョニー・デップが主役とか。
どこか喜劇ぽい。
どうしてアメリカ人は、ああまでバンパイアが好きなのか。

●5月3日、4日、5日

 5月3日、4日、5日は、浜松祭りの日。
例年だと、遠くからだれかがやってきて、我が家に泊まったりする。
浜松祭りを見に行く。
が、今年は、遠慮させてもらった。

「今年は家で、静かにしていよう」と。
……ということで、昨日、夕方になって、この山荘にやってきた。
浜松から、車で、35〜40分。

 が、ワイフはじっとしていない。
おとといの夜は、『タイタンの逆襲』を見たあと、駅前にあるダイワロイネットホテルに一泊した。
昨夜も床に入ると、「明日は、どこへ行く?」と。
「お前は、本当に不良老人だな」と言うと、あっさりと、「そうよ」と。
「遊べるうちに、遊んでおかなくちゃあ」とも。

 そのワイフは、今、隣りの部屋で寝ている。
のんきな性格というか、ワイフは、うつ病とは無縁の世界に住んでいる。
偏頭痛にさえ、なったことがない。
睡眠薬の世話にも、なったことがない。
毎日、朝までぐっすりと眠る。
単細胞型人間。
こまかいことを、まったくと言ってよいほど、気にしない。
万事、おおらか。

 ボケもあるのかな?、と疑うことはある。
が、今のところ、心配なさそうだ。
記憶も確か。
……というか、このところ、私のほうが、あぶない?
こまかいミスが多くなった。……ように、思う。

●テーマ

 前にも書いたが、ものを書くには、(怒り)が必要。
(怒り)を覚えないと、書けない。
日々に平穏、無事、平凡……というのでは、ものは書けない。
が、このところ、その(怒り)そのものを感じない。
つまり書きたいテーマそのものが、浮かんでこない。

 昨夕も、この山荘に来る途中、コンビニへ寄った。
何冊か本を買った。
ついでに週刊誌を立ち読みした。
が、どれも、頭の中を素通りするだけ。

 無関心?
それとも、ニヒリズム?
ふだんなら、どんな記事を読んでも、頭の中で火花がバチバチと飛び散る。
が、それがない?
万事、どうでもよくなくなってしまった。
原因をさぐってみるが、どうもそれがよくわからない。

●第二の失恋

 あえて言えば、先日、同窓会で聞いた話が、ショックだった。
私がつきあっていた女性が、実は、2股、3股もかけていた。
それがわかった。

 が、私はそれなりに真剣だった。
相手も、それなりに真剣だと、信じていた。
が、私はただのワン・オブ・ゼムに過ぎなかった。
それがわかった。

 言うなれば、恋愛詐欺にあったようなもの。
その証拠に……というか、同窓会の前に何度か聴いた、舟木一夫の『♪君たちがいて僕がいた』が、急に色あせてしまった。
『♪清らかな青春 爽やかな青春、大きな夢があり、かぎりないよろこびがあった……』で、始まる、あの歌である。

 今、聴くと、ただのマザコン・ソングにしか、聴こえない。
『♪母にも似た 優しい 目差しの君たちがいて そして 僕がいた』とつづく。

 で、ワイフに聞いてみた。
「お前さあ、学生時代、あの歌を聴いて感動しなかったか?」と。
ワイフはこう言った。
「私は、ああいう歌は嫌いだったから」と。

 やはり私はマザコンだった。
『♪母にも似た』という部分が、かなりマザコン的。
女性を、マドンナ(聖母)風に、祭りあげてしまっている。
が、そんな女性、どこにいる?

 その私がいかにマザコンであったかは、つぎのエッセーを読んでもらえれば、わかる。
その女性が、結婚するときの様子を書いたもの。
読んで、どうか、笑ってほしい。
なおその女性は、遊びに遊びまくったあと(?)、5〜6歳前後年上の女性と結婚している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

男と言うのは……というふうに決めつけてはいけないが、
自分の恋愛を、無意味に美化したがるもの。
そういう視点で、読みなおしてみる。
書いたのは2000年ごろ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【息子が恋をするとき】

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。
ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」(訳:はやし浩司)

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。
本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら私の説明など必要ないかもしれない。


 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの『ロメオとジュリエット』もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。
ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

 そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる『ロメオとジュリエット』はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
何度も涙を流した。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
   乙女とは何? 
   氷と欲望。
   世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いたので、このあとに添付しておく。
このエッセーは、中日新聞紙上で、発表させてもらった。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。
短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。
いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02−10−5)※

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●つづくエッセーは、その『ロメオとジュリエット』について、書いたもの。

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
a rose will bloom.... ばらは咲き、
It then will fade:  そして色あせる。
so does a youth,  若さも、また同じ。
so does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。(訳、はやし浩司)


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●息子が恋をするとき

●息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。
「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

 相手の女性の家は、従業員30名ほどの工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。「格が違う」という。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」と。

 オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。
年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

 もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。
そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。
もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
6月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

 しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。
(以上、中日新聞に、エッセーとして掲載済み。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び今朝(はやし浩司 2012−05−04)

●恋愛詐欺

 今朝の私の気分は、こう。
「何が、純愛だ!」と。
マザコンも、よいところ。

 薄汚い男と女の関係を、無意味に近いほど、勝手に美化していただけ。
つまりそう自分で、思い込んでいただけ。
自分を悲劇の主人公にしたて、勝手に騒いでいただけ。
ここに書いた相手の女性は、私のことなど、鼻くそほども考えていなかった。
それが今になってみると、(つまり今朝)、よくわかる。

 あえて書こう。
若い女性に、マドンナなど、期待するほうが、おかしい。
馬鹿げている。
若い男性と同じく、ただの欲望の奴隷たち。
「これは!」とターゲットを決めた男を見つけると、あの手この手を使って、結婚に持ち込む。
親がかりになることも、珍しくない。

 まさに、恋愛詐欺。

 聖母か聖母でないか……。
それは女性にかぎらない。
幾多の山を越え、野を越え、やがて決まること。
そこらの高校生に毛が生えたような若い女性に、聖母を期待するほうが、おかしい。
が、若いときには、それがわからない。
だから『♪母にも似た……』となる。

 苦労の「ク」の字も知らないような、また子どもを育てたこともないような女子高校生に、『♪母にも似た……』だと?
笑わせるな!

 ……おお、少し(怒り)が戻ってきたぞ。
ハハハ。
こうなると、文章が書ける。

●同窓会ショック

 こういうのを、「同窓会ショック」という。
しかも若いときの同窓会では、それはわからない。
見栄と虚栄の張りあい。
が、60歳もすぎると、その垣根が取れる。
「何を今さら……」という気分になる。
同時に、若いころの自分が、いかに欲望の奴隷であったかが、わかる。

 ただ誤解しないでほしい。
だからといって、その(欲望)を否定しているのではない。
その(欲望)があるから、人生も、また楽しい。
あの映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいたから、ドラマになった。
もしジャックとローズがいなければ、ただの沈没映画。
船の沈没映画。

 が、その私も、54、5歳のころ、その性欲から解放された。
男にも更年期というのが、あるらしい。
そのときのこと。
男と女の区別がつかなくなった。
と、同時に、それまでの自分が、いかに欲望の奴隷であったかを知った。
性欲という欲望である。

 が、これも誤解がないように、書いておく。
それはすがすがしいほどまでに、さっぱりとした世界だった。
心が、(私であって私でない束縛)から、解き放たれたような解放感だった。

●変わる女性vs変わらない女性

 同窓会について、ついでに一言。

 今回、同窓会に出てみて、こんなことにも気がついた。
男性諸君は、ほとんど、そのままだった。
つまり高校時代のままだった。
しかし女性たちは、そうではなかった。

 変わった人、変わらない人、……その2つのグループに分かれた。
変わった人については、高校時代の面影は、ほとんど残っていなかった。
変わらない人については、通りで会っても、すぐ気がつくほど、変わっていなかった。
どうしてだろう?

 細胞レベルの話をするなら、皮膚の細胞は、日々に再生される。
(これに対して、脳細胞は、再生されるということはない。
日々に死滅し、数を減らす。
だからこそ、性格や性質は、半世紀を経ても、変わるということはない。
20年たっても、30年たっても、昔のままで、会うことができる。)

 原因のひとつが、肥満と激やせではないか。
これを繰り返していると、顔の形まで、変わってくる。
……というような話を、昨日ワイフに話すと、ワイフはこう言った。

 『女の顔も履歴書よ』と。
(注:大宅壮一は、『男の顔は履歴書』と言った。)

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのも、女性は、高校を卒業したりすると、突然に美しくなる。
(化粧)という仮面をかぶるようになる。
まるで別人になることも、珍しくない。
そういうプロセスを経ているから、私たちは、それを「変わった」と、とらえる。

 もちろん、よくなる人もいる。
上品で、穏やかになる人もいる。
しかし残念ながら、そういう人は、少ない。

 女性のばあい、それまでの苦労が、そのまま顔に蓄積される。
いくら厚化粧をしても、……あるいは厚化粧をするからよけいに、その向こうにある苦労が透けて見えてしまう。

 大切なことは、知性を磨くこと。
理性を磨くこと。

……しかし、どこかの女性だが、作家からどこかの宗門にくだった人がいる。
マスコミの世界にも、よく顔を出す。
あの女性などは、ふつうでない修行をしているはずだが、年々、顔が醜悪になっていく。
そういう女性もいるから、ここでいう「履歴書」というのは、もっと別のファクターによって決まるのかもしれない。

 たとえばマザー・テレサなどは、晩年、ますます美しくなっていった。
顔のしわが、問題というわけではない。
内側から光る、品性のようなもの。
そうした(ちがい)は、どこからどのようにして生まれるのか?

●小沢一郎

 昨日のMSNニュースに、こんな一文が載っていた。
先ほど無罪判決を手にした、小沢一郎についてのものだが、こうある。

 『……公判は、結局は「小沢と秘書との関係」が問われた場だった。
法廷で秘書を「家族、子供のような気持ちを持っている連中」と表現した小沢だが、かつての側近が述懐するのは全く異なる関係だ。

 「田舎に帰ります」

 今から10年ほど前、後に秘書の束ね役となる元公設第1秘書、大久保隆規(50)は泣きながらわび状を書いていた。
涙の理由は、小沢の妻の新幹線切符の手配を忘れたというミスだ。
わび状の宛先は小沢事務所の先輩格、高橋嘉信(58)。
大久保はこのとき、秘書を辞める覚悟だったとされる。

 「小沢家の逆鱗(げきりん)に触れ、あまりの怖さに私のせいにした。
秘書にとって、小沢からの指示は絶対なんです」。
高橋は話す』(MSN)と。

 タイトルには、こうある。
『10円でも(小沢一郎から)借りれば、翌日に返す。小沢の絶対的存在』(MSN)と。
妻の新幹線の切符の手配を忘れただけで、わび状?
バカげているというよりは、実に小沢一郎らしい。

 MSNでは、小沢一郎を、「小沢」と呼び捨てにしている。
当然のことである。
無罪は無罪でも、かぎりなくクロに近い。
「証拠不十分」というのは、そういう意味。
MSNは、最後をこう結んでいる。

『……会計業務の「秘書任せ」を強調した小沢だけでなく、元秘書も含めて「誰も本当のことを話していない」とも感じている』(指定弁護士のO氏談)と。

 そんな小沢一郎が、「4億円の流れについて、秘書を信頼し、秘書に任せていた」とは?
いったい、だれがそんな言葉を信ずるだろうか。
同じくMSNの記事の中で、元秘書のT氏は、つぎのように語っている。

『…「私は通帳はおろか、実印も持たせてもらったことはなかった。
絶えず裏切るんじゃないかと考えて。
(小沢一郎は)猜疑心(さいぎしん)の固まりなんです」。
高橋はそう言った』(MSN)と。

(猜疑心の固まり、だぞ!)

 『男の顔は履歴書』(大宅壮一)という。
MSNが書いていることが、本当か、どうか。
あの小沢一郎の顔と照らし合わせて見れば、それがわかる。

●猜疑心(さいぎしん)

 なおここで、「猜疑心」という言葉が出てきた。
それはその通りで、昔からこう言う。
『泥棒の家ほど、戸締りが厳重』と。

 泥棒というのは、自分で泥棒をしているから、泥棒が気になる。
家の戸締りが、厳重になる。
つまり人間というのは、自分の弱点を裏返した行動を、自らしやすい。
ほかにたとえば、『女遊びばかりしている男ほど、自分の娘に厳(きび)しい』(はやし浩司)というのも、それ。

(そう言えば、こんなことを言った男がいた。
若いときから、浮気のし放題。
その男が、「娘(27歳)の(帰宅)門限だけは、しっかりと守らせている」と。
「27歳にもなった娘に、門限など、あるはずもない」と、そのときはそう思ったが、それは言わなかった。)

あるいは『浮気している夫(妻)ほど、妻(夫)の浮気を警戒する』(はやし浩司)でもよい。
さらに『小ずるい男ほど、他人を疑う』(はやし浩司)でもよい。

 「猜疑心」というのは、それをいう。
自分で悪いことばかりしていると、他人も、そうしていると思ってしまう。
それが猜疑心につながる。

 小沢一郎がそうであるというのではない。
しかしMSNの記事の中には、「猜疑心の固まり」とある。
もしそうなら、小沢一郎という人は、あわれな人だ。
金力と権力の亡者(奴隷)になりながら、それにすら気がついていない。

●朝

 話を戻す。

 時刻は、午前6時半。
ワイフは、まだ熟睡中。
ウグイスですら、すでに鳴くのをやめ、休息中?
縁側の向こうでは栗の木の若葉が、色鮮やかに輝いている。
さわさわとした風。
やわらかな葉が、一枚一枚、小刻みに揺れている。

 で、今回は、「同窓会ショック」というテーマで、この原稿を書いてみた。
が、悪いことばかりではない。
それが縁で、旧交を温めるということもできる。
あの高校時代が、それによって戻ってくる。
私にとっては、失われた3年だったが、その3年が戻ってくる。

 さらに言えば、みな、2年後の再開を約束した。
2年後!

 ふと「それまで生きているだろうか」と思う。
しかし同時に、「がんばって、それまで生きていよう」と思う。
つまり目標ができた。

 言うなれば老後生活というのは、目標作り。
無数の「目標」を作り、その目標のひとつひとつに向かって生きていく。
大きな目標というのは、ない。
庭先の栗の木の葉のように、無数の小さな目標。
1枚、1枚が、風に揺れるように、それに向かって生きていく。
2年後の同窓会も、そのひとつ。

 つぎに会うときは、さらにみな、ジジ臭くなり、ババ臭くなる。
が、生きているだけでも、御の字。
次回は高山市で、ということだから、その分だけ、健康でなければならない。
(もっとも今の私にとっては、美濃市も高山市も、同じような距離だが……。)
頭(脳みそ)のほうは、だいじょうぶだろうか。
そんな心配もある。

 あるいは、次回は、どんな同窓会ショックを受けるか。
楽しみというよりは、何となく、こわい。
今回も、すでに足腰の悪い仲間がいると聞いた。
が、そういう人たちはそういう人たちで、車椅子で来ればよい。
それがたがいに平気でできるようになったとき、はじめて、同窓会は同窓会になる。
みながみなで励ましあったとき、同窓会は同窓会になる。
頭がボケていても、よいではないか。
それが自然な形でできるようになったとき、時空を超え、あの高校時代が、光り輝き始める。

 ……ともあれ、ワイフが起きてきたら、M山にあるホテルに予約を入れるつもり。
活動開始。

 とりあえず、今日は、1冊、自分の本を、HPにUPLOADするつもり。
たいへんな作業になりそうだが、がんばってやってみる。

(はやし浩司 猜疑心について 猜疑心 泥棒の家 ロメオ 同窓会ショック はやし浩司 男の顔は履歴書 大宅壮一 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司) はやし浩司 2012−05−04)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 
  1. 2012/05/04(金) 11:14:08|
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●ああ、人間不信?

【人間不信論】(マドンナ論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前、高校の同窓会に出た。
楽しかった。
その席でのこと
昔の恋話(こいばなし……若い人たちは、「恋バナ」という)に花が咲いた。
こうした恋話に花を咲かせたのは、15年ぶり、それとも20年ぶり?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



●デフォルメ

 絵画、彫刻の世界には、デフォルメという言葉がある。
写実主義に対して、「デフォルメ」という。
同じように、もの書きの世界でも、ときどき「デフォルメ」という言葉を使う。
当の本人とわからないように、「形」を変える。
「内容」を変える。
「ストーリー」を変える。

 そうでもしなければ、当の本人の名誉に傷がつく。
高校の同窓生ともなれば、なおさら。
が、いくらデフォルメしても、その向こうにある事実は、ひとつ。
まずその事実。

●A子さん(女性)

 私はある時期、高校の同級生の女の子とつきあっていた。
名前を「A子さん」としておく。
「つきあう」というのは、「つきあう」という意味。
プラトニックな関係から、濃密な肉体関係まで、いろいろある。
幅が広い。
年齢(学年)があがれば、当然、後者の関係に近づく。

 そのA子さんの話を、だれかがしていた。
名前が聞こえたので、その輪に、私も加わった。
「あの人、どうしている?」「わからないわ」と。

 で、私は、こう言った。
「ぼくね、A子さんと、〜〜時代、つきあっていましたよ」と。
今さら隠すような話でもない。
すると、すかさず、A子さんをよく知るという、つまりA子さんの実家の近くに住んでいるB子さんが、こう言った。

「あらっ、そんなはずないわよ。A子さんが好きだったのは、X男君よ。林君(=私)じゃあ、ないわよ」と。

 実は、X君の名前は、記憶のどこかで聞いた覚えがある。
が、その当時、Aさんにとっては、すでに過去の人と思っていた。

私「なんだ、好きな人がいたのか」
友「そうよ。ずっと好きだったみたいよ」
私「ぼくは、純愛かと思っていた」
友「そんなわけないでしょう」と。

 X君はスポーツマンで、背が高い。
私は背が低い。
見てくれも、悪い。
どう考えても、勝ち目はない。

●純愛?

 が、話はそこで終わらなかった。
そばにいた、Y男君まで、こう言い出した。

「実はね、ぼくね、大学1〜2年のころ、A子さんとつきあっていた」と。

私「お前もか?」
Y「そうだよ。いいとろこまでいったよ。A子さんの家の2階でね……」と。
私「ぼくがつきあっていたころと、重なるよ」
Y「そう。林君の名前は、聞いていた。『林君ともつきあっている』とね」と。

 知らなかったのは、私だけ。
ああ、神様、仏様、……私だけ。
「ぼくはね、純愛かと思っていた」と。

Y「林君は、純情だなあ」
私「そうだなあ。ぼくは、A子さんと別れてから、A子さんを忘れるのに苦労したよ」
Y「そうだったのか。そうならそうと言ってくれれば、いろいろ話してやったのに」
私「当時は、言えなかったよ」
Y「つまりね、遊び。A子さんにしてみれば、林君は、ただの遊び友だち」
私「遊び友だちね? ぼくは結構、真剣だったよ」
Y「そんなわけないだろ。A子さんは、大学生のときも、X男と交際していたぞ。よく2人でドライブしていたぞ」と。

 あとは、お決まりの笑い声。
ハハハ、アハハハ……、と。

●人間不信

 A子さんは、高校時代から大学時代まで、私を含めて、4人の男性とつきあっていたことになる。
わかっているだけで、4人!
同級生だけで、4人!
私はただのワン・オブ・ゼム。
もちろんそのほかにも、いただろう。
が、私が知るところではない。

 何人かと顔を見合わせ、「女性って、すごいね」「ホント!」と。
そのときはそれで終わった。
が、私に与えたショックは、大きかった。
浜松に帰ってから、ボディブローのように、じんわりと痛みが大きくなってきた。
「人間不信」。
その不信感に襲われた。

●C子さん

 まず、ワイフに聞いてみた。

私「なあ、お前、結婚前のお前の話はたくさん聞いた。でも、それはみんな、本当のことか?」
ワ「何よ、今さら」
私「だってさ、あのA子さんね、ぼく以外にも3人の男と同時に交際していたよ」
ワ「あら、すごいわね。田舎の人って、そんなにすごいの?」
私「都会も田舎もないよ。お前は、どうなんだ?」
ワ「私は、ウソはつかないわよ」
私「いえね、ぼくはね、それが信じられなくなった」と。

 同窓会で聞いた話ではないが、別の機会に、こんな話も聞いたことがある。
同じクラスに、C子さんという、見るからに静かで、純情そうな女の子がいた。
ほのかな恋心を抱いたこともある。
そのC子さんも、これまた、メチャメチャ。

 同級生の何人かと、肉体的な関係をもっていた!
しかも高校時代に!
一度は、高校の近くの林の中で、それをしているところを、みなに見つかっている。

 当初、私はその話が信じられなかった。
何度も、否定した。
「あのC子さんが、そんなことをするわけがない!」と。
しかしそれは事実だった。
残念ながら、事実だった。
その様子を直接目撃した友人がいて、それを詳しく話してくれた。

●マドンナ論

 要するに、聖母はいない。……ということ。
一般論からすると、マザコンタイプの男性ほど、マドンナ(聖母)を求めやすい。
女性の理想型を、相手の女性に求めやすい。
私は、そのマザコンだった。
いつも女性に、聖母的な潔癖さと、包容力を求めていた。

 だからいつも、その女性の言葉を、そのまま信じていた。
「疑う」ということすら、しなかった。
私自身も、生涯、そのときどきにつきあうのは、1人だけ。
真剣。
遊びで、女性と交際したことはない。
また交際した以上、いつもその責任を取ってきた。
今のワイフとも、そういういきさつの中で、結婚した。

 この性分は、私の実父譲りと思う。
私の父は、大のかたぶつ。
くそまじめで、融通がきかなかった。
浮いた話とは、まるで無縁の世界に住んでいた。

 が、私のような人間は、少数派。
50年前の高校時代においてですらも、少数派?

●被害者

 ここに書いたことは、かなりデフォルメしてある。
しかしウソでないという点で、A子さんやC子さんが、これを読めば自分とわかるはず。
それを心配して、ワイフがこう言った。

「あなた、A子さん、怒るわよ」と。

私「だって、ぼくはだまされた被害者だよ。もてあそばれただけだよ」
ワ「いくらそうでも、本人が読んだら、怒るわよ」
私「そうかなあ。ぼくは真剣に結婚まで考えた……」
ワ「だから、あなたはおめでたいのよ。相手の女性は、そういうあなたを、うるさく感じて、去っていったのよ」と。

 うるさい?

 そうかもしれない。
相手の立場で考えれば、それがよくわかる。
相手は、私をただの遊び相手と考えていた。
そんな相手が真剣になったら、たしかに、「うるさい」。

 しかし私は、A子さんとの思い出を、死ぬまで大切にしたいと思っていた。
それが今回の同窓会で、ものの見事に、破壊されてしまった。
フーッと、家の中にたまったほこりのように、散ってしまった。
何という虚脱感。
バカ臭さ。
「今度会ったら、あいつの顔をぶん殴ってやる」と。

ワ「私がA子さんだったら、とても同窓会には出られないわ」
私「そうだなあ……。ふつう同窓生というのは、大切にする。汚れた思い出を作らない」
ワ「親類みたいなものだからね」
私「そうなんだよ。そう言えば、それ以後、一度も同窓会に出てこない……」と。

●性欲の奴隷

 さらに一歩踏み込めば、こういうこと。
別に難しい話ではない。
最近の若い人たちを見れば、それがよくわかる。
つまりその年齢の男女は、性欲の奴隷。
性欲の奴隷となって、無数のドラマをつくる。
その一語につきる。(2012/05/03)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

マドンナ論について書いた原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●聖母か娼婦か?

 女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。
ただし、聖母のように見えても、決して、聖母とは思ってはいけない。
一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になったりする。

 だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、娼婦に見えることもある。
わかりやすく言えば、男しだいということ。

 若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。

 私には、その女性(C子さんとしておく)は、聖母に見えた。
高校時代、隣のクラスの女の子だった。
おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。
その上、理知的で、分別もある人に見えた。
が、その女性が、別の世界では、まったくの別人? 
男を、まさにとっかえひっかえ、遊んでいた!

 ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのC子さんな、高校生のとき、草むらで、男とSクスをしていたぞ。
自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。

 私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、ちゃんと見た」と。

 それでも私は、信じなかった。
「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのことをしていたのだろう」とか。
「C子さんではなかったのかもしれない」とも。

 しかしそれから20年くらいたってからのこと。
別の友人が、こう言った。
「ぼくは、あのC子さんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、C子さんは、すでにバージンではなかった」と。

 私は「ヘエ〜」としか、言いようがなかった。
私がC子さんにもっていたイメージとは、あまりにも、かけ離れていたからだ。

私「女って、わからないものだあ」
友「お前は、C子さんをどう思っていたんだ?」
私「とにかく、信じられない。ぼくにとってC子さんというのは、マドンナだった」
友「あのC子さんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、C子さんの、どこを見ていたんだい?」
私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。

 一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。
そして好意を寄せる女性を、マドンナ化する。
日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、聖母という。
少しニュアンスがちがうような気もするが……。)

 聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。
とくに夫に聖母化されると、妻は、困る。
これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離婚率が高いという。
浮気率も高いという。

 1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少なくとも、1回以上の浮気をしているという。
この数字を多いとみるとか、少ないとみるか。
日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではないか。

 それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。
新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなかった」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。
だから離婚しやすい。
浮気しやすい。(多分?)

 要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよい。
このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。
女性を聖母化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。

 で、問題は、まだつづく。

 さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られている自分を、男の前で演ずることがある。

 「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。
つまりC子さんは、私の前では、聖母を演じていただけ? 
しかしそう考えると、すべて、つじつまが合う。

 が、これは私自身の問題でもある。

 私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。
母親を絶対化する分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。
私と結婚したワイフでさえ、あるとき、私にこう言った。

 「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。

 そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。
しかし当時の私は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。

 そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック!


(  )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなたに完ぺきな妻であることを求める。)
(  )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母親的な女性像を求める。)
(  )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物的な妻であることを許さない。)
(  )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。)
(  )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めることが多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。)


 要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(……と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。)

ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」
私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであること自体、自分のことを、親思いのいい息子と考えているから」
ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」
私「お前も、苦労したな」
ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。

 人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。
男も女も、ちがわないというのも、その一つ。
どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。
みんな、そのフリをしているだけ。
そうでないフリをしているだけ。

 だからこの議論そのものが、意味がない。
男性に、聖人も、男娼もいないように、女性にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。

●女性とおとなのセックスができない男性

 概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的? 
母系社会というより、母子関係の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。
つまり父性社会の欠落?

 よい例が、ストリップ劇場。
私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいったことがある。

 日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、なまめかしく踊る。
観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスをマッサージする。

 この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついていけばよい。
セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。

 が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。
どうも、はっきりしない。そのはっきりしないところが、マザコン的?

 マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。
あるいは母親としての理想像を、相手の女性や妻に求める。
そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる?

 ……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。
このことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。
(反対に、ナヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。)
そういう男の子は、女の子に対して、ストレート。
こんなことがあった。

 私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったときのこと。
一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。
「私には、チンチンなんて、ないもんね」と。

 それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあるだろ!」と。

 私はこのやりあいには、驚いた。
「今どきの子どもは……!」と。

 しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかったが、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。
「おい、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言っていたように思う。

 だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほうが、好きと言えば、好き。
一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。

 そういえば、マザコン的といえば、マザコン的? 
かなり昔、こんなことを言う男子高校生がい
た。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。

 「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。

 その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。
そこで私が「じゃあ、彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」と。

 また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。

 「先生、ぼく、ブルック・シールズ(当時のアメリカの女優)のウンチなら、みんなの前で食べてみせることができる」と。

 彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。

 こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるのか? 
あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほうが、そもそも、おかしいのか?

 ただ、こういうことは言える。

 マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入れてくれる女性を求める。
そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追いつめやすい、と。

 恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。
いろいろ問題が起きてくる。離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。

 それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。
夫が望むような妻にならなければならないから」と。

私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」
ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」
私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」
ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」
私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。

 そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかねばならない。
いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなくなってしまう。

 本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。が、今、その父親不在の家庭が多い。
あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケースも、少なくない。

 最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。

 もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こう言った。

 「先生、あんな男とは、もう別れた」と。
その中学生には、ボーイフレンドがいた。そこで私が理由を聞くと、こう言った。

 「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。

私「何もしてくれないって?」
中学生「手も、握ってくれないのよ」
私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」
中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。

 性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのとき内心では、「だらしない男もいるもんだ」と思った。

(はやし浩司 マザコン マザーコンプレックス マドンナ論 聖母 聖母意識 でき愛ママ 溺愛 溺愛ママ はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司)
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 冒頭にあげた、『故郷の空』の原曲は、『Comin' thro' the rye』。
つまり曲の歌詞が結論。

Gin a body meet a body
だれかが麦畑を分けてやってきた。

Comin' thro' the rye

Gin a body kiss a body
だれかがだれかに、キスをした。

Need a body cry?
それを嘆く必要はあるのか?

Ilka lassie has her laddie
どの女の子も、男の子をもっている。

Nane, they say, hae I
みんな私にはボーイフレンドはいないと言う。

Yet a' the lads they smile at me
が、男たちは、みな、私に笑いかけてくる。

When comin' thro' the rye.
麦畑をかき分けてやっってくるときに……。
(訳:はやし浩司)

 つまり、「いいじゃないの。(=どうでもいいじゃないの。)
みんな若いときは、がんばってやってください。
それが青春だから……」ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/03(木) 15:47:32|
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2歳児を殺害した母親(読売新聞)

読売新聞(2012−04−28)全国版
●2歳児を殺害した、母親について

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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●モーフィング

 今朝自分の顔をモーフィングしてみた。
うまくBLOGに載せられるかどうか、実験してみる。

(1)HTML版で保存したため、ワードには張りつけられなかった、

(2)見てくださるかたは、以下のアドレスをクリックしてみてほしい。

http://saizensen101114.ninja-web.net/

左上画面で、14歳から64歳までの変化を見ていただける。

人間の顔の変化を改めて、知る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 モーフィング はやし浩司 読売新聞)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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田丸謙二先生に会う

【日本政府の放射線対策・論理の穴】

●乗馬

 朝起きると30分のウォーキングとランニング。
それがすんだら乗馬マシンで、運動。
その乗馬マシンに乗っていたら、ワイフが起きてきた。

私「ぼくは、今、馬に乗って牧場を見回っている」
ワ「あら、どこの牧場?」
私「ワイオミングの牧場……。広いんだよ。何百エイカーもある」
ワ「何を見回っているの?」
私「野菜と……境界……。あの山の向こうにはインディアンが住んでいる」
ワ「インディアン?」
私「そう、ときどきぼくの牧場を荒らすからね」

ワ「野菜って……ネギとレタス?」
私「そうだよ。それにトマトとキュウリ……」
ワ「本物の馬でなくて、残念ね」
私「ううん、本物だよ。こうして乗っていると、本物だよ」
ワ「楽しいわね」
私「そう、とっても楽しい」と。

 乗馬マシンは、庭のほうに向けてある。
ときどき「ハイヨー」と声をかける。
馬の名前は、「ハンナ」。
先日死んだ、犬のハナの名前をつけた。

 少し前まで、ウィンチェスターの銃をもっていた。
もちろんおもちゃだが、それをもって乗馬マシンに乗ると、さらに楽しい。

私「あのね、広い牧場も、ぼくの家の庭も、同じだよ。ともに光が織りなす無の世界」
ワ「……?」
私「広いと思えば、広い。空間というのは、そういうもの」
ワ「……?」
私「あのね、空間の広さはね、見えるものを基準にして考えてはだめということ」と。

 自分でも、何を言っているかわからなくなったので、この話はここまで。
大切なことは、運動をすること。
つづけること。
が、ただ運動しているだけでは、おもしろくない。
だから、何かの空想をする。
その空想が、単調な運動を楽しくする。

 さあ、今日も始まった。
がんばろう。

午後から、ワイフとドライブ。
今日は、隣町の豊橋まで行き、八丁味噌を使った、鍋料理を食べてくるつもり。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●論理の帰結

●毒だんご

 ここに10個のだんごがある。
うち、1個には、毒が入っている。
そういうとき、あなたは、そのだんごを食べるだろうか。
あるいは、子どもに、それを食べさせるだろうか。
答は「NO!」。
これは論理の問題ではない。
常識。

 では、どうするか。

 まず一時的であるにせよ、だんごを食べるのを禁止する。
その上で、だんごを1個ずつ、調べる。
安全とわかったものだけを、食べる。
子どもに食べさせる。

これが論理(ロジック)である。
が、今、この日本では、その逆のことが起きている。

(1)部分的な検査(=サンプル検査)だけをする。
(2)放射性物質の値が基準値以下であれば、安全と宣言する。
(3)全国に出荷する。

 が、すべての食品を検査するわけではない。
あくまでも「サンプル」。
が、それだけではない。
中には、こうした検査を通さないで、出荷する人もいる。
こうして多くの、汚染された食品が、全国に出回る。

 「たまたま検査してみたら、放射性物質が見つかりました」と。

 この「たまたま」という部分が、恐ろしい。
先月は、愛知県の岡崎市でも、汚染されたシイタケが、見つかった。
幼稚園の給食に出されていたという※。
ある親が、たまたま検査してみたら、見つかったという。
そのシイタケは、東北のある県で栽培されたものだった。

●出荷停止

 論理的に考えてみよう。
まず毒が入っただんごがあったとする。
放射性物質に汚染された食品でもよい。
そういうときは、全量すべて、一時的であるにせよ、出荷停止にする。
そのうち、検査により安全と確認されたものだけを、出荷する。
これが論理(ロジック)である。

 が、これに対して、「検査が間に合わない」と主張する人がいる。
だったら、検査態勢を徹底すればよい。
間に合わないから、サンプル検査ですます……というのは、あまりにも危険。
危険というより、非ロジカル。

 またそれによって被害を被(こうむ)る人がいるなら、それは国が補償する。
つまり出荷停止により、産品を出荷できなくなった人に対しては、国が補償する。
それには、ちゃんとした理由がある。

(1)放射能被害には、「しきい値」なるものは存在しない。
(2)潜伏期間は、2〜5年。放射線による被害が顕在化するのは、10〜40年後。

●しきい値

 私も3・11大震災後、はじめてこの言葉を知った。
「しきい値」。
「閾値」と書く。

 たとえば毒物でも、薄めれば薬にもなるという。
若いころ、ブラジルの毒蛇研究所というところへ行ったとき、それを知った。
毒物は、ある一定以上の濃度になると、毒物になる。
それ以下では、害はない。
害がないどころか、薬にもなるという。

 その境目の値を、「しきい値」という。

 が、放射性物質には、それはない。
たとえば「500ベクレル以上は危険」とか、「500ベクレル以下だから、問題はない」とか、言う。
しかしこういう定め方そのものが、ナンセンス。
10ベクレルでも、1ベクレルでも危険。
たとえば放射性プルトニウウムのばあい、たった1粒(何十分の1ミリ)でも体内へ入れば、確実にがんを引き起こす。
遺伝子や染色体に影響を与えるから、たとえその人は無事だったとしても、子どもの代、孫の代に、症状が出ることもある。
「水で薄めれば安全」というような問題ではない。

●たまたま……

 こうして放射性物質は、ありとあらゆるものにしみ込み、全国に拡散する。
食品だけではない。
建設資材、木材、砂利などなど。
そのつど、みな、「たまたま……」という言葉を使う。
「たまたま見つかった」と。

 が、問題は、その(たまたま)以外のもの。
それがこの先、5年とか、10年をかけ、全国に拡散し、それぞれの場所で、人体に蓄積する。
一説によると、この先、100万人単位でがん患者が激増するだろうと言われている。
が、そうなったとき、過去を悔やんでも、始まらない。
「どうして、出荷を停止しなかったのか」と。

●論理の欠落

 東北の人たちですら、現地の農産物を食べていないという。
少し離れた千葉県の人たちですら、食べていないという。
どの家にも、ペットボトルの水が、山のように積んであるという。

 一方、東北地方で作られた産品は、全国に広がっている。
たとえば今年に入ってから、横浜市で、汚染シイタケが見つかった。
これも「たまたま」見つかった※。

 販売業者は、静岡県の藤沢市にある会社だった。
その会社は、東北のある県からシイタケを買い、袋詰めにし、横浜で売っていた。
グーグルアースで私が測定してみたら、なんと直線距離にして、800キロも移動していたことになる。
岡崎市で「たまたま」見つかったシイタケは、もっと長い距離を移動していた。
たかがシイタケが、800キロ!

 私はこの「800キロ」という距離の中に、作為的な悪意を覚えてしまう。
それともそれ以前から、シイタケというのは、そういう食品だったのか?

●危険な4号機

 前にも書いたが、危険なのは、4号機。
もし4号機に何らかの事故が起きれば、その被害は今まで程度ではすまない。
東京はもちろん、この浜松市あたりまで、人は住めなくなる。
4号機にだけでも、今までの核実験すべてで排出された放射性物質以上の、放射性物質が詰め込まれているという。
それがわかっただけでも、「安全宣言」など、とんでもないこと。

注※
『愛知県豊橋市保健所は5日(2012年4月5日)、改定前の国の暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)の2・8倍に当たる1400ベクレルの放射性セシウムを検出した茨城県産干しシイタケが、愛知県岡崎市内の幼稚園の給食に使われたほか、豊橋市の店頭で販売されたと発表した』

注※(産経MSNニュースより)
『横浜市は9日(2012年2月9日)、港北区内のスーパーで販売されていた袋入り乾燥シイタケから、食品衛生法の定める暫定基準値1キロ当たり500ベクレルの4倍を超える同2077ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。
すでに7袋が販売されており、市は出荷した加工業者のある静岡県に通報、販売したスーパーに回収を指示した。

 独自に調査した市民からの通報を受け市が9日に検査した。
高濃度のセシウムが検出されたのはスーパーチェーン「BY」の綱島樽町店が販売していた賞味期限が来年1月10日の乾燥シイタケの袋詰め「小粒どんこ」。
静岡県藤枝市の「Oフード」が80グラムずつ袋詰めして出荷した同スーパーの専売品。
加工業者によると、乾燥シイタケの産地は主にI県という。
 スーパーによると、綱島樽町店では20袋を入荷し、うち7袋を販売。
ほか2店でも店頭に並んだが、購入者はいないという』(以上MSNニュースより)と。

【付記】

●アーニー・ガンダーセン

 アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。

『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。
(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。

 4号機の事故は、日本だけの問題ではない。
また日本だけの問題ではすまない。
だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている。

●終わりに

 今の段階で、原発賛成とか、反対とか、そういう段階の議論をしても、意味がない。
まず5年、待つべき!
10年でもよい。
その結果を見て、賛成、反対を論ずればよい。
何ごともなければ、それでよし。
私もそう願うが、もしそうでなければ、そうでない。

 あのチェルノブイリでは、半径600キロあたりで境界線が引かれている。
(ちなみに、福島第一原発から、この浜松市まで、直線距離にして、420キロ!)
そして今の今も、(25年もたった今の今も)、被害者たちは、その後遺症で苦しんでいる。
もし今、そのチェルノブイリ周辺で、原発賛成か反対かを聞けば、恐らく、「お前、アホか」と笑われるだろう。
が、それはそのまま、この日本の近未来図と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【鎌倉へ】(田丸謙二先生に会う)(死刑廃止論・国歌論・愛国心byはやし浩司)

●3月30日(金曜日)自宅にて

(1)


(2)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 昼前に、山荘に到着。
その前に、ショッピングセンターに寄り、野菜の苗を仕入れる。
ナス、トマト、それにキュウリ。
それぞれ2苗ずつ。

山荘では、雑草を刈ろうと思ったが、あいにくの強風。
空が白くかすむほど、杉の花粉が舞っていた。

 ワイフは、苦しそうだった。
私も、そのうち鼻と喉が、痛くなりだした。
やることもなく、(何もできなく)、そのまま1〜2時間を、過ごす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●畑仕事

 自宅に帰り、畑に苗を植える。
1つずつ、ていねいに植える。
まわりを風よけでおおう。
これが結構、重労働。
下半身には自信がある。
しかし上半身は、めったに使わない。
20〜30分も畑を耕していると、全身に汗がにじみ出てきた。

 これで6畝(うね)、作ったことになる。
ネギが、2畝。
レタスが、2畝。
ワケギが、1畝。
それに今回の野菜が、1畝。

 小さな畑だが、これで夏の終わりまで、いろいろな作物を収穫することができる。

●モクレン

 山荘のほうでは、モクレンが満開だった。
桜と花桃の花は、4分咲きといったところ。
4月に入ったら、一斉に咲き出すはず。

 そうそう、今日も、ハッサクの収穫をした。
全部で、50個ほど、収穫した。
これからが山荘の季節。
4月の終わりになると、ホトトギスが鳴きだす。
野生のジャスミンが、山荘のまわりを、甘い香りで包む。
野イチゴも、そのころ収穫できる。

 1週ごとに、山荘の様子は、大きく変わる。
楽しいというより、それがうれしい。

●義兄

 今夜は、義兄の家で、夜を過ごした。
先ほど、自宅に戻った。
時計をみると、午後10時を少し回っていた。

 その義兄が、こんな話をした。
「浜松でも、下町の土地が、売れないそうだ。
反対に、高台の土地に、売り物がないそうだ」と。

 少し説明しよう。

 浜松市という町は、下町と高台に分かれている。
太平洋沿いからつづき、海抜数メートル地帯を、「下町」という。
そこからなだらかな坂になり、北に向かって、山の手へとつづく。
山の手になる地帯を、「高台」という。
その高台は複雑に入り組んでいて、やがて三方原台地へとつづく。

義「6メートル程度の津波が来たら、下町は全滅だよ」
私「新幹線の線路が、防波堤になってくれると言っている人もいます」
義「あんなのは、簡単に乗り越えるよ」と。

 道理で……というか、この1年、不動産屋が、よく我が家へ来る。
DMもよく届く。
「売り土地はありませんか?」と。

私「下町の土地の価格は、さがっているんですか?」
義「そう、同じ面積なら、2分の1程度にまで、なっている」
私「2分の1?」
義「R町の人が土地を売り、浜北区のほうへ引っ越した。売ったお金で、土地を買ったら、土地の広さが2分の1になったと、こぼしていたよ」
私「じゃあ、高台のほうは、価格があがっているんですか?」
義「それほどあがっていない。が、何しろ、売る人がいない」と。

 3・11大震災の影響は、こんなところにまで及んでいる。

●日は替わって、今日は、3月31日(土曜日)

 今日は、これから鎌倉に向かう。
田丸謙二先生に、会いに行ってくる。
約束の時刻は、3時。

 朝起きると、雨がはげしくガラス窓を叩いていた。
「まずいな……」と思った。
が、予定を変えるわけにはいかない。

 そのあと今夜は、平塚のホテルに一泊(予定)。
鎌倉から、江ノ電沿線上のどこかに……と思っていたが、あいにく、どこも満員。
春休みの土曜日。
今ごろの鎌倉は、足の踏み場もないほど、混雑しているはず。
ということで、平塚になった。

●高台

 私は岐阜県の山の中、育ち。
それもあって(?)、平地にある土地は、どうも落ち着かない。
また道路と同じ高さの家も、落ち着かない。
……ということで、現在住んでいる土地を買い求めた。

 入野町の中でも、西のはずれにある高台。
さらに家を建てるとき、40センチ〜150センチほど、土地を盛りあげた。
盛りあげたのには、理由がある。

 私の実家は、道路と同じ高さの平坦地にあった。
いつ自動車が飛び込んできても、おかしくない。
そんな敷地だった。
それが、私には、こわかった。
角にある一本の柱が折れただけで、私の家は、そのまま崩れてしまう。

 だから私は土地を盛りあげた。
が、ワイフにはそれが理解できなかったよう。
当時、さかんに、私にこう聞いた。
「どうして、盛りあげるの?」と。

 ワイフは、平地にある家に生まれ育った。
つまり感覚というのは、そういうもの。
平地が好きな人もいれば、山の手が好きな人もいる。
人や車の出入りがしやすいから……という理由で、平地が好きな人もいれば、私のように、わざわざ土地を盛りあげる人もいる。

 人は、それぞれの思いをもって、家を建てる。
こういうばあい、「人間だから……」という共通項は、ない。
人、それぞれ。

●スピアマンの2因子説

 そう言えば、知能にも、「2因子説」がある。
「因子」という言葉(概念)を最初に使ったのは、スピアマンという学者だが、こういうこと。

 1つは、生まれながらにもっている(g因子)。
もうひとつは、後天的に身につける(s因子)。
人間(子ども)の知能は、この2つの因子で、構成される、と。

わかりやすく言えば、(g因子)というのは、遺伝的に受け継いだ因子、(s因子)というのは、環境要因によって決定される因子ということになる。

 が、何もこれは、知能因子だけの話ではない。

 だれしも、「静かで、落ち着いた場所に、家を建てたい」と思っている。
これは、(g意識)ということになる。
が、そのあと、人は、自分の経験に応じて、それぞれが自分の家を思い描く。
これは、(s意識)ということになる。

 マンション風の家がよいと思う人もいれば、一戸建ての家のほうがよいと思う人もいる。
平地にある家のほうがよいと思う人もいれば、高台にある家のほうがよいと思う人もいる。
つまり、人それぞれ。
言い換えると、人間(子ども)の知能も、人、それぞれ。

●新幹線の中で

 新幹線に乗ると、電光ニュースに、こんなニュースが流れてきた。
「死刑存廃について、有識者の会議を……」と。

 死刑制度など、廃止すればよい。
それが文明国の常識。

もともと「刑」には、2つの意味がある。
ひとつは、本人に対する懲罰としての刑。
もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての刑。
その両面から考えても、死刑には、それを支持するだけの根拠がない。

 で、もうひとつの残された問題。
それが被害者遺族に対する、心のケアと補償の問題。
それは国家的施策として、対処する。

 以前、書いた、私の死刑廃止論をここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
+++++++++++++++++

●死刑廃止論(2007年9月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●犯罪性の認識

 たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という刑罰の重大性を認識しているかどうかというと、答はNO。
ふつうの状態であれば、「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行為に走るのを、思いとどまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。
それが「犯罪」。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bという悪いことをしたら、B罪というように、あらかじめ決めておく。
わかりやすく言えば、「これこれ、こういう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいますよ」という意味。

 もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。
これによって、犯罪の発生を予防する。
わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことをしたら、こうなりますよと教える」という意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうという点で、罰とての「刑」の意味はない。
罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から消えていなくなってしまう。

 そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのか。

わかりやすい例で考えてみよう。

 ひとりの男が、窃盗をしたとする。
その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗をしたのは、右手」ということで、右手を切断したとする。
そうした行為が、果たして刑罰として、許されるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立つ。
本人は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。
また多くの人は、右手を切り取られた人を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

 しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。
右手を切り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、それはひどい」と。
だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。
最高裁が83年に定めた「永山基準」というのが、それ。
それによれば、つぎのようにある。

(1) 犯罪の罪質
(2) 動機
(3) 殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4) 結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5) 遺族の被害感情
(6) 社会的影響
(7) 犯人の年齢
(8) 前科
(9) 犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許される」(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応されるようになってきている。
つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。
犯罪そのものが凶悪化しているという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意味をもつ。
罰すべき(主体)を消してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失ってしまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰である」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうか。
反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だっているかもしれない。
たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え方が変わってきた。
「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」と、ふと思うことがある。
ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになったら、それ以上に長生きをしたいとは思わない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。
死刑に値する凶悪犯であるならなおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。
刑罰としては、そちらのほうがずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人もいるかもしれない。
しかしそれこそまさに、幼稚的発想。
思考力がまだじゅうぶん発達していない子どもが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託したような国なら、いざ知らず。
日本のような民主主義国家において、「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。
しかし民主主義国家では、死刑にするのは、国民1人ひとりである。
つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。
私や、あなたが、だ。
もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えているなら、それこそ、民主主義の放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。
ゆいいつ残るとすれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。
愛する人を奪われ、深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。
犯罪者を殺したいほど憎く思うこともあるだろう。
あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるかもしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題は残る。
が、それこそ国が考えるべき問題ではないだろうか。
金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、そうした心情を、私たちみなが、力を合わせて、救済していく。
それとも犯罪者を抹殺したところで、その人は、救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの人と、紙一重のちがいでしかない。
どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思とは無関係に、深みにはまってしまう。
私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、明確な一線を入れることすら、むずかしい。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論ということになる。

つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
死刑 死刑廃止 死刑廃止論 はやし浩司 死刑について 死刑論 祖形存廃論 はやし浩司 死刑廃止論 死刑存廃論 死刑の意味 死刑反対論 はやし浩司 死刑反対)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同窓会

 高校の同窓会に出させてもらう。
コースは、その前日に、郡上八幡に行く。
市内の吉田屋で一泊。
朝、郡上八幡を出る。
午後の同窓会にださせてもらったあと、岐路につく。

 吉田屋は、一度は泊まってみたいと思っていた旅館。
郡上八幡へ行く機会は、ときどきあった。
そのたびにそう思った。
が、泊まる機会がなかった。

●郡上八幡

 ……ということで、郡上八幡には、思い出が多い。
郷里の美濃市からは、車でも1時間ほど。
今は高速道路ができたから、もっと早く行ける。
その郡上八幡。
郡上八幡といえば、盆踊り。
『♪かわさき(郡上踊り)』は、とくに名を知られている。
『♪郡上のなア〜、八幡〜ン』と歌う、あの歌である。

 今でも、つまり故郷を離れて46年になるが、郡上踊りを聞くたびに、ジンとあのころの自分が戻ってくる。
飾り気のない素朴な民謡だが、名曲中の名曲。
一応、私も岐阜県人。
人並みには、郡上踊りを歌うことができる。



 ……今、高校時代の友人の三輪政則君(実名)を思い出した。
その三輪政則君がはじめて運転免許を手にしたとき、いっしょに郡上八幡までドライブをした。
そのとき彼は、早稲田大学に通っていた。
中学時代は、よきライバルで、2年間、学年の1位、2位を争った。

 ライバルといっても、親友だった。
期末試験などでは、休み時間を利用し、よく解答の交換をした。
(私も結構、ワルだった。)
三輪君が学年1位になると私が喜び、私が学年1位になると、三輪君が喜んだ。
そういう仲だった。

 で、その郡上八幡へ行く途中、私が少し運転した。
暗い夜道だった。
が、しばらく走ると、後ろから、回転ライトをつけた車が近づいてきた。
私はあわてて車を、泥脇に止めた。
パトカーと思った。
が、それは工事用の車だった。

 ほっとしたのも束の間、見ると車は、崖すれすれのところに停車していた。
ガードレールはなかった。
あのまま崖から落ちていれば、今の私は、い・な・い。

 ……それが今でも、大きなトラウマになっている。
悪夢の中にも、よく出てくる。
以来、車の運転ができなくなってしまった。
今でも、運転免許証はもっていない。
そのときが、私にとって、最初で最後の運転だった。

 その三輪政則君、今、この原稿を読んだら、一度、連絡してほしい。
郷里へ帰るたびに、また今でもあちこちをさがしてみるが、見当たらない。
元気か?

●藤沢

 小田原から在来線に乗り換え、藤沢に向かう。
その藤沢には、こんな奇怪な思い出がある。
事実をそのまま話す。

 G社(出版社)に、TZさんという女性の編集者がいた。
その少し前、TZさんは、G社を退職し、そのときは、独立して、出版の手伝いをしていた。
で、何かのことで、私は、そのTZさんに仕事を依頼した。

 そのときのこと。
2、3度、藤沢のマンションで、TZさんに会った。
TZさんは、本の出版について、快く承諾してくれた。
原稿も送った。

 が、そんなある日。
日にちは確かではないが、12月に入って間もないころのことだった。
突然、TZさんから電話があった。
いつもと変わらない、元気な声だった。
こう言った。
「はやしさん、悪いんだけど、仕事を引き受けられなくなったわ。
少し、体を悪くして……」と。

 ていねいな言い方だった。
私は、それに納得し、電話を切った。

 が、それから2、3か月後の、春先のころのこと。
TZさんは、大腸がんで亡くなった。
突然の訃報だった。

 で、その葬儀の席でのこと。
TZさんの無二の同僚だったNN氏に、そのことを話すと、NN氏は、吐き捨てるようにこう言った。
「はやしさん、そんなこと、ありえませんよ」と。

 NN氏は、こう言った。
「そのときすでにNNさんは、昏睡状態で、電話などかけられるような状態ではなかった」と。

 私は驚いた。
NN氏も、驚いた。
しかしたしかに電話はあった。
いつもと変わらない元気な声だった。

 で、私とワイフの結論は、こうだ。

 そういう状態だったが、たまたまそのとき意識を取り戻した。
そのとき、電話をかけてくれたのでは、と。

TZさん……辻村房子さん。(実名、「つじ」は、「土・ハ・土」に、「しんにょう」の「逵」。)
NN氏……中野満月氏。(実名)

●田丸謙二先生

 現在、扇が谷(鎌倉)の家は、改築中。
その間だけということで、田丸謙二先生は、鎌倉市の近くの、(住所は鎌倉市xxx)、Sという有料老人ホームに身を寄せている。

 午後3時、ちょうどにそこに着いた。

 元気そうだった。
うれしかった。
ビデオカメラを机の上に置いたが、田丸謙二先生は気にすることもなく、あれこれ話してくれた。

 そのときの様子は、YOUTUBEにそのままUPしておく。
私は田丸謙二先生の一言半句、聞き漏らすまいと、懸命に耳を傾けた。
田丸謙二先生は、私の人生の先輩であると同時に、恩師でもある。
この42年間、いつも私は、田丸謙二先生のあとを見ながら、ひよこのように、追いかけてきた。

 その田丸謙二先生が、そこにいた。

 夕食は、老人ホームの食堂で、みなといっしょに食べた。
薄味の卵丼ぶりだった。
おいしかった。

●ホテル・サンライフガーデン(平塚)

 帰りが遅くなりそうだったので、予定通り、平塚のホテルに泊まった。
「ホテル・サンライフガーデン」。
ホテルというよりは、結婚式場。
重厚な感じがしたが、星は、3つの★★★。

 料金が高い。
東京料金。
素泊まりで、1万3000円(2名分)。 
平塚の駅からも遠い。
送迎バスで、20分ほど。

 「土曜日の夜だからしかたない」ということで、泊まった。
が、後悔、80%。
三島まで行き、そこでドーミーインに泊まればよかった。
あそこなら大浴場がある。

 ホテル全体は、コの字型になっていて、窓の外には、その中庭が見える。
南米や南欧へ行くとよく見かける、ホテル様式である。
イギリスのグラマースクールも、似たような建て方をする。
私たちの部屋は、その中庭に面している。

 ここは5回だが、左下の4階では、ちょうど結婚式が終わるところだった。
新郎と新婦が、花束を手に、列席者と別れを告げているところだった。

 また反対側の数階下は、レストランになっているらしい。
何組かの男女が、四角いテーブルを囲んで、食事をしている。
……先ほど、その1組と目が合ったので、手を振ってやった。
が、私を見て笑っているだけで、返答はなかった。

●都会

 藤沢、平塚……。
神奈川県とはいうが、大都会。
東京そのもの。
料金も、東京そのもの。

 サービスといっても、形だけ。
心など、探しても、ない。
このあたりに住んでいる人には、それがわからないかもしれない。
しかし私のような田舎者には、それがよくわかる。
言葉にも、共鳴感というより、共鳴性がない。

 藤沢の駅で電車を待っているとき、私はワイフにこう聞いた。
「こんなところに、住みたいと思うか?」と。
ワイフは、こう言った。
「たまに遊びに来るにはいいけど、住みたくないわ」と。

 あまりにも予想通りの答だった。
だから私は、返事もしなかった。

●田丸謙二先生との話

 そのつど田丸謙二先生は、私に意見を求めた。
が、何よりも、私が言いたかったことは、つぎのこと。

 国際触媒学会のときもそうだったが、今回の化学会に年会のときも、そうだった。
2000人(フランス・パリ)とか、8000〜9000人(東京三田)とかの科学者が集まった。
にもかかわらず、日本のマスコミは、1行も、また1秒も、それについて報じなかった。
田丸謙二先生も、こう言った。

「新聞を読んでも、何もおもしろくありません」と。
「もし福島第一原発事故がなかったら、今ごろはどんな記事が載っているのでしょうね」とも。

 同じように、田丸謙二先生は、こう言った。

 田丸謙二先生の父親の、田丸節郎氏は、まさに日本の科学界の黎明期に活躍した。
今の日本が、その地位を築くことができたのも、田丸節郎氏の力によるところが大きい。
たとえば東京工業大学にしても、田丸節郎氏が設立したと言っても過言ではない。
ベルリン大学に対して、ベルリン工科大学があった。
それをまね、東京大学に対して、東京工業大学を設立した。

が、そうした功績を知っている人は少ない。
功績を知らないだけではない。
そうした先駆者たちに感謝の念をもっている人は、少ない。
みな、そこにそれがあるのが当たり前……といったふう。
「敬老」という言葉そのものが、今、死語化している。
が、これでは、先駆者たちの苦労が、浮かばれない。

 どこかのドラ息子やドラ娘が、親の苦労も知らないで、大学を出たと威張っているようなもの。
「私は自分で努力して、大学へ入ったのだ」と。

 私は田丸謙二先生の話を聞きながら、そんなことを考えた。

●田丸節郎

 理化学研究所の、主任研究員の名簿がある(1922年)。
そのまま紹介する。

『駒込本所以外の各帝国大学に研究室を置くのも自由とし、理研からの研究費で研究員を採用し研究を実施した。

長岡半太郎、
池田菊苗、
鈴木梅太郎、
本多光太郎、
真島利行、
和田猪三郎、
片山正夫、
大河内正敏、
田丸節郎、
喜多源逸、
鯨井恒太郎、
高嶺俊夫、
飯盛里安、
西川正治の、14研究室発足』と。

 そうそうたる名前が並んでいる。
言い換えると、当時は、こうした学者を称える社会的風土がまだ、日本にはあった。
現在、こうした人たちの名前を、私が知っていること自体が、その証拠ということになる。
が、今は、どうか?

 先にも書いたように、「1行」も、「1秒」も、報道されない。
サポーターのいない、野原で、サッカーの試合をするのと同じ。
選手たちも、やる気をなくすだろう。
なくして、当然。

 田丸謙二先生は、こんなことも話してくれた。

「現在ね、(東大で教授をしていた)仲間たちがね、みんな、シンガポールへ行っているよ」と。
東大を退官したあと、そういった教授たちの多くが、シンガポールの大学や研究所へ、迎えられているという。
私たちは、こうした事実を、どう理解すべきなのか。
あるいはこういう事実を、いったい、どれほど多くの人たちが知っているか。

●田丸謙二先生より

 田丸謙二先生からメールが入った。

『林様:今日は本当に有難うございました。
わざわざ遠くからお二人で来て頂き、大変に楽しく、貴重な話を沢山聞かせて頂き、厚く御礼申し上げます。
大変によい勉強になりました。

「反世代」の若者たちが、わが国を如何に変えて行くのか切実な問題だと思います。
近頃日本が世界のトップグループから消え去って行く話をよく聞かせられるだけに、深刻な気が致します。

今お働き盛りの貴君だけに心からご活躍を祈念いたします。
健康には充分に気をつけて大いに頑張って下さい。
期待をしています。
田丸謙二』

 89歳になっても、天下国家を論じ、日本の未来を心配し、案じている。
それが田丸謙二先生。

 田丸謙二先生を前にすると、自分がかぎりなく小さく見えてくる。

●ホテル・サンライフガーデン

……ワイフが、どこか退屈そう。
「何かしたいか?」と聞くと、「おなか、すかない?」と。
「コンビニへでも行ってこようか?」と聞くと、「あなたは?」と。

 ……コンビニへ行ってくることにした。

(休憩)

●就寝

 ワイフはいつものように、コンビニで、チューハイを買った。
あとは酒のつまみを、少し。

 寝る前に、田丸謙二先生から、追伸が届いていた。

『林様:今日のお話について、例えば「日本はこれでいいのか?」位の題で本をお書きになったら如何でしょうか。
ベストセラーになります。
頑張って下さい。
田丸謙二』と。

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

田丸謙二先生へ

こんばんは!

これからは本の時代でもないように感じます。
浜松の田舎から見ていると、いつもそこに「東京」という関所があります。
その関所を通らなければ、世界の人の目に触れることはない。

が、今は、インターネットがその関所を取っ払ってくれました。
いきなり外国へ、直接、原稿を送ることができます。
日本語であっても、すぐそのまま全世界の言葉に翻訳できます。
(英語で出しているBLOGも、ひとつあります。)

もちろん本も大切ですが、(収入という意味では)、私はもうものを書くことで、お金を儲けようという気はありません。
世界中をひっかきまわしてやりたい……それだけです。

事実、こうしてBLOGに原稿を発表していると、どこかのポータルサイト、あるいはニュースサイトが、原稿をそのまま取り上げてくれることがあります。
とたん、アクセス数が、1日で、数万件となることもあります。
すごいことだと思います。

まさに第二の産業革命を、私たちは身をもって、体験しているわけです。

で、ひとつだけ、生意気な意見を!
先生の文章を読んでいて、いつも気になるのは、こんなことです。
今では、ネットに文章を書くときは、余白や、空白部を気にしてはいけません。
たとえばこの文章がそうですが、余白がカスカウですね。
それでいいのです。

紙に文字を印刷していた時代には、「紙がもったいない」ということで、ぎっしりと文字を詰めて書いたものです。
今は、余白がいくらあっても、ただです。
ですから、余白を思いきって、多くする。
改行を多くする。
そのほうが今風になり、文章がずっと読みやすくなります。
たとえば、こんな感じです。

先生の文章を借りて、少し、手直ししてみます。

+++++++++++田丸謙二先生の原稿+++++++++++++++++

(先生のもとの原稿)

私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。大学院に進学して研究テーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いましたら、一言「触媒をおやりになったら如何でしょうか」と言われました。しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は誰もいなく、自分一人で考えねばなりません。終戦から余り月日も経っていないので外国の文献も入って来ず、戦前の古い資料に基づいて研究というものは何をすればいいのか、一人で苦しみぬいたとても辛い五ヶ月間でした。Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びましたが、実験をしながら自分は何か間違いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に真剣に自問自答した体験は非常に苦しかったのですが大変に貴重な体験で、結果も面白く、研究の楽しさを学びました。(その数年後に出版され
たEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわたり引用された。当時誰も知らなかった面白いことだったのである。全くの幸運であった。)   


(私が改変した原稿)

 私が大学を出たのは終戦の翌年で文字通り「どん底の時代」でした。
大学院に進学して研究テーマを頂きに、鮫島実三郎先生のところに伺いました。
そうしたら、一言「触媒をおやりになったら如何でしょうか」と言われました。

 しかし当時鮫島研究室にも化学教室にも触媒の研究をしている人は誰もいなく、自分一人で考えねばなりません。
終戦から余り月日も経っていないので、外国の文献も入って来ず、戦前の古い資料に基づいて研究というものは何をすればいいのか、一人で苦しみぬきました。
とても辛い五ヶ月間でした。

 Pd触媒によるアセチレンの水素添加反応を選びましたが、実験をしながら自分は何か間違いをしていないか、もっといい発展がないだろうか、常に真剣に自問自答した体験は、非常に苦しいものでした。

が、大変に貴重な体験で、結果も面白く、研究の楽しさを学びました。

(その数年後に出版されたEmmettが編集したCatalysisという本に私の結果が3ページにわたり引用された。
当時誰も知らなかった面白いことだったのである。
全くの幸運であった。)  

++++++++++++++++++++++++

ねっ、読みやすいでしょ!
紙に書くのではありませんから、こんなふうに、余白をぐんと多くして、書けばいいのです。
ご参考までに!!!

はやし浩司

*************************** 

●4月1日

 教師の姿勢が、問題になっている。
国歌斉唱のとき、歌った、歌わないとか。(2012年4月)

『大阪府の松井一郎知事は1日、府立学校の卒業式で国歌斉唱時に起立斉唱しなかった教職員について、「入学式でも同一人物が同じ行動をとった場合、現場から外すべきだ」との認識を記者団に示した』(MSN・ニュース)とか。

 2005年に書いた原稿を添付する。
なおこの中で、「愛国心(ペイトリアチズム)」について、これは私個人が、ギリシャ語、さらにはラテン語と調べて、知ったことである。
そののち、どこかの政治評論家が、断りもなく、この部分を盗用した。
さらにどこかの政党党首も、盗用した。
2005年という、年号が、何よりも、その証拠である。
こういう盗用は、本当に、謹んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●若者の意識

 財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)が、高校生の意識調査をした。昨年(04)9月から12月にかけて、3か国35の高校で行い、3649人が回答した。

★国歌・国旗について

 「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」と答えた日本の高校生は、あわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった。

国旗、国歌を「誇らしい」と思う割合も、米中両国の半分以下。
「国歌を歌えるか」との質問には、「歌える」と答えた日本の高校生は、66%にとどまり、三人に一人は、「少し歌える」「ほとんど歌えない」と答えるなど、国旗国歌に抵抗感を植えつける自虐的教育(報告書の言葉)の影響を懸念させる結果となった。

 こうした意識は国旗国歌への敬意などに表れ、「学校の式典で国歌吹奏や国旗掲揚されるとき、起立して威儀を正すか」との質問に、「起立して威儀を正す」と答えた日本人高校生は、米中の半分以下の30%。

38%は「どちらでもよいことで、特別な態度はとらない」と答え、国際的な儀典の場で、日本の若者の非礼が、批判を受ける下地となっていることをうかがわせた。

★将来、意欲について

 将来への希望を問う設問では、「将来は輝いている」「まあよいほうだが最高ではない」と答えた割合は中国が80%と最も高く、日本は54%で最も悲観的であることがわかった。

さらに、勉強については「平日、学校以外でほとんど勉強しない」が45%(米15%、中8%)、「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」も73%(米49%、中29%)と、学習意欲も米中に比べて明らかに低いことが裏づけられた。

 生活面では「若いときはその時を楽しむべきだ」と答えた高校生の割合も、三カ国で最も高かった。

★恋愛、家族について

 恋愛観では「純粋な恋愛をしたい」と考える割合は、九割と日本が最も高かった。
しかし、結婚後「家族のために犠牲になりたくない」も日本がトップ。
将来「どんなことをしても親の面倒をみたい」は三カ国で最も低く、逆に「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたい」が18%と、米国9%、中国12%を大きく上回った。

(以上、報告書のまま)

++++++++++++++++++++

 いろいろ反論したいことはあるが、日本の高校生の実像を表していることは、事実。
で、こうした事実を並べて、財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)は、つぎのように結論づけている。

 『日本の高校生たちについて、「純愛で結婚したいが、家族の犠牲にはなりたくない。親の面倒は、金で他人に見てもらいたいという自己中心的な恋愛観・家族観が浮かんでいる」』と。
(はやし浩司 日本 青少年 青少年意識 高校生 意識 意識調査 国旗 国歌 はやし浩司 若者の意識 自己中心的な恋愛観 恋愛至上主義 はやし浩司 高校生の意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国旗、国歌について

 国旗はともかくも、国歌について言えば、それを歌うから愛国心があり、歌わないから愛国心がないというふうに、決めつけてほしくない。

 私は、(あなたもそうだろうが……)、外国で、日本を思うときは、別の歌を歌う。
「ふるさと」であり、「赤とんぼ」である。

●自虐的教育について

 この日本では、自国の歴史を冷静に反省することを、「自虐的教育」という。
右翼的思想の人が、左翼的傾向のある教育を批判するとき、好んで使う言葉である。

 「どうして?」と思うだけで、あとがつづかない。

●親のめんどう

 それだけ日本人の親子は、関係が、希薄ということ。
親自身が、無意識のうちにも、親子の関係を破壊している。
そういう事実に気づいていない。

 子どもの夢、希望、目的をいっしょに、考え育てるというよりは、「勉強しなさい」「いい高校に入りなさい」という、短絡的な教育観が、親子の関係を破壊していることに、いまだに、ほとんどの親は気づいていない。

 「子どもが自己中心的だから」という結論は、どうかと思う。
こういうところで、自己中心的という言葉を、安易に使ってほしくない。
家族の形態そのものも、ここ半世紀で大きく変わった。

ここに表れた「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたいが、18%」という数字は、数年前の調査結果と、ほとんどちがっていない。

 よりよい親子関係を育てるためには、(ほどよい親)(暖かい無視)に心がける。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(605)

●BRIC‘s レポート

 最近経済界で話題になっているキーワードに、「BRIC‘s レポート」というのがある。

 ゴールドマン・サックス証券会社が発表した、経済レポートをいう(03年10月)。

B……Brazil(ブラジル)
R……Russsia(ロシア)
I……India(インド)
C……China(中国)を、まとめて、「BRIC‘s」という。

 同レポートによれば、2050年ごろには、これらBRIC‘sの4か国だけで、現在の日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの総合計を、経済規模で、上回るようになるという。

 そしてその結果、世界のGDPは、上から順に、

(1) 中国
(2) アメリカ
(3) インド
(4) 日本
(5) ブラジル
(6) ロシアの順になるという。つまり日本は、4位に転落するという。

 こうした国々をながめてみると、これからの日本が相手にすべき国は、どこか、すぐわかるはず。

 アメリカ、インド、ブラジルの3か国である。
とくに注目したいのが、インドとブラジルである。
これら2国は、日本との関係も深く、親日的である。
最近ある公的機関を定年退職したが、ニューデリーに住んでいる、友人のマヘシュワリ君は、大の日本びいき。
メールをくれるたびに、「どうしてインドへ来ないのか?」と聞いてくる。

 日本よ、日本人よ、どうしてもっと、インドやブラジルに目を向けないのか?

 中国や韓国など、もう相手にしてはいけない。
必要なことはするが、限度を、しっかりとわきまえる。
仲よくはするが、反日感情については、無視。
そして余裕があるなら、インドやブラジルに目を向けるべきである。

 そのインドも、昔は借金国。
しかし世界銀行やアジア開発銀行などからの借金の30億ドルを、2002年度までに完済している。
(韓国などは、先のデフォルトのとき、550億ドルも、日本が中心になって援助したが、感謝の「カ」の字もない! 中国などは、いまだに日本の無償援助をよこせと、がんばっている!)

 私が日本のK首相なら、イの一番に、インド、つづいてブラジルを回る。
もう一か国つけ加えるなら、オーストラリアも回る。
オーストラリア人の親日性は、日本のK首相が、イラク派兵を頼んだときに、証明された。

 オーストラリアは、日本の自衛隊を守るために、オーストラリア兵を、イラクへ派遣してくれた(05・3月)。
どうして、そういう国を、もっと大切にしないのか!

 あえてけんかをすることはないが、日本を嫌い、日本人を軽蔑している国々と、頭をさげてまで、仲よくすることはない。
それよりも今、重要なことは、50年先を見越して、日本の立場を、より強固にしていくことである。

 ちなみに、「インドの人口は10億人。
国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国だが、同時にアジア有数の親日国家でもある。
そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国にかわって、世界の工場となるシナリオが、日々高まってきた。

インドの昨年第四・四半期(10月ー12月)のGDP成長率は、中国を抜いて、堂々の10・4%だった」(宮崎正弘レポート)。

 そのインドに、中国が目を向けないはずがない。
少し前まで、仲が悪いと思われていたが、ここ1、2年で、中印貿易高は、日印貿易高を、とうとう追いこしてしまった。
が、それだけでは、ない。
それを猛烈に追いあげているのが、実は、韓国である。

 この分野でも、日本は、完全に出遅れている。
さらに最近の、中国や韓国の合言葉はただ一つ。「日本を、極東の島国から、太平洋の奈落の底にたたき落せ」である。
うわべはともかくも、K国が、核ミサイルを、東京にうちこんだとき、それを一番喜ぶのは、中国であり、韓国なのである。

 現実の国際政治というのは、そういうものだし、現実的でない国際政治というのは、意味をもたない。

 もちろんそんなことを、K国にさせてはならない。(させてたまるものか!)

 そこで日本としては、6か国協議に見切りをつけて、K国の核問題を、国連安保理に付託するしかない。
(中国や韓国は、それを警戒している。
そしてそういう動きを見越して、韓国は、日韓関係の整理をし始めている。)

 話がそれたが、S県の県議会が、「竹島の日」を、こういう微妙なときに定める真意が、私には理解できない。
国際性のなさというか、まあ、何というか。
S県の「S」は、「島」という漢字をあてる。
こうした島国根性こそが、日本の将来の足かせになっている。

 2050年という、45年後には、私は、もう生きていない。
しかしそのとき、世界はどうなっているか。
それを示しているのが、ここにあげたBRIC‘s レポートということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

さらに、以前書いた原稿を2作。
日付は2002年になっているが、実際には、さらにその数年前に書いた原稿と思う。
ここに書いたことは、今の今も、少しもブレていない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「公」について(What is “Public”?)

 以前、教育改革国民会議は、つぎのような報告書を、中央教育審議会に送った。

いわく「自分自身を律し、他人を思いやり、自然を愛し、個人の力を超えたものに対する畏敬(いけい)の念をもち、伝統文化や社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心や態度を育てるとともに、社会生活に必要な基本的知識や教養を身につけることを、教育の基礎に位置づける」と。

 こうした教育改革国民会議の流れに沿って、教育基本法の見なおしに取り組む中央教育審議会は、〇二年一〇月一七日、中間報告案を公表した。
それによれば、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」とある。

 一読するだけで頭が痛くなるような文章だが、ここに出てくる「涵養(かんよう)」とは何か。
日本語大辞典(講談社)によれば、「知識や見識をゆっくりと身につけること」とある。
が、それにしても、抽象的な文章である。
実は、ここに大きな落とし穴がある。
こうした審議会などで答申される文章は、抽象的であればあるほど、よい文章とされる。
そのほうが、官僚たちにとっては、まことにもって都合がよい。
解釈のし方によっては、どのようにも解釈できるということは、結局は、自分たちの思いどおりに、答申を料理できる。好き勝手なことができる。

 しかし否定的なことばかりを言っていてはいけないので、もう少し、内容を吟味してみよう。

 だいたいこの日本では、「国を守れ」「国を守れ」と声高に叫ぶ人ほど、国の恩恵を受けている人と考えてよい。
お寺の僧侶が、信徒に向かって、「仏様を供養してください」と言うのに似ている。
具体的には、「金を出せ」と。
しかし仏様がお金を使うわけではない。
実際に使うのは、僧侶。
まさか「自分に金を出せ」とは言えないから、どこか間接的な言い方をする。
要するに「私たちを守れ」と言っている。

 もちろん私は愛国心を否定しているのではない。
しかし愛「国」心と、そこに「国」という文字を入れるから、どうもすなおになれない。
この日本では、国というと、体制を意味する。
戦前の日本や、今の北朝鮮をみれば、その意味がわかるはず。
「民」は、いつも「国」の道具でしかなかった。

 そこで欧米ではどうかというと、たとえば英語では、「patriotism」という。
もともとは、ラテン語の「パトリオータ(父なる大地を愛する人)」という語に由来する。
日本語では、「愛国心」と訳すが、中身はまるで違う。
この単語に、あえて日本語訳をつけるとしたら、「愛郷心」「愛土心」となる。
「愛国心」というと反発する人もいるかもしれないが、「愛郷心」という言葉に反発する人はいない。

 そこで気になるのは、「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識や、態度を涵養(かんよう)することが大切」と答申した、中教審の中間報告案。

 しかしご存知のように、今、日本人の中で、もっとも公共心のない人たちといえば、皮肉なことに、公務員と呼ばれる人たちではないのか。
H市の市役所に三〇年勤めるK市(五四歳)も私にこう言った。
「公僕心? そんなもの、絶対にありませんよ。私が保証しますよ」と。

とくに長年、公務員を経験した人ほどそうで、権限にしがみつく一方、管轄外のことはいっさいしない。
情報だけをしっかりと握って、それを自分たちの地位を守るために利用している。
そういう姿勢が身につくから、ますます公僕心が薄れる。
恐らく戦争になれば、イの一番に逃げ出すのが、官僚を中心とする公務員ではないのか。
そんなことは、先の戦争で実証ずみ。
ソ連が戦争に参画してきたとき、あの満州から、イの一番に逃げてきたのは、軍属と官僚だった。

 私たちにとって大切なことは、まずこの国や社会が、私たちのものであると実感することである。
もっとわかりやすく言えば、国あっての民ではなく、民あっての国であるという意識をもつことである。
とくに日本は民主主義を標榜(ひょうぼう)するのだから、これは当然のことではないのか。
そういう意識があってはじめて、私たちの中に、愛郷心が生まれる。
「国や社会など、『公』に主体的に参画する意識」というのは、そこから生まれる。

 これについて、教育刷新委員会(委員長、安倍能成・元文部大臣)では、「本当に公に使える人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。
それが今まで、日本に欠けていたのではないか」(哲学者、務台理作氏)という意見が大勢をしめたという(読売新聞)。
私もそう思う。
まったく同感である。
言いかえると、「個人」が確立しないまま、「公」が先行すると、またあの戦時中に逆もどりしてしまう。
あるいは日本が、あの北朝鮮のような国にならないともかぎらない。
それだけは何としても、避けなければならない。

 再び台頭する復古主義。
どこか軍国主義の臭いすらする。
教育の世界でも今、極右勢力が、力を伸ばし始めている。
S県では、武士道を教育の柱にしようとする教師集団さえ生まれた。
それを避けるためにも、私たちは早急に、務台氏がいう「個人の確立」を目ざさねばならない。
このマガジンでも、これからも積極的に、この問題については考えていきたい。
(02−11−4)

(読者のみなさんへ)
 みなさんがそれぞれの立場で、民主主義を声を高くして叫べば、この日本は確実によくなります。みんなで、子孫のために、すばらしい国をつくりましょう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 公僕意識 公教育 道徳教育 パトリオータ はやし浩司 公と民 はやし浩司 愛国心 愛国心とは)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★国歌……何度も書くが、どうして「国歌」にそれほどまでに、こだわるのか。
こだわらなければならないのか。
私には、その理由が、よくわからない。

 国歌でなくても、長唄でも小唄でも、能の謡(うたい)でもよい。
詩の朗読でもよい。
国歌を歌ったからといって、愛国心があるということにはならない。
国家を歌わないからといって、愛国心がないということにもならない。

 加えて、日本の「君が代」には、問題がある。
ないとは言わせない。どうして主権在民の民主主義国家で、天皇をたたえる歌が、国歌なのか。
いや、こう書くからといって、何も「君が代」に反対しているわけではない。

 それでもいいという国民が過半数を超えているなら、それはそれでいいと思う。
それも民主主義。
みんなで話しあって決めたことは、みんなで従う。私も従う。

 ただ公教育の先生が、公的な立場で、個人的な実力行使をするのは、許されない。
国歌斉唱に反対するなら、公的な立場を離れ、個人的な意見として発表すべきである。
それはたとえて言うなら、子どもの親が、どんな犯罪者でも、その子どもを差別してはいけないという論理に通ずる。

 公的な人間は、公的な人間としての立場をわきまえて行動する。
私的な主義主張は、公的な立場を離れてるす。公教育というのは、そういうものである。

 数週間前も、1億円という巨額なワイロを受け取りながら、その責任を部下におしつけて逃げてしまった元総理大臣がいた。
「覚えていません」と。

 私はともかくも、一般の人たちや、そして子どもたちは、そういう政治家を見ながら、そういう政治家たちが言うところの愛国心というものが、どういうものであるかを知る。
愛国心をぶちこわしているかどうかということになれば、そういう政治家のほうが、よほど、ぶちこわしていることになるのではないのか。

【補記】

 「君が代を歌え」と迫る政府。
それはどこかカルト的? 一方、「君が代は歌わない」とがんばる先生たち。
それもどこかカルト的?

 この話をワイフにしたら、ワイフは、こう言った。
「そういうのを逆カルトというんじゃ、ない?」と。

 おもしろいネーミングである。
カルトに対して、逆カルト。
ナルホド!

 似たような例は、多い。
……というより、私自身も経験している。

 ある時期、私は、カルト教団と呼ばれる宗教団体に、猛烈な反発を感じた。
何冊か、本も書いた。
そのときのこと。
そのカルト教団については、何もかも否定、また否定。
まさに『坊主憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い』の心境になってしまった。

 しかし、カルト教団だから、「悪」と考えてはいけない。
しかしそれに気づくまでに、何年もかかった。
「悪いのは指導者であって、信者ではない」と。
 
 そのときの私の心理が、いわゆる「逆カルト」ということになる。
心の余裕というか、ゆとりをなくす。
車の運転でいえば、「遊び」の部分をなくす。
ものの考え方が、どこかギクシャクしてくる。

 私などは、もともと、どこかいいかげんな人間。
だから、心の中では、「?」と思っていても、そのときになったら、ちゃんと相手に合わせる。
たとえば卒業式や入学式では、みなといっしょに、大声で、国歌を歌う。歌ってすます。
主義主張は、人並み以上にはあると思うが、しかし卒業式や入学式の場で、主義主張にこだわる必要はない。
たかが「歌」ではないか。

 いくら酒は飲めないといっても、グラスを勧められたら、一応口だけはつけて、「乾杯!」と言いかえす。
それがここでいう「遊び」である。「心のゆとり」である。

 ……と書いて、私は九州の隠れキリシタンの話を思い出した。
九州の日出藩(ひじはん)の踏み絵がよく知られている。

 たとえば豊前国小倉藩の家臣、加賀山隼人は、キリシタンであったという理由で、処刑されている。
こんな話が伝わっている(「日本耶蘇教会年報」)。

 加賀山隼人の娘が、父親の隼人に、「父上、何も、裁きを受けず、大罪を犯した訳でもなく、ただ、キリスタンなるが故の死罪、外で執行されるに及ばず。
我等にとりても、此の家が一番好都合でありませぬか」と。
つまり、「ただキリスト教徒というだけで、処刑なんて、おかしいでしょう。
私たちにとって、この家の幸福が、一番、大切ではないですか」と。

それに答えて、「ならぬ。かの救世主・耶蘇基督(キリスト)は罪なき身を以って、エルサレムの城門外に二人のあさましき兇徒(きょうと)の間に置かれ、公衆の面前で死なんと欲したではないか。
我もまた、公衆の面前で汚辱を受けつつ死を熱望するなり」と。
つまり、「あのイエスも、信仰を守るため、公衆の面前で処刑にあっているではないか。
私も、それを希望する」と。

 この話は、その筋の世界では、「美談」として、もてはやされている。
「命がけの信仰」として、たたえられている。
しかし私は、こういう話に、どうしても、ついていけない。
信仰心と、盲目的な忠誠心を、どこかで混同しているのではないか?

 ……と書くと、猛烈な反発を買いそうだが、いくら信仰をしても、自分を見失ってはいけない。
命までかけて、信仰をしてはいけない。
信仰をしながらも、自分の心にブレーキをかける。
そのブレーキをかける部分が「私」である。

いいか、キリストは、自分の信念で処刑に甘んじた。
信者は、信念といっても、(脳注入された信念)である。
誤解してはいけない。

 キリストの立場で考えてみれば、それがわかる。

 彼自身は、公衆の面前で処刑された。
しかしキリストは、すべての民の原罪を背負って、処刑された。
決して、「自分の信者に、同じことをせよ」と、見本を見せたわけではない。
いつだったか、私は、「キリストも教師ではなかったか?」という文章を書いた。

 それをここに再掲載しておく。

++++++++++++++++++++++++++++

【神や仏も教育者だと思うとき】 

●仏壇でサンタクロースに……?

 小学一年生のときのことだった。
私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。
母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。
仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。
年始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。
が、それが一転するできごとがあった。
ある英語塾で講師をしていたときのこと。
高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。
私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。

そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。
「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がいる。
私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。
いや、何かの願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。
しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間に起こることなどありえない。
「願いごと」にしてもそうだ。
「クジが当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。
そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。
いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。
携帯電話の運勢占いコーナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。
どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは!

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。
今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。
奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。
その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。
話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がいた。
窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。
「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがある。
たとえば親鸞の『回向論』。

『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令によってしているにすぎない。
だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿氏)となる。

 しかしこれでは意味がわからない。
こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわからなくなる。
宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。
(実際には、説明している本人にすら、意味がわかっていないのではないか? 失礼!)

要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではないか。
悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。
しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。
「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のことではないか。
頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。
つまりそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。
もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。
そういうのは教育とは言わない。
問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。
私にはこんな経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。
その教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。
いわく、「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(R宗機関誌)と。
こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。
あるいはその教団には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになった。
「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。
こういうものの考え方は、明らかにまちがっている。
他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼らが言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。
子どもたちにさえ、批判されている。
中には「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。
しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。
神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。
いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。
悪魔だ。
だいたいにおいて、地獄とは何か? 
子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。
しかしそれは地獄でも何でもない。
教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。
キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、と。
ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。
たとえば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。
しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。
「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。
いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。
自分で努力することをやめてしまう。
そうなればなったで、かえってその子どものためにならない。
人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。
医学も政治学もそこでストップしてしまう。
それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。
朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤い自動車だった。
私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきりと覚えている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生より(4月1日2012年)

『林様:メール有難うございました。
とても興味深く拝読しました。
私にとっては新しい情報ですが、貴君の原稿を何十万の人が読むと言いますがそれだけの人が本当に読んでいる保証があるのでしょうか。
読むことは出来るかもしれませんが、本当に興味を持って読む人が一人もいないということはあり得ないのでしょうか。
その原稿に対してどんな形でどのくらいの収入があるのでしょうか。
本当に興味を持って読んでいる人は何人いるのでしょうか。
どうしたらそれが解るのでしょうか。
確かに現在は「本の時代ではない」かもしれませんが、それだけに出版社たちは、一人でも多くの読者があるような、興味があって有意義な本を出す苦労をしているはずです。
貴君の書かれる原稿がその中に入らない理由が何かあるのでしょうか。
「ものを書いてお金を儲けようという気はない」のも結構ですが、皆が読みたがる立派で社会のために重要な原稿を書けば、本屋は見逃さずに本にしたがるものではないでしょうか。
何故その部類に貴君の原稿が入らないのでしょうか。
これは「浜松」だとか「東京」とかという問題を越えたことではないでしょうか。
何もよく知らないで申して申し訳ないのですが、ファンの一人として、そういう点についてご説明していただければ幸いです。
くれぐれもお元気で。
田丸謙二』(2012−04−01)

【はやし浩司より、田丸謙二先生へ】

 先生が言われる通りです。
「アクセス数」というのは、あくまでも「アクセス数」です。
本屋での立ち読みのようなものです。
チラッと見て、ポイ。
それを「アクセス数」と言います。

 ですから、アクセスした人イコール、読者ということではありません。
興味本位、あるいは、中には反感をもちながら、アクセスしてくる人も多いはずです。
ですから、「毎月50万アクセス」と言っても、中身は、薄いです。

 が、その一方で、電子マガジンの読者、BLOGの購読者、さらには定期発行物の登録会員など、明らかに私の「読者」と考えてよい人も、います。
そういう人は、現在、合計で、2000人前後、います。
私は、そういう読者を、たいへん大切にしています。

 で、その中間の人たちは、どうか?
それについては、私にもわかりません。
好意的に読んでくれる人もいるでしょうし、逆に、反感を覚えながら読んでくれる人もいるでしょう。
しかし何よりも大切なことは、(人の目に触れること)です。

 で、本について。

 ご存知のように、私は20代の初めから、「本=書籍」について、いろいろな形で、関わってきました。
ゴーストライターもしてきました。
しかし私の世界では、本というのは、「商品」でしかありませんでした。
出版社にしても、まず(売る)ことを考えます。
そうした傾向が強くなったのは、1990年前後からからではないでしょうか。
大手の出版社でも、編集部より、販売部のほうの力が大きくなりました。
編集部がOKを出しても、販売部のほうで、STOPがかかるということは、この世界では、よくあることです。
不況が、それに拍車をかけました。

出版業界全体の市場は、1996年をピークに約25%減少しており、多くの企業が業績悪化に苦しんでいます(Diamond on Line)。

私も30冊近い本を出してきましたが、1990年ごろから、印税も、売れた本の分だけ。
しかも半年から1年後払いというのが、常識になってきました。
つまり「本は儲からない」。
端的に言えば、時代が、変わったということです。
で、「本」に対する幻想が、このころから崩れ始めました。

また現在、よく売れる本の著者というのは、マスコミ、とくにテレビへの露出度で決まります。
出版社も、そのことをよく知っています。
だから逆に、こう言われます。
「林さんも、東京へ出て、テレビに出てくださいよ」と、です。

 が、それでも私は(売れる本)に心がけてきました。
また私は20代〜30代は、市販の教材作りの仕事をしてきました。
教材ですから、まさに(商品)です。

 で、本に話を戻します。
本でも、テレビでも、編集者、あるいはディレクターの意向が強く働きます。
意向に反したりすると、ボツになるか、2度目がありません。
とくに私のような、地位、肩書のない人間のばあいは、そうです。
「どこの馬の骨?」というところから、企画が始まります。
そういう意味では、私は、ドン底を、這って生きてきました。
(先生とは、立場が、180度違うということを、どうか、ご理解ください。)

 で、そういう自分が、つくづくいやになりました。
あちこちに尻尾を振り、自分の魂を削りながらものを書くという作業が、です。
で、2001年ごろに書いた本を最後に、原稿は、すべてネットで公開することにしたわけです。
無料です。

 ……この「無料」というところに意味があります。
無私無欲、です。
そのかわり、書きたいことを、そのまま、書く。
だれにも媚を売らず、だれにも遠慮せず、です。
私を受け入れてくれる人がいれば、それはそれでよし。
しかしそうでなければ、それもまたよし。

 こんな男性がいます。
もと小学校の教師です。
今年90歳近い男性です。

 毎月、「植物観察会※」なるものをしています。
雨の日もしています。
もちろん無料です。

 で、その男性ですが、雨の日も、待ち合わせ場所で待っています。
が、だれも来ない日もあるそうです。
そういときは、ある程度待ち、そのまま家に帰っていきます。

 無私無欲だからこそ、そういうことができるのですね。
もし、功利、打算が入ったら、そういうことはできません。
つまりね、私はそういった生き方の中に、自分の老後のあり方を見つけたというわけです。

 ……こうして無私無欲で、ものを書く。
実際のところ、アクセス数は、ただの数字に過ぎません。
山の上から、空に向かって叫ぶようなもので、読者の顔はまったく、見えません。
実感など、さらにありません。
インターネットの世界は、そこが不思議な世界です。
パソコンというのは、実体のあるモノですが、その画面の向こうは、まさに仮想現実の世界です。

 だからインターネット上で、「読者」を論じても、あまり意味はありません。
ただの情報、です。

 しかし私は、こう考えます。
だからこそ、そこは「私」を超えた、人間の世界、と。

 仮にチラッと見て、ポイであっても、一部は、それを見た人の脳に残る。
それが集合され、やがて人間全体へと伝わっていきます。
「はやし浩司」という個人の名声にこだわれば、「本」が有効です。
また「本」でなければなりません。

 しかしどうせ死ねば、私は、この宇宙もろとも、消えてなくなるわけです。
生まれる前の状態に戻り、億年のその億倍の、「虚」という無の世界に戻るわけです。
だからこそ、私はこう考えます。

 何も本にこだわる必要はないのでは……と。

 ……もうすぐ、浜松に着きます。
(現在、新幹線の中です。
つづきは、またあとで書きます。)

 それにもう一つ。

 私は現在、毎日、50〜100枚の原稿を書いています。
単行本であれば、たいてい120〜140枚で、1冊の本になります。
ですから単行本になおせば、毎月、少なくとも、3〜4冊の本を書いていることになります。

 しかしご存知のように、本というのは、本当に、めんどうです。
出版社とのやりとりだけで、うんざりします。
ていねいな出版社になると、校正だけで、数往復します。
それよりも、私にとって大切なことは、こうしてものを書き、すべてを発表していくことです。
多少荒っぽくても、「生」の自分をさらけ出す。
またそのほうが、「影響力」もあります。
それができるのは、やはりインターネットです。

 まだまだ信頼性もなく、玉石混淆(こんこう)の世界ですが、やがて淘汰され、洗練されていくものと思います。
私はそれを信じていますし、もうこの流れを止めることは、だれにもできないと思います。

 で、私の場合ですが、「本」はよく買います。
週に、5〜6冊、雑誌や単行本を買います。
しかしそのほとんどは、「資料」として使える本です。
「著者」という著者が書いた本ではなく、「資料」です。
それをもとに、考えて書くのは、あくまでも私。
その主導権だけは、だれにも渡したくありません。

 では、今、掛川の駅を出ましたので、一度、ここでメールを送っておきます。

はやし浩司

(2012年3月31日、鎌倉にて、田丸謙二先生に会う。)

平塚市・サンライズホテルに一泊する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……2009年6月に書いた原稿より)

●無料の植物観察会

昨日、講演をさせてもらった、S小学校の校長から、こんな話を聞いた。
なんでもその老人は、今年84歳になるという。
元、小学校の教師。
毎月、一回、植物観察会を開いているという。
無料で開いているという。

日時と集合場所が、毎月、決まっている。
が、集まる会員と人数は、そのつどちがうらしい。
雨の日などは、ゼロになることもあるという。
が、その老人は休むということをしない。
雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。
そして時刻になっても、だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
その話を聞いて、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったようで、うれしかった。
「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。
「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。
しかし「遊べ」と言われても、遊べるものではない。
「休め」と言われても、休めるものではない。
だいたいた、遊んだからといって、それがどうなのか? 
休んだからといって、それがどうなのか? 
私たちが求めているのは、その先。「だからそれがどうしたの?」という部分。
つまり、(生きがい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。
仕事をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。
が、仕事がいやなのではない。
仕事ができるということも、喜びなのだ。
その(喜び)を絶やさないようにする。

 目が見える。音が聞こえる。
ものを考えることができる。
体が動く。
……それらすべてが集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。
その老人にしてみれば、それが(生きがい)なのだ。
雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、あなたは思うかもしれない。
「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」と思う人もいるかもしれない。
しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの昔に超越している。
そこらのインチキ・タレントが、名声を利用して開くチャリィティ・コンサートとは、中身がちがう。
心の入れ方がちがう。
(みなさんも、ああした偽善にだまされてはいけない!)

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。
たった1人でもよい。
多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。
しかし(やりがい)イコール、(生きがい)ということでもない。
つまりそれは他者のためではない。
自分自身のため。
老後の生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。
それとの戦いということになる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。
しかしその心は、私も大切にしたい。

何度も書くが、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。
そこに欲得がからん
だとたん、統合性は意味を失い、霧散する。
仮にその老人が会費なるものを徴収して、観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。
最初のうちは、ボランティア(=無料奉仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとたん、(つもり)が(つもり)でなくなってしまう。
「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につながる。
「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。
みな、恩知らず」と思うようになったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。
またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。
生きがいも、そこで消えてしまう。
つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。
何も考えず、無私無欲でやる。

 もちろん私にもいくつかの夢がある。
そのひとつは、「子育て相談会」。
今まで積み重ねてきた経験と知恵を、若い親たちに伝えたい。
もちろん無料で。
もちろん損得を考えることなく。
そうした計画は立てている。

 今は、インターネットを利用して、その(まねごと)のようなことをしている。
しかしそれもやがて限界に来るはず。
無私無欲とは言いながら、いつもどこかで、何かの(得)を考えている。
アクセス数がふえれば、うれしい。
ふえなければ、とたんにやる気を失う。
つまりそれだけ私の心が不純であることを示す。

 もっとも仕事ができるといっても、あと8年。
70歳まで。
そのころまでに、私の統合性を確立したい。
少しずつだが、その目標に向かって、進みたい。
そしていつか……。

 どこかの会場で、ひとりでポツンと、来るか来ないかわからない親を待つ。
そして時間が来て、だれも来なくても、そんなことは気にせず、鼻歌でも歌いながら、会場を片づける。
そんな日が来ればよい。
そんな日が来るのを目標にしたい。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させることをいう(エリクソン)。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 植物観察会 老後の生きがい 統合性 小田原 サンライズホテルにて)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

  1. 2012/05/02(水) 12:08:00|
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●古い温泉は、雑菌だらけ?

●5月xx日(不潔な日本の温泉?)

★年長5歳児(指導1か月目)



★小4(組み合わせと場合の数)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 5月xx日に、オーストラリアの友人が来る。
その連絡が、今朝(5月1日)、届いた。
楽しみ。
北海道へ行ったついでに、浜松へ寄ってくれる、と。
詳しい日程は、まだわからない。

 ところで、こんな深刻な話。

 少し前、別の友人夫婦が、オーストラリアから来た。
日本の旅館へ連れていった。
やや古い、どこかかび臭い温泉だった。
(どこも温泉というのは、かび臭いものだが……。)

 そこでのこと。
オーストラリアの友人夫妻は、それが原因で、奥さんのほうは尿道炎になってしまった。
ダンナ(友人)のほうは、夜中にダニに刺されてしまった。
大きく、真っ赤に腫れた。

 私のワイフも、少し前、古い温泉に入り、水虫をもらってしまったことがある。
いろいろ思い起こしてみるが、風呂場の周囲の石が原因ではなかったかと思う。
軽石のようにざらざらしていた。
ワイフが言うには、ワイフは、その石の上で、足をこすってしまったという。

 オーストラリアの友人夫妻にしても、また私たち夫婦にしても、抵抗力が弱い。
温泉にしても、掛け流しを歌っているからといって、安心できない。
浴場を洗ったり、消毒をしているというところは、めったにない。
つまり雑菌だらけ。
しかも温泉ほど、あぶない!

 そのあとまたその夫婦は、日本へやってきた。
が、こう言った。

「温泉へは、二度と行きたくない(Never again)」と。
で、理由を聞いたら、先に書いたように教えてくれた。

 で、実は今度来るオーストラリアの友人も、同じようなことを言っている。
「日本の温泉は、不潔だから、入りたくない」と。
こうも言った。
「日本では、お尻を洗った湯で、顔を洗っている」と。
日本の温泉に入って、何かあったらしい。
今度会ったら、それを聞いてみる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本の温泉業界のみなさんへ】

 「日本の温泉は不潔」という、風評(?)が、世界的にかなり広がっている。
実際、不潔。
日本人の私でさえ、そう思っている。
だから温泉では、湯につかるだけ。
けっしてその周辺では、体を洗わない。
洗っても、かならずシャワーで体を流してから出る。

 見た目には美しい。
(また美しく、清潔そうな写真を並べているが……。)
が、昔とちがい、今は、日本全体が清潔になった。
つまりその分だけ、日本人の抵抗力が落ちた。
だから不潔な温泉に入ると、いろいろな細菌性の病気をもらってしまう。

 かなり大規模な温泉になると、毎日1度は、清掃しているよう。
が、そうでないところは、そうでない。
不潔というか、不潔極まりない。
……ということを、みなが、薄々、気がつき始めている。

 厚労省の検査が入る前に、温泉業界は自主的に「清潔検査」なるものをしたらよい。
殺菌処理も必要。
外人観光客を呼び込むのは、そのあと。
あるいは日本の外で、どのような風評が広がっているか、一度、自分たちで調べてみたらよい。
それを知ったら、温泉業界の人たちも、かなりがっかりするはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の温泉 病原菌がいっぱい 不潔)


●郡上八幡町vs美濃市

 昨日、郡上八幡町に一泊し、浜松へ帰ってきた。
私は同窓会に出た。
その間、ワイフは美濃町(美濃市)の町中を散策した。
ともに、古い街並みを売り物にし、観光事業に力を入れている。

 以下、ワイフの評論。

(1)郡上八幡町には、活気があったが、美濃町にはなかった。
(2)郡上八幡町では、町の人たちが道路へ出て、仕事をしていた。
   美濃町では、みな、家の中に引っ込んでいた。
(3)郡上八幡町では、みな、やる気を出していた。
   美濃町では、店の中も、がらんとしていた。(売り子の姿さえ、見えなかった。)
(4)郡上八幡町では、若い人たちが楽しめるグッズを、あちこちで売っていた。
   美濃町では、客が入っているのは、うどん屋とか、食べ物屋だけだった。
(5)郡上八幡町では、古い家並みはほとんどそのまま。
   美濃町では、通りは、見た目にはきれいで、さっぱりしているが、どの店もドアが閉まっていて、入りにくかった。
(6)郡上八幡町には、博覧館のような展示館があったが、美濃町にはなかった。
(7)郡上八幡では目立たなかったが、美濃町ではシャッターをおろしている店が目立った。

 つまり郡上八幡町では、観光客がお金を落とす。
しかし美濃町では、落としにくい、と。
このちがいが、5年、10年と積み重なり、現在の「差」となった?
観光客が来ても、そのまま素通りしてしまう。

私「美濃町の人は、昔からプライドが高いからね。世間体ばかり、気にしている」
ワ「そんなところがあるわね」
私「通りに出て、観光客を呼び込むということができない」
ワ「客が入るのを待っているというわけ」
私「まあ、そんなところだね。が、それでは勝負にならない」と。

 町興(おこ)しで成功しているのは、滋賀県の長浜市。
美濃町の人たちも、一度は、長浜の町をのぞいてみたらよい。

【提案】

(1)もっと泥臭くなる。お金がほしかったら、「欲しい」と言って、表に出る。
(2)町中の人たちが、大正時代の服装をするのも一案。
(3)家だけではなく、籠(かご)や大八車を置いたりし、町全体を博物館化する。
つまり観光客を、もっと楽しませる。
そういう工夫が必要。
「どうだ、これが明治、大正の町だ」と威張っていてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美濃町論 美濃市論 美濃市はどうあるべきか 美濃町の観光 美濃市の観光)2012/05/01


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
  1. 2012/05/01(火) 11:06:22|
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バラは咲き、色あせる

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 14日
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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【伊勢志摩・合歓の郷へ】(はやし浩司 2012−03−28)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩へ向かう。
明日、私塾会名古屋支部の会合がある。
伊勢志摩へ一泊したあと、帰りに、会合に出る。
たいへんな寄り道だが、その寄り道が楽しい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司





●浜松から名古屋へ

 JR浜松駅の近くで、1人の高校生が声をかけてくれた。
K君だった。
幼稚園のときから、小6まで、私の教室に通ってくれた。
この4月から、高校2年生になる。
うれしかった。

が、こういうときというのは、会話がつづかない。
突然でもあり、何をどう話したらよいのか、わからない。
「お母さんは、お元気ですか」「すっかり高校生らしくなったね」とか。
最後に「声をかけてくれて、ありがとう」とだけ言い、別れた。

 ほんのりと心が温まった。

●9時48分

 JR浜松駅発、9時48分の大垣行の快速に乗る。
浜松から名古屋まで直行する列車は、ほとんど、ない。
豊橋で乗り換える。
この快速は、そのまま名古屋まで行く。

 いつもは豊橋から、名鉄電車に乗る。
座席もよく、乗り心地がよい。
急ぎの用でなければ、新幹線にはめったに乗らない。
名古屋というのは、そういう距離。
近くもないが、遠くもない。

●ウォークマン

 久しぶりにウォークマン(SONY)をもってきた。
音楽を聴いている。
グレゴリアンの曲が、ほとんど収録してある。
あとは定番の映画音楽とか、モーツアルトなど。
少し前まで、そのモーツアルトを聴いていた。

●合歓の郷(ねむのさと)

 今日の予定は、この列車で、名古屋まで。
名古屋で近鉄に乗り換える。
それに乗って、伊勢志摩まで。

合歓の郷に一泊。
「合歓の郷」という名前の旅館。
温泉がすてきらしい。
楽しみ。

 夕食は、伊勢海老づくしとか。
伊勢志摩といえば、伊勢海老。
楽しみ。

●咳をする女性

 通路をはさんだ隣の女性が、はげしい咳を繰り返している。
一応、マスクはしているが……。

 私もワイフに促され、マスクを着けた。
それにしてもはげしい咳。
私たちはよいとしても、会い向かいあった人たちが、かわいそう。
1人の女性はマスクをしているが、もう1人はしていない。
軽く口を押え、窓のほうに顔をそむけている。

 ときどきその女性の横顔を見る。
が、それを気にするふうでもなく、咳を繰り返している。
少し前から、化粧を始めた。
マスクをはずした。
年齢は、35歳前後?
マスクをはずしても、当たりかまわず、咳をしている。

●豊橋へ

 白くかすんだ田園地帯がつづく。
木々は枯れ、薄黄土色。
それをやさしい朝の陽ざしが、ぼんやりと照らしている。

 何やら車内アナウンスがあったが、よく聞き取れなかった。
私はグレゴリアンの歌を聴いている。
ワイフもグレゴリアンの歌を聴いている。
左右のイヤホンを、2人で分けあって、聴いている。

 ……これも、旅。
旅のしかた。

●声がかれる

 このところ声が、かれる。
少し前、浪曲の練習をした。
私はそれが原因かと思っていた。
が、浪曲ではなかった。

 花粉の季節になり、毎朝、決まってはげしいクシャミが出る。
そのとき、のどを痛めるらしい。
今朝、それがわかった。
はげしいクシャミをしたあと、のどが痛くなった。

 で、そのあと合唱団員のときよくしていた発声練習をしてみた。
高音部になると、自分でもそれがよくわかるほど、キンキン声になる。
ふだんは、そういうことはないのだが……。

●『♪Who wants to live forever?』

 『♪だれが、永遠に生きたいだろうか?』

 グレゴリアンは、こう歌う。
『♪Who wants to live forever?』と。

 よい曲だ。
ある映画の主題曲になっていた。
が、肝心の映画のほうは、駄作。
世代を超え、たがいに戦いあうという、内容の薄いものだった。
が、曲だけが、多くの歌手に歌い継がれている。

 そう、私も永遠に生きたいとは思わない。
「……だから、それがどうしたの?」と聞かれたとき、その答がつづかない。

 が、かといって、早く死にたいというのではない。
できるだけ長生きをしたい。
が、条件がある。
健康。
健康であること。
この歌をもじると、こうなる。

『♪だれが寝たきりで、長生きしたいだろうか』と。

●横尾試算

 昨日のニュースで気になったのが、これ。
あの福島第一原発2号機で、70数シーベルトの放射線が計測されたという。
7〜10シーベルトで、人間は即死すると言われている。
しかも恐ろしいことに、毎日10トン近い水を注入しているというのだが、原子炉内の水の深さは、60センチしかないという。
ほとんどの水は、高濃度に汚染されたまま、地下や海へと流れ出ているらしい。

 想像するだけでも、気が遠くなる……というより、絶望感に襲われる。
この先、こんなことが、何十年もつづく。
忘れてならないのは、2号機(出力100万W)だけでも、広島原発の数万発分の放射性物質が格納されているということ。
(100万Wの原子炉を1年間稼働させると、広島原発の2700〜800発分の放射性物質が生成されるという。横尾試算※)

 先日、大江健三郎氏は、パリで、こう言った。
「40年後に(被害は)顕在化する」と。

(注※)「電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」と。
この世界では「京(けい)」という単位が使われる。
10の16乗をいう」(以上、横尾試算「原発事故」宝島社)と。

●自己中心性
 
 こういう話をすると、つまり「40年後」というと、こんなことを言う人がいる。

「どうせ、私はそれまで生きていませんから」と。
あるいは、老人組の人は、こう言う
「どうせ、私たちはまもなく死にますから」と。

 が、これほど冷酷かつ残酷な言葉はない。

 ……40年後でも、今日のように、青空はある。
その下では、人々が住み、生活をしている。
人間の住む世界に、「時間」も「空間」もない。
「40年後は関係ない」と言う人は、「アフリカは遠いから、いくら人が餓死しても構わない」と言うのと同じ。
つまり自分勝手。

「今さえよければ、それでいい」と言うのは、「自分だけよければ、それでいい」と言うのと同じ。
自己中心性の現れそのもの。
一見、道理をふまえているように見えるが、そんなのは、道理でも何でもない。
人格の完成度、ゼロ。
少しは自分に恥じたらよい。
あるいはその恥じる力もないほど、人間性を失っているのか?

●近鉄・名古屋駅

 近鉄・名古屋駅で、少し待ち時間がある。
12時10分発の特急「賢島」行き。
「賢島」は、「かしこじま」と読む。
旅館に電話すると、14時45分に迎えに来てくれるという。
ありがたい!

 構内で弁当とお茶を買う。
ワイフは、プラス、ビールを買う。
ワイフの家系は、酒豪が多い。
ワイフもその1人。
が、飲むのはこうして旅行のときか、寝る前だけ。

 ところで私たちはここしばらく、寝る前に養命酒をお湯に溶かして飲んでいる。
が、これが歯にはあまりよくない。
朝まで、ときに、甘い味が残る。
「このままでは、そのうち歯がボロボロになるかも?」ということで、ここ数日は、やめている。

 ……私は酒を飲めない。
そういう体質。
が、ときどき油断する。
数日前も、ワイフにつられて、チューハイ(アルコール度4%)を、コップ、半分も飲んでしまった。
おかげで、その翌日、二日酔い。
夕方まで、頭痛が消えなかった。

●近鉄電車

 「近鉄電車に乗るのは、はじめて」とワイフが、言った。
「フ〜〜ン」と私。
10年ほど前までは、よく講演で、近鉄電車に乗った。
あのころは、私はいつも単独行動だった。
「悪いことをしたな」と思ったが、それはワイフには、言わなかった。

 黄土色に青い帯。
近鉄電車カラー。
何か意味があるのだろう。

 そう言えば、前回、近鉄電車に乗ったときに書いたエッセーがあるはず。
あとで探してみる。

 今、構内アナウンスで、「まもなく……」と。
時計を見ると、11時57分。
そのすぐあと、電車が構内へ入ってきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

原稿は、すぐ見つかった。
2003年に、紀伊長島まで来ている。
駅の近くの体育館で、講演をした。

以下は、そのときの原稿。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●三重県紀伊長島町で……(2003年記)

 今日(一八日)は、紀伊長島町の教育委員会に招かれて、ここへやってきた。

 名古屋から、南紀線に乗る。
午後一時すぎの、特急。
その特急で、ちょうど二時間。
四日市、津、松阪……。
その間特急は、ずっと山間の谷を抜けるが、最初に「海が見えた!」と叫ぶところが、その紀伊長島町である。

 私は、その特急の窓から、近くの山々をながめながら、三男のことを考えていた。
いつか、三男と二人で、この紀伊半島を旅したことがある。
そのときも、「冒険旅行」だった。
私たちは、よくその冒険旅行をした。

 冒険旅行というのは、行き先を決めず、その場、その場で、行き先や、泊まるところ決める旅行のし方をいう。
お金だけを握って、旅に出る。
その旅行でのこと。

 松阪(まつさか)へ着いたときには、真夜中だった。
泊まる旅館やホテルが見つけられず、一時間近くも、あちこちをさまよい歩いた。
そんな思い出が、つぎつぎと、脳裏に浮かんでくる。

 小学四年生の三男は、心細そうに、何度も「だいじょうぶ?」と聞いた。
そのたびに私は、「いざとなったら、駅の前で寝ればいいから」と答えた。

 その三男が、今、自分の進路を大きく変えようとしている。

 三男は、地元のK高校を卒業したあと、横浜にある、横浜K大の工学部に入学した。
センター試験では、工学部2位の成績だった。

 いつか宇宙船の設計をすると意気込んで入学したものの、そのうち、自分に合わないと言い出した。
そして今度は、パイロットになると言い出した。
私は、「金メダルを捨てて、銅メダルをもらうようなものだ」と、批判した。

 しかし私も、昔、M物産という商社をやめ、幼稚園の講師になった経緯がある。
そんな親だから、三男を責めるわけにはいかない。
何かと言いたいことはあったが、しかし三男は、こう言った。

 「パパ、ぼくの夢は、パパに、本物の操縦桿を握らせてやることだよ」と。

 私は子どものころ、空にあこがれた。
パイロットになりたかった。
今でも、パソコンの画面の上で、空を飛ぶのが、私の趣味の一つになっている。
三男は、そういう私をどこかで見ていた。
私は、この言葉に、殺された。

 その言葉を聞いて、私はもう、反対することはできなかった。
いや、多少の迷いはあったが、三男は、その試験に向けて、体を鍛えた。
毎日、自転車で横浜から、羽田へ行き、羽田空港を一周したという。
春ごろには、どこかブヨブヨだった三男だが、試験が近づくころには、すっかり身がひきしまっていた。
それを知ったとき、私の迷いは、完全に消えた。

 「どうせ受けるなら、合格しろよ」と私。
 「だいじょうぶ」と三男。

 一次試験には、八〇〇人近い応募があったという。
テレビのトレンディドラマの影響が大きかったという。
三男は、二次試験にも合格した。
「定員、七〇人だけど、残ったのは、ぼくを入れて、六九人だけだった」と言った。
残りの三次試験は、面接。場所は、宮崎県。本人は、「一〇中、八、九、だいじょうぶだ」と、のんきなことを言っている。

 特急の窓から、空を見る。
白い雲が、薄水色の空をのぞかせながら、幾重にも重なっている。
あのときは、初夏のころだったが、今は、秋だ。

 私たちは松阪市を出ると、今度は、新宮(しんぐう)をめざした。
そのときのこと。
南紀線は、海沿いを走るものとばかり思っていた。
しかし窓の景色は、山また山。
内心では「どうなっているのだろう?」と思っていた。
が、突然、目の前に、パッと海が広がった。

 エメラルド色の海だった。
それに絵に描いたような海岸線が見えた。
夢の中で見るような景色だった。
私は心底、「美しい」と思った。
実は、その町が、紀伊長島町だった。
偶然か。

 で、そのあと、この紀伊長島町へ来たくて、JR名古屋の駅へ問い合わせたが、どの人も、トンチンカンなことばかり、言っていた。

私「ほら、南紀線に乗っていて、最初に海が見える町です」
J「どこでしょうね。あのあたりは、ずっと、海ですから」
私「山を抜けて、最初に、海が見える町です」
J「○○海岸でしょうかねえ。それとも、○○岬でしょうかねえ」と。

 しかしこの話は、教育委員会の担当者の方には、言わなかった。
あまりにも、できすぎた話である。
もしこの話をすれば、「林は、口のうまい男だ」と思われるかもしれない。
しかし事実は、事実。

 委員会のほうで、私のために民宿を用意してくれた。
「はま風」(長島町古里)という民宿だった。
海岸まで歩いて、数分のところ。
その民宿の中でも、一番、奥の梅乃間に通された。

 講演は七時からだった。

 私は散歩から部屋にもどって、この原稿を書き始めた。
もうすぐ、迎えの車がくる。
時刻は、六時一五分。
このつづきは、またあとで書こう。
写真もたくさんとったから、今度のマガジンは、「紀伊長島町特集」となるかもしれない。

++++++++++++++++++

【つづき……】

 たった今、遅い夕食を食べてきた。
時刻は、午後一〇時。
東長島公民館ホールでの講演は、(多分)、無事、終わった。
800人ほど、集まってくれた。

風呂に入るべきか、どうか迷っている。
このまま寝ようか……。

 近くに、古里温泉(町営)がある。
歩いて五分くらいのところ。
講演へ行く前に、散歩しながら見てきたが、朝は、午前一〇時からだという。
明日(一九日)は、七時半の特急で帰るつもりなので、その温泉には入ることはできない。

 そうそう夕食だが、おいしかった。
仲居の女の人(本当は女将さん)が、みな、親切だった。食べ終わってから、「それ、マンボウの軟骨だったのですよ」と。
私はタコの刺身かと思って、パクパクと食べてしまった。
「しまった」と思ったときには、胃の中で、松阪牛のシャブシャブと混ざってしまっていた。

 三男の話にもどるが、三男は、私がパイロットになるのを反対していると思っているらしい。
それは、そのとおり。
これから飛行機事故のニュースを聞くたびに、私は、ハラハラしなければならない。
「どうぞ、どうぞ」と、賛成するような仕事ではない。

 しかし私は、親として、友として、三男を応援するしかない。
支えるしかない。
私が幼稚園の講師になったと母に話したとき、母は、泣き崩れてしまった。
私は母だけは、私を支えてくれると思っていた。

 私には、そういう悲しい思い出がある。
だから、私の息子たちにだけは、そういう思いをさせたくない。
どんなことがあっても、私は、最後の最後まで、息子たちを支える。
ただただ、ひたすら、息子たちを信じ、支える。

 今、ふと、眠気が襲ってきた。
もう今夜は、寝たほうがよさそうだ。
ワイフに電話すると、K市K小学校のN先生から、講演の依頼が入ったとのこと。
ほかの先生からの依頼とは違う。
どんなことをしてでも、受けなければならない。
N先生は、私の恩人だ。
明日、浜松へ帰ってから、時間を調整しよう。

 静かな町だ。
静かな民宿だ。
一応、目ざまし時計はつけたが、明日は、その時刻に起きられるだろうか。
少し、心配になってきた。

 では、みなさん、おやすみなさい。

 三重県紀伊長島町、民宿「はま風」より。

 こういう季節も、すばらしいが、夏場は、近くの砂浜で泳ぐこともできる。
もう少し若ければ、「来年の夏に……」と考えるが、もうその元気はない。
こういう静かな季節のほうが、私には、合っているかも。

 教育委員会のOさん、車で送迎してくれた、Tさん、ありがとうございました。
(031118)

【補記】

 くだらないことだが、私のパソコン(NECのLaVie)は、三〇分ほどで、バッテリーがあがってしまう。
しかし、今日、名古屋からいっしょに乗った男性のパソコンは、ほぼ二時間、ずっと稼動していた。

見ると、シャープの「MURAMASA」だった。
「さすが!」と、少し、驚いた。
ねたましく思った。

 外国の電車などは、車内にコンセントがついている。
駅にも、空港のロビーにも。
日本も、そうすべきではないか。
こういう時代なのだから……。
ついでにインターネットも使えるようにしてほしい。
こういう時代なのだから……。
(一部の駅には、無線LANの設備がついたという。)

(写真を見てくださる方は、HTML版マガジンのほうを、ご覧ください。
紀伊長島町の風景の写真を載せておきました。
すばらしいところですよ。)

 もうひとつくだらないこと。

 朝起きて、身じたくを整えていると、靴下が見つからない。
そこで部屋中をさがした。
が、それでも、見つからない。
昨夜は、講演から帰ってきたあと、食事をして、そのままこの部屋で、浴衣(ゆかた)にかえた。
そのときまで、靴下は、はいていたはず。

 それにしても気味の悪い話だ。
ここは幽霊民宿?

 さらにさがした。
しかし見つからない。

 ただひとつ、心当たりがあるのは、風呂だ。
私は今朝、起きるとすぐ、風呂(温泉)に入った。
そこで、「まさか……」と思いつつ、浴室へ行ってみると……。

 「あったア!」

 しかし、どうして? 
どうして私の靴下が、脱衣場に落ちていたのか。
私は昨夜、靴下をはいたまま寝たのか? 
しかしそんなはずはない。
私は寝るときは、必ず、靴下を脱ぐ。
ただひとつの可能性は、浴衣のどこかに脱いだ靴下が、入りこんでいたこと。
だから浴衣を脱いだとき、靴下が、脱衣場に、落ちた? 
しかし、そんなことがありえるのだろうか?

 ?????と、「?」を五個並べて、この話は、おしまい。

(以上、2003年11月、紀伊長島にて)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紀伊半島

 紀伊長島へ来たとき、委員会の先生が、こんな話をしてくれた。

「このあたりでは、山側の人間と、海側の人間は、はっきりと分かれているのですよ」と。

 生活習慣のみならず、男女の(差)も、分かれている、と。

 山側の世界(=農業)では、女性の地位が低く、海側の世界(=漁業)では、女性の地位が高い。
(漁師という職業は、いつなんどき死ぬかわからない。だから女性の地位が高くなったとか。)
また、山側の人たちは、朝飯をしっかりと食べ、昼飯は簡単にすます。
これに対して、一方、海側の人たちは、昼飯をしっかりと食べる、とか。
これは漁師は、朝早く海に出て、昼前に海から帰ってくるためだ、そうだ。

 以上、記憶によるものなので、内容は不正確。

 で、そのとき私がこう言ったのを覚えている。

「もし、海側で育った女性が、山側で育った男性と結婚したら、たいへんなことになりますね」と。
私は冗談で言ったつもりだったが、その先生は、あっさり、「その通りです」と言って笑った。
(反対なら、うまくいくかも?)
2003年というから、もう10年近くも前の話である。
今は、事情も、大きく変わったかもしれない。

 電車は今、桑名を出たところ。
海が見え始めるのは、もっと先。
ワイフは、「まだ……?」と、言っている。

●ダイナブックR631

 前回は、シャープ製のパソコンだった。
メビウスだった。
が、今回は、TOSHIBAのダイナブック。
バッテリー切れの心配は、ない。
今も、こうして安心して、キーボードを叩いている。

 ところで今度、シャープが、台湾の会社の傘下に入ることになった。
経営不振がささやかれていたので、「とうとう……」という感じ。
こうしてまた、日本の一流メーカーが、外国へと売られていく。

(注※……MSNニュースより)
『シャープは、液晶の主力生産拠点である堺工場を守るため、外資を筆頭株主とするかつてない決断を下した。
世界的な価格下落や歴史的な円高水準、テレビ市場の先行き不透明など好材料が少ない中、“液晶のシャープ”の行方が注目される』(以上、MSN)と。

 ついでながら、こんなニュースでも、韓国では、反日感情をあおりたてるために、利用されている。
が、どうして反日?
つぎの朝鮮日報の記事を読めば、それがわかる。

『シャープ、「サムスン打倒」の鴻海と資本提携!

サムスン電子など韓国企業に押され、創業以来最悪の赤字を出していたシャープは27日、「サムスン打倒」と公言する台湾の電子機器受託製造サービス(EMS)大手、鴻海精密工業と資本提携すると発表した』(朝鮮日報)と。

 あたかもシャープが、「サムスン打倒!」のために、台湾の企業と資本提携したかのように書いてある。
韓国では、マスコミが先頭に立ち、反日感情をあおいりたてている。
こんな記事を読めば、だれだって、「日本めッ!」となる。 

●車窓の外

 車窓の外につづく、街並み。
街並みというより、都会。
「こんなところにも、多くの人が住んでいる……」と。

 ……たった今、窓の下に広い駐車場が見えた。
たくさんの車が並んでいた。
もちろんそれぞれの車には、所有者がいる。
1台1台に……。

 家にしてもそうだ。
それぞれの家に、それぞれのドラマがある。

 最近、旅行に出るたびに、そんなことをよく考える。
同時に、不思議な気持ちに襲われる。
みんな、懸命に生きている。
それが私を不思議な気持ちにさせる。

●珍説・日本人論

 窓ガラスに反射して、前の席に座っている女性の顔がよく見える。
電車が日陰に入ると、窓ガラスが鏡のようになる。
年齢は、40歳前後か。

 その女性の動きが、気になる。
相対して座っている仲間と、何やら話している。
その様子が、どこか「?」。
どこだろう?

 しばらく観察する。
が、やがてこんなことに気がついた。

 その女性は、左右、上下を見るとき、かならず顔を動かす。
眼球は、ほとんど動かさない?
顔を動かすと同時に、上半身も動かす。
それを小刻みに繰り返すから、キョロキョロというよりは、セカセカといった感じになる。
ガラス窓越しに見ているのだが、せわしなく顔や体を動かす。
落ちつかない。
が、AD・HD児の動きとも、ちがう。
どうしてだろう……?
どこがちがうのだろう……?

 が、やがてわかった。

 その女性の目は、ふつうの人以上に、細い。
一本の糸のよう。
おまけに太り気味で、下まぶたが、目を下から、押し上げている。
つまりその女性は、眼球を動かして、左右、上下を見ることができない。
(眼球の動きは、よくわからないが……。)
だから左右、上下を見るときは、その方向に向け、顔全体を動かさなければならない。
顔全体を動かすから、上半身も、それにつれて、動く。

 ナルホド!

 昔、オーストラリアの友人が、こう言った。
「日本人は、猿みたいだ」と。
欧米では、日本人は、よく猿にたとえられる。
映画『猿の惑星』も、もともとは、日本人がモデルだったそうだ。
あまりうれしくない話だが、その理由のひとつが、これ。
つまり顔全体、体全体をセカセカと動かし、あちこちを見る。
(私もそうだが……。)

 では、欧米人は、どうなのか?
それも欧米人のものの見方を思い浮かべてみると、すぐわかる。
彼らは、左右、上下を見るとき、眼球だけを動かす。
もともと目が大きいから、それができる。
だから顔全体を動かさなくてもよい。
そのため日本人のような、セカセカ感がない。

 つまり日本人が猿のようにセカセカして見えるのは、民族性というより、目の大きさが原因だった。
目が細く小さいから、ものを見るとき、顔全体を動かす。
立っているときは、体全体を動かす。
だから、セカセカして見える。
中に目が大きい人もいる。
そういう人でも、周囲の日本人の影響を受け、セカセカ動くようになる。

 これは、はやし浩司の珍説、日本人論ということになる。
しかしこんなことを調べた学者はいない(はず)。
珍説というよりは、「新説」か。

●TK先生より
 
 たった今、TK先生から、メールが届いた。
今朝送った原稿についての、批評である。

『林様: 最近書かれた原稿を拝読しました。
これはどんな人を対象にしているのかな、と思いながら読みました。
一言で言えば「おれは学があるんだよ」、「いろいろの 偉い人の意見も皆読んで知っているよ」、という感じでした。
広い知識を持っている、偉い人の書く文章です。
偉くはないけれど、もっと「我が意」を伝える「感激的な原稿」が欲しいです。
「一笑い」するなり、「涙ぐむ」なり。
いけませんか。御元気で。
TK』

 TK先生の口の悪さは、学会でも定評。
TK先生が座長になると、たいていの学者は、ビビって何も話せなくなるという。

またある時期は、日本の理科予算を決定、配分する立場にいた。
併せて論文審査もしていた。

たとえば野辺山に巨大な電波望遠鏡がある。
それが完成したとき、その祝賀会で、TK先生は、最前列に座っていた。
そのとき先生は、こう言っていた。

「いやな仕事ですよ。
研究費を削ったりすると、憎まれます。
江戸の仇(かたき)を、長崎でとられるというようなことも、よくありますから」と。

 というか、先生の肩書はともかくも、つぎの一言のほうが、TK先生の偉大さを、よく説明している。

 天皇陛下のテニス友だち。

 よく陛下は、鎌倉の先生のクラブへテニスをしに来ていた。
どこかの境内の横にある、2面しかないクラブである。
「椅子といっても、ブロックに板を渡しただけのものです」と。

 で、TK先生は、こう言った。
「陛下がクラブへ来ているときは、ヘリコプターが上空をくるくる回っていますから、すぐわかりますよ」と。

ともかくも、先生の毒舌には慣れた。
(そう言えば、私をほめてくれたことがない!)
だからこそ、私には、ありがたい。

 すかさず、私は、こんな返事を書いた。

『TK先生へ

こんにちは!

いえね、あの雑誌は、今回は、『子育て』が特集なのだそうです。
で、その巻頭で、子どもの発達について、その総論を書いてくれということで、ああいう原稿になりました。
けっして偉ぶっているわけではありません。
どうか、誤解のないように!

そのあと各論を書く学者は、東大の先生こそいませんが、みな、そういう人たちです。
その巻頭言用原稿です。

それに私は、「偉い人」ですから……。
ハハハ。

(本当は、みすぼらしい、敗者です。
負け犬です。
自分でもそれがよくわかっています。)

先生だけです。
そういうふうに、率直に言ってくれるのは……。
ぜんぜん、イヤミもないし……。
なお、あの雑誌は、全文、英訳され、世界中の販売会社に配布されるそうです。
(日本の自動車が販売されている国、すべてで、です。)

なおワイフは、こう言っています。
「文章は、あなたのほうがうまいから、先生は、ひがんでいるのよ」と、です。
ぼくもそう思います。

 また伊勢志摩に着いたら、メールを書きます』と。

●宇治山田

 電車は、今、宇治山田に着いた。
この先から、向かって左側に、海が見えるようになる。
先ほどまで、ワイフは、ウトウトと横で眠っていた。
何度か、ウ〜ムという声を出したあと、車掌のアナウンスで目を覚ました。

 「これからきれいな海が見えるよ」と私。

 紀伊半島と言えば、何といっても、海。
美しい海。
ここを通るたびに、私は、こう思う。
「ここは天国」と。
心底、そう思う。

 駅の向こう、つまり海側に、小高い山が連なっているのがわかる。
あの山を越えれば、海。
海が見え始めたら、ビデオカメラの出番!

●旅

 昨日、市内の書店を訪れたら、こんなタイトルの本があった。
「ぼくが旅に出る、そのわけ」(記憶)と。

 私よりずっと若いライターの書いた本だった。
写真が、表紙を飾っていた。

 その本を見たとき、「ぼくなら……」と思った。
「ぼくなら、どんなことを書くだろうか?」と。

 表紙を見ただけで、本は開かなかった。
平積みになっていたから、よく知られた人の本なのだろう。
それにタイトルからして、旅が好きな人にちがいない。

 私も旅は、嫌いではない。
が、いつもワイフに連れられて、旅に出る。
私自身は、家で本でも読んでいた方が、楽しい。
が、それでも、同じタイトルの本を書けと言われたら、どんな本を書くだろうか?

 ……旅先で感動した話を、全体の7〜8割、書く。
押しつけがましい意見ではなく、読んだ人が、「私も旅をしたい」と思うような内容にする。
残りの2〜3割で、旅に人生論を結びつける。

 そう、旅のおもしろさは、名所旧跡にあるのではない。
道端の、何気なく立っている地蔵や、川面(かわも)に遊ぶ野鳥の群れの中にある。
倒れかかり、道をふさいでいる竹やぶでもよい。
曲がりくねった農家の道を、ヨタヨタと歩く老人。
そういう老人と、世間話をする。
そういうのがおもしろい。

 で、人生のおもしろさも、またしかり……と。
この話は、ちょっとできすぎかな?

●合歓の郷(ねむのさと)

 合歓の郷には、午後3時少し過ぎに着いた。
途中、雨が降った。
通り雨で、ホテル(今まで旅館と書いてきたが、ここは立派なホテル)に着くころ、ちょうどやんだ。
(和室で予約したので、私は、旅館風のホテルを想像していた。)

 部屋は、2間つづきの、豪華な間取り。
419号室。
部屋も、前もって、暖めてあった。
備品も完ぺき。
やる気度、100%。
カーテンを開けると、伊勢志摩半島が、一望できた。

これから温泉につかり、そのあとサンセット・クルージングなるものに、乗る。
夕刻を、海の上で、過ごす。

(地震が来なければいいが……。
私は心配性。)

●サンセット・クルージング

 風呂から出た。
5時10分に、迎えのバスが来るという。
それを待っている。

 幸い、青い空が見えてきた。
サンセット・クルージング。
「今日は、波が少し荒いようです」と、フロントの女性は、そう言っていた。
ワイフは、先ほどから、それを心配している。

「いいか、そういうときは、遠くの水平線を見ていればいい」と私。

 時刻は、ちょうど、5時。
「そろそろ行こうか……」ということで、このつづきは、またあとで。

●貸し切り

 33人乗りの大型クルーザーに、客は、私たち2人だけ。
つまり貸し切り!
その大型クルーザーで、英虞湾(あごわん)内を、40〜50分かけて、周遊。
まるで夢の中のようだった。
つまり夢の中で、船に乗っているような気分だった。

 時は、その名のとおり、夕暮れ時(サンセット)。
ワイフも私も、言葉を失った。
ただひたすら、ぼんやりと、島々をながめた。

 その様子は、ビデオカメラに収めた。
明日、家に帰ったら、まっさきに編集し、YOUTUBEにUPする。
読者のみなさんにも、楽しんでもらおう。

●YAMAHAのつま恋

 施設全体は、掛川市にある、「つま恋」(YAMAHAリゾート・センター)に似ている。
各種のスポーツ施設や、宿泊施設が並んでいる。
作り方も、よく似ている。

 が、つま恋のほうは、東海道の要所にある。
そのため、いつ行っても、かなり混雑している。
が、ここ合歓の郷は、伊勢志摩という、本線から離れた位置にある。
が、施設そのものは、つま恋に勝るとも、劣らない。
プラス、海遊びもできる。

 さらに比較すれば、温泉は、合歓の郷のほうが、はるかによい。
つま恋は、小さくて、狭い。
加えて地元の人たちも利用しているため、私たちが行ったときには、浜松駅の構内のように混雑していた。
あとは料理だが、つま恋のバイキング料理は、地元でもイチバンと評価が高い。
さて、この合歓の郷は、どうか?

 夕食は、7時40分〜から。
まだ少し時間がある。
それまで、こうして今日の日記を書く。

●ロメオ&ジュリエット

 たった今、立ったついでに、♪ロメオとジュリエットを独唱してみた。
本気で歌ってみた。
その少し前から、そのメロディーを、鼻歌で歌っていた。

 声は張りを失い、高い音は出なくなった。
が、これでも、元合唱団員。
その気になれば、まだ歌える?

 が、この歌を歌うと、どうしてこうまで切なくなるのか。
幸福と切なさは、同時にやってくる。
幸福であることが、切ない。
どうしてだろう。

 原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。
ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。
本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
そして男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。
ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いたので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。
短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。
いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02−10−5)※

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++



(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
A rose will bloom.... ばらは咲き、
It then will fade:  そして色あせる。
So does a youth,  若さも、また同じ。
So does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
Others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【息子が恋をするとき】

●息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。
「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。
年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。
そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。
もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。
しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
6月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。
 
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●切なさ

 生きていること自体、切ない。
つかみどころがあるようで、ない。
「時よ止まれ」と叫んでも、時は容赦なく、去って行く。
手でつかんでも、指の間から漏れていく。
その歯がゆさ。
そのもどかしさ。
それが切なさとなって、胸をしめつける。

 失った時を嘆くのではない。
去った人を嘆くのではない。
消えて久しい、純粋さを嘆く。
情熱を嘆く。
夢や希望を嘆く。

●センチ

 話題を変える。
幸福感を味わったあとというのは、どうも心がセンチになる。
これも年の功。
幸福というのは、(幸福感でもよいが)、薄いガラス箱のように壊れやすい。
それを知っているから、切なくなる?

ところで、今の若い人たちは、「センチ」などという言葉を使うだろうか?
センチというのは、センチメンタルという意味。
英語では「sentimental」。
日本語では、「感傷的」と訳す。
「感じやすく、涙もろいさま」(Yahoo辞書)とある。

 今が、そのとき?
「話題を変える」と宣言してみたが、話が、またもとに戻ってしまった。

 ……とにかく、もうすぐ夕食。
夕食のあとは、もっと楽しい話を書いてみたい。

●TK先生からの返信

 夕食後、パソコンを立ち上げると、TK先生から、メールが届いていた。
うれしかった。
TK先生という先生は、そういう先生。
そばに感じるだけで、心が安らぐ。
あるいは先生は、相手を、先生自身がもつおおらかさで、包んでしまう。
講演にしても、そうだ。
相手が1000人でも、9000人でも、そのまま包んでしまう。
その偉大さというか、パワーは、言葉では、表現できない。

 私的なメールだから、そのまま紹介してよいものかどうか迷った。
(許可を求めたら、断られるに決まっている!)
が、若いころからTK先生は、何かよいことや、うれしいことがあると、真っ先に私に知らせてくれた。
私は私で、それを聞くのが、何よりも楽しみだった。
この42年間、ずっと、そうだった。
それがいまでも、つづいている。

……というか、田丸謙二先生が、日本という国のためになした偉業の数々。
それを知る人は少ない。

たとえばあるプロジェクトで、日本政府は、アメリカの言いなりになって、2000億円という研究費を、無駄にしそうになったことがある。
田丸謙二先生は、自費で世界各国を飛び回り、その計画を日本政府に断念させたこともある。
もちろんその逆のこともある。

TK先生の偉大さを、みなさんもぜひ知ってほしい。

『林様:
今度の日本化学会の春の年会は九千人近くの参加者があり、慶応の日吉キャンパスで行われました。
その後懇親会で乾杯の音頭を取らせられましたが、懇親会も四百人以上の盛会でした。
今度の年会の中で公開講演会があり、幾人もの講演者に混じって私も講演をさせられましたが、その公開講演会の責任者から下記のようなお褒めの言葉が来ました。

「群を抜いていい講演」、「聴き応えのある講演」、「何人もの方から非常に良かった」とか「皆さん大変に感激した」とか、私の所にも沢山のお褒めのメールや電話が来ましたが、個人的なのは「お世辞」もあると思いますが、上記のような公開講演会の責任者からのは、大体本当の言葉だと思いますので、お知らせします。

余計なことをお書きして恐縮ですが、取り敢えずご連絡致します。
くれぐれもお元気で。
TK』

●夕食

 夕食は、伊勢海老を使った、海老づくしだった。
すべてが、伊勢海老料理。
レストランの入り口には、生けすがつくってあり、20〜30匹の伊勢海老が飼ってあった。
レストランを出るとき、「ああ、今夜は、これを食べたんだ」と。

●就眠

 ワイフは、もう床の中に入り、寝息をたてている。
時刻は、午後10時19分。
夕食の料理は、すばらしかった。
一級の料理と評しても、よい。
おいしかった。
とくに伊勢海老の鉄板焼きは、おいしかった。
伊勢海老というのは、もともと味が淡白で、料理の仕方をまちがえると、何を食べているのかわからなくなる。
海老のおいしさを引き出しながら、味にアクセントをつける。
並みの料理人では、まねのできない芸当である。

 さて、明日は忙しい。
一度、名古屋まで出たあと、会合に出席。
そのあと浜松に、帰る。

 では、みなさん、Have a good night!

●3月29日

 朝は、午前4時半に目が覚めた。
こうしたホテルでは、いつも、そうだ。

 で、メガネを探したが、どこにもない。
「?」と思いながら、また探した。

 が、メガネは、かけたままだった。
その少し前、トイレに起きたとき、メガネをかけたらしい。
またそのまま眠ってしまったらしい。

私も、かなりボケてきた。
こんなアホな経験は、生まれてはじめて。
メガネをかけたまま、メガネを探した。
それにしても、ドジな話!

●合歓の郷

 合歓の郷は、広大な敷地の中にある。
その一角だけで、ふつうのホテルなら、何10棟も建ってしまうだろう。
中に、貸別荘というのも、ある。
サンセット・クルージングに向こう途中、バスの運転手が、案内してくれた。
(バスの中にも、客は、私たち2人だけだった!)

そこには10〜20棟、並んで建っていた。
そのあたりは、ゆるやかな丘陵になっていた。
芝生でおおわれていた。
道路も、カーブを描いていた。
それを見て、ワイフが、「オーストラリアの家みたい」と言った。

 オーストラリアでは、どこでも見られる風景である。
が、この日本では、珍しい。
平坦地を、碁盤の目のように仕切る。
家は、それぞれ、バラバラ。
洋風もあれば、和風もある。

 つまり欧米人は、全体のバランスを考え、自分の家を建てる。
日本人には、もとから、そういう発想そのものが、ない。
ある学者は、「押す文化、引く文化」という言葉を使い、日本人の特性を説明した。
あとで、その原稿を探してみる。

 ともかくも、合歓の郷は広い。
その広さを感じただけで、ほっとした安堵感を覚える。

 そうそうワイフはこうも言った。
「日本にも、こういういいところがあるのね」と。

 ここ数年、ワイフは、ことあるごとに、こう言っている。
「オーストラリアへ移住しよう」と。
そのつど、私はこう言って、ワイフをなだめる。
「もう少し日本でがんばるから、待ってよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【押す文化vs引く文化】(2000年ごろ書いた原稿より)

●引く文化・押す文化

 日本の子どもは、消しゴムのカスを、手前に払って、机の下に落とす。
欧米の子どもは、向こう側に払って、机の上に残す。

考えてみれば、不思議なことだ。
教えなくとも、日本の子どもたちは、いつの間にかそうするようになる。
考えてみれば、日本の刀は、手前に引きながら、相手切る。
欧米の刀は、相手のほうに突き刺しながら切る。
ノコギリも、包丁もそうだ。
日本では引きながら切る。
欧米では押しながら切る。

 これを称して、日本の文化は「引く文化」、欧米の文化は「押す文化」と言った学者がいた。
そんな話を、ある友人から聞いたことがある。

たとえば「庭」。
日本では、庭をつくるとき、視点を家の中に置く。
つまり家の中に美しさを、引きこむようにして庭をつくる。
欧米は反対に、外に向かって庭をつくる。

 わかりやすく言えば、通りから見た美しさを大切にする。
何でもないようなことだが、こうした文化は、教育にも大きな影響を与えている。

 日本人は、周囲の価値を、自分の中に引きこむことを美徳とする。
内面世界の充実を大切にする。
一方、欧米では、自分の価値を、相手に訴えることを美徳とする。

 日本人はディベイト(討論)がヘタだと言われているが、そもそも国民性が違うから、しかたない。
いや、長い間の封建制度が、日本独特の国民性を作った。
自己主張をして波風を立てるよりも、ナーナーですまし、「和」をもって尊しとすると、日本人は考える。

 つまりそもそも風土そのものが、「個」を認める社会になっていない。
特に教育の世界がそうだ。
徹底した上意下達方式のもと、親も子どもも、いつもそれに従順に従っている。
文部省が「体験学習だ」と言えば、体験学習。
「ボランティア活動だ」と言えば、ボランティア活動。
いつもすべてが全国一律に動く。
親の側から、教育に注文をつけるということは、まず、ない。

 そういう意味でも、日本人は、まだあの封建制度から解放されていない。
体質も、それから生まれるものの考え方も、封建時代のままといってもよい。
言いかえると、日本の封建時代が残したマイナスの遺産は、あまりにも大きい。

 ……と悩んでもしかたない。
問題は、こうした封建体質から私たちをいかにして解放させるか、だ。
一つの方法として、あの封建時代、さらにその体質をそっくりそのまま受け継いだ明治、大正、昭和の時代を今ここで、総括するという方法がある。
歴史は歴史だからそれなりに正当に評価しなければならない。
しかし決して美化したり、茶化したり、歪曲してはならない。

 たとえば2000年のはじめ、NHKの大河ドラマにかこつけて、この静岡県で、『葵三代、徳川博』なるものが催された。
たいへんなにぎわいだったと聞いているが、しかしそういう形で、あの封建時代を美化するのはたいへん危険なことでもある。

 あの類をみないほどの、暗黒かつ恐怖政治のもとで、いかに多くの民衆が虐げられ、苦しんだか、それを忘れてはならない。
一方、徳川家康についても、その後、300年という年月をかけて、つごうの悪い事実は繰り返し抹消された。

私たちが今もつ「家康像」というのは、あくまでもその結果でしかない。つまりこうした
ことを繰り返している間は、私たちはあのマイナスの遺産から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●旅

 旅といっても、ボケ防止のための旅というのも、ある。
旅に出るだけで、四方八方から、いろいろな刺激を受ける。
その刺激が、脳みそを、「引っかき回す」。
つまりそれまで眠っていたような部分まで、刺激する。

 脳の神経細胞の数は同じでも、使っていなかった部分を使うようになれば、その分だけ、神経細胞はふえたことになる。
広い屋敷にある古い倉庫を、居間に改造するようなもの。
たとえとしては、あまりよくないかもしれない。
しかし私には、そんな感じがする。

●英虞湾

 英虞湾は、地形が複雑。
その間に、大小、形、さまざまの島が64もあるという。
島だけではない。
無数の山々が、高くはないが、ホテルを取り囲んでいる。

 で、たった今、窓のほうを見ると、カーテンの下が白く輝いているのがわかった。
見ると、ちょうど太陽が地平線から昇るところだった。
私はバッグからカメラを取り出すと、その写真を撮った。
「ああ、あちらが東なんだ」と、そのときはじめてわかった。

 この窓から見ているかぎりでは、自分がどの位置にいるのか、わからない。
というか、私の方向感は、人並み以上にすぐれている。
見知らぬ街でも、迷子になることはめったにない。
しかしこの伊勢志摩は、ちがった。
このホテルにしても、どのあたりにあるのか、それさえわからなかった。
とくに昨日は、一度、小雨が降るほど、空が曇っていた。
方向感は狂ったままだった。

 ……これから風呂に入る。

 そうそう、このホテルの難点は、温泉までの距離が遠いということ。
一度、ホテルの外に出て、300〜400メートルほど、歩かねばならない。
冬場は、つらい?
だから部屋の中にある、風呂へ。

●TK先生より

たった今、TK先生から、メールが入った

『林様:

今度こちらにお出で下さる際のことを考えたのですが、現在一時的にお世話になっている「シニア・ホーム・T」は滞在者拾四、五人の小さいところですが、私の数年後のあり方を現実的にsuggest してくれています。

半分以上が車椅子です。
「認知症」などボケている人もいます。
助けて貰わないと食事が出来ない人もいます。
歳をとることは誰でも避けられない運命ですが、どうでしょう、こちらで皆の様子を見ながらこちらで皆と一緒に私の来客として夕食を取るのは。
軽い夕食ですが、老人用の食事で、魚もよく出ますが骨は全然ない形です。
野菜も柔らかく調理されています。

貴君にはまだ二、三十年先のことでしょうが、避けられない「歳をとる」ことの参考にもなります。
夕食に行く前に、私の部屋でビールとおつまみもの位を食べてから行けば、少しは形がとれます。
街で混んでいる中で食べるより良い勉強になります。
如何でしょうか。

ついでにこちらに来る方法ですが、浜松から小田原まで新幹線で来て、小田原から東海道線で藤沢に来て進行方向左側に、「江ノ電」(江ノ島電鉄)がありますか、それに乗って20分近く、「XX」駅から三つ目に「YY」駅があり、その次が「ZZ」の駅で駅のホームの北側に駅に接するように煉瓦作りの「シニア・ホーム・T」という駅からx分のところです。

楽しみにお待ちしています。

御元気で。
TK』

●はやし浩司より、TK先生へ

TK先生へ

こんにちは!

 先生のお気遣い、ありがとうございます。
先生のご指導の通りにいたします。
ありがたいことです。
よい勉強になると思います。

 実のところ、自分の老後をよく考えます。
ホームへの入居も、現実問題になってきています。

 で、私も、数年前まで、実母と実兄の介護をしていました。
実母は、2年間、私の家にいました。
(便などの世話は、すべて私がしました。)
実兄は、3か月、私の家にいて、そのあと地元のグループホームに入りました。
実母は、そのあとは、他界するまで、ここ浜松の特養に入りました。
何かとたいへんでした。

 で、あいついで、3年前に他界。
実母、実兄が他界したとき、正直言って、ほっとしました。
(最近になって、さみしく思うことがありますが……。)

 このあたりでは、親の介護を2年すると、兄弟姉妹はバラバラになるといいます。
遺産問題も絡んできます。
わずか数百万円の遺産のことで、言い争っている兄弟姉妹は、ゴマンといます。

それでそうなります。
介護、遺産問題は、本人もたいへんですが、そのまわりの家族にとっても、深刻な問題ですね。

 で、私も、実母、実兄の介護を経験し、かなり人生観、イコール、教育観が変わりました。
それまでは、子どもは子どもで自分の人生を歩めばよいと考えていました。
が、これからはそんなわけにはいかない。
それで人生観、イコール、教育観が変わりました。

 今では、私たち老人組は、老害、さらには「ゴミ」と呼ばれています。
ネットの世界を見ると、それがよくわかります。
たとえば団塊の世代(=私たちの世代)は、若い人たちの間では、「バブル世代」と呼ばれています。
日本の経済を破壊した、「悪玉」のような存在に考えられています。
(一方、私たちは、「日本の繁栄を築いたのは、私たち」という意識が強いのですが……。)

 意識というのはそういうものかもしれません。
錯視画のようなものです。
同じ「絵」でも、見る人によって、まったく別の絵に見える。

 私が後期高齢者になるころには、孤独死、無縁死が当たり前になります。
すでに少し田舎のほうへ行くと、無住の寺がふえ、また住職がいても、慰霊碑なるものがふえています。
無縁仏を、まとめて供養するためのものです。

 で、x日は、予定どおり、3時ごろおうかがいすればよろしいでしょうか。
それとも、もっと遅い方がよろしいでしょうか。
時刻を、先生のご都合に合わせて、ご指定くだされば、そのようにいたします。

どうか、お知らせください。
ご返事、ありがとうございました。

はやし浩司

●終わりに……

 ……で、こうして自分の原稿を読み返してみる。
結構、「旅行記」、もしくは、「私にとっては、旅とは何か」になっているから、興味深い。
そのときどきに考えたことを、書きつづる。
こんな旅行記もあっても、よいのでは……。

……ということで、今回の、伊勢志摩旅行記(?)は、これでおしまい。

 今日もがんばろう!

(はやし浩司 2012−03−28 はやし浩司 英虞湾 伊勢志摩 はやし浩司 合歓の郷 ねむのさと はやし浩司 サンセット・クルージング 伊勢海老 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 浜松 幼児教室 はやし浩司 ロメオ ジュリエット 息子が恋をするとき はやし浩司 珍説 日本人論 日本人は、なぜセカセカして見えるか はやし浩司 TK先生 あご湾 あごわん)
はやし浩司 2012−03−29記


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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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●田丸謙二先生

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 5月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【3月末・年中児・最後のレッスン】

●テーマは、漢字



●児童期から思春期へ、自我の同一性について




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●子どもは人の父(完成原稿)
(日本自動車工業会・会報誌・特集(巻頭言)より)2012−3月

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもは人の父 子供は人の父 原始反応 児童期 思春期 はやし浩司 幼児期前期 幼児期後期)

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●小1児に、距離、時速、時間を教える。

小学1年生に、距離、時速、時間について教えました。別のもうひとつの1年生クラスでは、うまく教えられませんでしたので、このクラスでは、気合いを入れて教えてみました。(うち1人は、幼稚園を卒園したばかりの、Yさんです)。

が、今回は、うまく教えられました。Yさんが、最後の問題を解いたとき、「ヤッター!」という気分になりました。うれしかったです。2012年3月27日。




(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 BW幼児教室 BW子供クラブ BW子供クラブbyはやし浩司)


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【田丸謙二先生について】(日本のマスコミの大矛盾)

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http://ktamaru.ninja-web.net/

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●触媒工学

 触媒工学の分野では、日本は最先端を独走している。
「触媒」と聞いて、「?」と思う人も多いかと思う。
その理由は、もう少しあとに書くとして、今では触媒なしに、この社会は成り立たない。
電子工学、遺伝子工学、それにつづくのが、触媒工学である。

(1980年ごろ、東大の研究室で会うと、田丸謙二先生は、こう話してくれた。
「電子工学(コンピューター)については、基礎研究はすでに終わりました。
しかし遺伝子工学がこうまで進歩するとは、思ってもいませんでした」と。
まだ触媒工学なるものは、日本では、ほとんど知られていなかった時代である。)

 その触媒工学の分野で、これまた最先端のトップランナーが、田丸謙二先生である。
1970年当時、田丸謙二先生は、こんな話をしてくれた。

「水を、触媒で、酸素と水素に分解できれば、エネルギーの問題は、すべて解決します」と。

触媒工学というのは、それをいう。

 1年ほど前会ったとき、田丸謙二先生に、「いつ成果が出ますか?」と聞いたときのこと。
先生は、笑いながらこう話してくれた。

 「現在、理研(理化学研究所)で、チームを作り、懸命に研究していますから、近くその成果が出ますよ」と。
現在、東大だけでも、田丸謙二先生の弟子が、10人前後、教授をしている。
書き忘れたが、東大でも、当時、田丸謙二先生は、最年少で教授職に就いている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田丸謙二先生

 その田丸謙二先生のホームページを読んでいたら、先生に、たまらなく会いたくなった。
で、昨夜(3月25日)遅く、メールを出すと、すぐ返事が来た。

『林様:メール有難うございました。ただ今私は「我が家」をレフォームしておりますので、その間、臨時の所(シニア・ホーム)に滞在しています。4月一杯多分滞在します。
今日は日本化学会の年会が日吉の慶応キャンパスであり、私が講演して来ました。自分ながらうまく行ってよい評判でした。くれぐれもお元気で。御急ぎの御用がありましたらどこかでお会いしましょうか。田丸謙二』と。

 折り返しメールを交換し、このx日に、鎌倉で会うことにした。
今日も、慶応キャンパスで、講演をしてきたとか。
1923年生まれということだから、今年、89歳になる。
若いときから、田丸謙二先生という先生は、そういう人である。
50歳を過ぎ、中国語を独学で学び、中国化学会の総会で、基調講演までこなしている(1982)。
しかも、中国語で!

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●ファーバー研究所創立100年祭(Fritz Haber Institut の創立百年祭)

 で、今朝、書きたいことは、このことではない。
田丸謙二先生は、先にも書いたように、世界の触媒工学の先鞭をつけた研究者である。
事実、ごく最近まで、日本は、この分野の研究では、世界の最先端を走っていた。

 その功績もあり、田丸謙二先生は、1984年(7月)〜1988年(7月)まで、国際触媒学会の会長を務めている。
が、そのことを一般の人で、知っている人は、ほとんどいない。

 さらに5、6年ほど前、国際触媒学会の大会が、フランスのパリで催された。
世界中から、2000人近い学者が集まった。
(2000人だぞ!)
田丸謙二先生は、その学会でも、基調講演をしている。
が、そのことを知っている人も、ほとんどいない。
当時、田丸謙二先生は、こう話してくれた。

「中国人の学者がふえたのには、驚きました」と。

 ほかにも、いろいろある。
ごく最近では、昨年(2011)、ドイツで、ファーバー研究所創立100年祭があった。
私たちが今、ここでこうして生きているのは、ファーバー博士のおかげと言っても過言ではない。
ファーバーは、空気中の窒素固定を成し遂げた。
それにより、人類は、まさに「空気からパンを作る」ことができるようになった。

 そのファーバー研究所創立100年祭に、田丸謙二先生は、講師として呼ばれ、講演をしている(注※)。
田丸謙二先生の父親の田丸節郎は、ファーバーの第一弟子でもあった。
また現在の東工大、理研の産みの親でもある。
が、こういったことを、知っている人は、ほとんどいない。

 私は、それが、おかしい!、と言っている。

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(中央左が、田丸節郎、その右が、ファーバー博士)

●日本のマスコミの大矛盾

 なぜ、日本のマスコミは、こうした重大な事実を、日本で報道しないのか。
どこかつかみどころのないタレントが、どこか理解しがたい映画を製作し、何とかという賞を取ると、それこそ狂ったように大騒ぎする。
日本の一大事のように、大騒ぎする。

 が、日本人の科学者が、フランスのパリの国際学会で、基調講演をしても、一行(一秒)も報道しない。
その情報収集能力もなければ、価値を判断する能力すら、ない。
反対に、国内では、その人物を、肩書きや地位だけで判断する。
テレビへの露出度だけで判断する。

 一方、現地のフランス国営放送は、田丸謙二先生に、スタジオでさらに再講演してもらい、それを番組として、放送している。

 日本のマスコミの姿勢のおかしさ、矛盾は、すべてこの1点に凝縮される。
その結果というか、日本の文化レベルは、落ちるところまで、落ちた。
まるで日本総ギャグ化。
お笑いタレントが、どこかの県知事になっても、だれも疑問に思わない。
日本人は、「アカデミック」という言葉のもつ意味すら、知らないのでは?

 もっと言えば、この日本では、「文化人」なるものは、テレビへの露出度で決まる。
そうでなければそうでない。

 これを「大矛盾」と呼ばずして、何と言う?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……以下、田丸謙二先生のHP(日記)より)

『●Fritz Haber Institut の創立百年祭に招待されて

   1911年にKaiser Wilhelm Institut として Berlinに創立された研究所が途中で Fritz Haber Institut (FHI) と名前を変えて、10月26日〜28日の三日間に創立百年のお祝いをした。

   4年前にノーベル化学賞をとった前所長の Ertl 教授の75 歳の誕生日のお祝いも兼ねて、世界中から一流の学者を招いての盛大な講演会でもあった。
参加した人たちは物理、化学は言うまでもなく化学史の専門家まで含み、千人ほどの集まりであった。
私は百年の歴史の中での「Haber と日本」と題して、原稿も見ずに、この百年の間での田丸家と Fritz Haber Institut との関連について講演をした。

  内容的には亡父が1908年2月に Karlsruhe の Haber 研究室に留学し、「死ぬほど働いて」アンモニア合成の成功に関与し、1911年Haber が新設されたBerlin の Kaiser Wilhelm Institut の所長になった折に直ちに亡父を所員に招き、第一次世界大戦が始まって日独が敵対関係になるまで合計6年間 Haber と共に研究をして来た。

今回においてその当時亡父が撮った百年前の写真を何枚も出して見せたのは現在見せられた聴衆にとっては大変に印象的であったようであったし、FHI としても非常に貴重なものであった。

   その後1918年に Haber は「空気からパンを作った」ということでノーベル化学賞を受け、1924年に星一さんの招待に応じて夫妻で来日をした。
在日中は各地で講演をし「国を発展させるには科学の振興が必要である]という、彼がドイツで英仏をしのいで国を振興させた実績に基づいた講演をし、亡父がそれを翻訳し、自分なりの科学振興の必要性も加えて、一冊の本として岩波から出版したのである。
(事実その頃の我が国から欧州への自然科学の留学の75%はドイツに行ったものである。)

   その影響もあってわが国では昭和一桁の非常な経済不況の中にありながら、Kaiser Wilhelm 協会をモデルにして日本学術振興会を作り、大学や研究所に研究費を増額分配し、学術論文数もほどなく倍増し、人材が育ち、アジアでも最も近代化した国になった。

ベルリン工科大学をモデル化して東京工大を新設もした。
(この両方の学術振興の実積は亡父の大変な尽力なしでは実現しなかったものである。)

   Haber がドイツの学術振興だけでなく結果的にはわが国でも科学振興の実績を積んだことは、科学を重視するドイツ人たちにとっても初耳であったし,大変に印象的でもあったらしい。
(わが国でもほとんど知られていない。)

   次世代として私が、世界で初めて触媒反応中に固体触媒表面の挙動を直接観察して、それまで反応機構は推論に基づいていただけだったのを飛躍的に発展させて、in situ characterization を開発し触媒科学が科学として生まれたことに触れてそれをErtl がそれを発展して例えば Photoemission electron microscope を用いて見事な発展をもたらしてノーベル賞に至ったことに触れ、さらに婿の大山茂生(現東京大学教授)がフンボルト賞を三年前にうけて Hajo Freund と共に、半年間FHI に滞在したことを告げて、結局田丸家は過去百年の間三代にわたり FHIと深い関係を持って来たことを紹介し、これまで一世紀の間世界をリードして来たFHI が更なる新しい世紀も世界をリードすることを願う、と言って話を閉じた。

  話の途中に亡父が残した百年前の写真の中にある亡父が着ていたモーニングがベルリン製であり、百年の間無事に保たれ、興味あることに私の娘の大山秀子にピッタリのサイズであることを言って、秀子がその服を着て現れた時は皆で拍手大喝采であったし、ハ―バー夫妻が鎌倉の我が家を訪問した折の写真の中に、私が母の腕の中にいた赤ん坊であって、ハーバーと直接会っている証拠でもあると言った時も拍手が湧いた。

  話が終わってからの皆の態度はそれまでとはガラリと変わり、何十人もの人が入れ替わりに、素晴らしい話だった、wonderful だけでも、十何人か、, beautiful, elegant, moving (感動的), gem (宝石)(招待に与った Friedrich さんの表現)、highlight (今回のCentenary の議長を務めた FTI のdirector のGerard Meijer 教授も使った表現), excellent (Ertl さんの表現)と各人なりの言葉を使って私に対してベタ褒めであった。

英語も解りやすく、素晴らしかったし、とにかく88歳の人があんな立派な presentation をするなんて考えられない、という大変な評判であった。

そうしてあの話はとても内容が素晴らしくて、話を聞いておくだけではもったいないし、是非その資料をドイツ化学会やFHIに永久に保存すべき話であるから、面倒でももう一度同じ話をして貰いたいということになり、今度は聴衆は十何人の幹部の前でもう一度 presentation をさせられた。

ビデオにまとまったら送ってくれるという。
とにかくこの上ない大変な好評であった。
ビジネスクラスの旅費まで出してくれてのご招待であったので、それに充分以上に報いることが出来て本当によかったと思った。
中には鎌倉まで人を派遣して FHIの古い資料を見せてくれないか、とまで言われた。
FHI の図書室に「田丸古文書」の枠を作ることも議論されているとのことであった。

  昔は従来英語で苦労をすることが全くなかったが、今回は耳が遠くなり、英語が聞き難く、秀子が大分助けてくれた。
老化現象も耳の遠くなる不便さはどうにかしなければ、もっと優れた補聴器にするか、というのが正直の感じであった。
幸い招待を受けた婿が全てを手配してくれたし済ますことが出来た。
ベルリンでは日本に比べて非常な寒さであって、往復途中もよく眠れず、時差もあって肉体的に大変な苦労であったし、風邪をこじらせながらようやく無事に帰国できた。(会議が終わってから秀子たちと Romance Road を回って来た)

  秀子が科学史の専門家に我が家には亡父が百年前に購入した Lavoisier ヤ Liebig などの手書きの手紙があると伝えたら大変に興味を示していたという。
亡父が購入したままに置いてあっただけに、多分世界で唯一の本物の手書きの手紙だけに、科学史の資料としても大変に貴重なものであるからである。

  世界の人口は前世紀中に4倍になった。遠からず世界の人口は二百億になるという。ハーバーのお蔭で1913年に窒素肥料のアンモニアが工業的に生産され始め、何十億もの人が飢餓から救われたのでる。

2011年12月28日』
(以上、「田丸謙二先生のHPより」)

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(アインシュタイン博士より、田丸謙二先生へ)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 田丸節郎 ファーバー はやし浩司 触媒工学)


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●3月27日

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

朝早く、田丸謙二先生から、講演用
資料などが、送られてきた。

数日前、日吉の慶応キャンパスで行われた、
日本化学会の年総会の席で、田丸謙二先生は
基調講演を行った。
そのときの資料である。

この世界に住んでいる人も、また住んでいない人も、
超一級の講演がどういうものか、またそのレジュメが
どういうものか、これを見ればわかる。

今朝は、そのため、朝の運動は抜き。
起きるとすぐそのまま、書斎へ。
田丸謙二先生の資料を、ホームページに
UPLOADした。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 田丸謙二 田丸謙二先生 講演 日本化学会 2012年 年会 講演)


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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●北朝鮮のミサイル問題

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 近く日本の野田首相は、北朝鮮のミサイルの迎撃、撃墜を命令するという(3月27日)。
が、私は、それに明確に反対する。
理由は、以下に述べる。

つまり今、ここで日本が、北朝鮮に対して攻撃的姿勢に出れば、即、北朝鮮に、日本攻撃の口実を、将来にわたって、提供することになる。

 次回から日本が衛星ロケットを打ち上げるたびに、日本は厳戒態勢をとらねばならなくなる。
日本の発射基地そのものが、攻撃対象になるかもしれない。

相手は、常識的な道理の通ずる国ではない。
通ずる国でないことは、今までの経緯を見ればわかるはず。
が、それだけではない。

 やがてこの先、南北朝鮮は、何らかの形で統一される。
オバマ大統領も、先の核サミット(ソウル)で、それを明言した。

が、それは同時に、日本のすぐそばに、巨大な反日国家が誕生することを意味する。
人口は、計6000〜7000万人。
2050年には、日本の人口と拮抗(きっこう)する。
(日本の人口は、8000万人近くにまで減少すると言われている。)
そうなったとき、この日本は、その朝鮮と、どう対峙していくつもりなのか。

 今回のミサイル問題は、あくまでも、朝鮮半島の内部問題。
ミサイル自体は、アメリカと北朝鮮の2か国間問題。
つまりどこかで、この問題は、日本と切り離して考える必要がある。
深入りは、日本にとっては、たいへん危険。
今、日本は、南北朝鮮の統一後、もしくは30年後を見据えて行動する。

 仮に南北朝鮮が、平和的に統一されたとしても、(むしろそのほうが日本にとっては脅威なのだが)、つぎに彼らが「敵」とするのは、この日本である。
中には、表面的な友好関係だけを見て、「そんなことはない」と、思っている人もいるかもしれない。
しかし、それはどうか?

 たとえば今朝(3/27)の朝鮮日報は、こんな記事をトップに載せている。

『トヨタ、エアバッグで現代自を挑発』と。

 記事は、こうなっている。

『……新型カムリで失地回復を目指すトヨタ自動車が、韓国自動車最大手の現代自動車のエアバッグを「問題視」している。
最近韓国の新聞に掲載された新型カムリの広告は、「安価な第2世代のディパワード・エアバッグを採用することもできた。
大半の車はそうだから。
エアバッグは目に見えないものだから」とのフレーズとともに「カムリは同クラス最高の第4世代アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっている』と。

 トヨタは、何も現代自動車を挑発したわけではない。
「カムリは同クラス最高の第4世代アドバンスト10エアバッグを搭載」とうたっているだけなのである。
が、それが朝鮮日報では、「挑発」となる。
反日感情は、それほどまでに、根が深い。

 彼らのその思考回路を買えることは、容易なことではない。
というより、この40年間、何も変わっていない。
この先、40年についても、そうだろう。
だからこそ、日本は、(お人好し的外交政策)にブレーキをかけなければならない。

 いいか、迎撃ミサイル1発、1兆円だぞ!
政府は、ミサイル本体だけの価格を公示している。
が、機関銃に例えるなら、ミサイルというのは、「銃弾」。
銃弾だけの価格。
機関銃という銃、その他もろもろの装備の価格は、含まれていない。

 日本は、いったい、だれのために、北朝鮮のミサイルを、迎撃、撃墜しようとしているのか。
仮に日本のためであるとしても、あんな国、まともに相手にしてはいけない。
その価値もない。

 私だって子どものころ、よく戦争ごっこをした。
喧嘩もした。
しかしいつも、相手を選んで、それをした。
自分より幼い子どもや、女の子には、手を出さなかった。
もとから相手にしなかった。

 迎撃態勢を組み、相手を威嚇するのはよいとしても、構えだけ。
迎撃ミサイルを発射するのは、危険というより、無謀。
野田首相は、今回の核サミット(ソウル)では、「つまはじき」だったとか。
『民主党政権の外交無策により、日本は国際社会から「つまはじき」』(MSN)と。

 だったら、つまはじきでよい。
つまはじきのまま、あとは静観すればよい。
(あるいは「傍観」?)

 恐らくあの野田首相のことだから、日本の存在感をアピールしようと、過激な手段を選ぶかもしれない。
「撃墜命令」も、そのひとつ。
が、ここは冷静に。
何も日本が、火中の栗を、あえて拾うことはない。
アメリカや韓国に任せればよい。

 それがわからなければ、もう一度、頭の中で、こう考えてみたらよい。
「もし、南北朝鮮が統一したら、この日本はどうなるか?」と。
日本の横に、核兵器に加え、150万に兵力をもった、巨大軍事国家が誕生する。

 そういう未来を見据えながら、では、今、この日本はどうあるべきか、それを考えたらよい。
その結論が、冒頭に書いたこと。
「私は、ミサイル撃墜に、明確に反対する」である。

 勇ましい好戦論に、踊らされてはいけない。

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【美容整形という、背徳】(はやし浩司 2012−03−29夜記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

伊勢志摩→名古屋から帰ったのが、夕刻。
しばらくしてから夕食。
そのままコタツの中で、居眠り。
居眠りといっても、3時間。
寝過ぎた。

先ほどワイフは、先に床に入った。
現在時刻は午後11時。
「ぼくは、あとから寝るから……」と言い、そのまま書斎へ。
5月の講演のレジュメを、主催者の方から書き直すように言われている。
ついでに、中日ショッパー用の原稿も。
「専門的すぎてわかりにくい」とのこと。

書き直すのは、めんどうではない。
その気になれば、10分程度ですむ。
(ショッパーの記事の方は、全面的に書き改める。)
が、私のばあい、(その気)になるまでが、たいへん。
どうしても、後回しになってしまう。
若いころからの、私の悪いクセ。

「原稿は、いつも1回勝負!」と。
いつもそう決めている。
2回目を書くエネルギーがあったら、別のことを書きたい。
不完全でもよいではないか。
それがそのときの「私」なら、それも「私」。
私は「私」のままを書く。

消しゴムで消して直すなどという人生観は、私には、もとからない。
だから子どもたち(=生徒たち)にも、よくこう言う。
「まちがえたら、そのままにしておきなさい。
一本、線を引けばいい。
新しい答は、その下に書けばいい」と。

が、たまに、それまで書いた原稿を、何かの手違いで削除してしまうことがある。
コンピューターというのは、それがこわい。
一度、削除すると、跡形もなく、「虚」になってしまう。

そういうときは、つぎの2つの中から、1つを選ぶ。

(1)さらによい原稿を書く。
(2)あきらめて、別のことを書く。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●整形手術

 今日、こんなことがあった。
名古屋から、豊橋までは、名鉄。
豊橋から浜松までは、JRの在来線。
座席は通勤列車用に、両側、一列に並んでいる。
その電車の中でのこと。

 隣に、見た感じ、新婚旅行帰りの若い男女が座った。
おそろいの大きなバッグが、通路側に並べてあった。

 しばらくすると、私の左横にいた女性が、居眠りを始めた。
その向こうの男性は、そのときには、すでに熟睡モード。
左側の女性は、顔を男性のほうに傾けるようにして、眠り始めた。
私の位置からは、女性の顔を下から見あげたような状態になる。
が、その顔を見て、ドキッとした。

 ほんの3〜4ミリだが、その女性は、目を開けたまま眠っていた。
そんなことができるのかと思い、数度、私は見直した。
最後は、まじまじと見た。

 見ると二重まぶたの溝が、先の方で一度途切れている。
かすかだが、端のところに手術痕も残っている。
その目の中で、眼球が、ゆっくりと左右に揺れていた。
私は、それを見て、ドキッとした。

 二重まぶたの手術で、目を大きくした。
それはわかる。
が、そのため眠ったとき、目が閉じなくなってしまった?
もしこんな状態が長くつづけば、角膜が乾燥し、角膜が傷つく。
そんなことは、素人の私でも、よくわかる。
だからふつう目は、常に涙を出し、角膜を潤す。
目がまばたくのも、そのため。
が、その目が、たとえ3〜4ミリとはいえ、開いたまま……。
だいじょうぶなのだろうか。
私は右隣に座っているワイフに小声で、こう言った。

私「ぼくのねえ……隣の女性ね、目を開けたまま眠っているよ」
ワ「……みたいね……整形手術で、上まぶたを引き上げたせいじゃないかしら」
私「目にはよくないよ……」
ワ「でも今じゃ、みんなしてるわよ」と。

●二重まぶた

 ネットで、二重まぶた手術の後遺症について、調べてみた。

Seesaaの「広告BLOG」には、つぎのような後遺症が列挙してあった。

『(1) 術後のハレがひどかった。
 
(2) 目がチクチクして、違和感がする。
 
(3) すぐに二重が取れてしまった。
 
(4) 点止めなので、二重のラインの仕上がりが、カーテンのようにハシのほうが下がってしまった。

(5) 普段は気にならないが、まぶたをおさえると目がゴロゴる。

(6) 術後、目が少し引きつったままになってしまった。

(7) 二重のラインが不自然で、あまりきれいではない。

(8) 再手術をしても、またすぐに二重が取れてしまった。

(9) 目を閉じると、点状のくぼみが残っているので、手術を受けたのが他人にすぐわかる。

(10) 二重のラインが途中でとぎれている。

(11) 術後は、しばらくコンタクトレンズがはめられなかった。

(12) 術後、まぶたにシコリができてしまった。

(13) 手術後、気がかわってもとにもどそうとしたが、糸をそのままぬくことができず、もとにもどせなかった。

(14) 手術をする際、まぶたをひっくり返して麻酔の注射をされるので、とても痛く怖かった。

(15) 眼科で診察をうけると、まぶたの裏側に糸が見えているので、眼科の先生に二重まぶたの手術を受けたのが、バレてしまった』(以上、Seesaa Blogより)と。

 が、この中には、「目が閉じなくなってしまった」というのはない。

 そこでさらに検索を繰り返してみると、それはあった。

●目が閉じられない

 ある女性が、ある眼科医の相談コーナーのページに、それについて相談している。
それに対し、N医師(HPの管理者)は、つぎのように答えている。

『多分脂肪も取っているでしょうし、皮膚も余裕が無いということですと、修正は難しいでしょうし、元の一重に戻す事はさらに無理だと思います。
目を閉じれない位ですし、どうしてもということであれば植皮をして、皮膚を植え二重を狭くしていくしか方法は無いでしょう』と。

 失敗と断言してよいかどうかは、わからない。
しかし二重まぶたの手術をして、目が閉じられなくなってしまった女性(男性も?)、結構、多いようだ。

 が、私が書きたいのは、このことではない。

●内面世界の積み重ね

 ありのままをさらけ出して生きるのは、むずかしい。
ありのままをさらけ出して生きるためには、その前に「私」がなければならない。
「私」がないまま、さらけ出したら、それは裸で街を歩くようなもの。
「衣服で飾れ」ということではない。
ここでいう「私」というのは、内面世界の積み重ねをいう。
その積み重ねが、心の衣服となり、その人を美しくする。
その積み重ねが、むずかしい。

 たとえば女性の美しさ。

 以前、アメリカのある空港で、1人の若い女性を見かけた。
白人だった。
年齢は25歳前後だったと思う。
その女性は、大きなノートパソコンに向かい、一心不乱にキーボードを叩いていた。
直接顔を見たわけではない。
が、体全体が、知的な緊張感に包まれていた。
それがその女性を、美しく輝かせていた。

 が、この日本では、「女性の美」が、ますます軽薄になっていくように感ずる。
最近では、つけまつげが流行している(?)。
中には1センチほどもある、長いつけまつげをしている女性もいる。
私には、それが、お化けというより、タヌキのようにしか見えない。
いや、タヌキだって、あんなアホなことはしない。

 が、女性がそうした化粧をするのは、それを「かわいい」と思う男性がいるから。
つまりそういう女性が多いということは、男性もまた、それにふさわしい男性になりつつあることを示す。

 美容整形であろうが、プチ整形であろうが、それをするのは本人の自由。
(以下、「整形」とする。)
しかしその一方で、内面世界の積み重ねを忘れたら、それこそ顔は、絵を描くための、ただのキャンバスになってしまう。
が、私は、もう一歩踏み込んで、こんなことを考える。

 もしあなたの恋人なり、妻が、整形を繰り返していたとしたら……。
あなたは、それに耐えられるだろうか?
それでもあなたは、そういう相手を、自分の友人、もしくは妻として迎え入れることができるだろうか?

 顔だけではない。
胸も体も……。

 私の価値観を押しつけるつもりはない。
が、私だったら、とても耐えられない。

●ハイデッガー

 女性にかぎらず、その人の本当の美しさは、懸命に生きるその生き様の中から、生まれる。
見てくれの顔や姿ではない。
生き様。

 もっともそれを理解するためには、男性の側にも、それなりの内面世界の積み重ねがなければならない。
知性、理性、道徳、哲学……、何でもよい。
そういったものを、一方で、磨いていく。
昔から、こう言う。
そう言っているのはこの私だが、「賢い人からは、愚かな人がよくわかる。が、愚かな人からは、賢い人がわからない」と。
もう少しはっきり言えばこうだ。
「利口な人からは、バカな人がよくわかる。が、バカな人からは、利口な人がわからない」と。

 解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
つまり、整形だらけの女性を美しいと思う男性は、やはりそのレベルの男性ということ。

 さらに短絡的につぎのように言い切るのは、たいへん危険なことかもしれない。
しかしこういうことは言える。

 見てくれの顔や姿ばかりを気にし、内面世界の積み重ねを怠る人は、女性にかぎらず、男性も、その程度の人間、ということ。
ハイデッカーが説いた『ただの人(Das Mann)』というのは、そういう人間をさす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 2010年に、『ただの人』について
書いた原稿が見つかった。
話が脱線するが、許してほしい。

 なお、結論的に、冒頭にあげた女性について、こんな事実を付記しておく。

 ……やがて電車は浜松駅についた。
2人の男女は、たがいに起しあいながら、席を立とうとした。
と、そのとき、若い女性のほうの目を見ると、明らかに病的にまで目が充血していた。
とくに目の下あたりが、真っ赤だった。
仮に30分でも、目を開けたままにしていれば、そうなる。
あるいは私が見たときのように、常に眼球を動かしていないと、角膜が傷つく。

 その女性は、目を大きくしたいがため、整形手術を受けた。
しかし整形手術には、それがどんなものであれ、何らかの危険を伴う。
後遺症を伴うこともある。
目を開いたまま眠るというのは、どう考えても、ふつうではない。
5年や10年は、それでよいとしても、20年後、30年後に、何か大きな病気につながるかもしれない。

 なお私が見た充血と、整形手術との因果関係についてはわからない。
が、もし関係があるとするなら、そういうことを医師はしっかりと説明をしてから、手術を施すべきではないのか。

 かなり強い疑問を覚えたので、ここに記録しておく。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●『ただの人』(ハイデッガー(2009年の終わりに書いた原稿)

++++++++++++++++++

つい先日、12月になったと思っていたら、
もう今月もおしまい。
つい先日、2009年になったと思っていたら、
もう今年もおしまい。
つい先日、21世紀(2001年)になったと思っていたら、
もう2010年。

こうして日々は、容赦なく過ぎていく・・・。
過去へ過去へと、失われていく・・・。
・・・と、だれしも考える。
・・・と、だれしも考えやすい。

が、そういう考え方は、あまりにも通俗的。
長い歴史の中で、人は、そのように考えるように、
なってしまった。
つまり「数字」と「人生」を重ね合わせるようになってしまった。
が、そう考えてはいけない。
つまり「過ぎていく」と考えてはいけない。
「失っていく」と考えてはいけない。
何も過ぎていかない。
何も失っていかない。

そこにあるのは、今という「現実」。
現実があるだけ。
数字に惑わされてはいけない。
2009年だろうが、2010年だろうが、
そんなことは、私たちには関係ない。
私たちは、今という「現実」を懸命に生きる。
それだけを考えて生きる。

つまりこういうばあい、「数字」というのは、あくまでも
便宜上のものでしかない。

それがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
人間以外に、年や年齢を気にして生きている鳥や動物が
いるだろうか。
年齢にしても、そうだ。
気にならないと言えば、ウソになる。
しかし年や年齢という「数字」など気にしてはいけない。
気にする必要もない。
私たちは、今の今も、そこにある「現実」に向かって、
まっしぐらに進んでいく。
その上で、こう考えればよい。

「ああ、もうすぐ2010年なのか」と。

(2009年12月28日記)

++++++++++++++++++++

●年齢

 一度できあがってしまった(常識)を打ち破るのは、容易なことではない。
その個人だけの問題ではない。
その地域全体の人が、同じように考えている。
そういうところでは、なおさら容易なことではない。

たとえばG県の田舎へ行くと、今でも年長風を吹かしている人は多い。
家父長風を吹かしている人も多い
たった数歳年上というだけで、威張っている。
それがおもしろいほど、極端な形で現れる。

 こうした意識の根底にあるのが、「数字」。
年齢という数字。
言うなれば、「金持ちほど偉い」という、金権教の信者と同じ。
本来意味のないものにしがみつきながら、意味があるものと思い込んでいる。
それが意味がないものと、気がつくこともない。
またそれを認めることは、自己否定につながる。
そういう生き方そのものが、その人の哲学になっている。
だからよけいに、しがみつく。

●年齢という数字

 何歳であっても、私は私。
あなたはあなた。
今年が何年であっても、今年は今年。
今は今。
大切なのは、今、何歳かということではなく、今まで生きてきた蓄積が、私やあなたの中に、どれだけあるかどうかということ。
それがあればよし。
が、それがないなら、あなたが何歳であっても、あなたは、「ただの人」(ハイデッガー)。
数字という年齢をとることだけなら、だれにだってできる。
つまり、繰り返しになるが、「数字」には、意味がない。
まったく意味がない。
まず、私たちは、それを知る。
しっかりと肝に刻み込む。

●幻想

 ・・・こう書くと、「老人の強がり」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分がこの年齢になってみて気がついたことがある。
老人ほど、人生の経験者」というのは、ウソ。
「人格者」というのは、さらにウソ。
まさに幻想。

地位や肩書きなどというのは、その人を飾るカラスの羽のようなもの。
イソップ物語に出てくる、あの話である。
一羽のカラスが、自分を美しく見せようと、自分の体を、いろいろな鳥の羽で飾ろうとする。
それと同じ。
自分では美しくなったつもりでいるかもしれないが、まわりの人たちは、それを見て、「バカ」と思う。
笑う。

 老人になればなるほど、愚劣になっていく人は、いくらでもいる。
またそういう人のほうが、多い。
だから私は、あえて言う。
「年齢」という「数字」には、意味はない、と。

●中身

 大切なのは、今という「現実」を、どう生きるているかということ。
今という「現実」の中で、自分がすべきことを、しっかりとしているかどうかということ。
そのために、今という「現実」を、しっかりと見据えているかどうかということ。
それには、若いも老いもない。
いくら若くても、死んだも同然。
そんな人は、いくらでもいる。
いくら年を取っていても、前向きに生きている人は、いくらでもいる。
大切なのは、中身。
中身で決まる。
その中身の追求こそが、「生きる」ということになる。

 ・・・とは言いつつ、「数字」はたしかに節目にはなる。
そのつど今の自分を、反省することはできる。
もし年数という「数字」、年齢という「数字」がなければ、生活に対する緊張感も半減する。
「数字」があるから、そこから緊張感が生まれてくる。
(もちろん何ら緊張感をもたないで生きている人も、多いが・・・。)
言うなれば、ウォーキング・マシンについているタイマーのようなもの。
タイマーがあるから、「がんばろう」という気持ちがわいてくる。
「2010年も、がんばるぞ!」と。

●今という「現実」

 ともあれ、節目としての2009年は、もうすぐ終わる。
で、振り返ってみれば、あっという間に終わった。
・・・というより、「数字」がどうであれ、私は今までどおり、前に向かって懸命に生きていく。
今という「現実」は、(今まで生きてきたこと)の結果であり、同時に、(これから生きる人生)の出発点でもある。

生物学的に言うなら、私たちは常に死に、常に生き返る。
だったら今そこにある「現実」に向かって、まっすぐに生きていく。
「過去」とか「未来」とかいう言葉に、惑わされてはいけない。
過去など、どこにも、ない。
未来など、さらにどこにも、ない。

 だから・・・。
今、できることは、今、する。
今、すべきことは、今、する。
懸命にする。

【補記】

 「数字」にこだわる人は多い。

先に書いたように、たった数歳年上というだけで、年長風を吹かしたりする。
このタイプの人は、当然のことながら、年号や年数にこだわる。
たとえばある宗教団体では、入信年月日によって、信者の上下関係が決まるという。
年齢ではない。
信仰していた年数で決まる。
だから、50歳、60歳の人が、30歳、40歳の人に、頭をさげたりする。
「信心歴が長ければ長いほど、その人は、上」というわけである。

 バカげた考え方だが、信仰の世界に入ってしまうと、それがわからない。
同じように、年長風を吹かす人もそうだ。
言うなれば、『年齢教』というカルトの信者。
「年上」というだけで、威張っている。
「年下」というだけで、「下」にみる。
偉そうに説教をしたりする。
それがおもしろいほど、極端なので、思わず笑ってしまう。
 
 このタイプの人は、当然のことながら、「長生きすればするほど、人生の勝利者」というふうに考える。
「数字」が、価値判断の基準となる。
だから幸福感も、「数字」による。
しかも相対的。
隣の人よりも、金持ちであれば、幸福。
隣の人よりも、貧乏であれば、不幸、と。
ふつうはケチで、小銭にうるさい。
そういう点では、一貫性(?)がある。

が、誤解してはいけない。 
長生きすることが無駄というのではない。
お金を稼ぐことが無駄というのではない。
しかしどちらであるにせよ、「数字」に毒されると、「人生」そのものを無駄にする。
それに気がつけば、まだよい。
ふつうはそれにすら気づかないまま、無駄にする。
そういう人は、どこまでもあわれで、かわいそうな人ということになる。
ハイデッガーの説いた、「ただの人」というのは、そういう人をいう。

+++++++++++++

「ただの人」については、
たびたび書いてきた。
つぎの原稿は2008年4月に
書いたもの。

+++++++++++++

【ただの人(das Mann)】
Along with getting old, most people is to become just a “man”, so-called “das Mann”. But nobody agree that this is the goal of our lives. We have what we should have to do toward the of the lives. Then how can we find it?

●生きているだけもありがたい

 若いときの20歳。
壮年期の終わりにやってくる60歳。
これら2つの年齢は、人生にとって、大きな節目となる年齢である。

 20歳という年齢を、人生への入り口とするなら、
60歳という年齢は、人生からの出口ということになる。
民間企業では、50歳を過ぎるころからリストラが始まり、60歳になると、ほとんどの人は退職、ということになる。
役所の人たちも、60歳を境に、それぞれの天下り先へと転職していく。

 もっとも60歳まで、無事生きてこられたというだけでも、ありがたい。
御の字。
感謝しなければならない。
すでにこの世を去った人も多い。
ざっと見ても、約5%の人が、亡くなっているのではないか。
健康や精神を病み、生きていくだけで精一杯という人も多い。
経済的に行きづまった人となると、もっと多い。

 さらにこの年齢になると、それまで隠しもってきた持病が、どんと前に出てくる。
持病だけではない。
人間性そのものも、そのまま前に出てくる。
わかりやすく言えば、化けの皮が、はがれる。

 が、それだけではない。
そのころになると、それまでの人生観を変えることなど、夢のまた夢。
小ズルイ人は、死ぬまで小ズルイ。
守銭奴は、死ぬまで守銭奴。

●老後の人間性

 よく誤解されるが、そしてほとんどの若い人たちは、そう思っているかもしれないが、歳をとれば、人間性が豊かになるというのは、ウソ。
むしろ、人間性は、後退する。

 その年齢になった私が言うのだから、まちがいない。
ただ人づきあいが、見た感じ、丸くなるということはある。
しかしそれとて、進歩してそうなるのではなく、生命力そのものが弱体化して、そうなる。
よい例が、老人ホームにいる老人たちである。
みな、穏やか過ぎるほど、穏やかな顔をしている。
だからといって、そういう老人たちが人格者などとは、だれも思わない。

 が、それだけではない。
さらに恐ろしいことがある。

●老化する脳

 そのころになると、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、知識がどんどんと消えて行く。
年齢に比例して、その量は多くなる。
しかしそうなりながらも、その人自身は、それに気がつかない。
脳のCPU(中央演算装置)のクロック数そのものが低下するから、脳の働きが鈍くなったことすらわからない。

 先日も、どこか(?)な女性(65歳くらい)に会った。
話している内容に、一貫性がなかった。
そこで私が、「私はあなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と言ったときのこと。
その女性は、何を思ったか、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

 このように脳の機能全体が低下してくると、低下していること自体、わからなくなる。
そしてあとは加速度的に、老化だけが、どんどんと進んでいく。
脳の病気にかかれば、なおさらである。

が、それで終わるわけではない。
最後の最後に、とどめの一発がある。

生きがいの喪失である。

●統合性と生きがい

 この日本では、「庭いじりと孫の世話をすること」を、理想の老後生活と考える人は多い。
そういう理想像(?)が、いつしかできあがってしまった。
しかしそれはとんでもない、まちがい!
少なくとも、世界の常識ではない。

では、どうあるべきか?

 老後を迎えたら、(すべきこと)を見つけ、それに向かって、前に進む。
(したいこと)ではない。
(すべきこと)に向かって、前に進む。
それをエリクソンという学者は、「統合性の確立」と呼んだ。

 この統合性の確立に失敗すると、老後は、あわれでみじめなものになる。
それこそ「死の待合室」に放り込まれたような状態になる。
もっとも、この段階で、それに気づく人は、まだよいほう。
救われる。
大半の人は、死の待合室にいることさえ気づかないまま、ささいな夢や希望に、自分をつなぐ。
自分をなぐさめる。
あきらめる。

 つまらない人生を送りながら、それをつまらないとも思わない。
というのもこの問題は、あくまでも相対的なもの。

●統合性の内容

 統合性といっても、程度の差がある。
それこそマザーテレサのように、崇高な統合性を確立した人もいる。
私のように、HPの更新程度のことに、生きがいを求める人もいる。

 程度……、つまり統合性の次元は、より自分の次元が高くなってはじめて、より低い人の次元がわかるようになる。
わかりやすく言えば、次元の高い人からは、低い人がよくわかる。
しかし次元の低い人からは、次元の高い人は、わからない。
恐らく、理解もできないのではないか?
中には、「そんなことは、むだ」と否定してしまう人もいる。
先日会った、O氏(65歳)もその1人。
O氏は、こう言った。

 「あのね、林さん、総理大臣をやったような人でも、死ねばおしまいだよ。10年もすれば、みなに忘れられてしまう。残るのは、印刷された名前だけだよ」と。

「だから、人生というのは、したいことをして楽しむにかぎる」と。

しかしO氏のような生き方では、さらに何も残らない。
「生きた」という実感すら、もてないのではないか?

真理の探求を例にあげてみる。

●感動のある人生

 こんな私でも、ものを書いていて、何か新しいことを発見したときには、ゾクゾクするほど、感動する。
その感動こそが、私の生きがい。
生きがいとなって、私を支えてくれる。
研究者や芸術家なら、なおさらであろう。

 しかもそうすることによって、自分の(命)を、つぎの世代に伝えることができる。
わかりやすく言えば、自分を超えて、さらにつぎの世代の中で、生きることができる。
だから私は、O氏には悪いが、こう思った。

「かわいそうな人だ」「たったひとつしかない人生を、無駄にしている」と。

 さて、60歳。
この年齢になると、闘わなければならないものが、いくつかある。

 肉体の健康もそうだが、脳の健康も、維持しなければならない。
しかし何よりも大切なのは、統合性を確立し、その統合性に、自分を一致させていくこと。
その努力を怠ると、それこそ、そこらのオジチャン、オバチャン(失礼!)と同じ運命をたどることになる。

 繰りかえすが、ハイデガーは、軽蔑の念をこめて、そういう人たちを、「ただの人(das Mann)」と呼んだ。

「ただの人」になることだけは、何としても避けなければならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ハイデッガー はやし浩司 ハイデッガー ただの人 das Mann 統合性 DAS MANN)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●カラス

 話を戻す。

 カラスはカラス。
カラスがいくらクジャクの羽をつけたところで、クジャクにはなれない。
だったら、カラスはカラスとして生きればよい。
カラスのもつ「黒」は、それ自体、美しい。
その美しさを否定し、クジャクの羽をつける。
それは即、自分の哲学の敗北を意味する。

 が、美しくなりたい(?)という若い女性を責めても、意味はない。
かわいそう。
酷!

 大切なことは、我々人生の経験組が、別の美的価値観を示してやること。
それもしないで、一方的に、若い人たちに向かって、「無駄なことをしている」と言ってはいけない。
それはたとえて言うなら、二階屋根に登った人から、ハシゴをはずすようなもの。

 が、その力は、あまりにも弱い。
たとえばテレビの影響。
連日連夜、そのタイプの女性や、それを取り巻く男性が、テレビに出てくる。
さらに今では、整形したことを隠すタレントは、まずいない。
堂々と、「こことここを整形しました」などと言ったりする。

 ものを考える力が乏しい、さらに若い人たちは、そういう人たちの影響をモロに受けてしまう。

 もちろん、みながみな、そうというわけではない。
同じ電車の中には、少数派だが、見るからに堅実そうな若い女性も、乗り合わせていた。
そういう女性を守るために、私たち老人組は、その(柱)にならなければならない。
ここに書いた原稿は、そのためのものと考えてほしい。

●終わりに……

 ただ誤解しないでほしい。
私は顔を整形することが、まちがっていると書いているのではない。
(「正しいこと」とは、絶対に思わないが……。)

しかし「整形」という行為の中に、その人の人生観が凝縮されているように思う。
見栄、体裁、メンツ、世間体を気にして生きる、そういう人生観である。
しかしこういう生き様ほど、見苦しいものは、ない。
へたをすれば、人生そのものを棒に振ることにもなりかねない。
その第一歩としての整形であるなら、これほど不幸な第一歩は、ない。

 私たちは、いつも、「私は私」と、生きる。
そういう生き様を貫く。
そこに生きる意味がある。
けっして、他人の目の中で生きてはいけない。

 ……今朝は、かなり過激な意見を書いてしまった。
このエッセーを読んで、不愉快に思う人も多いだろう。
が、それはそれとして、つまり美容整形のことは忘れ、では、人間の美しさとは何か。
この原稿をたたき台にして、それをもう一度、考えなおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美容整形 プチ整形 はやし浩司 二重まぶた 目の閉じない女性 人間の美しさ ハイデガー ハイデッガー ただの人  das Mann Das Mann)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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